噎せ返るような緑の匂い、じっとりと肌に纏わりつくような湿気。まるで水の中にいるかのようだと、エージェント・マクスウェルは溜息を吐いた。日本の夏は殺人的だと聞いたことはあったが、これはさすがに想像を超えている──しかし、これが日本人にとっては当たり前の気候なのだろう。隣を歩く円居はいつも通りの平坦な表情でこちらを見遣った。
「大丈夫ですか?」
「何とかね……あなたがどんな日でも涼しい顔をしている理由が分かったわ。日本人は過酷な気候に慣れてるのね……」
「アメリカにも日本の気候にかなり近い土地はありますが……まあ、それよりちょっと暮らし難いかもしれません。生まれた頃からずっとこうだとそんなものだと思うようになりますが、久々に味わってみると中々に辛いものがあります」
本当だろうか。いや、おそらくマクスウェルが言う“辛い”と、円居が言う“辛い”はおそらく重みが違う。やはりどう考えても円居は何でもないような顔をしている。
マクスウェルはもう一度溜息を吐いた後、少しでも気を紛らわせようと辺りを見渡した。今回の任務対象は今歩いている場所、未完成の山間公園そのものだ。こうして眺めてみると、アスレチックや展望台を備えた中々に立派な公園である──明らかに園内の敷地面積を超えた建築物が入っていることを除けば、素敵な公園だと言えるだろう。
「静かでいいところなのに、要注意団体を頼ったばっかりに誰にも遊ばれることなく朽ちていくなんて……近隣住民も浮かばれないでしょうね」
「そういえば、この山間公園の建設が決定した時には地元から猛反発があったらしいですね。それでも町おこしの一助になるからと、自治体が押し切ったみたいですが……」
SCP-480-JPは空間異常が発生した山間公園である。突発的なものではなく、如月工務店という要注意団体が意図的に仕掛けた空間異常だ。
この時点で一般人には一生公開できなくなったことを意味しているが、それだけならまだいい。山間公園を観光地にして町おこしを狙っていた自治体は憐れだが、財団にとっては大きな問題じゃない。ちょっと内部が人に見せられない状態になっているだけの、比較的無害な公園で済む。
だが、問題はSCP-480-JPの空間異常が拡大する恐れがあることだった。実は園内に小学校低学年ほどの女児──のように見える人型実体が存在するのだが、かつてそれを園外へ搬出して色々調べようとしたところ、SCP-480-JPの異常性が急速且つ大規模に拡大するといった事案が発生したのだ。
その時は少なくない被害を出しながらも、どうにか480-JP-1を園内に戻すことで事態を収めた。そして、その後は480-JP-1への物理的な接触を固く禁じて現状を維持したのだ。だが、なまじ広大な敷地の公園なだけに何か事故が起きないとも限らない。SCP-480-JPの異常性は上空にも及んでいるために公園全体を覆うこともできず、480-JP-1が自然災害の影響を受ける可能性もある。
「まあ、一番の被害者は……子供らしい願いを抱いただけにも関わらず、人柱にされてしまった娘さんでしょうけど」
「そうね……人柱だなんて胸糞悪い話だわ」
480-JP-1は公園の建設を元々任されていた会社の社長令嬢である。父親についてたまに建設現場に顔を出していたらしく、着々と建てられていくアスレチックなどを見て「出来たら一番に遊びたい」と無邪気に笑っていたそうだ。
如月工務店はその言葉から何をどう解釈したのか、社長の娘を公園建築の柱にした。彼女が、480-JP-1が此処の柱だからこそ、動かせばここら一帯のバランスが崩れてしまうのだ。だから、如月工務店が去ったその日からずっと、彼女は生きているか死んでいるかもわからない状態のまま園内を彷徨い続けている。
「……ねえ、聞こえた?」
「はい。子供の足跡……480-JP-1は現在、この先の展望台周辺にいるみたいですね」
今回、円居が請け負った任務は480-JP-1の再調査だ。例えば480-JP-1の状態が精神影響だった場合、円居の効果圏内に入れば無事に対話できる可能性がある。
勿論、たとえ正気に戻せたとしても相手は6歳の子供だ。必ずしも有益な情報が出てくるとは限らない。だが、内側に組み込まれている者にしか分からない情報があるかもしれない。ならば試す価値はあるだろう。幸い、普通に出歩くだけならSCP-480-JP内はそこまで危険な場所でもない。
「見えてきた……こうして見ているだけならごく普通の女の子ね」
この日、480-JP-1は展望台のすぐ傍を徘徊していた。動きやすいながらも可愛いデザインの服に身を包んだ姿は、その辺の小学校で見かける子供と何も変わらない。
とはいえ、好奇心旺盛でじっとしていられないはずの子供が、特に何をするわけでもなく一定の距離をうろついている様はある意味で奇妙だ。その姿を見ていると、何故だかRPGの村などにいる歩き回るタイプのNPCを思い出した。NPCに好き勝手移動されては困るので仕方ないとはいえ、こうして現実で目の当たりにすると不気味な光景だ。
そう思うと益々近寄りがたいものを覚えたが、再調査のため話しかけるにはもっと近づく必要がある。そうして二人がゆっくりと近づいたその時──
「……お兄さん、誰?」
それは一瞬の出来事だった。480-JP-1──いや、少女の目に理性の光が戻った瞬間、背後にあった展望台が突如として消失したのだ。倒壊したとかではなく、本当に文字通り消えてしまった。直後、外で待機している研究チームからの通信回線が開かれる。
『480-JP内に存在する建築物の多くが消失しましたが、そちらで一体何が!?』
「えっ……と、480-JP-1に接近したところ、普通に発話しました」
『……分かりました。危険がないようでしたら、ひとまずそちらは当初の予定通り480-JP-1に対するインタビューをお願いします。消失した建築物については、こちらでも調査を進めます』
「わかりました──お嬢さん、ちょっといいかな?」
「……うん」
少女はまじまじと不思議そうにこちらを見ていたが、然程警戒せず近寄ってきた。元々人懐っこく、物怖じしない子なのだろう。臆病な子であれば、建設現場に忍び込んで大騒ぎになることもなかったに違いない。
「お名前を教えてもらってもいいかな?」
「█████!」
「█████ちゃんか、いい名前だね。ここで何してたのかな?」
「遊んでたの。ここね、わたしのパパが作ってるんだって! 出来たら最初に遊ばせてくれるって約束したの!」
「そうなんだ。でも、そろそろ帰らないとパパが心配するんじゃないかな?」
「……あれ? そういえば、もう明るくなってる……」
少女の反応からして、どうやら480-JP-1だった頃の記憶はないらしい。そもそもあの状態の時に当人の意識があったのかどうかも怪しい。それぐらいおかしな様子だったのだ。
どういうことかは分からないが、普通の人間に戻ったのなら連れ帰ってやりたい。だが、残念ながらそれを決めるのは円居ではないのだ。円居は開いたままになっていた通信回線からの返答を待った。
『……ふむ。480-JP-1の状態をこちらでも確認したいため、ゲートまで連れてきてください』
「わかりました──█████ちゃん、とりあえず公園から出ないと。一緒に行こう?」
「……うん。ねえねえ、お兄さん」
「なに?」
「パパ、怒ってるかな……?」
「……怒られるかもしれないけど、同時にとても安心すると思うよ。きっと君を心配していたはずだから」
「おや、エージェント・円居。これから帰るところですか?」
「あ、小南博士。ええ、もうそろそろ経とうかと」
「そうですか。私もちょうど外出の予定があるので、よければエントランスまで一緒に行きましょう……エージェント・マクスウェルはどちらに?」
「お互い別の用事があったので、エントランスで落ち合う約束になっています」
「そうでしたか」
サイト-81██の廊下をトランク片手に歩いていたところ、先日の実験で立ち会った小南博士が現れた。SCP-480-JPの実験立ち合い時にはどことなく緊張が漂っていたが、今は随分と落ち着いた様子に見える。
「時に、あの後480-JPの報告書は読みましたか?」
「え? いえ、読んでいません。出張中は色々と慌ただしいので、中々落ち着いて読めなくて……あの後、結局480-JP内の異常空間はどうなったんですか?」
「480-JPは異常性を完全に喪失したと判断され、Neutralizedに再分類されました。おそらく、あれらの異常空間を支えていた“柱”が機能を失ったことで、形を保てなくなったのだと考えられていますが……正直なところ、はっきりしたことは分かっていません。鬼などが扱う古い呪法は、今の我々にとっては分からない部分が多いもので」
勿論、たとえ480-JP-1を対話可能な状態にできなかったとしても、何らかの形で円居の異常性が抑制効果を発揮するであろうことは予想されていた。エージェントになってからは専ら精神系や空間系のオブジェクトを担当しているが、円居は致死的な異常性も防ぐことができるからだ。
だから、おそらく円居自身が連れて出るのなら、480-JP-1が公園の外にいても前回のような被害は出なかっただろう。だが、円居の異常性はあくまで一時的な抑制であって、完全に封印できるわけではない。たとえ外に連れ出せたとしても、円居が傍を離れたらまた以前のような事件が起きてしまうかもしれない。そんなリスクを冒すべきではないため、円居の任務内容もあくまで敷地内において480-JP-1にインタビューを試みるというものだったのだ。
「……確かに、物理的な家屋なら自然な話です。一時とはいえ支えを失った建屋は倒壊し、元には戻らない……まさか鬼の外法にもそれが適用されるとは」
SCP-480-JPは人柱によって支えられていたが、あの子を柱たらしめていたのはSCP-480-JPだった。あれらは揃っていて初めて成立するものだったのだろう。しかし、480-JP-1が一時的とはいえ影響下から脱してしまったことで、結果的にSCP-480-JPも異常性を保てなくなってしまった。
「それで……あの子はこれからどうなるんですか?」
「今しばらくは経過を観察しますが、それでも何の異常も確認されなければ記憶処理の後に親元へ帰されるでしょう」
「それは何よりです」
「ええ、本当に。鬼に目をつけられた時点で不幸とはいえ、その中では比較的幸運に恵まれた子です。如月工務店は以前同じように人間の女の子を人柱にしたことがあるのですが、その時はおそらく人柱にされた時点で殺されていますから*1……そうなれば今回と同じように解放されたとしても、生きて親の元へ帰ることはできなかったでしょう」
「……知れば知るほど、とんでもない要注意団体ですね」
「鬼ですからね」
タイトル: SCP-480-JP - 未完成の山間公園
作者: rkondo_001
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/scp-480-jp
ライセンス: CC BY-SA 3.0
タイトル: SCP-1157-JP - 今月の目標
作者: shirasutaro-
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/scp-1157-jp
ライセンス: CC BY-SA 3.0