どんな体勢でいても慢性的に響いてくる腰の痛みに呻き、円居はどうにか気を紛らわせようと手元のゲーム機に視線を落とした。しかし、完全には気が紛れない。こういう時は人と会話するのが一番なのだが、生憎と宛がわれた入院先は個室である。
儘ならない現実に溜息を吐いたその時、突然個室のドアがノックされた。返事をするより早く、無遠慮にドアを開けて現れたのは見知らぬ人物──だが、胸元で揺れる首飾りのお陰で誰なのかは一目瞭然だった。
「やあ、円居! かなり派手に折ったと聞いたけど、痛みは酷いのかい?」
「かなり」
「災難だねぇ。ほら、あんまり動かなくても食べれるようスナック菓子中心に持ってきてあげたよ。サイドテーブルに置いておくから、気が向いたら食べるといい」
「わざわざありがとうございます……」
お礼を言いつつ「ブライト博士にも見舞いの時に何がしかの品を持っていく気遣いはできたのか」と感心せずにはいられなかった。普段は奇人変人なのに、妙なところで常識がある。
「いやしかし……いくら床がペイント塗れだったからといって、若いのに階段から足を滑らせて骨を折るとはね。少し運動不足なんじゃないか? 今度から勉強の他に、定期的な運動のプログラムを組むべきかもしれないな」
「……屋内がペイント塗れになる想定をしながら生きていないもので」
「あの騒ぎはサイト-19だと定期的に起こるから、今後は想定して足腰を鍛えておくべきってことさ」
「定期的に起こる!?」
思わず言葉を失った。あんな騒ぎが──施設内がペイント塗れになる事件が初めてじゃないなんて。
しかも、ただペイント塗れになるだけじゃない。奇妙な人型実体がテレポートしながらあちこちに現れ、ペイントボールを撃ち込んでくるのだ。これがまた至近距離で当たると結構痛いらしい。勿論、目に入れば失明する恐れもある。
そして、本来ペイントボールが行われるなど想定されていない建物で乱射されるのだ。当然、床に飛び散ったペイントで足を滑らせる可能性もあるわけで──今こうして入院する羽目になっているのも、避難のために階段を下りていた時に焦ってペイント溜りで滑り、階段を転がり落ちて大腿骨を折ったためだった。若いと骨折のリスクは少ないはずなのだが、全く受け身が取れず、しかも滑ったせいで勢いがあったからだろうか。転倒後は激痛で動けないほど派手に骨折してしまい、本当に大変だった。
「まあ、もしかしたら次からは二度と起きないかもしれないけどね」
「……?」
時同じくして財団某所。
完全に機密性が保たれた会議室にて、財団の意志決定を行う十三人は挨拶も挟まずに月例会議を始めた。今回、最初に話し始めたのはO5-8だ。
「最初の議題は、SCP-2629-Aの終了案についてです」
わずかな沈黙の間に、何人かが目を見合わせた。アノマリーの終了は財団の理念に反するため、滅多なことでは提議されない。滅多なことというのは、収容不可能だが終了は可能だと見込まれた場合や、収容できているがコストがかかりすぎる場合などだ。その理屈で言えば、SCP-2629はどちらにも当てはまらなかった。
「些か性急な結論に思えるが」
「理由はいくつかあります。サイト-19という我々の中でも最大の施設が定期的に襲撃されるというのは、財団全体の業務停滞に繋がることが一つ。そして、奴らの襲撃によって他のオブジェクトに連鎖的な収容違反や終了のリスクが付き纏うからです」
「直近の襲撃でも、SCP-████が全治一か月の負傷で病院に搬送されたそうですね」
SCP-████のナンバーを聞き、成り行きを静観していた何人かが顔を顰めた。O5と一口に言っても胸中に秘めた思想は様々で、中には過激な考えを持つ者もいる。そうした者にとって、危険なアノマリーを管理しやすくできるSCP-████の重要性は高かった。それこそ、辺りをペイント塗れにして迷惑をかけることしかないアノマリーとは比べ物にならないほどに。
「427は使わないのですか?」
「試したが効果がなかったそうだ。あれは使いすぎると人間ではなくなるからな。████の異常性によって抑制されたのだろう」
「SCP-3000由来の記憶処理剤と同じですね」
普段は利便性が注目されがちなSCP-████だが、リスクと引き換えに益を得るようなアノマリーとなると話が変わってくる。単純に治療効果だけを与えられるSCP-500ならばSCP-████にも効果があるだろうが、さすがに後遺症も残らないであろう怪我に貴重なSCP-500の使用許可は出せなかった。
「階段から落ちて骨折ですか。こうなると████に簡単な訓練すら受けさせなかったのは間違いだったのでは? 訓練さえ受けていれば、階段から落ちても受け身ぐらい取れたでしょう」
「それは今議論すべきことではない」
「失礼」
O5-7は素直に引き下がったが、O5-3は難しい顔で首を振った。
以前からSCP-████に一定の訓練を施し、SCP-105のようにエージェントとして働かせてはどうかという案はあったのだ。しかし、収容当初はわざわざ訓練に時間を割いてまで外へ出さずとも、SCP-████の利便性は施設内で活かせると考える者の方が多かったことで否決された。
だが、こうして実際に訓練を受けていれば防げたであろう事件が起きてしまった後だと、中立的な考えを持っていたメンバーには影響が及ぶだろう。そうして訓練だけならばと可決されてしまえば、SCP-████をエージェントとして働かせる話も以前より通りやすくなる。
O5-7も素直に引き下がったように見えるが、諦めていないのは明らかだ。彼女からしてみれば、SCP-2629の事件をきっかけに影響を与えられればそれで十分。間違いなく、来月の定例会議で本格的にSCP-████の件を切り込んでくるだろう。O5-3は一連の流れを想像して顔を顰め、SCP-2629も厄介なことをしてくれたものだと嘆息した。
「████の件も問題ですが、直近の襲撃ではもう一つ問題が起きています」
「まだあるのか」
「イベント中にライト博士もペイント塗れにされ、それが悪戯として認識されたことによりSCP-050が収容違反を起こしました。現在、050は2629の元にあります」
「なんてことだ、素晴らしいニュースだな!」
O5-11が皮肉げに毒づいたが、今回ばかりは誰も咎めなかった。皆、口に出さずとも同じような心境だ。
SCP-050といえば、財団でも有名な悪戯連続事件を起こしたアノマリーである。厳密にいえば050自体にそういう強制力があるわけではなく、全ては学者という生き物が存外負けず嫌いなのが悪いだけだ。しかも、この騒ぎには最終的にO5の中からも参加者が出てしまったため、評議会の厳粛さを重んじるO5-1がはっきりと不満を顕にしたことは記憶に新しい。
「危険なアノマリーでないとはいえ、距離に関係なく転移できる性質を備えたオブジェクトを放置するのは望ましくありません。何かの拍子にヴェールの存続に影響しないとも限らないですから。なので一刻も早く取り返すべきですが……」
「050が2629内にある状態で終了が成功した場合、050の所有権はどうなるのだろうか?」
「終了の過程が悪戯として見做され、我々に所有権が戻るのでは?」
「前例のないことだからそう祈るしかないな。尤も、それ以前にどのようにして2629-Aを終了させるのかという問題があるが」
再び沈黙が落ちた。それは最初のものより少し長かったが、ほどなくしてO5-2が笑いながら口を開いた。
「050は元々カオス・インサージェンシーから渡ってきたのでしょう? ならば、我々も一つ返礼を贈るべきかもしれません」
イオタ-17の隊長を務めるエージェントは、いつになく穏やかな気持ちで帰宅した。
はっきり言って、イオタ-17の業務は楽じゃない。それはどの機動部隊も同じだろうし、何ならイオタ-17は命の危険がないだけマシだと思われる部分もあるだろう。
だが、いくら命の危険がなくとも毎日出勤させられては堪ったものではない。勿論、機動部隊のエージェントは出動せずとも何かしらの業務──事務処理や訓練などを行っているものだが、それでも出動となると労力が嵩む。たとえ命の危険がなかろうとだ。
取り分けイオタ-17はここのところSCP-2629に負ける頻度がじわじわと増えており、そのことでサイト-19の職員から苦情が来ることもあったので余計に心労に苛まれていた。隊長からしてみれば負けると上から文句を言われ、負けなくても部下から連勤について文句を言われるような日々だったのだ。
イオタ-17は毎日出勤という過酷なスケジュールに対応するため、他の機動部隊よりも多めに補充要員を備えていたが、それでも連勤になるエージェントは他所より断トツで多かった。文句を言われたところで隊長にもどうしようもなかったが、文句を言いたくなる気持ちも理解できなくはない。
だが、そうした辛い日々も今日で終わりだ。昨日、上からの指示でSCP-2629との試合中、何気ない雑談を装って“とある場所”の情報を漏らすように言われたのだが──そう、かつてイオタ-17がうっかりサイト-19のことを話題に出してしまった時のように──ペイントボール狂いのクソガキ共はまんまとその誘導に乗り、今日からはサイト-19に現れなかった。イオタ-17は試合に参加すらしなかったのに。
最早戦う必要がないのだと理解した時、イオタ-17の隊員達は涙ぐみながらお互いに抱き締め合った。本当に辛い日々だった。危うく人生がペイントボールに侵食されるところだった。
諸々の手続きが終われば、SCP-2629の専属チームだったイオタ-17は解散されるだろう。ペイントボールの技量目当てで特別にスカウトされた隊員は、記憶処理された後に一般社会へ戻されるかもしれない。それは少しばかり寂しくもあったが、それでもSCP-2629から解放されるのは間違いなく喜ばしいことだった。
自分は苦情に苦しめられることはなくなり、隊員達は各々真っ当な職務なり社会なりに戻り、あのクソガキ共は今後カオス・インサージェンシーとよろしくやる。何一つ欠けたところのないハッピーエンドだ。
穏やかに微笑み、今日はちょっと高い酒でも飲もうかとテーブルに目を向けた途端──元隊長の表情が強張った。卓上に見覚えのある猿の置物がある。
隊長を務めるだけあって彼の勤務歴は長く、幸か不幸かそれが何なのかは一目で理解できてしまった。それを見て見ぬ振りをすることは、財団職員として許されないことだ。だから、彼はこの一報が自分にとっての面倒事になると理解しながらも、泣く泣く司令部に繋がる連絡回線を開いた。
「司令部、こちらイオタ-17隊長……お伝えしたいことがあります」
『こちら司令部。何があった?』
「SCP-050が私の元にあります……」
「──というわけで、今財団は悪戯合戦の真っ最中ってわけ。さながら第二次悪戯大戦かな」
「……財団職員って意外と暇なんですか?」
「暇ではないんだけどね。皆、過酷な業務のせいで娯楽に飢えているというか」
一週間後。
手術を終えて痛みもマシになり、円居はようやくSCP-2629とSCP-050に纏わる一連の事件について聞いていた。ただ、別に聞かなくてもよかったかもしれない。
「円居も気をつけるんだよ。君の異常性を悪戯に利用しようとする職員もいるかもしれないから」
「ブライト博士ではなく?」
「私とは限らないだろう」
「せめて限ってほしかったですね」
「ああ、それとリハビリから段階的に運動プログラムを組むことになったから、そっちもよろしくね」
「は?」
タイトル: SCP-2629 - The Twenty-Nine Year Paintball War
原語版作者: rockyred9
ソース: http://scp-wiki.wikidot.com/scp-2629
ライセンス: CC BY-SA 3.0
タイトル: Dispatch from the Paintball War
原語版作者: rockyred9
ソース: http://scp-wiki.wikidot.com/dispatch-from-the-paintball-war
ライセンス: CC BY-SA 3.0
タイトル: SCP-427 - 冒涜的なロケット
原語版タイトル: SCP-427 - Lovecraftian Locket
訳者: 訳者不明
原語版作者: Dr Ouros
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/scp-427
原語版ソース: http://scp-wiki.wikidot.com/scp-427
ライセンス: CC BY-SA 3.0
タイトル: SCP-500 - 万能薬
原語版タイトル: SCP-500 - Panacea
訳者: 訳者不明
原語版作者: snorlison
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/scp-500
原語版ソース: http://scp-wiki.wikidot.com/scp-500
ライセンス: CC BY-SA 3.0
タイトル: SCP-3000 - アナンタシェーシャ
原語版タイトル: SCP-3000 - Anantashesha
訳者: YS_GPCR
原語版作者: A Random Day, djkaktus, Joreth
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/scp-3000
原語版ソース: http://scp-wiki.wikidot.com/scp-3000
ライセンス: CC BY-SA 3.0
タイトル: SCP-105 - "アイリス"
原語版タイトル: SCP-105 - "Iris"
訳者: Astrik
原語版作者: Dantensen, DrClef, thedeadlymoose
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/scp-105
原語版ソース: http://scp-wiki.wikidot.com/scp-105
ライセンス: CC BY-SA 3.0
タイトル: SCP-050 - 最も賢きものへ
原語版タイトル: SCP-050 - To The Cleverest
訳者: 訳者不明
原語版作者: AdminBright
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/scp-050
原語版ソース: http://scp-wiki.wikidot.com/scp-050
ライセンス: CC BY-SA 3.0
タイトル: ブライト博士の人事ファイル
原語版タイトル: Personnel Director Bright's Personnel File
訳者: Dr Devan
原語版作者: AdminBright
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/dr-bright-s-personnel-file
原語版ソース: http://scp-wiki.wikidot.com/dr-bright-s-personnel-file
ライセンス: CC BY-SA 3.0
タイトル: ライト博士の人事ファイル
原語版タイトル: Dr. Sophia Light's Personnel File
訳者: Ikr_4185
原語版作者: Sophia Light
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/dr-light-s-personnel-file
原語版ソース: http://scp-wiki.wikidot.com/dr-light-s-personnel-file
ライセンス: CC BY-SA 3.0