事件はいつだって唐突に起きる。停電によって薄暗くなった施設内を見渡しながら、円居はぼんやりとそんなことを思った。
何を呑気な、と思われるだろうか。確かに、警備の厳重な財団の施設で停電が起きるなんて明らかな異常事態だろう。だが、あまりにも唐突だったことに加え、近場では特に騒ぎが起きていないせいでどこか現実味がなかった。
(……こういう時、どうすればいいんだろう?)
施設内は不気味なほどに静まり返っている。元より防音設備の整った建物なので、空間が区切られていれば一つ隣の区画で起きていることすら伝わってこない。加えて停電の影響で空調すら止まっているらしく、本来廊下に響くはずのわずかな機械音すら感じ取れなかった。最低限の電力は生きているのか、非常灯のお陰で足元は見えるのが不幸中の幸いと言えるだろうか。
また、休憩時だったせいで職員の多くが食堂などがあるエリアに移動しているらしく、収容室に程近いこの場所は人影一つ見当たらない。こういう時、比較的自由な行動を認められているのが厄介だ。もし常に監視されている立場なら、緊急時にうっかり一人になってしまうこともなかっただろうに。
(ブライト博士を探す……? でも、このサイトは初めて来るからどこにどんな人がいるのか全く知らないんだよな……)
今日はいつも通りクロステストがあるからと言われ、円居は普段暮らしているサイト-17を離れていた。一緒に来たのはブライトだが、実験の準備があるからと一時的に離れていたために今は本当に一人きりだ。
暮らし慣れているサイト-17ならブライトに限らず、どの職員が普段どこにいるのか何となくわかる。だが、初めて訪れるサイトとなるとそうもいかない。何なら今日の実験が具体的にどこで行われるのかもまだ知らされていなかった。この状況ではブライトを探すことすら儘ならない。
そういった状況でこの場を動くことが正しいのかどうかは難しい判断だった。これ以上何も起きないと仮定するなら、ここの間取りもきちんと把握しているであろうブライトが迎えに来てくれるのを待つ方が余程合理的だ。
だが、問題はこの停電が何かの収容違反のせいで、ブライトも何がしかの事情で迎えに来れない場合だ。そうなるとブライトに限らず誰もここへ来てくれない可能性があるため、いくら待っても意味がない。
寧ろ今は辛うじて残っている非常電源すらなくなる前に、少しでも地上出口へ近づいた方がいいかもしれない──ここは地下に建設されたサイトなのだ。ブライトに連れられてここへ来た時、地上部分から下降するエレベーターで中に入ったのでそれは間違いない。
階段が別途用意されているかどうかすら分からないため、完全に電力が途絶えたらそもそもどう足掻いても外へ出られなくなる可能性だってある。一般的な建築物なら法律的にも階段が存在しないなんてことはあり得ないだろうが、超法規的存在である財団の施設なら階段無し建設も十分あり得るのが怖い。
(……やっぱり人を探そう)
真っ暗になった施設に閉じ込められ、飢えや渇きに苦しみながら弱っていく──そんな様を想像してしまい、居ても立ってもいられずに待機用の小部屋を飛び出した。財団のことだからサイトが機能停止に陥った時の次善策ぐらい用意してある気はするが、その辺の内情も分からないので楽観視するには怖すぎる状況だったのだ。
「──なるほど。それで君はサイト内を彷徨っていたのか」
彼はひとつ頷き、目の前の少年──SCP-████を観察した。
幸い████の報告書には目を通したことがあったし、その異常性についても把握している。だからこそ、彼は本来の緊急対処とは異なる判断を下した。
「では、一緒にここから脱出するとしよう。いくつか伝えておきたいこともあるが……時間が惜しい。歩きながら話そう」
「は、はい……」
本来なら、セキュリティ施設で不測の事態が起きた時にいきなり脱出を試みるのは望ましくない。逃げ出した危険なアノマリーと遭遇するかもしれないというのもあるが、何より人間を媒介するウイルスやミームの類を外へ出さないようにしなければならないからだ。
逆に言えば、もし決して危険なアノマリーの宿主になり得ない人間がいるのであれば、その人物が無理に留まる理由などない。だからこそ、彼は何よりも優先して████を外へ連れて行くことにした。
勿論、人道的な観点から考えるなら他の生存者を探すべきだろう。████の抑制効果は周囲にいる人間にも及ぶため、████の効果範囲に収まる人数であれば多くの職員がより安全に脱出できる可能性が高まる。
だが、停電したセキュリティ施設は想像以上に危険な場所だ。停電の影響で防衛設備が暴走する可能性もあるし、地下階に収容された大型の生物系アノマリーが暴れて建物自体が崩落する危険性もある。
████が物理的な影響には無力なことを考えると、無用なリスクを冒すべきでないというのが彼の結論だった。財団暮らしが長い彼にとって、命の価値が等価でないことは至極当たり前のことだったのだ。時に、職員を見捨ててでもアノマリーの保護を優先すべき場合があるように。
「この施設では外に出るまでにいくつかのゲートを通る必要があるが、いずれも職員用のカードキーがなければ開けることができない。そして、私のカードキーはこれだ。職員証の裏側に入れてある……もし脱出する過程で私に何かあったら、私のカードキーを持って君だけでも出口に向かいなさい」
「えっ」
「勿論そうならないように気をつけるが、このような状況では何が起きても不思議ではないからね。カードキーのことは記憶に留めておくんだ」
「……分かりました」
彼は努めて平坦な声で語りながら、隣を歩く████の様子を観察した。非常時とはいえ──いや、非常時だからこそ人型オブジェクトとの接し方には注意が必要だった。
現状避けるべき事態は████がパニックに陥ることだ。混乱した████がどこぞへ走り去ったり、腰を抜かして動けなくなっては困る。後者は年若い職員なら強引に抱えて運ぶこともできただろうが、もう若くない彼からすればとてもではないが現実的な手段とは言えなかった。確実に数歩進んだだけで腰が破壊されるだろう。
そういう事態を避けるためにも、████を宥める必要があるかもしれないと考えていたのだが──何やら妙に落ち着いている。同年代の人型オブジェクトと比べると、その落ち着き払った態度は些か奇妙に思えるほどだった。
尤も、彼は研究分野の都合上、それほど頻繁に人型オブジェクトと接しているわけではない。そのため少しの違和感を持ちながらも、ひとまずは当たり障りのない話題で沈黙を避けることにした。宥める必要がなかろうと、この状況下で場が静まり返るというのは大人でも無駄に緊張してしまうだろう。
「時に、君の補助監督官はクレフ博士だと聞いているが……彼とは上手くやれているのかい?」
「え? あ、まあ、多分……? あんまり話す機会がないので何とも……」
会話ついでに少し気になっていたことを問いかけてみれば、████からは意外な答えが返ってきた。
アルト・クレフといえば財団でも有名な問題児であり、良くも悪くも極めて行動的な人物だ。その特徴は対人関係にも表れており、率先して他人に絡み──かなりの頻度で相手を怒らせたり、怯えさせたりする。
だからこそSCP-████の補助監督官がクレフだと聞いた時は驚きと心配を覚えたものだが、意外にも████とは消極的な付き合いに留めているらしい。さすがの問題児も人型オブジェクト相手だと多少は気を遣うのだろうか。
「クレフ博士とお知り合いなんですか?」
「一応面識はあるという程度だな。彼の“武勇伝”は有名だから少し心配していたんだが、何事もなく過ごせているのなら安心したよ」
財団内には曖昧な噂のせいで漠然とクレフを怖がっている者も多いが、彼の場合は実際に当人と接点があるので「安心した」という言葉には実感がこもっていた。彼の部門は度々クレフと意見交換の必要に迫られるため、あの問題児の厄介極まりない人格には並々ならぬ警戒心があるのだ。
「あのブライト博士とクレフ博士が揃うと聞いた時は誰もが心配したものだが、ようやくあの二人も落ち着いて……待て」
「……?」
このまま和やかに会話しつつ安全に外へ──と思った矢先、通路の先にふらりと細長い影が映った。人影だ。しかし、何やら様子がおかしい。
まだかなり距離があるため断言はできないが、床に映った影の頭はふらふらと左右に傾いでいる。まるで出来の悪いロリーポリー人形のようだ。どう考えてもまともな状態には見えない。
「……警備員の人?」
「…………」
曲がり角から現れた人物は確かに警備員の制服を着ていた。だが、このような非常事態だというのに武器の一つも構えていないどころか、だらりと両腕を下げたままぼんやりと歩いている。フェイスガードのせいで表情は分からないが、黙ったままぐるりとこちらに顔を向けた様は最早ホラー映画のワンシーンだ。
彼は無言で懐から拳銃を取り出し、近づいてくる人影に向かって構えた。
「君、そこで止まりなさい。それ以上近づけば──」
躊躇わず銃口を向けたが、尋常ではない様子の警備員が怯む様子はない。まるで吸い寄せられるように近づいてくる警備員に対し、仕方なく発砲しようとした瞬間──警備員は突然、糸の切れた人形のように倒れ込んでしまった。咄嗟に手をつく様子もなく、見事に顔面から転倒する。
「え? は……一体、何がどうなって……?」
「これは……」
何の前兆もなく倒れたように見えるが、彼は警備員が倒れた位置で“あること”に気が付いた。目算ではあるが、警備員が倒れている位置はおおよそ████の効果範囲ギリギリの地点だ。
その情報から連鎖的に、この施設には現在SCP-049が収容されていたことを思い出した。もしあれがSCP-049の犠牲者だったのなら、████の効果範囲に入ったことでSCP-049の干渉下から脱したのではないだろうか。そこまで考えたところで、彼は████の腕を掴んで強引に歩き出した。
████の傍ならSCP-049に殺されることはないだろうが、████に動く死体が施設内を闊歩していると悟られるのはあまりよろしくない。いや、現物が目の前にある以上完全に隠すのは最早不可能だが、現段階ならまだ「こういうのはこれっきりだ」と誤魔化せる──実際のところ、一体何人が犠牲になったかなどさっぱり分からないとしてもだ。
「行こう、急ぐんだ。一刻も早く施設を離れなければ」
「え、あの、さっきの人は……」
普通なら明らかな不審人物の横を通り抜けるのは躊躇うところだが、状況を察してしまえば足踏みする理由はなかった。
状況が掴めていない████は軽く抵抗するように腕を引き戻そうとしたが、それも倒れた警備員との距離が縮むにつれて力が抜けていく。一見すると警備員の体に異常は見当たらなかったが、傍まで寄ると隠しようのない鉄臭さが漂っていた。
「……さあ、こっちだ。大丈夫、ゲートを抜ければ地上直通のエレベーターはすぐそこだ」
円居はエレベーターから降りた瞬間、晴れやかな陽光と新鮮な空気を感じてほっと息を吐いた。実際のところ停電から一時間も経っていないと思うが、随分と長く地下に閉じ込められていたように思える。
「ふむ、地上は変わりない様子だな。これだけ時間が経っていれば司令部も気づいているだろうし、すぐにでも機動部隊が来ると思うが……」
「スクラントン博士!」
「……見計らったかのようなタイミングじゃないか」
五人の完全武装した兵士が現れ、ずっと一緒にいた男性は気楽に手を振って挨拶した。そういえば色々あって名前を聞くのを忘れていたが、彼はスクラントン博士というらしい。どこかで聞いたような名前だ。財団では有名な人なのかもしれない。
「ご無事でしたか」
「この子のお陰でね。ブライト博士の所在が分からないから、私が████をサイト-17へ戻そう。一応司令部に一言断っておきたいのだが……今回は誰だ?」
「ライト博士です。お繋ぎしましょうか?」
「いいや、直接向かおう。どうせ車を借りなければならないしな」
「分かりました」
テキパキと必要なことをエージェントに伝えるスクラントンを眺めていると、不意に彼はこちらを振り向いて手招いた。彼の表情は先程までより柔らかく、改めて危機を脱したのだという実感が湧いてくる。
「さあ、帰ろう」
※補足:ロリーポリー人形(roly poly toy)はおきあがりこぼしに似た海外の玩具。
タイトル: SCP-049 - ペスト医師
原語版タイトル: SCP-049 - Plague Doctor
訳者: wired990
原語版作者: Gabriel Jade_, djkaktus, Gabriel Jade
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/scp-049
原語版ソース: http://scp-wiki.wikidot.com/scp-049
ライセンス: CC BY-SA 3.0
タイトル: ブライト博士の人事ファイル
原語版タイトル: Personnel Director Bright's Personnel File
訳者: Dr Devan
原語版作者: AdminBright
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/dr-bright-s-personnel-file
原語版ソース: http://scp-wiki.wikidot.com/dr-bright-s-personnel-file
ライセンス: CC BY-SA 3.0
タイトル: クレフ博士の人事ファイル
原語版タイトル: Dr Clef's Personnel File
訳者: Dr Devan
原語版作者: DrClef
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/drclef-member-page
原語版ソース: http://scp-wiki.wikidot.com/drclef-member-page
ライセンス: CC BY-SA 3.0