土汚れや細かな傷の目立つ下足箱から、不揃いな上履きや種々様々な運動靴が顔を覗かせている。たったそれだけの光景だが、無性に懐かしさを感じる情景でもあった。
「君、聞いているのか?」
目の前に立つ“異物”さえいなければ、円居としてもゆっくり懐かしさに浸りたいところだったのだが──
「えーっと……これどういうこと?」
「どういうこと、とは? はあ、君はいつもそうやって素っ気ない態度を取り、私をはぐらかそうとする……本当に、どうにかなってしまいそうだ」
「……?……??」
きっちりとしたスーツに、皺一つない白衣。庶民的な学校の背景には些か不釣り合いな姿だが、その人物の異常な点はもっと別なところ──いや、人と称するのが合っているのかもわからない。そいつの頭は財団のマークになっていた。
何かの比喩や性質の悪い冗談ではなく、本当にそうとしか言いようがない。何なら被り物とかでもない。正真正銘、本来なら頭があるべき空間に財団のマークが浮かんでいる。信じ難い光景だが、適切な例えを探すなら財団という存在を擬人化したキャラクターといったところだろうか。
確かに実験開始前「今回の実験では異空間に入るから、中では不思議なことが起こるかもしれない」とは言われた。だが、それにしたって限度というものがある。一体誰になら、財団の擬人化キャラクターが現れると想像できるだろうか。少なくとも自分には無理だ。しかも、しかもだ──
「逸樹、私は君のことが……」
「す、すみません! 急用を思い出したので失礼します!」
何故彼は頭の横にハートマークが並んでいるのだろうか。
「SCP-████をSCP-826に突っ込んだ? 無許可で?」
午後から行われる面談の準備をしていたブライトは、緊急回線で飛んできた報せに素っ頓狂な声を上げた。あまりにも信じがたい話で、呆けて思わずオウム返しにしてしまったほどだ。しかし、報せの内容を考えると悠長にしている場合ではない。
「実行した馬鹿はどこにいる? まだ部屋にいるのか?」
「はい。実験許可を取ってあるのか尋ねたら追い出されそうになったので、念のため警備員に拘束してもらいました」
「OK、君は中々良い研究員だ。そいつはそのまま縛り上げておけ。その実験室は私の権限で封鎖しておくから、私かクレフが到着するまでそこで待つように」
一度連絡を終え、間髪入れず別の相手に緊急通信を入れる。片手間に実験室の使用禁止を上層部に申請しながら、どうしたものかと考え込んだ。
「こちらクレフ。何があった?」
「████を826に突っ込んだ馬鹿が出た。とりあえず下手人は縛り上げて、実験室は封鎖したけど……君のこの後の予定は? 急ぎの仕事は?」
「特には。私が行こう。お前は?」
「離反の危険性があるエージェントの面談」
「という名の尋問だろ? いや、ミルグラム服従度検査か?」
「財団のエージェントなら問題なく通過できて然るべきってだけだ。それより、円居の件は頼んだよ」
「頼んだと言われてもな……まあ、すぐに向かう」
クレフから返ってきた歯切れの悪い口振りもよく理解できた。SCP-826は見たり触ったりで一発アウトという危険な代物ではないが、一度異常性が発現すると外部からは一切干渉できなくなる。そのため、今から駆け付けたところでできることはほとんどない。だからこそ、ブライトもすぐに円居の元へ駆けつけることはしなかった。
もしこれで人と知恵が集まればどうにかできるなら、面談を急遽中止にしてでも駆けつけていただろう。だが、残念ながらそんな単純な話ではない。なら、ブライトは当初の予定通り裏切る可能性のある人員の様子を確認し、その後クレフに合流した方が合理的だ。確かに円居は重要なアノマリーだが、組織から情報漏洩のリスクを取り除くのも大事な仕事なのだから。
「あ、そうだ。アルト、一つ言い忘れてたんだけど」
「なんだ」
「ショットガンを持っていくのを忘れずにね」
「言われなくとも」
どこか懐かしさを感じる校舎を一通り見て回った後、円居はようやく信じがたい仮定を受け入れざるを得なくなった。今、乙女ゲームの中にいる。
しかも、ただの乙女ゲームではない。登場人物は全て異常存在に関わる組織の擬人化キャラクターだ。そのはず。多分。正直知らないマークの方が多いが、財団とGOCが並ぶのはそういう括りでしかあり得ないだろう。
校内をざっと見て回った感じ、確認できたのは五人。学生という扱いなのか、名札をつけていたお陰で名前はすぐに分かった。財団とGOC、それに蛇の手とサーキック・カルトとカオス・インサージェンシーで五人だ。
円居とその五人はすでに知り合いで、何らかの関係を築いている前提らしい。ただ、いきなり作中に放り込まれた身としてはその前提部分が不明瞭なので──
「あ、おーい! 逸樹、こんなところで何してるの?」
「……!」
いきなり親し気に話しかけられても困惑するばかりだ。何ならちょっと怖い。ここまでフレンドリーにされると、たとえ相手が異形頭でなかったとしても恐怖が湧いてくるだろう。
「もしかして、またGOCの奴に何かされた……?」
「え、いや……」
「隠さなくても大丈夫だよ。GOCの連中が人の話を聞かない乱暴者だって、皆が知ってるんだから」
もしかすると、ある程度その組織の特性を反映したキャラ付けになっているのだろうか。人の話を聞かない乱暴者という人物評は、GOCの破壊主義を揶揄しているように聞こえる。他ならぬ異常物品の中でGOCの主義主張が揶揄されるなんて、肝心のGOCが知ったら激怒しそうな話だ。
「ね、逸樹はこんなに素敵な子なのに。他の人にはない、素晴らしい魅力がある……そうでしょ?」
「……っ!」
ぞわぞわする。何せ相手は異形頭であっても、首から下は人間と変わらないのだ。つまり、声や体格は完全に男なわけで──
「アルト、状況は? 何か分かった?」
「████はまだ帰ってない。実行犯の客員研究員を締め上げたが……なんと奴は████に826から脱出するために必要なことを教えなかったらしい」
「は? 馬鹿なの?」
「馬鹿じゃなかったらこんなことしでかしてないだろ」
「それはそう」
恙なく面談を終え、大急ぎで実験室に駆け込んだが、待っていた情報は最悪のものだった。
本来、SCP-826から出るための手順は単純だ。SCP-826によって異空間を作るために使った本の中で、SCP-826を見つければいい。
ただ、簡単な代わりに時間制限はある。異空間の中では使った本の内容通りに何らかの物語が進行するため、それが終わるまでに見つけなければならない。このタイムリミットを超えてしまうと、異空間の中に入っていた人物は物語に取り込まれてしまう。
例えばポケモンを実験に使った場合、殿堂入りするまでに中でSCP-826を探し出さなければ、最初の町で「かがくのちからってすげー!」というだけのNPCにされるかもしれないということだ。勿論、最初にきずぐすりをくれるフレンドリィショップの店員だったり、唐突にきんのたまをくれるおじさんだったりするかもしれないが──こうなったら生還不可能である。
「脱出のための手順を教えないとか、その馬鹿は一体何がしたかったわけ?」
「身を守ることに特化している████の異常性をもってすれば、条件を満たさずとも無事に出てこれるんじゃないかと考えたんだと」
「その可能性があったとしても、円居自身をいきなり突っ込むのはどう考えても馬鹿。どうしても知りたいならDクラスを突っ込む際、すぐ隣の部屋に円居を置いておけばいいでしょ……」
円居は危険なオブジェクトとのクロステストに呼び出されることも多いが、大抵円居が当事者になることはない。幸い、円居の異常性は必ず一定範囲内の全員が同じ効果を受けるからだ。円居自身をいきなり突っ込むのは、ただただ馬鹿げた行いとしか言いようがなかった。
「Dクラスを使った実験は基本的にエージェントや保安職員が付き添うから、こっそりやるのは無理だしな。そもそもDクラスの管理責任者に話がいった時点でバレる」
「完全に確信犯じゃん。性質の悪い馬鹿だな」
ブライトは溜息を吐き、ふともう一つ大事なことを聞いていないことに気付いた。
「そういえば、その馬鹿は何を使って826を起動させたんだ?」
「……5513のインタビューを参考に作った恋愛シナリオの冊子だ」
「は? 5513って確か……」
SCP-5513は恋愛脳の現実改変者だ。しかも、その恋愛対象は異常存在に関わる各組織を擬人化したキャラクター。勿論、現実にそんなものが存在するわけもなく、5513が他人を擬人化キャラクターに改変しても困るため、収容手順では財団職員が擬人化キャラクターを演じる羽目になっている。
一体どこで各組織の情報を知ったのかだとか、どこまで自在に現実改変能力を使えているのかだとか、色々と疑問点の多い存在である。だが、今この状況に関わっているとなると一番気になるのは──
「え、5513って女だよね? じゃあ、それを元に作った恋愛シナリオって……」
「……ああ」
「円居は今、擬人化とはいえ男を攻略させられてるってこと?」
「まあ、そうなるな……」
「可哀想に……なんでギャルゲーにしてあげなかったんだ?」
「いやそういう問題じゃないだろ」
滅多に人が来ないであろう美術準備室に隠れながら、円居はどうしたものかと再度頭を抱えた。念のため施錠もしてあるので、ひとまず落ち着いて考え事ができるだろう。
体感的にそれなりの時間が経っているはずだが、一向に状況が動く感じがしない。ここが乙女ゲームの世界だというのなら、ゲームシステムに則って動かなければならないのかもしれない。つまりは、少なくとも誰か一人攻略しなければ何も変わらない。出ることもできない。
なら、誰を攻略したいか──いや、誰ならマシかという話になる。GOC以外には一通りエンカウントしたが、誰がマシかと言われると難しい。
とりあえず蛇の手は無し。妙に馴れ馴れしい。サーキックも無し。話の通じない狂信者はNG。カオス・インサージェンシーは言動が粗野で話すのが苦痛。
消去法的に財団が一番マシなのかもしれない。意味合いは異なるものの、最も縁のある組織でもある。それに、円居にとってGOCは前の世界での嫌な記憶が強すぎてどうにも──
「逸樹」
「っ!?」
突如ドアの外から聞こえた声に息を呑んだ。確信めいた声音に意味はないかもしれないと思いつつ、音を立てないよう息を潜める。だが、やはり室外にいる相手は確固たる意志で語り掛けてきた。
「そこにいるのは分かっている。出てこい」
知らない声だ。まだエンカウントしていなかったGOCなのだろう。どんなキャラ付けなのかも未知数だったが、恐ろしく威圧的だ。大体合っている。
「もしや蛇の手に何か吹き込まれたのか? あのホラ吹きはいつもそうだ……考えなしに適当なことを抜かして、世界を滅茶苦茶にしようとする……まさかお前も奴の言い分を信じたのか?」
怖い。とんでもない怖さだ。乙女ゲームというのは、こんなにもホラー感のあるジャンルなのだろうか。
円居は浅くなる呼吸をどうにか落ち着かせながら、そろそろと窓際に向かって移動し始めた。美術室は二階で、窓の外には大きな木が植えられている。頑張れば伝って下りることはできるだろう。これが三階や四階だったら万事休すだったが──いや、その場合でもこの恐怖を前にしたら、どうにかこうにか隣の部屋へ壁伝いに逃げることを試みていたかもしれない。
だが、窓に手が届く前にもっと恐ろしいことが起きた。耳を劈くような轟音と共にドアの取っ手部分が吹き飛び、銃を携えたGOCが侵入してきたのだ。余裕で銃刀法違反である。下足ホールがあったということは間違いなく日本の学校が舞台だろうに、何故銃社会の部分だけアメリカ基準なのか。
「逸樹……そう怯えるな。確かに私は今まで君のような存在を許せないと思っていた。だが、君と出会ってから考えが変わったんだ。君とずっと一緒にいたい……勿論、そのためには君に“いい子”でいてもらう必要があるが」
銃片手ではどんな口説き文句も右から左へ通り過ぎるだろう。銃口がこちらへ向かないかひやひやして、円居としては全く以てそれどころじゃない。
「逸樹、どうか私と共に……」
「ちょ、近っ……!」
壁ドンだ。円居は今、銃を持った危険人物に壁ドンされている。全く嬉しくない体験だった。
「待ちなさい」
「……財団か」
混乱して固まっている円居を余所に、そこへさらに場を混沌とさせる乱入者が現れた。この空間へ入って最初に現れた財団だ。
「GOC、あなたと私の間にはお互いのものには手を出さないという暗黙の了解があったはずだ」
「そうだな。だが、逸樹はまだ誰のものでもない」
「いいや、逸樹はすでに私のものだ」
「……逸樹、本当なのか?」
これはどう答えるのが正解なのだろうか。そもそも正解はあるのか。いや、乙女ゲームならば正解は必ず一つはあるのか。
逡巡はわずかなものだった。どちらにせよGOCを攻略するのだけは御免だ。嫌な印象が拭えないのもあるが、それを差し引いてもいきなり発砲する奴の傍にいるのは無理だ。
「そ、そうです! 僕、財団……さん、のものなんです!」
「そう、だったのか……」
GOCはどこか悲し気な声音と共に、意外にもあっさりと引き下がった。そして、そのまま立ち去っていったGOCと入れ替わる形で、財団が円居の目の前までやってくる。
「逸樹……ようやく私の気持ちを受け入れてくれて嬉しいよ」
「は、はあ……」
GOCよりはマシだが、やはり首から下は普通に男だ。男から熱っぽく囁かれても何も嬉しくない。
だが、どう足掻いても誰か一人攻略しなければならないのならこれはいい流れかもしれない。もうゴール目前のような雰囲気だ。特に好感度上げをした覚えもないが、多分元から高い前提条件で設定されていたのだろう。このままゴールすれば、もしかするとこの耐え難い空間から出られるかもしれない。
「ありがとう、君と一生共にいると誓おう……さあ、行こうか」
手を引かれるまま部屋から出る。雰囲気的には明らかにエンディング、ゲームならこの後スタッフロールが流れるような雰囲気だが──
「出てきた!」
結果がどうなるにせよ見届けなければと待機していたブライトだったが、無事に戻ってきた円居の姿を確認してほっと一息吐いた。五体満足で、特に錯乱している様子もない。何故か妙に蒼褪めた顔色ではあるが。
「ブ、ブライト博士? 戻ってきた……?」
「ああ、ここは実験室だよ。おかえり、円居。その、本当に……災難だったね」
「嗚呼……」
精神的に疲弊している様子の円居に同情的な相槌を打ちながらも、残念ながら財団の研究者として告げねばならないことがあった。
「成り行きとはいえ何かしらのデータが取れるかもしれないから、これから中で起きたことに関するインタビューするね」
「嘘でしょ」
タイトル: SCP-826 - *ほんのなかにいる*
原語版タイトル: SCP-826 - Draws You into the Book
訳者: 訳者不明
原語版作者: Clopine
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/scp-826
原語版ソース: http://scp-wiki.wikidot.com/scp-826
ライセンス: CC BY-SA 3.0
タイトル: SCP-5513 - SCP財団は私のカレ
原語版タイトル: SCP-5513 - The SCP Foundation Is My Boyfriend
訳者: Utsuki_K
原語版作者: Azmoeth Jikandia
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/scp-5513
原語版ソース: http://scp-wiki.wikidot.com/scp-5513
ライセンス: CC BY-SA 3.0
タイトル: ブライト博士の人事ファイル
原語版タイトル: Personnel Director Bright's Personnel File
訳者: Dr Devan
原語版作者: AdminBright
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/dr-bright-s-personnel-file
原語版ソース: http://scp-wiki.wikidot.com/dr-bright-s-personnel-file
ライセンス: CC BY-SA 3.0
タイトル: クレフ博士の人事ファイル
原語版タイトル: Dr Clef's Personnel File
訳者: Dr Devan
原語版作者: DrClef
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/drclef-member-page
原語版ソース: http://scp-wiki.wikidot.com/drclef-member-page
ライセンス: CC BY-SA 3.0
※直接関係はないものの、ゲームの中に入るという題材で参考にしたtale(元記事削除済み)
タイトル: SCP、ゲットだぜ!
訳者: (user deleted)
原語版作者: Dexanote
ソース:http://scp-jp.wikidot.com/old:i-wanna-be-the-very-best
ライセンス: CC BY-SA 3.0