百日帝崩御   作:kuraisu

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想定外が重なりすぎた

 

 帝国暦三三七年。この年は「銀河帝国がもっとも自然崩壊しかけていた年」と俗に言われることが多い。この俗説は必ずしも正確ではないのだが、概ねにおいて間違ってはいないと歴史家の多くが意見を一致させるほど銀河帝国が崩壊しかけていた年であった。

 

 先々帝にあたる第二〇代皇帝フリードリヒ三世の時代。三三一年に起きた自由惑星同盟という外的勢力の初接触、そして初の大会戦となったダゴン会戦の大敗以後、ゴールデンバウム朝は加速度的に崩壊の兆しを見せ始めていた。自由惑星同盟という帝国に代わる人類社会の可能性が誕生し、帝国の支配に嫌気がさしていた者が同盟に流れ込んだり、混迷の様子を見て地方独立を決め込もうとする勢力が相次いだのである。

 

 帝国を立て直すためには何らかの対策が必要なのは明白だったが、今上の皇帝フリードリヒ三世はそれを拒んだ。別に勝利に驕る同盟を増長させたかったとか、帝国の混迷を助長させたいとか思っていたわけでもあるまいが、皇帝は帝国を救うことより自身の地位と生命を脅かすかもしれない政府と宮廷の不安要素を取り除くことを優先したのである。結果、フリードリヒ三世即位以前に約数十年にわたって積み上げていた負債も相まって、ゴールデンバウム朝は深く腐敗と退嬰と陰謀の中に沈み、後世“暗赤色の六年間”と評される末期状態を招くこととなった。

 

 三三六年にフリードリヒ三世が急病死すると、その異母兄であるマクシミリアン・ヨーゼフ一世が帝位についた。フリードリヒ三世の遺命や、宮廷重臣たちの支持があったわけでもなく、慣例からも外れている即位劇に廷臣たちは反発した。新帝は「かくのごとき状況下で皇帝位を空位にしておくのは帝位争いによって宮廷内外の混乱を招くゆえ、それを防ぐための臨時措置」と説明したが、それで納得して支持したのはマクシミリアン・ヨーゼフ一世子飼いの派閥のみであり、他の派閥との宮廷闘争の末、マクシミリアン・ヨーゼフ一世は僅か一年で帝位をおわれることになる。

 

 その後に帝位についたのは、先々帝フリードリヒ三世の長子であるグスタフであった。グスタフはもとよりフリードリヒ三世の後継者たる皇太子として冊立されていたので、帝冠を頭上に戴く正統性があったし、身体が虚弱なこともあって自ら政治の陣頭に立って親政を行うことも難しく、また治世も長いものにはなり得ないであろうという各宮廷派閥の打算と妥協による支持もあり、即位することができたのである。

 

 そうした各々の宮廷派閥の思惑があり、仮初めのものではあったが、それでも帝国中枢の有力者たちは皇帝グスタフの下に団結すべきということで意見を一致させた。背景には、この銀河帝国そのものが崩壊しかねない状況になってきているという危機感が、派閥を問わず帝国中枢の有力者たちの共有するところになるほど自明なものになってきていたという事情があった。

 

 ともかくも帝国はグスタフ皇帝の下に、ようやく国家再建に向けて動き始めたわけであるが、僅か数ヶ月のうちにこの流れに大きなブレーキがかかる事態が発生してしまったのである。

 

 皇帝政務秘書官の任にある皇弟マクシミリアン・ヨーゼフ大公の名において皇族会議の招集がかけられた時、会議に出席できる資格を持つ――皇帝と皇位継承権を持つ成人済みのすべての皇族に加え、宮内、司法、典礼の三尚書等が参加資格を持つ――者たちは皆、皇帝グスタフではなくマクシミリアン・ヨーゼフ大公の名が使われていることに不穏な予感を禁じえなかった。そして新無憂宮東苑の一角にある会議室で、彼らはその予感が間違っていなかったことを知ることになった。

 

「兄様、いや、皇帝陛下が御危篤とは事実か?!」

 

 悲鳴のようにそう口を開いたのは帝国元帥の軍服を身にまとったリヒャルト大公である。彼も皇弟であり、もしこのまま皇帝崩御となれば、順当に言って次の皇帝になる可能性が高い有力候補であると周囲から目されていた。なぜなら現在皇帝グスタフには後継者となるべき子がいないため、慣例から言って皇弟のだれかがその跡を継ぐことになろう。

 

 リヒャルト大公は先々帝フリードリヒ三世の四男であり、皇帝との間には二人の兄が存在したが、次男のマクシミリアン・ヨーゼフ大公は母方が下級貴族の出身の為に有力者とのコネクションに欠け、三男のヘルベルト大公はダゴン星域会戦の大敗の責任を取らされて――公式には参謀のインゴルシュタット中将に敗戦の全責任があることになっており、ヘルベルト大公は精神病の為に治療中ということになってはいたが――遠方の離宮に軟禁されており、マクシミリアン・ヨーゼフ大公以上に皇帝即位の可能性はなかった。

 

「ああ、残念ながら事実だ。宮廷医たちの診断によると意識が回復するかどうかすらおぼつかぬそうだ。皇太后殿下も大変心を痛められ、看病の指揮をとっておられる」

 

 しかし次兄から兄皇帝に死が迫っているという話を聞き、リヒャルト大公は苦悶の表情を浮かべた。それは肉親の情という一面もあったが、それ以上に今死なれたら困るという政治的な理由であった。次期皇帝最有力候補といえども、正式に次期皇帝たる指名を受けているわけではなく、現在の伏魔殿じみた様相になっている宮廷の各派閥に自分が至尊の座に腰を下ろすことを認めさせるには、有無を言わせぬ実績が欲しいところであった。

 

 これまで軍を率いた経験がないリヒャルト大公が帝国元帥となっているのもその辺りに理由があった。グスタフが帝位に就くことを支持する見返りとしてリヒャルト大公は、帝国元帥の称号とE軍管区鎮定軍司令官たることを要求したのだ。E軍管区は当時の帝国軍の区分としてイゼルローン方面の辺境宙域に設定されており、現在E軍管区の大部分が自由惑星同盟やらいう叛乱勢力の占領下にあり、これを討伐する軍の司令官たることをリヒャルト大公は望んだのである。

 

 ダゴン会戦の大敗以来、イゼルローン回廊から殺到してきている共和主義者どもを一掃し、帝国の力が健在であることを誇示せねばならぬという宮廷世論を利用した形である。奴らをイゼルローン回廊の向こう側にまで押し戻し、ダゴン会戦大敗の雪辱を晴らした実績があれば、自分の権威は高まるだろう。その実績と自身の勢力を背景に、自身を皇太弟として冊立させるよう兄様に公然と要求すれば、他の派閥も受け入れざるをえまいと考えたのだ。

 

 なのにそうした実績を立てる前に兄皇帝の生命が危うくなっているというのは、非常に困る。リヒャルト大公の算段が全て狂うのだ。

 

「それで、我が甥よ。陛下が御危篤というのならば、皇族会議を招集したのは、陛下がもしお隠れになった際に備えて、次の皇帝候補について、儂らの同意を得たい、と、考えてのことかのう」

 

 かつて皇族会議がユリウス大公を第六代皇帝とする決定をして以来、帝国の歴史においては明確な次期後継者がいない場合、しばしば皇族会議によって次期皇帝を定めてきた。

 

 その歴史的事実を踏まえて好々爺めいた笑みを浮かべながらマクシミリアン・ヨーゼフに問いかけた老貴族に対し、リヒャルト大公はほとんど反射的に口を挟んだ。

 

「ファルストロング侯、今兄さんと話していたのは俺だったはずだが……?」

「おや、まだ話が続いておったのか。すまんのう。それとリヒャルトや。儂はもうファルストロング侯爵ではない。今の儂はルーエシュタント仙帝大公じゃ。ファルストロング家当主の地位は一年以上前に倅のアンドレアスに譲った。いい加減間違えんでほしいのう」

「そうは言われても伯父上がその称号を得てからまだ三ヶ月程度ではないか。なかなか馴染まぬのだ。許せ」

「そうか、困ったもんじゃ」

 

 ほんとうに困ったという表情を浮かべるルーエシュタント仙帝大公に、リヒャルト大公は朗らかに微笑みかけたが、その眼にはまったく笑っておらず、冷たい刃を思わせる敵意の光を放っていた。当然、伯父がルーエシュタント仙帝大公の称号を得ていることを覚えていないわけではない。わざと間違えているのである。というのも、ルーエシュタント仙帝大公の由来が問題であった。

 

 ルーエシュタント仙帝大公は、第一六代皇帝“徹底狂君”フリードリヒ一世が、加齢による自身の能力の衰えを理由に、自身の長子である皇太子レオンハルトに帝冠を譲り渡した後、名乗っていた称号なのである。つまりルーエシュタント仙帝大公とは、誰かに譲位した元皇帝であることを意味する称号なのである。

 

 リヒャルト大公は当時社会秩序維持局長官だった地位を利用して言葉巧みに父帝を籠絡して権力を握り、自分を辺境に飛ばしただけでなく、勝手に伯父が“皇帝を自称しだした”ことを内心認めていないのである。グスタフとマクシミリアン・ヨーゼフ、二人の兄から説得されて、宮廷闘争の激化を防ぐために、仕方なく、本当に仕方なく妥協し、フリードリヒ一世の前例に倣って“皇帝マクシミリアン・ヨーゼフ一世が、先帝の長子であるグスタフに譲位した”という表向きの物語を今のところは許容してやっているが、いつか報いを受けさせてやると決めていた。

 

 そうした異母弟の内心を理解しているマクシミリアン・ヨーゼフ大公は軽く苦笑した。

 

「リヒャルト、その辺でやめておいてやれ。他にも議題はあるが、伯父上の言う通り、もし陛下がお隠れになった時、その事後策についてこの会議で合意を得ておきたい。私としては、かかる国難にあたり、なによりも優先されるのは帝室の団結であると思うが、卿らの考えはどうであるか」

 

 全員が同意を示すように深く頷くのを確認し、マクシミリアン・ヨーゼフ大公はやや躊躇いがちに口を開いた。

 

「そこで提案するのだが、もし陛下がお隠れになられた場合、その死を暫くは秘匿しないかということだ」

「殿下、それはあまりに……」

 

 宮内尚書の発言をマクシミリアン・ヨーゼフ大公は手で制した。

 

「わかっている。私とて、弟として兄君に対してそのようなことはしたくない。だが、われわれが誰を次の皇帝とすると決めたところで、宮廷を纏めることはかなうまい」

「俺たちのだれもが正統性に欠けるから、か」

「そうだ。そこに疑義を差し挟む余地があると、エーペンシュタイン宰相の一派は確実に荒らしに来る」

 

 リヒャルト大公は天を仰いだ。全人類の支配者にして全宇宙の統治者たる銀河帝国皇帝は、全人類を意のままに従わせるだけの力が形式の上ではあるはずであるが、称号だけでは人はついてこない。人望とか実績とかいったものも必要となってくるのであった。ましてや、これほどまでに腐敗して銀河帝国そのものの権威と秩序が危うい時代にあっては、なおさらであった。

 

 エーペンシュタインも無能者では決してない。ダゴン会戦後、猜疑心を拗らせていたフリードリヒ三世の信頼を勝ち取り、とかく自分の地位を脅かすかもしれぬ不安要素を帝都より排除したがる主君を宥めながら専横を振るう皇兄マクシミリアン・ヨーゼフと対峙し、崩壊しつつある帝国をなんとか維持しようと尽力していた高級官僚である。だが、その苦行のせいで、彼はゴールデンバウム王家への忠誠心を使い果たしてしまったようであり、ただただ自己の権勢の拡大に邁進しているようにリヒャルト大公の目には見えていた。

 

 というより、そういう思惑でもなければ、するりと帝位についたマクシミリアン・ヨーゼフ一世を追い落とすために、自分たち兄弟を辺境からオーディンへと呼び戻しておきながら、先帝に疎まれた者を玉座に据えるのは先帝の意に反するので云々と理屈をつけて自分の皇帝即位に反対してくる理由がリヒャルト大公には思いつかなかった。そこまで王朝に対して愛想を尽かしてしまう所業を父がしていたのかと思うと、多少は同情の念も沸くが、伯父同様自身が帝冠を戴く障害になっているのでは敵意のほうが強くなる。

 

「ふむ、経歴に傷がないという意味では儂の倅で、近衛兵総監をしておるアンドレアスが……」

「論外だ」

 

 戯けた伯父の案にリヒャルト大公は即座に反対した。その光景を見て、典礼尚書は顎に手をあて少し考えた後、口を開いた。

 

「その意味では、バルトバッフェル男爵も候補になりますが……」

「いや、儂の倅が無理なら無理じゃろ。あやつの父ステファンは、フリードリヒ三世陛下の怒りを買って、帝都より追放された上、領地の多くも召し上げられ、侯爵から男爵に格下げされた奴じゃぞ。その時に皇位継承権も剥奪されておった。経歴に傷しかないと思うがのう」

 

 帝都追放はともかく領地の召し上げや爵位降格などは、貴方が皇帝に入れ知恵して実行したんじゃなかったかと反射的に典礼尚書は言い返しそうになったが、余計ないざこざを起こしても仕方ないと理性を総動員して黙り込んだ。

 

「たしかにマクシミリアン・ヨーゼフ殿下の仰る通り、誰もが納得する次期皇帝候補をすぐに見つけることは難しそうですな。それでどうしようとおっしゃるのか。まさか、殿下が陛下の代役を務めるおつもりか」

「そんなつもりはない。私に皇帝など似合わないよ。私が言いたいのは、内外の者たちを納得させるだけの者が現れるまで、この皇族会議の結論が、即ち陛下の意思であるということにしようではないかということさ」

「主権者が何者であるかを曖昧にし、合議にて帝国の最高意思決定を行うなぞ、共和主義的虚飾すぎて好かぬが……この際、致し方あるまいかのう」

 

 ルーエシュタント仙帝大公が不満気ながらも同名の甥の案を支持する意思を示すと、リヒャルト大公も眉をひそめながらも賛成の意を示した。出席している皇族が全員賛成となるともはや結論が出たも同然だった。

 

 マクシミリアン・ヨーゼフ大公は安堵感からふぅと軽くをため息を吐き出した後、改まった態度で努めて義務的な声を作ってしゃべり始めた。

 

「さて、結論が出たところでこの場にいる者たちにひとつ報告をさせていただきたい。また、その前にひとつ念押ししておくが、先に議論をしたことが、私なりの皆様への信頼の証と考えてもらいたい」

 

 なにやらいきなり不穏なことを前置きをされて既に事情を知っている者以外の列席者は自身の不安の表情を隠せているのかどうか自信がなかった。そして続く爆弾報告には、表情をとりつくろえている者などいなかった。

 

 

 

 

 

 大荒れの皇族会議が終わった後、会議室に残っていた二人の人影があった。マクシミリアン・ヨーゼフとリヒャルトの皇族兄弟である。

 

「くそッ、グスタフ兄様に毒を盛ったのはどこのどいつだ!? このような状況下で皇帝を殺せば、どの派閥にとっても害の方がでかいだろう! よもや、イゼルローン方面の辺境域で暴れまわっている邪悪な共和主義者どもの手がここまで及んでいるのではないだろうな?」

「流石にそれはないだろう。というより、イゼルローン方面の辺境域を荒らしている共和主義者どもが、ここまで大胆な手にでれるほどに帝国内に工作員を浸透させているのだとしたら、この程度で済んでいるとは思い難い」

「では宰相か伯父上が犯人だな。他には考えられない」

「そう決めつけるのもどうかな。確かに宰相も伯父上も信頼ならないが、今回の件に限っては手は白いと思うぞ。宰相派は静謐そのものだし、今回の陛下の体調不良もいつもの貧血かなにかで、そこまで大事と思っていないそうだ。それに伯父上の驚きも演技とは思い難い」

「だとしても、だ! 伯父上みたいな奴がいるからここまで帝国は、国家の存亡に関わるようなところまで追い詰められたのではないか。エーペンシュタインがああも帝室に対して反発的なのも、おそらくは伯父上が父上を惑わしていたせいではないか。もし皇帝暗殺未遂の主犯であるとの罪を着せて罰したところで、世の者どもは納得することだろうよ」

 

 弟の暴言に対して、マクシミリアン・ヨーゼフ大公は「気持ちはわかる」と軽く頷いて同意を示した。彼も自分と同名の伯父に良い印象などまるでなかったのである。父帝フリードリヒ三世の時代、まだファルストロング侯爵を名乗っていた伯父は、内務省社会秩序維持局長官の地位にあった。その仕事内容に多少の忌避感はあったが、それで伯父そのものを嫌うほどマクシミリアン・ヨーゼフ大公もリヒャルト大公も狭量ではなかったが、伯父はその地位を酷く悪用した。

 

 帝国暦三三二年、グスタフ皇太子、マクシミリアン・ヨーゼフ大公、リヒャルト大公の三人の皇子たちは、父帝フリードリヒ三世より辺境大管区の総督として任じる勅命を受けた。ダゴンの敗戦により動揺した辺境の軽挙妄動や地方叛乱を対処するに、帝室が本気であることを示すためにも帝国の皇子である我が子たちを派遣するのだとフリードリヒ三世は説明したが、ダゴンの敗戦以来、強い猜疑心にとらわれていたフリードリヒ三世は自身の息子たちが自分を殺して帝位を簒奪することを恐れたというのが本心であった。

 

 そんな猜疑に濁った瞳のフリードリヒ三世が信頼を寄せたのが、異母兄のマクシミリアン・ヨーゼフ・フォン・ファルストロングだったのである。すでに老境に入っていて老い先短く思え、人懐っこい仕草をする異母兄を、フリードリヒ三世は好ましく感じたのである。

 

 皇帝である異母弟の信任を得たファルストロング侯爵は、異母弟のご機嫌を取りながら“皇帝の宸襟を騒がす輩”を帝国中枢から排除することを推し進め、幾人もの高官を深い奈落の底へと追い落とし、空いた席には自分の息がかった人材を送りこんだ。彼の息子であるアンドレアスに従軍経験がないにもかかわらず、近衛兵総監の地位にいるのはこの頃の父親の活動の成果である。

 

 かくしてフリードリヒ三世の特別検察官として、また処刑人として絶大な権勢を誇ったマクシミリアン・ヨーゼフ・フォン・ファルストロングだったが、猜疑心の強いフリードリヒ三世の心を刺激しないように常に慎重深く行動しなくてはならず、不満をため込んでいた。

 

 そこで自身の権力を確固たるものとするためにグスタフを廃太子し、自身の子アンドレアスを立太子させようと運動したようだが、皇后や宰相のエーペンシュタインがそれには断固反対の姿勢を貫き、説得できぬうちにフリードリヒ三世は急病死した。

 

 いや、アンドレアスを立太子させる提案でフリードリヒ三世は猜疑心を刺激されて激怒し、小癪な異母兄の粛清を考え始めたために宰相エーペンシュタインへの接近するようになったので、ファルストロングが先手を打って皇帝を急病に見せかけて弑し奉ったのだという噂もある。証拠が何一つない噂ではあるが。

 

 そんな噂が宮廷に流れている中で、ファルストロング侯マクシミリアン・ヨーゼフは、マクシミリアン・ヨーゼフ一世として即位を宣言したのだ。暫定的、一時的措置であると前置きであったが、経緯が経緯であるだけに宮廷内外の反発も凄まじく、その反発を利用する形でエーペンシュタインが先帝の子らを辺境から帝都へと呼び戻し、マクシミリアン・ヨーゼフ一世を帝位から引きずり降ろしたのである。

 

「俺がオーディンに戻った時、あまりの惨状に思わず卒倒しそうになったぞ。伯父の無茶な粛清のせいで、中央官衙がグチャグチャの状態になってたぞ。歴史の授業で習った痴愚帝や流血帝の時代を連想させるほどだ。グスタフ兄様が今は排除するべきではないと言うから思いとどまったが……あれは帝国の癌だぞ。すぐに切除するべきではないか」

 

 先代ファルストロング侯爵、あるいはルーエシュタント仙帝大公は、痴愚帝や流血帝という帝国史に暗然と輝く二人の暗君に匹敵するほどの存在では無論なかったが、自由惑星同盟という公然とした外敵が誕生し、帝国内の情勢も動揺し、深刻な性質を持つ地方叛乱もしばしば起きるようになっている状況下では、帝国秩序の崩壊を助長する行いをしていたとしか言いようがないのは事実であった。

 

 それを踏まえた上で弟の提案に、マクシミリアン・ヨーゼフ大公は力なく首を横に振った。

 

「たしかに排除すべきかもしれないけど、伯父上の派閥は強大だ。向こうが徹底抗戦を決め込めば、なまなかなことでは排除しきれんし、エーペンシュタインの宰相派もどう動くかわかったものではない。帝国中枢の分断と混乱がどれほどになるか想像もつかん。混乱の収拾がつかぬうちに、イゼルローン方面を荒らしている共和主義者どもが更にオーディンに向かって進出してこられたら……そうなっては本当に帝国が壊れかねんぞ。やるにしても、イゼルローン回廊の向こう側にまで共和主義者どもを押し戻してからだ」

「わかってはいるが……」

 

 どうにもならぬもどかしさ、歯がゆさにリヒャルト大公は鬱屈な気分を抱いたが、現実の如何ともしがたさに暫くはこの不愉快さを甘受し続けざるを得ないことを理解できた。

 

 そしてマクシミリアン・ヨーゼフ大公は一段と声を落として、懸念事項を述べた。

 

「それにな、リヒャルト。確証がない故、皇族会議では一切容疑者の目星がつかぬとは言ったが、怪しい勢力は浮かんでいる」

「?! どこのどいつだ」

「……グスタフ兄上に毒が盛られたのと前後して、旧ヘルベルト派の貴族たちに怪しい動きがあった」

「じゃあ、あの愚兄が?」

 

 重々しく頷く信頼する兄の姿を見て、リヒャルト大公は内心の激情を抑えるのに苦労した。グスタフとマクシミリアン・ヨーゼフの二人の兄と異なり、一つ上の兄であるヘルベルト大公に対してリヒャルト大公は兄弟らしい感情をまったく抱くことができず、お互い不遜にも自分が継承すべき帝位を奪わんとする怨敵であると憎み、激しく対立してきたのだ。

 

 ダゴンの大敗によって遠方の離宮に幽閉され、帝位継承の目がヘルベルト大公から完全に消えたとみなして安堵していたのだが、やはりあの兄と自分の間はどちらかが死なねば対立が終わらない宿命でもあるのかとリヒャルト大公は奥歯を噛み締めた。

 

 旧ヘルベルト大公派の廷臣たちはフリードリヒ三世の統治下で多くが粛清されることなく中央に残留していた。猜疑心に囚われたフリードリヒ三世にとって、自分が公然と失望をあらわにして離宮に幽閉した三男坊の元支持者というのは、自分を排除したところで利益を得ることがない安牌であると思えたらしく、長男や四男を支持していた者たちよりも警戒されず、辺境に飛ばされたり粛清されたりせずにすんだのである。

 

 そしてフリードリヒ三世という後ろ盾を失い、グスタフ、マクシミリアン・ヨーゼフ、リヒャルトといった皇族たちが帝都に戻ってきた今、彼らの立場は大変悪くなっているといってよく、彼らが自身の安全のためにかつての庇護者である幽閉中のヘルベルト大公を再び担ごうとし、ヘルベルト大公の側も帝位への妄執から彼らを利用して陰謀を巡らせているというのは、考えてみればありうる話であった。

 

「……この話、だれが把握している」

「皇太后殿下と衛尉のリヒテンラーデ子爵、北苑竜騎兵旅団長リッテンハイム伯爵だ」

 

 リヒャルト大公は安心した。皇太后はグスタフの生母であるし、リヒテンラーデ子爵とリッテンハイム伯爵はグスタフの信頼あつき側近である。彼らなら秘密を外部に漏らしたりしないであろう。

 

 もしこの情報が伯父に渡れば、旧ヘルベルト派の粛清とそれによって開いたポストに自分の息がかかった人材を据えることで勢力拡大をしようと画策するであろうし、エーペンシュタインもそれに乗っかる恐れがある。帝都での自派閥の人材の多さという点では、この二派が自分たちを圧倒しているのだ。

 

 ルーエシュタント仙帝大公は今も国内治安を司る内務省を掌握しており、特に古巣の社会秩序維持局からは偶像視さえされているほどの崇敬を受けていると言う。エーペンシュタイン宰相は省庁横断的に官僚からの人望があった。フリードリヒ三世の猜疑心からくる粛清に幾度となく抵抗し、中央官衙の機能を守り続けた実績で得た人望であった。

 

 旧ヘルベルト派の連中共々いずれは一人残らず消すつもりではあるが、消したとしてその後が現時点では問題になる。穴埋めできるほどの人材のストックを、最近まで辺境に流刑されていたに等しい自分たちの派閥は有していないのだ。自派閥の態勢を整える時間が必要であった。リヒャルト大公は深く深呼吸をして気分をおちつかせた後、決心して口を開いた。

 

「兄さん、念押しになるけども、次の皇帝に俺がなることを、支持してくれるよね? もし罷り間違って、伯父上の再即位だの愚兄の即位だのなんてことになれば、どう転んでも帝国は終わりだ……」

「わかっている。私もそうなるのが一番おさまりが良いと思っている」

 

 マクシミリアン・ヨーゼフ大公は弟に微笑んだ。リヒャルト大公を皇帝に推し、エーペンシュタインと協調しつつ、機を見て老害な伯父を排除し、帝国を再建していく。それが現状考えられるもっとも穏便で穏当な方策であるとマクシミリアン・ヨーゼフ大公も考えていたのだ。

 

 だからこの段階で皇帝グスタフが崩御してしまうとうのは、二人の大公にとって肉親の情として悲しいという感情もたしかにあるが、それ以上にこれからの段取りが狂うので困るという感情が勝るのであった。皇族会議で次善策について一応の同意は得られているとはいえ、叶うのなら兄皇帝にはまだ玉座で君臨して欲しいところであった。

 

「マクシミリアン・ヨーゼフ殿下、リヒャルト殿下」

 

 凛とした声で名を呼ばれてゴールデンバウム王家の兄弟が振り返ると、一人の女官が頭を下げて立っていた。マクシミリアン・ヨーゼフ大公が「ジークリンデ」と名を呼ぶと、その女官はおもてを上げ、リヒャルト大公は軽く感嘆のため息をついた。

 

 背中まで軽くウェーブした黒い長髪と目鼻立ちがはっきりしている顔立ちは、着こなしている侍女服とよく調和しており楚々とした印象を他者に与える。しかしその黄金色の瞳からは強烈なまでの意志の輝きを放たれており、それ以外の印象を裏切ってくるどこか不均衡で妖しい魅力を持つ容姿を目の前の女は持っている。

 

 男としてリヒャルト大公も食指が動かないわけではない。実際、次兄の事実上の愛人としておさまっていなければ、リヒャルト大公はジークリンデを妾として自分のモノにしようとしていたかもしれない。下賤な平民の出ではあるが、宮廷の女どもとはベクトルが異なる美しさはその欠点を補うには十分である。現在、宮廷内の事務に関わる女官長の一人として次兄を助ける形で政にも口を出していると噂に聞くので、女にしては賢しすぎるのではないかとも思うが、考えようによってはそんな女を組み伏せて自分に従順にするのはそそるものがあるし、一興といえよう。

 

 そんな女性への偏見丸出しなことを内心思っているリヒャルト大公であったが、矛盾するようだが同時にジークリンデのことが少し苦手であった。時々背筋に冷たい怖気が走るような感覚になることがあるのである。原因がさっぱりわからないのだが、よくよく考えるとそういう感覚になる時は大抵近くにジークリンデがいたので、リヒャルト大公は迷信的恐怖と共に苦手意識を抱くに至ったのである。

 

「皇帝陛下の意識が戻られました」

「兄上が!?」

「兄様が!!?」

 

 皇帝の意識回復の報に皇族兄弟は我が事のように喜んだ。しかし続けられた報告でその顔色は一変する。

 

「皇太后殿下が文武百官を招集しています。陛下が御危篤であるという情報も添えて、です」

「な!?」

 

 リヒャルト大公は顔面蒼白となった。いまだ帝室内で次期後継の同意を得られぬ状況で、皇帝がその生命を終えようとしているという情報を帝室の外に出すなど、なんて迂闊なことをしてくれたのだ。

 

 唖然としている弟をマクシミリアン・ヨーゼフ大公は兄上の意識が回復なされているなら皇太后の一存ではなく、皇帝としてなにか考えがあってのことだろうと宥め、文武百官を集めていることを考えると皆の前で後継者を指名して押し通すつもりではあるまいかと推測を述べると、リヒャルト大公はいささか落ち着き、努めて平静と自分が思う声で言った。

 

「とにかく兄様……いや、陛下のところに行くとしよう」

 

 リヒャルト大公の声はとても震えていたが、マクシミリアン・ヨーゼフ大公もジークリンデもそれを指摘することなく静かに頷いた。

 

 

 

 

 

 皇帝一族の生活の場である新無憂宮北苑には皇太后殿下の招集によって、多くの高級官僚・軍人が集まっていた。彼らは皆一様に深刻な面持ちで、混迷を深め続ける帝国の情勢をどうしたら良いものかと声を潜めて語り合っていた。彼らの派閥対立は深刻なものがあったが、ヘルベルト大公をまた担ぎ出そうとする諦めの悪い連中を別とすれば、このタイミングでの皇帝崩御など望んでいないという点では一致しており、途方にくれていたのだ。

 

 皇帝の病室に近づくと廊下で衛尉のリヒテンラーデ子爵と近衛兵総監のアンドレアス・フォン・ファルストロング侯爵が言い争っている光景をリヒャルト大公は確認した。皇帝警護と宮廷警備に責任を持つ自分に陛下の危篤を自分に伝えなかったのはどういう了見なのかと侯爵は鼻息荒く問い詰めていたが、リヒテンラーデ子爵は追及を言葉巧みにかわしていた。

 

 本来ならファルストロング侯爵の主張する通り、宮廷内の警備とは格式と伝統ある近衛が独占するべきところなのであるが、ここ数代の皇帝の近衛兵不信によって北苑竜騎兵旅団や西苑歩兵旅団などといった宮廷警備用の部隊が近衛軍の指揮系統から独立して続々と設立され、これらの旅団の最警戒対象としているのが近衛部隊という有様が昨今の宮廷警備の現実であったので、衛尉という宮廷警備を担当する各部隊の管轄を調整する役職が必要とされたのだ。

 

 しかしながらこの衛尉というのは帝国軍の役職という扱いではなく、法的にどこの省に属しているかもハッキリせず、宮廷警備を担う各部隊に命令を下す明確な権限が付与されているわけでもない非常に曖昧糊塗とした存在であり「皇帝から直接任命された存在からの要請」という無言の圧力で各部隊を牽制することが主な職務であるという非常に半端な代物で、日常的に発生する宮廷警備の混乱を調停するのは大変難しいことであった。

 

 自分が皇帝になったら、宮廷警備の問題の解決は優先課題になるだろう。権力の中枢たるべき新無憂宮で各々の衛兵部隊が睨み合い、衝突することも珍しくない有様では、皇帝として本腰を据えて国政に励むことは難しい。そうリヒャルト大公思っていると、鋭い叱責の声が飛んだ。

 

「騒々しいぞ! 陛下の居室の前で、静かにせぬか!」

 

 帝国宰相ケファルニス・フォン・エーペンシュタインであった。中肉中背の健康的な肉体を誇っており、彼と対峙すると不健康極まりない贅肉だらけの肥満体であるファルストロング侯爵はひどく醜く見えるのであった。

 

「光輝ある帝国軍の軍服に身を包み、名誉ある近衛兵総監という卿にはもったいないことこの上ない任務を与えられておきながら、そうして醜態をさらすのか?」

「……帝国宰相閣下といえど、言葉がすぎるぞ」

 

 全身の脂肪をプルプルと震わせながらファルストロング侯爵は睨みつけたが、エーペンシュタイン宰相はまったく意に介さず平然としていた。だが、ファルストロング侯爵が腰にさげている剣の柄に手を当てると、流石に顔をこわばらせ、周囲に緊張が走った。

 

 急速に場が冷えていった。侯爵自身の脅威などあって無きに等しいものであるが、彼が剣を抜けばこの場にいる他の近衛兵も呼応するであろうし、そうなると流血は避けがたい。

 

「お聞かせ願おうか、私のなにがどう醜態だと――」

「まあまあまあ! 倅も突然の事態で気が動転しておったのじゃろ。皆の衆、ここは儂の顔を立てて大目に見てくれんかのう。な、おぬしもそれでよいじゃろ?」

「ち、父上……」

 

 横から入り込んできた父のルーエシュタント仙帝大公のとりなしに、ファストロング侯爵は一瞬だけ心外そうな表情を浮かべたがすぐに引き下がった。そんな親子をエーペンシュタインは毒虫を見るような目で一瞥したあと、フン、と鼻息を鳴らした。

 

「それで子爵、既に主な面々は概ね集まっているようだが……我々を呼び出した皇太后殿下は何処に?」

「病床の陛下のお側におられます。今呼んで参りますゆえ」

 

 そうして一旦部屋の中にリヒテンラーデ子爵は入り、数分してすぐ出てきて、皇族方と宰相を筆頭に内閣閣僚並びに軍三長官のみ入室してほしいと告げた。これは皇太后殿下のみならず、皇帝陛下の御意向でもある、と。

 

 そう言われて指名された全員が頷き、静かに入室した。部屋の中にいた宮廷医師たちと警備の北苑竜騎兵旅団の兵士たちは皆一様に暗い顔をしていた。皇帝が横たわっている寝台の枕元では皇帝の生母である皇太后ツィタが涙を流しており、その傍に控える北苑竜騎兵旅団長リッテンハイム伯爵は固い表情を崩そうとしなかった。

 

「陛下、皆様お揃いであります」

 

 リヒテンラーデ子爵が告げると、皇帝グスタフは何事かを弱々しい声で語り、それを聞き取った皇太后が涙声で息子の意思を代弁した。

 

「弟たちを……マクシミリアン・ヨーゼフ大公とリヒャルト大公をこちらへ。直接、二人に言っておきたいことがあると」

 

 二人の大公は思わず顔を見合わせてお互いの表情を確認し、同時に頷いてベッドに駆け寄り、そこで寝ていた長兄グスタフの姿を見て思わず小さな悲鳴をこぼした。もとより病弱でいつも顔色の良い兄ではなかったが、それでも全身にいくつもの点滴の管が通されて、ここまで生気が感じられない肌が粘土色のようになっていて、もう死んでいるのではないかと疑いたくなる姿になっていたことはこれまでなかったのだ。

 

 しかしグスタフはまだ体を動かしたので、彼がまだ生存していることが伝わった。それどころか、仕草からして上半身を起こそうとしていると察したので、弟二人は慌てた。

 

「あ、兄上!? 無理しなくていいんですよ!?」

「いや……なに、これくらい……」

「に、兄様、せめて手を! 手伝うから!!」

「すまん……すまんな……おまえたち……」

 

 皇帝グスタフはリヒャルト大公に体を支えられて上半身を起こし、ベッドの傍らに置いてあった帝冠に手伸ばした。そして弱々しくそれを掴んで手元で持ち上げた。室内の者達はこれから後継者指名をする気と察し、固唾を飲んだ。

 

 リヒャルト大公は素早く脳内で算盤を引いた。死に瀕した皇帝からの後継者指名とあれば、それは十分に正統性というものがつく。エーペンシュタインや伯父上は駄々をこねるかもしれないが、表面的に渋々でも認めざるを自分の皇帝即位を認めざるをえないだろう。至高の玉座に座るまでもう秒読みであると、リヒャルト大公の心臓の鼓動は激しく高鳴っていた。

 

 しかし皇帝グスタフの弱々しい腕は自分の頭上を素通りして、マクシミリアン・ヨーゼフ大公の頭上に帝冠を被せたので、リヒャルト大公は現実を受け入れきれず脳内は真っ白になった。

 

「次帝はマクシミリアン・ヨーゼフとする。リヒャルト、悪いが、兄を支えてやってくれ……」

 

 長兄の声がまったく頭に入ってこないほど、リヒャルト大公の思考は停止していた。

 

 そんな光景を部屋の入口付近で待機して見ていた者達も予想外の展開にざわつき、どういうことか理解しようとし、どう動くのが最善かを考えた。そして一番最初に口を開いたのはエーペンシュタインであった。

 

「皇太后殿下、おそれながら皇帝陛下は次帝としてマクシミリアン・ヨーゼフ大公をお選びになられたということでありましょうか」

「ええ、陛下は次帝をマクシミリアン・ヨーゼフとする。臣下一同、これを支えよ、と」

 

 皇太后の答えを聞いた瞬間、エーペンシュタインはその場で片膝をついて頭を下げ、大声で宣言した。

 

「ご安心くださいグスタフ皇帝陛下! このケファルニス・フォン・エーペンシュタイン、マクシミリアン・ヨーゼフ二世陛下の治世を微力ながらお支えすることを誓約致します!」

 

 これにルーエシュタント仙帝大公が続いた。

 

「儂もエーペンシュタイン宰相に同意です。儂と同じ名を持つ甥の御代を心から支えようぞ!!」

 

 実務の大半を牛耳っている二大派閥の長が次期皇帝候補を承認したとあっては、他の者に躊躇すべき理由などない。室内にいた文武の重臣たちはこぞって瀕死の皇帝に対して、次代の皇帝への忠誠を誓約する言葉を吐き出した。

 

 いまだ室内で忠誠の言葉を口にしていない重臣はリヒャルト大公のみであった。長兄が自分にではなく次兄に帝冠を被せた衝撃で、まだ喪心状態から完全に抜け出せていなかったのである。皇太后ツィタは気遣わしげに声をかけた。

 

「リヒャルト、あなたは妾の子の最後の願いを聞き入れては下さらないのですか」

「…………あ?」

 

 目の前の老婆は厚顔にも何を自分に求めているのか。いかに父の正室だった女とはいえ、皇帝となるべき俺に対して二度もこんな屈辱に甘んじろと言ってくるとは、不快極まる。そのまま怒気を爆発させそうになったリヒャルト大公であったが、寸のところで堪えた。ゆっくりと息を吐き出して冷静に思考を巡らせた。

 

 既に流れができてしまっている。ここで我を張って次兄が次期皇帝たることを否認しても、大勢は覆らないだろうし、自分が宮廷で孤立するだけで不利益しか残らない。そういう結論に達したリヒャルト大公は心中に湧き上がってくる感情を強引に理性で捻じ伏せながら、か細い声を絞り出した。

 

「俺……いえ、私も依存は、ありません」

 

 リヒャルト大公は帝国元帥のマントを翻し、マクシミリアン・ヨーゼフ大公に引きつった笑みを浮かべながら、抑揚のない声で誓約の言葉を口にした。

 

「弟として支えるよ。兄さん」

 

 それだけ短く言い切って、リヒャルト大公は次兄に片膝をついて頭を下げた。頭を下げたのはそれが礼節だからというより、これ以上表情を取り繕うのが難しかったからである。憤怒の感情でリヒャルト大公の顔は醜く歪んでいた。

 

 ことのなりゆきを確認した皇帝グスタフはホッとした表情を浮かべて、再び寝台に身を預けるとかすれた声で問うた。

 

「侍医長。私は……ヴァルハラへの迎えはいつ頃やってくるのだ……?」

「……おそらく今夜から明日中には」

「で、あるか……なら、皆に下がるように言ってくれ。母と最期の時を過ごしたい」

「御意」

 

 皇帝の命により、宮廷医師と皇太后ツィタ以外の者たちは退室を促され、各々皇帝に別れの挨拶をした後に去っていった。マクシミリアン・ヨーゼフ大公はジークリンデを伴って新無憂宮の廊下を歩きながら「とんでもないことになった……」と内心頭を抱えたい衝動と闘いながら、とりあえず落ち着ける場所を探していた。

 

 

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