空が燃え上がる様な赤色に染まる中、真っ白な雪に覆われたいつもの公園を、多くの人達が一心不乱に走り回っていた。
雪だるまを作っていた最中のこと。
やめて、助けて、逃げろ
そんな聞いたこともない声色の声がどこからともなくこだまして聞こえるのが、いつもの日常とは決定的に違う事が理解できた。
その声達の中心にいる1人の男がこちらに向かってきた。
何か言葉を呟きながら、ゆっくりと僕の方に歩いてくる。
サクッサクッと、昨日から降りつもった雪の上を音を立てながら。
あぁ、逃げなきゃ。
本能的にそう思ったはいいけれど、足がおぼつかない。
降り積もった雪に足を取られて、思わず尻餅をついた。先程まで作っていた雪だるまが、僕の下敷きになって崩れる。
「────、」
誰かが僕の名前を呼んだ気がする。
こちらに向かって僕の前に立った男は、夕焼けの光に反射する銀色の何かを持っていた。
それを掲げて振り下ろそうとすると、その手を誰かが掴んだ。
何度も見たその姿は、お父さんだ。
僕の目の前で揉み合いになると、
今度は目の前が真っ暗になった。
落ち着く匂いがする。
その香りで、お母さんに抱きしめられていることに気づいた。
「ーーーっ!」
また誰かが叫んだ。
いつものお母さんとは様子が変だ。小刻みに震えている。
「ーーー!!」
その声と共に、お母さんの体重が抱きしめられたまま僕にのしかかる。
目の前で、一体何が起きているのだろうか。
倒れた地面が、雪のせいで冷たい。
「ーーーっ」
「!ーーーっ!」
また、大きな声がこだまする。
何を言っているかは聞き取れない。
数人のの叫び声、と言うことだけは分かる。
数分が経って、お母さんの腕の中から解放される。
ゴロンと、物体の様に転がるお母さんに違和感を感じながら、夕陽の光に目を細める。
僕の周りに、見慣れない大人たちが大勢いた。
その隙間の向こうに、先程まで揉み合っていたお父さんが転がっている。
次に隣で転がる母を見る。
真っ白の雪が、僕の周りでは燃え上がる様な赤色に滲んでいた。
「ーーーー」
誰かが呼んでいる声がして、薄らと瞼を開く。
「晴くんー」
「うぇ…」
照明に顰めながら顔を上げると、見知った顔、バイト先の先輩の彼方先輩がぼくを覗き込んでいた。
「大丈夫?」
「すみません、時間っ!」
今日自分はアルバイトに来ている事をすぐに思い出して、立ち上がる。
「いや、出勤時間までならまだあるけど、そうじゃなくて」
そこまで言うと、心配そうに続ける。
「うなされてたから」
それを聞いて、先程まで見ていた夢を思い出す。
夢と言っても、幻覚なんかじゃない過去の記憶。
久しぶりに見た気がする。
最近は、見ることも思い出すこともなかったのに。
肌着が肌に張り付いている。
大量の汗をかいたのだろう。
頭痛もする。
「大丈夫?」
彼方先輩はハンカチで僕の額をそっと拭く。
「大丈夫です」
そう言って、無理矢理にでもあの日のことを忘れる事でしか、この頭痛を止めることが出来なさそうだった。
「この後一緒にご飯とかどう?」
アルバイトが終わり、更衣室から出ると、休憩用のパイプ椅子に座っていた彼方先輩が僕を見るなりそう言った。
「え、僕ですか?」
その返答が気に入らなかったのか、ムッと眉を寄せた。
「今ここに晴くん以外いないけど?」
辺りを見回すが、確かに僕と先輩しかいないみたいだ。
「珍しいですね」
先輩とはよく退勤する時間が同じになる。
同じ高校生のシフトで、よく帰りが同じになる。
ただ、方向が違う為、いつも店の前で別れてしまうし、いつもの先輩の様子では、特に寄り道せずに帰っていくイメージがついていたから。
約1年、同じバイト先で働いてきたけれど、こんな誘いを受けるのは初めてだった。
「今日、遥ちゃんが友達の家に泊まるらしくて、お母さんもいつも帰り遅いんだよねぇ」
「いつも話してる妹さんですか?」
「そー。帰って1人で食べるのもいいんだけど。晴くんがいいなら晩御飯一緒にどーかなぁってー」
今日の予定は特にない。
別に断る理由も無いので、
「はい、是非」
そう言って、先輩と近くのファミレスに行く事になった。
「晴くんって、彼女いるの?」
バイト先のスーパーから歩いて数分のファミレスで、グラタンを頬張りながら彼方先輩はそんな質問をしてくる。
すぐさま果林さんの顔が頭に浮かぶ。
けれど、その事を言うわけにはいかなかった。
「いませんね」
「ふーん」
ジッと僕を見つめる先輩の目が、探る様な瞳であるのは、その答えについてだろう。
これまでの言動で、失言とかあっただろうか。
無意識のうちに出てしまっている可能性もある。
先輩はそう言った微妙な変化によく気づくのだ。
今日だって、思わず眠ってしまっていた休憩室で見た夢のせいで頭痛が酷いのを、勤務中にさりげなくフォローしてくれた挙句、市販の痛み止めをくれた。そのおかげか、こうやって人と食事できる程には、頭痛もマシになった。
あと、大きな懸念点の一つとして、果林さんと先輩は学校が同じだと言う事。
気がついたのは制服が同じだったから。
虹ヶ咲学園はマンモス校だし、接点はないかもしれないけれど、同じ学年と言うこともあるし、気をつけたに越した事は無いのだ。
「晴くん、公立で共学の東雲でしょ?高校」
「え、そうですけど。言ってましたっけ」
「校章、遥ちゃんと同じだもん」
僕のブレザーを見ながら、コーヒーを啜る。
「そこ頭も良いよね。共学だし、彼女とかいるのかなって」
どうしてもこの話に持って行きたいらしい。
女子高生は恋バナが好きと言うのは聞いたことあるけれど、先輩もそれに漏れずって所だろうか。
「頭いいって言うなら、虹ヶ咲も進学校じゃないですか」
「あれ、私高校言ってたっけ?」
しまったと口を噤む。
あれほど気をつけなければと肝に銘じていたと言うのに。
この人と話していると、どうも緊張感が皆無になってしまう。そんな独特の雰囲気にしてやられてしまった。
「家が、近くて、えっと、よくその制服を見るもので」
「ふーん」
おっとりとした目からまた見透かす様な眼光が放たれる。僕の言動と表情を精査しているのだろう。
こんなふわふわした感じなのに、人をよく見ている。
果林さんのこと、きっと知っているだろうなぁと、また顔を浮かべる。
読者モデルで、有名な人だから。
噂とか、名前くらいはきっと聞いているだろうし。
そんな事を考えていると、
「ご馳走様でした」
先輩は行儀良く手を合わせてそう言った。
その声に、僕は慌てて目の前の冷め切った生姜焼きを急いでかき込んだ。
〜
食事を終えてファミレスを出た時刻は午後21時を回った所だった。
少しずつ気温が上がっていると感じるけれど、夜はまだ幾分涼しかった。
「晴くん、電話…鳴ってるよ?」
「え、」
僕のポケットが薄らと光を帯びて、小刻みに震えている。
取り出して見ると、表示は果林さんからだった。
『晴太、どこにいるの?』
「今日はバイトですけど」
『覗きに行ったけど居ないから』
「え、バイト先に?と言うか門限大丈夫なんですか?」
『もう、今日は金曜日よ?いつも通り晴太の家で待ってたのに全然帰ってこないから心配してたのよ』
しまった。
その電話の内容に慌てて先輩を見た。
今日は、金曜日だった。
先月から始まった、果林さんが2泊3日で泊まりに来る金曜日だ。
『今、バイト先のスーパー回っても居ないから。もう帰っちゃった?あれなら、スーパーの近くのファミレスで晴太とご飯でもって思って歩いてたから、こっちに来てくれる?」
「え、近くにきてるんですか?」
『近くにいるの?やっぱりバイト先?良かったぁ、じゃあファミレスの前で待ってるわね?』
まずい、このままでは。
「えっと、分かりました。分かりましたから、スーパーの方に居ててくれませんか?」
「大丈夫?慌ててるけど」
慌てる僕を見兼ねた先輩がそう言って覗き込んでくる。
『ん?他に誰か居るの?というかそんな事言われてももうファミレスの方着くけどって…あっ」
「あーっ、果林ちゃんだー」
果林さんの電話の声と先輩の声に、しまったと、思った時にはもう遅かった。
数メートル後ろで、電話を耳に当てる果林さんが目を見開いて佇んでいた。
「聞いてないわよ。晴太と彼方が同じバイト先だなんて」
僕の隣でサラダを口に運ぶ果林さんは不服そうにそれを食べる。そのタイミングで、お待たせしましたと果林さんが注文したパスタを店員さんが机に置く。
2回目のファミレス。しかも同じファミレスだ。ついさっきまで、ここで生姜焼き定食を食べたばかりの。
「僕も、2人が知り合いだって知らなかったんです…」
「彼方ちゃんも、まさかまさかだよー」
僕らは再度ドリンクバーを頼んだ。
何も頼まずに、また入るのも気が引けたから。
「前も話したエマがしてるスクールアイドル同好会の関係でね。彼方もその同好会の人で、最近ちょっと関わる事があって知り合ったの。それはそれとして、晴太」
「はいっ」
最後の僕の名前を呼ぶ声に少し怒気を含んでいるのを感じて、思わず背筋が伸びる。
「どーして貴方が、彼方と2人で食事してたの?」
「それは…」
「今日は、金曜日よね?」
「あの…」
「言ってご覧なさい」
「今日、木曜だって勘違いしてました…」
「もう、せっかく晴太の家で待ってたのに、いつもの時間にいつまで経っても帰ってこないから、心配してバイト先まで覗きに来ちゃったじゃない」
「果林さんあの…」
この状況はかなりまずい。
果林さんの紡ぐ言葉に、彼方先輩がポカンとしている。この会話を終わらせなければ…
「あの、果林…
「果林ちゃん」
僕の言葉を彼方先輩は遮って、果林さんさんを見ている。
「なに?」
「2人って、どう言う関係なの?」
「先輩、えっとそれは…
「恋人」
「ふーん、……ぇ…………?」
あまりにも自然にそう放つ果林さんに僕は思わず固まる。
と言うか、先輩も目を開いて僕らを見ている。
「ちょっと、果林さん!」
「なによー、別にいいでしょー?」
この人、分かってて言ってる。
バレちゃまずいってあれほど言ってるのに。
「えっと、ほんとに…?」
「こ、これは…」
「ほんとも本気よ?性的にも精神的にも愛し愛されの正真正銘唯一無二の恋人関係。どう?わかったかしら?」
そう言って隣の距離を縮める様に座り直すと僕とピッタリと肩をつけた。
「ごめんね、知らなかったから…」
「別にいいわよ?分かってくれたなら」
そう言って、パスタを頬張る果林さんは、さっきより幾分気分が良さそうに見えた。
彼方先輩はそわそわと身体を揺すりながら、
「えっと、晴くんの家に居たっていうのは…」
恐る恐る触れてはいけないものに触れる様に、果林さんに質問する。
「金土日と、外泊届け出して晴太の家に泊まってるのよ」
「おう…それは中々なもので…」
「あの、先輩」
そう言うと、先輩は優しい顔をして頷いた。
「大丈夫だよー?このことは誰にも言わない、でしょ?」
僕はそれに頷いて返した。
「もー、またそれ?別に私はいいのにー」
「でも果林ちゃん、もし大ぴらにバレて週末外泊してるのが彼氏の家だって学校にバレたら、もう外泊出来なくなるよ?」
その言葉に、フォークを止めると、
「そ、それは困るわね」
「黙ってた方がいいんじゃ無い?」
僕の方を見て少し考えると、
「でも、晴太のところに泊まってるってのだけ隠してれば万事OKでは?」
「あちゃー、ダメみたいだよ晴くん」
そう言って僕を一瞥する。
「別に私が誰と付き合おうが、他人には関係ないことでしょー?」
「彼方ちゃんもそれには賛成かなぁ」
それでも、やっぱり果林さんはとにかく目立つ。
この前のことだって、果林さんのマネージャーさんが良識のある人だったから良かったけれど、
「モデル活動に支障が出る!」
みたいなスタンスの人だったらどうなっていた事か。
「この子、恥ずかしがり屋さんなの」
よしよしと言いながら僕の頭を撫でる果林さん。
もう誤魔化したところで、彼方先輩にバレてしまった以上はどうしようもないので、その心地良い感触になされるがままされる事にする。
「帰ろっか、晴太」
そう言って立ち上がり、果林さんはお会計の方へと歩き始める。彼方先輩も目の前のコーヒーを飲み干すと、それに続いた。
僕も慌ててそれを追いかけると、本日2度目のファミレスのお会計へと向かった。