しあわせをのぞむならば   作:華歳ムツキ

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※ディオゲネスの設定と現113の設定(性転換時に激しい苦痛や嘔吐の副作用を伴うというもの)が共存できないため、本作品内ではSCP-113を2009年10月の改稿前(副作用がなかった時代)のものとして扱います。



KIC“C”BACK

助けてほしい。その一文によって始まるチャットを受け取り、サイト-19にいた円居は嫌な予感を抱いた。

発信者はブライト博士。しかし、着信があったのはプライベートチャットなので仕事の話ではない。その時点でかなり不穏な気配が漂っている。

そもそもブライトはああ見えて意外と交友関係が広いため、自身に落ち度のない困り事であればもっと手近な人間に助けを求めるだろう。わざわざ現時点で別の棟にいる円居を呼び寄せる必要などない。ひょっとしたら円居の異常性が必要な場面なのかもしれないが、個人的な事情で人の異常性を求めているというのもそれはそれで怖い。一体何をしようというのか。

できることなら断りたい。これがもし他の相手なら、適当に違うサイトにいるだとか何とか誤魔化して逃げることもできただろう。だが、ブライトはSCP-████の主任研究員なので、円居のGPS座標を好きに閲覧する権限を持っている。ブライトと、それに補助監督官であるクレフにはこの言い訳は使えないというわけだ。

そのため、円居は渋々人事局長のオフィスを訪れたのだが──

 

 

「逸樹、よく来てくれた。どうしても君の助けが必要なんだ」

「……というと?」

「先日、サイト-19が襲撃されたのは知っているな?」

「ああ、はい。当日はこちらにいませんでしたが、何やら異様なほど早く片付いたと聞きました。もしやその時に何かあったんですか?」

「あったとも。私の睾丸が片方失われた」

「……?」

 

 

予想だにしない答えに一瞬思考が停止してしまった。睾丸。つまり、男の大事なモノ。本来なら二つあるアレ。

 

 

「あ、ええっと……? 睾丸って、片方だけなくなるとかあるんですね……?」

「股間を強打するなど、外傷が原因であれば十分にあり得る」

 

 

強打したんですか、とはさすがに聞けなかった。別に知りたくもない。

 

 

「その、でも、片方は残ってるんですよね?」

「なら問題ないとでも言いたいのか!?」

「うわ、急に大声を出さないでくださいよ……」

「君は片玉になっても気にしないのか!」

「気にします」

「ほらみろ!」

 

 

そもそも睾丸が失われるほどの外傷を負うとなると、負傷した時点での痛みは計り知れない。想像しただけでもぞっとする話だ。

 

 

「いや、でも、ブライト博士の場合は体を替えれば済む話ですよね?」

「私もそう思ったさ。ただ、上に『睾丸を損傷したから新しいボディが欲しい』と言っても通らなかった」

「それは……まあ、通らないでしょうね……」

 

 

男として心底同情はするが、睾丸のために殺される誰かがいると思うとさすがに何とも言えない気持ちになる。これが手足のように職務上支障がありそうな欠損なら申請も通ったかもしれないが、睾丸がなくとも日常生活を送る上では何の問題もないのだから。

 

 

「そこで、考えが二つある」

「はい」

 

 

ブライトの意志が固いのは明らかであり、円居はそれ以上言葉を重ねることなく粛々と頷いた。逃げられなかった時点で付き合う以外に道は残されていないのだ。

 

 

「事故か事件を装ってこのボディを殺してもらうか、あるいは113を使うかだ」

「113って……女性になりたいんですか? そんなことしたら残った玉も消えますけど」

「女は元からゼロ玉だろう」

「そういう構造ですからね」

 

 

SCP-113は触れた対象の性別を変更するScipだ。皮膚で接触しなければ問題ないため扱いの難しいオブジェクトではないが、性別という人間にとっては重大なアイデンティティを揺るがす代物である。

 

 

「片玉という男として欠けた状態でいるぐらいなら、元から玉が要らない状態になった方がマシだ」

「そういうものですか……ブライト博士が女性の体に入っているのってあんまり見ませんけど、そういう性差の問題とかは気にならないんですか?」

「まあ、どういう状態であれ私の性自認が男である事実は揺るがない。だからこそ、女の体だと煩わしいと思うことは少なくないな。知っているか? 女だと足を開いて座ると注意されるし、ブラジャーなんていう胸部拘束具をつけないと咎められる。113は性自認を変えるわけではないから、この辺の煩わしさからは逃れられないときた!」

「胸部拘束具って……」

「君はブラジャーをしたことがないから笑い話だと思っているだろう。あれは慣れていないと本当に辛いんだ」

「それでも片玉よりはマシなんですね」

「そうだ。勿論、最善は新しいボディを貰うことだが……これは誰に殺してもらうかが難しい。ボディは変えたいが罰則は御免だ。この前受けたばかりだからな。あまり連続して受けるとさすがに面倒だ」

「なんでタイムリーに受けたばっかなんですか……」

 

 

一番手っ取り早いのは勿論自殺だ。ブライトも今更自決を躊躇うような精神はしていないため、実行上の問題は一番少ない。ただ、新しいボディ欲しさに自殺したとなればペナルティは避けられないだろう。

 

 

「君に殺してもらおうにも、君の場合は素行が良いせいで間違いなく私からの指示だとバレるしな」

「素行が良いのは喜ばしいことのはずなのに、何故か物凄く残念がられている……」

「私を日頃から殺し慣れていて、作為ではなく事故だと一発で信じてもらえる相手が望ましい。となるとクレフ、コンドラキ、ディオゲネス辺りだが──」

「日常的な容疑者が三人もいる……」

「……まずコンドラキは駄目だ。数日の休みを取っているから今は捕まらない。クレフも無しだ。妙に勘がいいから私の思惑に気付きかねない。気付いたが最後、絶対にやにやと笑って銃をしまうだろうしな」

「ディオゲネスさんは?」

「ああ、あいつが一番いい。私のことを嫌っていて、おまけに立場の差があるから私の言動に心底苛立っている。多少何か怪しいと思っても、私を殺すことが常態化しているせいで我慢できない可能性が高い」

 

 

恐ろしい話だが、正直なところ円居もディオゲネスがブライトを殺す様は容易に想像ができた。まだ目の前で事件が発生したことはないが、それでも鮮明に思い描けてしまうほど普段から殺気立った目でブライトを見ているのだ。ディオゲネスが大きなファイルを携えてブライトの後ろに控えている時、いつ何時ファイルの角が血で染まるんじゃないかと案じたのは一度や二度の話ではなかった。

 

 

「……というかそこまで考えが固まっているなら、結局僕を呼んだ理由は何なんですか?」

「ああ、実はここまでの話は全て前振りに過ぎない。私が今どれほど切実に事態の改善を求めているかを知ってもらうためでもあり、君との関係に禍根を残さないためでもある」

「……?」

「君を呼び出す前に、予めディオゲネスのことも呼び出しておいたんだ。時間を指定してね。君は立場上私からの呼び出しを断らないのは分かっていたし、ディオゲネスは何だかんだ上司の呼び出しには遅れずやってくる。だから、じきに全ての役者が揃うことになる」

「あの、話が掴めないんですが……」

「つまりだ。逸樹に要求することはたった一つ……今から私が君を襲うから、それに抵抗しないようにしてほしい。昔ならともかく、今の君に本気で抵抗されたら敵わないからな」

「は?」

「お、多分そろそろ来るな。足音が聞こえてきた」

「え?」

 

 

円居が反応できずにいると、ブライトが突然勢いよく駆け寄ってきた。エージェントとして鍛えられた今、円居にとって決して避けられない速さではない。寧ろ反射的に回避しかけたが、直前の言葉を思い出してほんの少し躊躇ってしまった。

その隙に目前まで迫ってきたブライトの手で肩口を強く押される。円居はオフィスに置かれたソファーに座っていたのだが、あっという間にその座面に押し倒された格好になってしまった。

 

 

「逸樹、頼む! 君にしか頼めないんだ!」

「ひっ」

「片玉でも男として大事なことができるかどうか! そう、問題なく射精できるかどうか見届けてほしいんだ! ここ最近上手くいってないのは心因性のものかどうか確かめたい!」

「ちょ、待っ……!」

 

 

襲うってそういう?

円居が絶句している間に、人事局長オフィスのドアが断りなく開け放たれた。思わず二人揃ってそちらを見遣れば、嫌悪感を顕にしたディオゲネスがこちらを見ている──そうして張り詰めたような沈黙がしばし流れた後、それを破ったのは能天気なブライトの声だった。

 

 

「ああ、ディオゲネス。君も混ざるかい?」

「死ね」

 

 

これまた凄まじい勢いで肉迫したディオゲネスの拳が振り下ろされ、ブライトの後頭部から鈍く重たい音が響いた。間髪入れずに襟首を引っ張り上げられ、その体が床に放り捨てられる。一拍遅れてじわじわと床に赤い汚れが広がり始めたため、この時点でブライトが本懐を遂げたのだと理解した。

それはいいとして、問題は拳を血に染めたディオゲネスの傍に取り残された円居だ。さすがにブライトやDクラスのように暴力を振るわれることはないが、威圧感のある眼差しに晒されていると喉が締め付けられるような感覚を抱く。

 

 

「円居、君はエージェントとして基本的な体術訓練は受けたはずだ。ならばこれを振り解くぐらい簡単だろう。何故抵抗しない?」

「え、あの、まあ……ブライト博士なので?」

 

 

事態を呑み込めたとは言い難いが、突き詰めて言えば『相手がブライトだったから』という一点に尽きる。ブライトに限らずクレフ辺りもそうだが、こんな無茶苦茶な要求に一旦従おうという気になるには、ある程度付き合いの長い相手でなければ無理だ。

それでも他の面々からすれば、ブライト相手に唯々諾々と従うのは恐ろしいことかもしれない。だが、円居にとってブライトはそこまで恐ろしい人物というわけではない。確かにブライトはオブジェクト相手となると人を人とも思わぬ発言をすることもあるが、オブジェクトだからこそわざと怪我を負わせるようなことはしない。ブライトはああ見えて財団への忠誠心は厚く、財団の理念に保護が含まれている以上はそれに従うからだ。

どちらかというと、先程のような構図ではクレフの方が怖い。クレフにマウントを取られたが最後「エージェントなのに注意散漫だ」だとか抜かして躊躇なく殴られる可能性も十分にあるからだ。

そうした諸々の人型オブジェクト視点から至った考えだったのだが、その辺がディオゲネスには理解し難かったらしい。明らかに理解不能という目つきで円居を見遣った後、何も言わず溜息を吐くだけに留めた。

 

 

「……まあいい。これのことは私が処理しておくから、お前は早くオフィスから出ろ」

 

 


 

 

あれから三日後。

次の任務へ出向くために同行の監視員を待っていた円居は、笑顔で駆け寄ってくる男を見つけてほんの少し眉を潜めた。新しいボディを手に入れたブライト博士である。

 

 

「やあ、逸樹! あの後大変だったみたいだね!」

「すごい、全部自分のせいなのに他人事みたいな言い方してる……」

「まあまあ、君のお陰で助かったよ。色々忖度してくれたんだろ?」

「一応、片玉で過ごすことに同情の気持ちはなくもなかったので……」

 

 

ディオゲネスがブライトの残機を減らした後、円居は管理官によって呼び出されて色々と聞かれたのだ。これが本当に大変だった。誰だって真面目くさった顔の管理官から「ブライト博士から自慰行為の補助を頼まれたようですが」と切り出されたら、笑っていいのか焦ったらいいのか分からなくなるだろう。咄嗟に神妙な表情を保ったが、気を抜いたら変な笑いが出そうで大変だった。

 

 

『エージェント・ディオゲネス曰く、ブライト博士は先日のインシデント以降射精能力の衰えに悩んでいた様子があり、その原因追及のためあなたに迫ったそうですが……』

『……いえ、あれは僕の受け答えも良くなかったんだと思います。正直、上手く射精できなかった経験がないので、事の重大性を正確に捉えられず軽い言葉で返してしまい……そうしてヒートアップしてしまっただけなんです』

『押し倒されていたというのは?』

『会話がヒートアップする内にブライト博士が倒れ込んできて、突き飛ばすわけにもいかなかったので倒れ込んでしまったんです。男同士なんですし、じゃれ合いの延長みたいなものです』

 

 

あの日の頭が痛くなるような問答を思い出し、円居は思いっ切り顔を顰めた。同情の念がないと言えば嘘になるので深くは掘り下げなかったが、あんなのは二度と御免である。

 

 

「そもそも結局はディオゲネスさんの前であの茶番を見せることが最終目的だったんですよね? それならそうと言ってくれればよかったのに……訳が分からなくて混乱しましたよ」

「そうは言っても……君、ディオゲネス相手に嘘を吐き通せるかい?」

「……確かに見破られそうですけど」

 

 

兎にも角にも、あの場でディオゲネスが苛立って手を出してくれなければ話は始まらない。もし事前にブライトから「ディオゲネスを怒らせて殺される予定だ」と言われていたら、変に緊張して待ち構えたことで目論見がバレていた可能性もある。何せディオゲネスは渉外エージェントとして見出された人物であり、他人のわずかな違和感を見抜くことに長けているのだ。

後々行われた管理官との面談も、おそらく円居がブライトを庇っていることはある程度見抜かれたと思うが、あの問答自体は両者の間で何か諍いがあったわけではないとさえ伝わればそれでいい。いくらブライトが問題児だからといって、上としては確たる証拠もないのにペナルティは与えられないのだから。

 

 

「まあ、埋め合わせはちゃんとするさ。何がいいかな……そうだ、もう大人になったんだし酒はどうだい?」

「飲んだことないです」

「おっと、なら尚更飲むべきだな! 大人になったのなら、自分がどの程度飲めるのかを知っておくのは大事なことさ」

「……お酒だけですか?」

「勿論、美味しいご飯もね」

 




タイトル: SCP-3222-JP - 金玉蹴撃
作者: iti119
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/scp-3222-jp
ライセンス: CC BY-SA 4.0

タイトル: SCP-113 - ジェンダースイッチャー
原語版タイトル: SCP-113 - The Gender-Switcher
訳者: 訳者不明
原語版作者: Robin Sure, kabu, thedeadlymoose
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/scp-113
原語版ソース: http://scp-wiki.wikidot.com/scp-113
ライセンス: CC BY-SA 3.0

タイトル: ブライト博士の人事ファイル
原語版タイトル: Personnel Director Bright's Personnel File
訳者: Dr Devan
原語版作者: AdminBright
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/dr-bright-s-personnel-file
原語版ソース: http://scp-wiki.wikidot.com/dr-bright-s-personnel-file
ライセンス: CC BY-SA 3.0

タイトル: エージェント・ディオゲネスの人事ファイル
原語版タイトル: Agent Diogenes' Personnel File
訳者: (user deleted)
原語版作者: diogenes
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/agent-diogenes-personnel-file
原語版ソース: http://scp-wiki.wikidot.com/agent-diogenes-personnel-file
ライセンス: CC BY-SA 3.0
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