ようこそ、犠牲者諸君。君たちはふたつの館に捕らえられている。
ひとつは「朝の館」
ひとつは「夜の館」
ふたつの館には八人ずつ、十六人の犠牲者を用意した。
しかしその中には恐ろしい殺人鬼がふたり、紛れ込んでいる。
犠牲者諸君は三枚のカードでその殺人鬼と戦ってもらう。カードを駆使し全員が本物の犠牲者になる前に殺人鬼を探し出すことができれば諸君らは解放されるだろう。
ただし、助かるのは先に殺人鬼を探し出した館のみ。
もしも同じ時間に殺人鬼を探し出すことができたならふたつの館すべての犠牲者を解放する。
ひとつだけ約束しよう。この言葉に嘘はない。
それでは犠牲者諸君。よい人生を。
【朝の館】
白衣の男は朦朧とする頭を振る。ここに至るまでの記憶がどうにも曖昧だ。自分のプロフィールは思い出せるものの、直前まで何をしていたかを思い出そうとすると、脳に霞がかかるように見通せなくなる。
見渡すに、どうやらここは大きな洋館のようだ。毛足の長い深紅の絨毯は心地よく沈み混み、壁や階段の手すりは深い年季を誇る落ち着いた木目調。自然光の入らない室内を照らすべくロウソクやランタン、ガスライトが各所に置かれているが、それらにも見事な細工が施されている。
周囲には戸惑った様子の男女が七人。白衣の彼を含めれば八人だ。
八人。洋館。
館に集められた、八人の犠牲者。
「なんだねこれは! いったいどういうことか説明したまえ!」
困惑の漂う洋館の玄関ホールに壮年の男の声が響いた。声はホールの壁に据えられた巨大なディスプレイに、そこに写る不気味なピエロの仮面に向けられている。
あのピエロの仮面こそ、先ほど洋館がどうの殺人鬼がなんのと嘯いたものだった。
「みなさんにルールを説明させていただきます」
壮年の男に応えたのか、元からそういうつもりだったのか。ピエロの仮面は消え、代わりに同じような仮面を被った人物が写し出された。ピエロの仮面をつけ、赤と青で半身を色分けた奇抜な衣装はまさしくピエロと呼ぶに相応しい。イタリアの喜劇集に端を発する笑い道化だが、いつからだろう、不気味さの象徴のように人々に膾炙されだしたのは。
画面に写るピエロもまた、不気味な笑顔を浮かべ、金属を締め上げるような不快な声を発していた。
「先ほど申し上げたとおり、みなさんは犠牲者です」
その声はとても人間の肉声とは思えなかった。変声機のようなものを使用していることは明らかだろう。ピエロの不気味さゆえか、声の不快さゆえか、先ほど声をあげた壮年の男を含め、全員が表情を固くして画面を見つめていた。
「あなたがたには朝と夜の館のそれぞれで、ふたりの殺人鬼を探していただきます。あなたがたの持っている武器は三枚のカードです」
三枚のカード。その言葉を聞いたとたん、白衣の男は自分のポケットにカードが入っていることに気がついた。なにも書かれていない、手のひらサイズのカードが確かに三枚。白紙のトランプのようにも見える。そういえばと持ち物を確認するが、スマホと腕時計が無くなっていた
「あなたがたには、その三枚のカードを使って、殺人鬼と戦っていただきます。三枚のカードでできることはみっつ。
ひとつ。殺人鬼の名前を宣言する。
ふたつ。独房からの脱出。
みっつ。他者のカードを取り消す」
ピエロの言葉に合わせて画面上をカードが舞う。
「このカードは一回使用したらなくなります。一日に最大三枚まで使用してかまいません。このカードに殺人鬼と思う人物の名前を書いてください。指名した人物が殺人鬼であれば、殺人鬼は独房に入れられます。しかしそのタイミングで殺人鬼が自身のカードに自身の名を書けば、その効果は相殺され、独房行きは無効となります。ふたりの殺人鬼を独房に送り込んだ時点であなたがたの勝ちとなります。
ただし、先の説明の通り、助かるのは先に告発した館のみ。両方の館が助かるには、同じ時間に告発する必要があります」
抑揚豊かに、踊るようにコミカルな挙動でもってなされるルール説明は、しかしどうしようもなく不気味で、こちらをバカにしているニュアンスさえ感じられた。
「独房から自力で脱出することは決してできません。細かな使い方は追って説明するとしましょう。ひとまず以上が、カードのルールです」
そっと画面から目を切り、玄関ホール正面にある大きな扉に手を掛けた。常識的な構造なら、ここは出入り口のはずだが、しかし扉はびくともしなかった。遊びすらない、普通の施錠ではあり得ない密閉。扉の意匠を施した壁と言われれば、それで納得してしまうだろう。
「そこに扉はありますが、それは出口の扉ではありません」
途端、ピエロが扉に言及した。録画の可能性も考えたが、どこかからこちらを見て、リアルタイムで話しているのかもしれない。
「みなさんには見取り図も提示されますが、この館には外部に繋がっている扉がありません。あなたがたは殺人鬼を見つける以外、ここから脱出できません」
画面に写し出された見取り図を信じるなら、確かに外部に通じる通路はないようだった。
その見取り図は大きな四角が五つ、小さな四角がひとつで表された簡素なものだった。ホール、と書かれた正方形を中心に、右が厨房、左が図書室、上部が倉庫となっている。そして見取り図の下部、今白衣の男が手を掛けた扉は控え室に繋がっているようだ。その先には独房と書かれた小部屋。
「あなたがたにとれる行動は大別して三つ。
ひとつ。部屋を探索する。
ふたつ。カードを使用する。
みっつ。私にひとつ質問をする。
あるいは、そう、なにもしない」
ピエロの含み笑いがホールの沈黙を微かに揺らした。まるで、空気が不快げに身をよじるかのようだった。
「質問は控え室で一対一で行われます。基本的に、イエスかノーで答えられる質問しかうけつけません。質問の内容を他の方に話すのは、もちろん自由です。また、このホールの隅には黒電話がひとつだけおいてあります。この電話でもうひとつの館に連絡することができます。ご自由にご利用ください」
画面のピエロが指差す先を見てみると、確かに古びた黒電話が確認できた。豪奢な洋館と比べると、見映えにも文化的にも異質で、心なしか肩身も狭く沈黙しているように見える。
その電話を見て、ちり、と、小さな違和感を覚えた。本当にあの電話がもうひとつの館に通じているなら……。
告発する時間が難易度に影響しているのに、意志疎通が簡単過ぎはしないだろうか。
「二階には八つの部屋があります。名札がかかっていますので、その部屋を寝床としてご利用ください」
ふたたび見取り図が表示された。一階ホールの正方形を中心に、二階の各辺に二部屋ずつ、計八つの個室があるようだ。
見取り図が消え、画面にはピエロだけが残される。ずっと不気味だった仮面だが、今は楽しげに嗤っているように見える。
「状況は呑み込めたでしょうか。納得していただく必要はありませんが、ご理解はいただけますよう。そうでなければ、殺人鬼に殺されるだけです。それでは一日目一回目の行動……。の前に、自己紹介の時間を作りましょうか」
パン、と手を叩き、名案を披露するかのように明るく言った。だがどれだけ声音を変えたところで、声質は不快なままだ。
「殺される時まで犠牲者同士、仲良くなっていただくということで。それでは犠牲者のみなさま。よい人生を」
ピエロは楽しげに手を振りながら、そう締め括った。
白衣の男は溜め息混じりに言葉を漏らした。
「……って急にこんなところに連れてこられて、そんなこと言われてもな」
そしてピエロは画面から消え、変わりに<朝の館>の文字と八人分の名前が表示された。上からタカナシ、アサヒナ、イシイ、ミズタニ、フタバ、ハルミ、クキ、キサラギ。その名前が現すだろう男女はそれぞれ互いを窺うように視線を交わすばかりで、そこに会話は見られなかった。みんなこの状況に困惑しているのだ。
白衣の男はもう一度ちらと画面を見ると、仕方ないとばかりに口を開いた。
「自己紹介ね、OK」七人の視線が白衣の男に集中した。「俺は九鬼ヤマト。日本人とドイツ人のハーフで、糸東馬(しとうば)区医師会付属病院に勤めるドクターです。警察の検視に呼ばれることもあります」
九鬼と名乗った男は白衣の裾を軽く持ち上げてそう言った。明るめの長髪をアップにまとめ、痩身を白衣に包んだ美丈夫だ。発言で集めた視線に向けてにこりと笑う、その笑顔は自身の美貌を自覚し、武器としているものにしかなし得ない計算が裏にあるが、決して表には出ない完璧なものだった。
この催しがどこの医師会によるものかは知らないが、事実不安がっている人々を安心させるのが目的だ。社会的信用のある美形をアピールし、後の発言権を買う目的もあった。
「九鬼くん。九鬼くん」
先ほどピエロに疑義をただしていた壮年の男が九鬼に近付いた。
「ああ、教授。教授もいたんですか」
「うん。いつの間にかね、それより、このふざけたバラエティみたいな企画はなにかね! テレビか! テレビかね! ドッキリかね!?」
教授、と呼ばれた男ははしゃいだ様子で周囲を見回した。カメラでも探しているのだろうか。落ち着いた色味のスーツも形無しの幼稚さも、不思議とこの男にあっている。一見すると落ち着きのない仕草だが、それでいて人を苛立たせることもない、奇妙な魅力のようなものがあった。
「んー、まあ。テレビ撮影の可能性は、あるかもしれないですね」
「やはりそうか。こっちの館には、僕や九鬼くんみたいな有名人がいるからね。あとの六人の有象無象はよく知らんが」
「教授。声が大きいです」
尊大に胸を張ると、壮年の男もホールの皆に自己紹介を始めた。
「糸東馬区にある私立羽入大学の文化人類学部で教鞭を取っている如月弥生です。どうぞ、教授と呼んでくれたまえ」
「おや、名実共に教授になったんですね。おめでとうございます」
「いや、うん。来年には教授になっているからね。もう教授と呼んでもらって差し支えないよ」
教授を自称する彼は私立羽入大学文化人類学部の、准教授だ。九鬼は、数年前にジャーナリストから取材を受けたときのとこを思い出す。あの頃から「来年には教授になっている」と言い張っていたが、変わっていないようだ。
癖にうねる短髪に口髭、仕立てはいいがやや着古されたダブルスーツを着込んでいる。立ち居振舞いは自信に溢れ、目線も力強い。一見知性的なダンディズムを感じる大人の男性だが、表情を見ているとコロコロ変わり、特に笑うときは屈託なく笑う。つまらない見栄を張ったりもする、子どもっぽい性格であることを、九鬼はよく知っていた。
「九鬼くん九鬼くん。で、カメラはどこだね? プロデューサーはどこにいるのかな?」
にまにましながら手のひらでまびさし作り周囲を見回す様子など、まさに無邪気な子どもそのものだと、九鬼は苦笑した。
「カメラとかは隠してあるものなんで、そう簡単には見つからないと思いますよ」
「そうかぁ」
如月はやや残念そうに呟き、九鬼に向き直った。
「しかし、よくわからんが悪趣味な企画だねぇ」
言葉とは裏腹に、口角は楽しげに歪んでいる。面白い悪戯を考え付いたような、いや、他人の悪戯を楽しんでいるような笑顔だ。
「ええ。俺以外の七人の誰かが殺人鬼ということですからね」
「ははっ。そういうキミが一番怪しいんだよ。さっそく九鬼くんの名前を書いて、カードを使っちゃおうかな? そういう企画なんだろう?」
「飛ばしてますね、教授。それより、まずは自己紹介を進めましょう。ゲームを進めるにしても、お互いの名前を知らなくてはカードに書きようがありませんからね」
「それもそうだね」
ふたりのやり取りを呆気に取られて見ていた六人は、しばし互いを見詰めあっていた。ややあって、ひとりの男が名乗った。三十代半ばで、枯草色の安物のスーツをくたびれさせている。
「探偵のタカナシだ。我々がすべきはまず、この館の探索だろう。それがセオリーというものだ」
タカナシと名乗った男は簡単に方針を語ると、隣の男を目で促した。促された男はそれに応じ、
「どうも。アサヒと申します。サラリーマンをやっております。趣味は食べ歩きですかね。もちろんこんなところに連れてこられる覚えは全くないです。いやー、まいった、ほんとにまいった」
と自己紹介した。年齢は四十代半ばで、濃紺のスーツを着て眼鏡をかけている。この状況に戸惑ってはいるが、どこか他人事めいているように見られた。
アサヒの自己紹介が終わると、その隣の女が口を開いた。
「イシイよ。職業は料理評論家。ああもうまったく。いったい何がどうなっているんだか……」
イシイは三十歳前後の女性だ。明るいセミロングの髪を後ろで纏めている。イライラした様子で頭を掻き、鮮やかに塗られた爪を噛む様は神経質そうに見える。
「ミズタニ。推理作家だ。以上」
最低限未満で自己紹介を終えた男はミズタニと名乗った。胡乱な目付きに無精髭、ボサボサの蓬髪によれよれのシャツ。九鬼ならばあの格好での外出は絶対にしないだろう。
残るは二十歳前後の男女がひとりずつ。皆の視線が集まったことに気がついたのか、女の方が慌てた様子で口を開いた。
「あ、えっと、フタバ、です。あの、ハルミくんとお付き合いしてます。よ、よろしくお願いします」
「ハルミ。大学生です。よろしく」
怯えた様子を見せながら軽く頭を下げたフタバと違い、ハルミは唇を尖らせながらぶっきらぼうに名乗った。フタバはハルミの腕にしがみつき、隠れるように縮こまっている。この中では彼女が一番この状況を深刻に捉えているように見えた。
九鬼がフタバを見ていると、フタバも自分が見られていることに気がついたようだ。安心させる意味でもって、にこりと微笑んで見せる。すると如月が横から茶化してきた。
「なんだキミ、NTRかね? そういうのよくないと思うよボカァ」
表情といい言動といい、覚えたての言葉を使いたい子どもそのものだ。
「こういう閉鎖空間じゃあ、仲間を作っておくものなんですよ、教授」
九鬼の笑顔が自分に向けられていることを知ると、フタバは頬を赤らめた。それを見たハルミは視線を遮るようにフタバの前に立ち、「な、なに見てんだよ!」と九鬼を威嚇した。九鬼からすれば十歳近く年の離れたふたりの様子はとても微笑ましく、可愛く思えた。その思いのままハルミにも笑顔を向けると、彼は狼狽えつつもフタバの手を引いて九鬼から離れていってしまった。
すかさず如月が茶々を入れる。
「九鬼くん。これ、ハルミくんまで頬を赤らめたら、どう責任を取るつもりだったんだい?」
九鬼も面白がって応じた。
「それならそれで」
如月は予想外の答えに面食らったようだった。
「……キミ、日本のダメな文化に毒されすぎちゃいないかね?」
「そんなことありませんよ」
九鬼と如月がそんな気の抜けたやり取りをしていると、それを咎めるかのように硬質な音が鳴り響いた。八人全員の視線が音の源に注がれる。
黒電話。
ピエロの言葉を信じるなら、夜の館に通じるというそれが、今、鳴っている。
ジリリリリン、ジリリリリン
コール音が二回三回と重なる。誰も受話器を上げようとはしなかった。まるで赤熱した火箸にそうするように、遠巻きに見ているだけだ。
「九鬼くん、出たまえよ」
にやにやしながらそう言ったのは、やはり如月だった。他の六人はこの状況に漠然とした不安を感じているのに対し、この男は違う。最初こそ取り乱した風ではあったが、今や一番この『ゲーム』を楽しんでいるようだ。
「俺がですか? ……わかりましたよ」
話している間も、誰も黒電話に近く素振りは見せない。このままでは埒が明かないのも事実だ。九鬼は諦めにも似た心境で受話器を取った。
「……もしもし」
「もしもし。私は夜の館にいる藤見澤キリコというものだけど」
電話の向こうは先ほどのピエロか、それとも両足のないフランス語教師か、と身構えていたが、聞こえてきたのは涼やかで落ち着いた印象の、美しい声の女性だった。
「本当に繋がっ……藤見澤、キリコさん? 俺は、朝の館の九鬼ヤマトというんだが」
電話がまともに繋がった驚きが、先方の名乗りに打ち消された。
「九鬼さん? 医師会付属病院で内科医を務めている?」
藤見澤キリコ。九鬼が家庭教師を勤めた少女の名だ。確か今は大学生、そう、如月が教鞭をとる羽入大学で勉学に励んでいるはずだ。ロシア人のクォーターだそうで、そちら譲りの煌めく銀の長髪が特徴的な、綺麗な娘だった。『有能な』警察官を志す彼女には、大学の勉強よりも医学の知識を必要とされたものだ。そしてそのどちらも高い水準で納めているのだから、本当に恐れ入る。
「いや、外科医だよ」
ふむ、と可愛いらしい吐息が聞こえた。
「本物の九鬼さんか、その程度の調べは済んでいる偽物の九鬼さんということね」
九鬼は思わず苦笑を漏らした。変わっていない。きっと今も手袋に包まれた手を口元に寄せているのだろう。その情景が浮かぶようだった。
「俺視点だと調査が甘かったことを誤魔化すキリコちゃんの偽物とも見えるんだけど?」
「九鬼さん。こんな状況で疑心暗鬼になるのもわかるけれど、今はお互いを本物と仮定して動くしかないと思うの。疑うのは、疑わしい状況になってからでも遅くないわ」
「君からはじめたことだけどね。まあ、それには同意かな。必要以上に多くを仮定するべきじゃない」
九鬼とキリコがじゃれあいにも似た会話を重ねていると、電話口の遠く、キリコの背後からだろうか。落ち着いた女性の声が聞こえた。
「九鬼さん、少々ごめんなさい。お姉さま、電話中に話しかけるのってよくないと思うわ」
キリコの嗜めるような声に続き、今度ははっきりと「ごめん」と声がした。九鬼にも覚えのある声だ。
「お姉さんもそちらに?」
「ええ、一緒よ」
キリコが姉と慕う年上の従姉妹、根津ちはるも夜の館にはいるらしい。
ちはるは冷たく鋭い印象のキリコとは対照的に、ほんわかというか、ぼんやりというか、ふうわりした印象の女性だ。濡れ羽色の髪を肩にかからないくらいに整えていて、非常に女性的な体つきに恵まれている。糸東場メンタルクリニックでカウンセラーを務めていたはずだ。
「九鬼さん、どうやら私たち、あのピエロに捕まってしまったようね」
あのピエロ。キリコの言うピエロがこちらのピエロと同一かは分からないが、状況は同じと見てよいだろう。
「……ああ、そうみたいだね」
「同じ認識のようね。だったら今は脱出を最優先にして情報交換しない?」
「OKだ」
狂人の戯れか行きすぎた余興か知れないが、どのみち脱出を目指すのだ。情報交換と調査は必須だ。
「しかし……こんな状況なのに相変わらずクールで頼もしいな」
「オロオロしても仕方ないでしょう? それよりそちらはどのような感じ? こちらは──」
彼女の話を聞く限り、間取りや装飾は朝の館と変わらないようだ。もっとも、言葉だけなので見た目の疎通には限界もあるだろうが。キリコとちはる以外の六人の犠牲者(メンバー)は以下となる。
富田剛。男性。二十代半ば。フリーのジャーナリスト。この状況に好意的。
マツリ。女性。二十歳前後。大学生。女性が多いことに安心感を得ている。
サクラ。女性。二十代後半。OL。殺人鬼に怯えている。
ユウキ。男性。二十歳前後。大学生。状況を脱出ゲームと捉えている。
トミナガ。男性。五十才前後。新聞社勤務。状況の打破に前向き。
アヤセ。男性。二十歳前後。大学生。語彙力がない。
「なるほど。こちらは俺のほかに七人いて──」
「あら、そちらの館には教授もいるのね」
「ああ。今カメラはどこかなって探しているところだよ」
どこまで本気でテレビ撮影を疑っているのだろう。九鬼からは伺い知れない。唯一の知人の楽観に、不安を覚えないでもないのだが。
「あの人はいつもそういうパターンだから気にしなくていいわ」
対してキリコは落ち着いたものだ。如月のことを普段から知っているが故だろうか。
「他に知り合いはいないかしら?」
「見たことのある人はいないな」
「こっちも、後は知らない人だらけよ」
「なるほど、だが別の場所とはいえ、こういう状況で知り合いと話ができるってのは話が早くてありがたい」
「そうね。じゃあ、なにかあったら連絡を取り合いましょう」
「ああ。こっちもなにかあったら……」電話する、と言いかけて、夜の館の番号を知らないことに気がついた。「そっちには電話番号かなんかが書かれてるのかな?」
「いいえ。受話器を上げたら突然つながったわ」
「そうか。じゃあ、ちょっと今、受話器をおろしてもらってもいいかな?」
「ええ」
通話が切れたのを確認し、こちらも一度下ろしてから受話器をあげた。ドラマでしか聞いたことのないコール音が鳴る。
「もしもし私よ。ちゃんと繋がったわ」
「一方通行ではないようだ。ありがとう。確認は完了した」
「それはよかったわ」
途端。受話器からの音に微かなノイズが混じる。それは一瞬の小さな雑音だったが、九鬼の耳には確かに聞こえた。
「なにか今、通話状態が悪くなったような」
「ええ」向こう、キリコにも聞こえていたようだ。「朝の館、夜の館というくらいだから、私たちはもしかしたら地球の反対側ぐらいにいるのかもしれないわね」
「距離的な問題か。つまりそちらが夜の時こちらが朝、のような」
「考えすぎかもしれないけれどね」
「なるほど。この脱出ゲームの中では何か意味はあるんだろうな」
例えば始めにピエロの仮面の言っていたルールだ。片方の館だけが殺人鬼を見付けてはもう片方は全員が死ぬが、同じ時間であれば両方の館の全員が助かる。
グリニッジ標準時か協定世界時かを気にしないとしても、地球の反対側同士ではタイムゾーンが違う。ただ漫然と進行しては、同じ時間という条件はみたせないだろう。
「キリコちゃん。一度電話を切ろう。俺は他の面々に今聞いた話をしてくるよ。もしかしたら我々のように知人がいるかもしれない」
「わかったわ。ちょうど私も同じ提案をしようとしていたところよ」
別れの挨拶もなく通話を終え、ホールを振り返った。カメラを探して壁に顔を押し付けている如月を除き、全員が固い表情で九鬼を見詰めていた。九鬼は努めて作った明るい声で話だした。
「皆さんお察しかとは思いますが、電話の相手は夜の館でした。幸い俺の知人で、頭のいい人です。この状況の助けになるでしょう」
ひとまず暗い内容でないことに、何人かの表情がやわらいだ。ほっ、と空気が弛緩する。
「両方の館に集められた人物が無作為な選出だとしたら、都合よく知り合いがいたとは考えづらい。もしかしたら我々には某かの繋がりがあるのかもしれない。夜の館のメンバーの名前とおおよその特徴を挙げますから、覚えのある人は言ってください」
そう前置いてから、九鬼はキリコから聞いた内容を暗唱した。しかし皆一様に悩み顔で、残念ながらぴんとくる人物はいないようだった。
「九鬼くん。九鬼くん」そう結論付けようとしていると、如月が頬に装飾の跡をつけてやって来た。「フリージャーナリストの富田くんというと、キャップを被って眼鏡をかけた、ガタイのいい青年かね?」
うろちょろしながらも、しっかり話は聞いていたらしい。こういうところが侮れない。九鬼は心中で下げかけていた株を戻した。
「ええ。そう聞いています」
「そうか。であればその富田くんとは面識があるよ。何年か前に糸東場区の著名人として、取材を受けたことがあるからね」
「教授の知り合いですか……」
思わぬ繋がりに黙考しかける九鬼だったが、無駄だと頭を切り替えた。繋がりと考えるにはあまりにか細い。無理やり意味を見いだそうとして遠回りや寄り道をしてしまっては意味がない。
それより、他にも確認しなければいかないことがある。
「ところで、俺はここに来てからスマホと腕時計が無くなっているんですが、皆さんはどうですか?」
九鬼の言葉を聞いた面々はポケットを探ったり袖を捲ったりして一通りの確認を済ませた。結果、どうやら電子機器の類いを持ち込めた者はいないようだ。
「おや。僕もパテック・フィリップがなくなっているね」
「ええっ!?」
如月の言葉に、九鬼は思わず叫んだ。
「教授、そんなもの普段使いしてるんですか!?」
何気なく吐かれた呟きに血の気が引いた。パテック・フィリップといえば、個人で所有できるもっとも高価な時計とまで言われる高級品だ。安いものを中古で買ったとしても一◯◯万円は下るまい。モノによっては左端の数字どころか、右端にゼロが増える。
そんなものを無くした人なんて見たくもない。ここの絨毯の上なら傷つくこともないだろう。どうかポロッと出てきてはくれまいか。懐の痛まない九鬼までがそう願ってしまう。
「いや、持ってもいないよ」
如月はあっけらかんと言ってのけた。
「でもここに来るまでの記憶が曖昧なのでね、誰かからプレゼントされてでもいないかなと思ったのさ。僕くらいの人間になると、不意に贈られてもおかしくないからね」
「どこの誰が不意にウン百万円贈るんだーーー!?」
からからと笑う如月の様子に、九鬼は思わず大声を挙げてしまった。普段大声を出す機会などないので、つい裏返ってしまい、不要な恥をかいてしまった。
んんっ、と咳払いをひとつ。思わず気が抜けてしまったが、如月のお陰でもうひとつ確認しなければならないことがあったことも思い出せた。
「今の教授のおふざけはおいておいて、この館に来るまでの道程をしっかり覚えている人はいますか? 俺は教授と同じで、曖昧です」
聞けば誰も明確な記憶は持っていないという。日常を過ごしていたことは覚えているが、それがいつのことなのか、今が何月何日なのかすら分からない。明らかな異常事態に何人かの顔が強張るのがわかった。外的なものではなく、内面の異常。否が応にも不安は増すというものだ。
ともあれこれで全員同じ状況にあることがわかった。
ここに来るまでの記憶がない。
持ち物の一部、おそらく現在時刻を確認するものがない。
つまり今が何月何日の何時なのかわからない。また、それを確認する術もない。
状況が悪いということがわかっただけでも好転だろうか。
ジリリリリン。電話が鳴った。九鬼が受話器を取ると、相手はやはり、キリコだった。
「九鬼さん。夜の館は私も含め、全員が電子機器や時計を持っていなかったの。朝の館はどう?」
「こっちもだよ。この館に来るまでの記憶もない」
「そう。その点もこちらと同じよ」
「条件は同じようだね」
「そのようね。じゃあ、またのちほど」
「ああ。そちらも気を付けて」
「ええ。なにかあったらお姉さまを頼ることにするわ」
「それがいいよ」
「最後に。きっと教授は楽しんじゃっていると思うのだけれど……」
キリコが意味ありげに言葉を切る。
「何かな?」
「私たち、犯罪組織主催のゲームに巻き込まれている可能性もあるから……、本当に気を付けてね」
「ありがとう。キリコちゃんもね」
互いの無事を祈りながら電話を切る。如月の声が遠くから聞こえてきた。
「うーむ。おそらく、カメラは階段の下だな」
階段を覗き込む尻を見ながら、この男のスイッチはいつ入るだろうかと、九鬼はため息を吐いた。