影法師 村上文彦   作:+は*

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犬神使い桐山沙穂の事件簿(参)

 

 

 

 気がつくと沙穂は部活を終えて帰宅の途についていた。

 

 時刻は午後二時を過ぎ、財布の中身は五百円分軽くなっている。胃袋は心なしか満たされ、ちょっと疲れてもいる。部活の友人たちと今日の練習について話し合っている最中だったから、彼女はその違和感に気付くのにしばらくの時間を要した。

 

「五小節分を息継ぎ無しで吹くには、も少し練習が必要よね」

 

 もっともだと相槌を打ってから、沙穂は凍りついた。

 ほんの数分前まで彼女はジンライ少年と異形退治の話をしていたのではないのか? 簡単な仕事だからとバケモノがたくさん封じられた汚い部屋に連れられて――。

 

(封を解かれたバケモノに憑かれそうになって、あたしが片付けた)

 

 声が聞こえた。

 頭蓋の内側と、ごく近い場所から聞こえてくる声だ。それは友人たちには聞こえないのか、彼女たちは不思議そうな顔で沙穂を見ている。動揺を悟られぬよう彼女は首を振り、暑さと疲労で立ちくらみしたのだと言い訳して友人たちに追いついた。

 

(……誰なの)

(鏡を見ればいい)

 

 再び声。学生鞄から小さな鏡を取り出して視線を落とせば、鏡面に映る沙穂が悪戯っぽく笑っている。悲鳴を上げそうになって表情を強張らせても、鏡面に映る沙穂は相変わらず笑っている。

 

(あたしは「サホ」、あんたを護るのがあたしの仕事。だから求めれば手を貸すし、求めなくても力を貸す)

 

 鏡の中のサホは、そう言ってウィンクした。不器用な沙穂では苦手な仕草である。

 これもまたジンライと同じく影法師とやらの仕業だろうかと考えると、サホはやれやれと肩をすくめた。

 

(外れちゃいないけど、あたしは元はあんたそのものだったんだ。そう邪険に扱わないで欲しいね)

 

 ニヤリと笑うとサホは再び沙穂の意識を奪う。

 

 以来沙穂は事あるごとに原因不明の意識不明に陥り、身に覚えのないトラブルや人間関係に巻き込まれることになる。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 彼女は、ほんの少し前までは桐山沙穂と呼ばれていた。

 

 自分でもそうだと思っていたし、その通りだった。地味で平凡だが安定した生活を送っていた彼女にとって人生の転機が訪れたのは、同級生を見舞うべく夜道を歩いた時だ。彼女は暗闇の中でこの世ならざるバケモノに襲われ、この世ならざる力によって助かった。

 その過程で、知らなくていい事と、知ったところで一文の得にもならない事を知った。いや、知らされたのだ。

 或いはそこで引き返せば普通の生き方も十分に可能だった、かもしれない。

 

 嗚呼。

 

 彼女は不幸だった。この世ならざる力で彼女を救い出したのは、彼女の同級生だったのだ。童顔で背が低く喧嘩っ早い少年。彼は尋常ならざる術師であり、出席日数が微妙な割に適度な成績を修める不可解な高校生であり、彼女の思い人なのだ。

 やはり彼女は引き返すべきだった。

 しかし哀しいかな、彼女は経験が乏しかった。ママゴトのような恋愛感情で夜も眠れぬほどウブで、追い詰められると見境のない行動に出るほど大胆だった。彼女は同級生の少年のことが好きで好きで好きで好きで、それが作られた想いだと気付かなかった。

 

 いつの間にか彼女の中の何かがバケモノになっていた。同級生の少年は「桐山沙穂」という少女を救うために、桐山沙穂の中にあるバケモノを切り離した。

 彼女は、そのバケモノだったのだ。桐山沙穂としての記憶、同級生である少年への想い、莫大な魔力、それが彼女を構成する全てだった。彼女は驚き、嘆き、自分がもはや桐山沙穂ではないことを悲しんだ。彼女は力の大部分を少年に奪われ、絞りカスとなってしまった。

 

「直接本体に戻せねえから、窮余の策として影に人格を移植したんじゃないか」

 

 日付が変わって数時間の後、誰もいない店舗のカウンターに腰掛けた村上文彦が嘆息まじりに呟いた。

 

「二重人格気味になったのは」

 

 重要な事なのだと村上文彦は主張した。

 隣では、先刻まで文句と抗議と泣き言を繰り返し文彦に拳骨を喰らったジンライ少年がおり、その反対側には眠い顔のルディが様々な道具をカウンターに並べている。プラスチックを多用した小型の自動拳銃と弾倉、硬陶製の大型ナイフ、どう見ても他人を殺傷する以外に使い道のない数々の器具。そして、それとは対照的な前時代的なオカルト用品。魔力を有しているという理由で集められた、宗教や時代背景がまるで合致しない道具だ。

 

「表の委員長が犬神使いとしてひとり立ちできれば、影の人格とも融合できる。ジンライを委員長の護衛につけたのは、そういう理由もあった」

 

 チタン製のアタッシュケースにそれらの道具を詰め込んで、他人事のように話す文彦。整然と、使いやすいように並べられたそれらの道具は、術師が活動する上で必要となるものだった。無論簡単に入手できるようなものではなく、影法師である文彦だからこそ揃えられた物も少なくない。

 

「……正直、これほど早く影の人格が表に出てくるとは思わなかった」

 

 警察に職務質問されれば確実に言い逃れできないアタッシュケースを閉じ、息を吐くと共に肩を落とす文彦。

 彼としても、それなりの予定を立てていたのだ。それがジンライ少年の暴走に近い独断で御破算となり、予測外の事態に振り回されている。ルディはばつが悪そうな、しかし文彦を気遣うような態度ではあるが、言葉に出すことはできない。ジンライもまた文彦がこれほど悩むのかと驚いてさえいる。

 

『文彦様、ごめんなさい。ちょっとはしゃぎ過ぎました』

 

 頭を下げ、ジンライはぼろぼろと涙をこぼす。ジンライにとって沙穂は大事な人だが、文彦もそれに負けぬほど大切な存在なのだ。

 

『でも、あのサホって人格は酷すぎやしませんか?』

「あれは委員長の過激な部分を寄せ集めたようなやつだから」

 

 加減という言葉とは無縁だろうな。

 文彦はずしりと思いアタッシュケースの上に、どこかのアパートのものらしき鍵と、薄っぺらい茶封筒を置く。

 

「三課は桐山サホを影使いとして登録することを決めた。活動拠点となる住居の鍵と、依頼を果たすことで振り込まれる仕事料の振込み先となる口座だ」

 

 本人に届けろと命じ、文彦はそのまま自室に戻る。ジンライはしばらくの間文彦の背中を追っていたが、ルディに肩を叩かれて意を決すると諸々の荷物を抱えて姿を消した。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

『というわけで、昨日破壊した建物ならびに封印器物の弁償および再封印に関する諸経費が口座の額をマイナスにしているそうです』

 

 なんとも申し訳無さそうに頭を下げるジンライ。

 サホはというと、口座のマイナス桁が六つを越え七つ目に突入してもゼロが並ぶ現実に硬直し、唖然とした。

 

「な、なによこれ!」

『具体的に言うと借金です、利子はないみたいですから頑張って返しましょう』

「都内に一戸建て買えるわよ、この額!」

 

 そりゃあビル一個倒壊しかけて封印を相当数駄目にしたわけですから。

 これくらい安い方ですよ、と慰めにもならない言葉をかけるジンライ。薄れゆく意識の中、サホはふと「数億円かけてデビューした割にシングル数枚出して即引退のアイドル」を輩出した事務所ってこんな気分なのかしらと、どうしようもないことを考えた。

 

 

 

 

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