楽しかったー!
暗い。
一片の光もない程、暗い。
女は、扉から手を離す。
冷たい。
女は、そう思う。
その冷たい感触に、外との隔絶を思い知らされる。
たった一枚の扉を挟んだだけであるのに、億より、兆より、那由他よりも遠い。
己で選んだ道である。
零れそうになるものを、ぐっと堪え、振り返る。
文字通り、一寸先は闇であるはずが、女は、まるで見えているかのように進む。
ぶちゅり
かきん
ぶちゅくちゅ
かきんこきん
歩を進めると、そこかしこで、不気味な咀嚼音が聞こえる。
(まだ喰らっているのか…)
音のする方へ、目を向ける。
呆れているものの、その目には、慈愛を含んでいるように見える。
山葡萄に筍なんぞ、こちらには無い物ばかりである。
自分が産んだ者達ではないが、自分の為に色々と働いてくれている者達だ。
情も移るというものである。
飢えを感じれば、肉を持って来てくれる。
渇きを覚えれば、水を汲んで来てくれる。
そのせいで、此処に縛られてしまったが、それでも、彼女らには感謝している。
腐敗が進み、蛆に侵され、頭にも、胸にも、四肢にも、女陰にも、雷を宿してしまった醜い己に、臆することなく接してくれたのだ。
ああ、解っていたのだ。
彼が、この身を見ることも。
ああ、知っていたのだ。
彼が、逃げ出すことも。
怒りよりも、悲しかった。
どこかで、彼を信じたかったのだろうか。
どこかで、彼を信じる自分を信じたかったのだろうか。
とりとめの無いことを考えつつ、歩く。
彼は、薄情なのだろうか。
違う。
彼ほど、愛情の深い者を、自分は知らない。
ただ彼は、ほんの少し抜けているだけなのだ。
彼の性格は、よく分かっている。
気持ちが逸って、覗いてしまったのだろう。
自分も、良くなかった。
見慣れていたので忘れていたが、彼女らの容姿は恐ろしいのだ。
その彼女らに、彼を留めて欲しいと、頼んでしまったのだ。
逃げてしまっても、しょうがないだろう。
それに、自分の姿も…。
女は、自嘲する。
此処に来て、どれ程の時が過ぎただろう。
気付いた時には、この姿だった。
この暗い中、見えてしまう己が、憎い。
今も、顔を触れば、数匹の蛆がつく。
うねうねと動く白いそれは、今の自分の姿を、否が応でも思い知らせる。
せめて…
女は思う。
せめて、子供達にもう一度、会いたかった。
下の子供達は、女の顔を知らない。
もう、だいぶ大きくなっていることだろう。
成長した彼らを、一目見たかった。
出来ることなら、この手で抱き締めたかった。
しかし、それも、もう叶わない。
務めを、果たさなければならない。
此処から出られ無かったとは言え、此処の長達との契約だ。
誰もやりたがらない、しかし、誰かがやらなければならない務め。
日に、千の命を、殺さなければならない。
これまで、順繰りに課されていたが、これからは、女が一人で務めることになる。
命を廻す、大切な役目。
命を奪う、辛い役目。
愛した彼が、生み出した命。
己が身を傷つけるより、痛く、辛く、悲しい。
彼よりも、誰よりも愛情深い女には、重過ぎる務め。
これから奪う命を想い、白く濁った目に涙が溜まる。
一滴、零れそうになる。
その時、女は気付く。
いつの間にか、少し明るくなっている。
有り得ることではない。
女は、その光を辿る。
扉の方からだ。
走る。
腐った肉が、落ちる。
走る。
つまづき、剥き出しの骨が、岩に当たる。
立ち上がり、走る。
朽ちた衣服が、引っ掛かり、さらにみすぼらしくなる。
構わず、走る。
走る。走る。
走る。
やっとの思いで、扉が見えてくる。
衣服は破れ、ほとんど裸となっている。
蛆に喰われた乳房も、爛れた女陰も、覆っていたものは無い。
せめてはと思い、整えていた髪は乱れ、息は絶え、汗なのか膿なのか分からないものが、纏わりついている。
しかし、女には関係ない。
ただ、その光を見なければ、という想いしかない。
泥に塗れ、ほとんど骨だけになった脚を、進めていく。
…あった。
扉の上方に、小さな光が。
それは、太陽の様に暖かく、月の様に優しく、小さいのに大きく力強い。
その光を見た瞬間、女は理解する。
あの子達だ。
成長した自分達を、母に見せようと祈ったのであろう。
暖かく、優しく、強く育った自分達を。
女は、務めを果たしに、己の場所に戻る。
その間、一度も振り返らなかった。
女は、知らない。
いつの間にか、生前の姿に戻っている事に。
昔、GREEで仲間内でやっていた企画を、再始動させました。
企画について、ポストした後、二、三日のうちに、お題を頂ければいいな〜と思っていたら、ゆり呼(@mizunoARTyuriko)さんが、真っ先に手を挙げてくださいました。
ゆり呼さんは、『渡邉裕美』の名義で、画家、詩人として活動されています。
個展を開かれたり、グループ展に参加されたり、絵本な挿絵などもされていますので、見つけられた際は、是非ご覧ください。
イラストに関しては、挿絵として自由に使ってもいいと、使用許可を頂いておりますので、こちらで活動されている筆者の皆様、どうぞお使いください。
その際には、ゆり呼さんにリンクを伝えて頂けると幸いです。
それではまた、次のお題の時に、お会いしましよう♪