聖エルモの日に現れる不思議な船。SCP-3001-JPの調査に参加するよう指示を受け、円居は珍しく一人で現地に入った。常に通信回線を開いたままとはいえ、原則として監視員が随行していなければ行動できない身としては新鮮な調査だ。
現代においては明らかに浮いている帆船へ向かって近づきながら、円居は陸上にいるブライトから改めて説明を聞いていた。SCP-3001-JPの担当はハルトマン博士だが、今回は円居自身の異常性に関する追加調査も兼ねているためブライトが同行しているのだ。
『さて、じきに乗船できるだろうから改めて今回の実験について確認させてもらおう』
曰く、あの船には3001-JP-1と仮称された人型実体が住み着いており、彼はやってきた人間に対し酒を振る舞う。あの船はカリブ海を臨むバーというわけだ。
それだけでも十分な異常性だが、SCP-3001-JPの奇妙な点はここからである。3001-JP-1は来店した客の約25%に対し、前世でボトルキープした酒を出すかどうか尋ねるのだ。その酒を飲めば前世とやらの記憶が鮮明に蘇り、飲んだ人間は決まって「前世と同じ失敗を繰り返してしまった」と強い抑鬱状態に陥るという。
『今回、確かめたいことはいくつかある。3001-JPのカテゴライズは記憶影響に留められているが、本当に精神影響がないのかどうか』
「でも、ボトルキープを呑むかどうかは強制されないんですよね?」
『何も行動の強制だけが精神影響じゃないさ。前世を思い出した人間が揃いも揃って抑鬱状態に陥るのが気にかかる……世の中、同じ失敗を繰り返したところで大して気にしない輩は絶対にいるものさ』
「あー……まあ、確かに」
自分が失敗したと気付いた時、その反応には往々にして個人差があるものだろう。勿論深く落ち込む人間もいるだろうが、それに限らず気恥ずかしさから消えてしまいたいと思う者もいるだろうし、自分に落ち度はないと怒り狂う者もいるはずだ。
にも関わらずSCP-3001-JPの客は皆一様に抑鬱状態に陥る。SCP-3001-JP内部ではそういう方向にバイアスが掛かる作用でもあるのか、あるいは、そういう反応を示す客だけボトルキープできるよう誘導されているのか。いずれにせよ、ただの記憶影響だと考えるには違和感があった。
『あとは君に記憶影響のオブジェクトがどう作用するのか確かめたい。記憶影響を及ぼし、尚且つその影響を記憶処理で安全に取り除けると分かっているオブジェクトはそう多くないからな。もし君の異常性が記憶影響も封じられるとなれば、今後精神影響と記憶影響を併せ持つオブジェクトの対応にも出られるようになる』
「……でも、まずは前世の自分とやらがボトルキープしているかどうかですよね?」
『まあ、そうだな。前世の君が3001-JPと出会っていることを願おう』
SCP-3001-JPは判明している限りでも非常に長い年月存在しているはずだが、船内の状態は存外綺麗なものだった。船室の中は街角で見かけるような普通の酒場と変わらず、店内にはピアノアレンジが施されたポーランドの民謡と思しきものが流れている。
「いらっしゃいませ……おや?」
カウンターの奥にいた3001-JP-1は円居を見て少し驚いた様子を見せた後、少しばかり考え込んでから頷いてみせた。
「お久しぶりでございます」
「ああ、どうも──第一段階はクリアみたいですよ」
『よし、なら早速ボトルキープを出してもらってくれ』
「はい──現世では円居逸樹という名です」
「では、円居様。前世でボトルキープなさった品がありますが、お出し致しましょうか?」
「何の酒ですか?」
「名も無き島で長き時を待ち、誰も届かぬ海へと至ったヴィボロワ・ウォッカでございます」
「ウォッカか……じゃあ、ロックでお願いします」
「かしこまりました」
以前飲酒した時のことを考えれば酒には弱くないはずだが、危険性がないとはいえアノマリーのど真ん中で前後不覚になるのは避けたい。そう考えてストレートではなくロックで頼むと、3001-JP-1はグラスに大きな氷を入れた。カランと澄んだ音が鳴る。
取り出されたボトルにラベルは貼られていなかったが、青い瓶にイルカが描かれた美しいボトルだ。世の中には随分と凝った酒瓶もあるものだと思いながら、目の前に出てきたウォッカを早々に煽った。途端に、ウォッカならではの癖のない味が喉奥へと通り過ぎていく。
『どうだ?』
「えっと……あれ?」
それは奇妙な感覚だった。覚えがないはずのことを覚えている。だが、それは報告書に記載されていたほど強烈な感覚ではなく、自然と薄れてしまった幼少期の記憶をどうにか引きずり出そうとしているかのような感覚だった。しかも、普通に思い出せない部分も多い。
「すみません、言うほど記憶が浮かばないというか……」
『ふむ。君の異常性は記憶影響にも効果があるのか? いずれにせよ、思い出せる範囲でいいから教えてくれ』
「記憶によれば、僕は……」
円居は一瞬だけ、その先を言いたくなさそうに躊躇った。しかし、エージェントとして言わねばならない。
「……僕は周りからネモ船長と呼ばれていました」
『ネモ船長? ジュール・ヴェルヌの?』
「そうみたいです……」
『……ふむ。続けてくれ』
微妙な反応になるのも無理はない。キャプテン・キッドやネルソン提督と違い、ネモ船長は完全に架空の人物だ。小説のキャラクターに過ぎない。真偽不明の伝説といわれるアトランティスの科学者よりも信じがたい話だ。それでも、記憶はネモ船長のものなのだからそうとしか言いようがない。
「続けてくれと言われても、記憶は曖昧で断片的です。ずっと変わり映えしない船の中、窓の外から見える海中の景色を眺めていました……時にはよくわからない海のモンスターが乗り込んできて、それを切り倒したりしていましたが」
『まあ、海の中に化け物がいるのは珍しいことじゃない。SF小説にはあまり詳しくないが、ネモは確かバンデルカンドの王子だったか? イギリスによって植民地化された故郷を憂い、独立運動を試みるが失敗……その後はオーバーテクノロジーの塊である潜水艦ノーチラスを建造し、わずかな船員だけ引き連れて世から姿を消したとかいう話だったはずだ』
「王子……」
『どうした?』
「その、はっきりと思い出せるわけじゃありませんが、記憶の中にある幼少期は王子というのとはちょっと違うような……そもそもインド人ではなく、この見た目は白人のような?」
記憶は昔に遡るほど上手く掴めなくなっていく。まるで出来の悪いモンタージュを見せられているかのようだった。それでいて思い出せる部分に関して言えばリアルな味わいがある。ただの映像を見ているというより、本当にそれを体験したことがあるかのような感じだった。
頬を撫でる雪風の冷たさ、悔恨と恥辱に泣いた頬の感触、教会の鐘が鳴る音──それに、すり寄ってくる女の肌の柔らかさ。
「あ」
『今度はどうした』
「女の人にモテてた」
『そこは一致してるのか……』
「あと、宝石を集める趣味があったみたいです……それに、貴重な貝殻や宗教的な美術品も」
『そりゃまた、随分と輝かしい記憶だな』
「しかし、記憶の中ではほぼ海産物しか食べていないようなんですが、何故飽きないんでしょうか……?」
『君が食にうるさい日本人として生まれてしまったから、その辺の嗜好は変わってしまったんじゃないか?』
若かりし頃の記憶は曖昧だったが、潜水艦が出来た後の記憶は比較的鮮明だった。故郷に背を向けた後ろめたさをひた隠し、分厚いガラスの向こう側に見える暗い海の底を眺めている。それは気心知れた仲間と酒を飲み交わしても、一等お気に入りの宝石を眺めてみても消えるものではなかった。
「晩年は一人ずつ船員が天寿を全うし、ネモ船長だけが小さな島の海底洞窟で余生を送ったそうです。後に数人の若者が島を訪れ、彼らに船と共に弔ってくれるよう頼んだみたいですね……嗚呼、別に閉じこもった生活が不自由だったわけじゃないのに、それでも久々に人と話したのは楽しかったです。この感覚にはちょっと覚えがありますね……」
『一応聞くが、気分はどんな感じだい?』
「別にいつも通りですね」
『後悔の念が湧いてきたり、それで気が塞いだりは?』
「しません」
正直なところ、こういう生き方をしている自分を思い描くことすら難しい。断片的にしか思い出せないものの、ネモ船長はおそらく意外と熱いタイプの男だ。故郷を思い、自由と理想のために戦い、隠遁を選んだ後ですら彼の周りから人が絶えることはなかった。
だが、自分はどうだろうか。どちらかといえば流されやすい性格なのは自覚があった。前世において隠れ過ごしていたのは、財団やGOCに目をつけられたくなかったから。現世において人に囲まれているのは、財団に見つかって異常性が有用だと判断されたから。そして、この生き方に取り立てて不満もなかった。
『うーん……とりあえず3001-JP-1と話してみてくれ』
「あ、はい──えーっと、少しよろしいですか?」
「はい。そちらのウォッカはお気に召さなかったでしょうか?」
「いえ、とても美味しいです。ただ……こちらでボトルキープしていただいた品を呑むと、過去の記憶を思い出すことができると窺いました。今の僕に覚えはありませんが、ボトルキープの品があるということは、実際過去の自分もこちらへ伺ったのでしょう。ですが、今思い出したのはどうにも前世と思うには曖昧な記憶ばかりで……こういったことはたまにあるのでしょうか? その……記憶が不完全なことが」
「いいえ、それはありません。私は今までにここを訪れた全てのお客様を覚えておりますが、円居様のような方は初めてです」
『つまり……彼は前世を克服したということか? この世には同じ失敗を繰り返さない人間もいると?』
実験の進行に関してあまり口を挟んでいなかったハルトマンが、ここにきて妙に勢いよく口を挟んできた。3001-JP-1の発言に何か思うところでもあったのだろうか。しかも、3001-JP-1もハルトマンの言葉を聞き取った様子で、円居が会話を中継するまでもなく答えを返した。
「はっきりとしたことは申し上げられませんが、克服とは少し異なるでしょう。しかし、円居様が元々の輪廻とは全く違った流れに身を置かれているのは紛れもない事実です」
『……そうか』
ハルトマンは何かを考え込んだのか、それっきり通信に声を発することはなかった。代わりに、再びブライトが指示を出す。
『予想していたのとは随分と違う結果にはなったが、ひとまず私としては確かめたいことは確かめられた。そろそろ戻ってきてくれ』
「わかりました──では、僕はこれで失礼します」
「ええ……円居様」
「はい?」
「今、お幸せですか?」
「え?」
「幸福を感じられる人生なのでしょうか?」
「あ、まあ、そうですね……大変なことはありますが、別に不幸だと感じるわけじゃないですし……どちらかといえば幸せなんじゃないでしょうか?」
「そうですか……」
幸福か、それとも不幸なのか。自身の人生についてそんな風に論じる機会はあまりないだろう。そもそも考えたところで、どちらか片方の答えだと明確に断じるのは難しいはずだ。禍福は糾える縄の如しという言葉があるように、生きていれば幸せだと感じることもあり、その逆も必ずあるのだから。
だからこそどうにも煮え切らない反応になってしまったが、3001-JP-1にとってはそれで十分だったらしい。彼はほんの少し目を伏せた後、カウンターの片隅に置かれていた箱を引っ張り出した。黒塗りの蓋を開けば、そこには見事な大きさの宝石が施されたネックレスが収められている。宝石にはあまり詳しくないが、おそらくエメラルドとダイヤモンドだろう。
「こちらはお客様が前世において、ボトルキープした時にお支払いいただいた品です」
「ああ、なるほど。記憶の中にも宝飾品のコレクションがありますし、その内の一つ……あれ? ネモ船長は宝石で支払ったんですか?」
ネモ船長はノーチラスの中にコレクションルームを作るほど、自身が集めた宝飾品や芸術品を大切にしていた。にも関わらず、わざわざ宝石で支払ったという。まさか特殊な店なので貨幣での支払いはできないのだろうか。
「お客様がいらしたのは、ノーチラスでの生活が終わりに差し掛かった頃……彼が最も親しくしていた古株の航海士がこの世を去った時でした。意気消沈した彼はこの店について知ると、鮮やかなグリーンが目を惹くエメラルドの首飾りを支払いとして置いていかれたのです」
「へえ……これ、やっぱりエメラルドなんですね」
「エメラルドの石言葉をご存知ですか?」
「石言葉? 花言葉なら有名ですし多少は分かりますが、宝石についてはあんまり……」
「エメラルドの石言葉は──」
※メモ1:エメラルドの石言葉は「幸福」
※メモ2:ネモ船長の素性は最終的にバンデルガルドの王子ということになったが、元々ロシアによって国を追われたポーランド貴族の予定だった。が、当時ロシアを悪し様に描写する危険性を考えた編集部がストップをかけたことで、現在の設定になったという経緯がある。
タイトル: SCP-3001-JP - 漂流者たちのボトルキープ
作者: ykamikura
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/scp-3001-jp
ライセンス: CC BY-SA 3.0
タイトル: ブライト博士の人事ファイル
原語版タイトル: Personnel Director Bright's Personnel File
訳者: Dr Devan
原語版作者: AdminBright
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/dr-bright-s-personnel-file
原語版ソース: http://scp-wiki.wikidot.com/dr-bright-s-personnel-file
ライセンス: CC BY-SA 3.0