※djkaktus氏は上記意見について「これは種明かしのように思われるかもしれないが、あくまで自分の一意見に過ぎない」と述べていたことをご留意ください。
※SCP-2740はJP翻訳版においても人名がアルファベット表記のままですが、この話では可読性のために近い読み方のカタカナ表記に直していることをご了承ください。
梯子の踏み桟に足を置いた途端、金属を呑み込んだかのように胸の辺りが重たく感じられた。強烈な不快感に負け、今すぐにでも廊下の床に戻りたい衝動に駆られる──しかし、今日ばかりは負けてなるものかと、本能に抗ってもう片方の足を上げた。
ぐらぐらと揺れる頭を叱咤し、支柱を強く掴む。長年手入れされていない梯子は埃だらけで、掴んだ掌にはざらざらとした感触が残った。酷く汚れていることが分かる一方で、梯子そのものはそれほど傷んでいないことも分かる。いっそ梯子が壊れてしまえば二度と屋根裏部屋のことを考えずに済むかもしれないのに、願いに反して梯子は軋む音一つ立てなかった。
だから、もう一度足を持ち上げる。体が重い。掌がざらざらする。空気も重い。視界が暗い──寒い。
「……?」
寒くない。詰めていた息を吐いた瞬間、自分が明るいダイニングにいることに気付いた。両足はしっかりとカーペットを踏みしめており、目の前のテーブルには湯気を立てるマグカップが置かれている。
そこでようやく、自分は屋根裏部屋になど行っていないことに気付いた。自分はただ、コーヒーを入れるために席を立っただけなのだ。
「何があるか確かめられない屋根裏部屋ですか……」
「おまけに、どういうわけか住人の退去もできないときた。上は一刻も早く、屋根裏がどうなっているか確かめたいらしい」
SCP-2740は、リー氏が住む民家の屋根裏部屋である。それが具体的にどういうものなのかは誰にもわからない。強力な認識災害を帯びているらしく、誰も暗闇の奥に何があるか確かめられずにいる。
しかも、性質が悪いのは住民を退去させられないということだ。財団的には中身が分からずとも、最低限管理下にあれば文句はない。調べるのはゆっくりでもいい。
だが、民間人ごと収容しなければならないとなると話は違ってくる。民間人の行動を制限するには限界があるため、できれば関わらせない方がいいに決まっているからだ。
勿論、時にはオブジェクトの収容上どうしても特定の人物が必要となり、民間人をEクラス職員として雇う場合もある。だが、それはどうしてその人が必要なのか、財団が概ね理解した上で雇うから問題ないのだ。
現状、財団はSCP-2740について知らないことが多すぎる。何故SCP-2740がリー氏の退去を阻むのかもわかっていないのだ。そんな状況では迂闊にEクラス職員として雇うこともできず、SCP-2740の研究チームも遠巻きに監視するだけに留まっていた。
「いっそのこと屋根から穴を開けて中を確認しようなんて話も出たが、家そのものに手を加えるような工事はそもそも作業員が近づけない。リー氏が私用で外出した隙を狙い、拘束して退去を試みるのも上手くいかなかった……2740に何かしら変更を加えようとした場合、距離に関係なく影響を及ぼすのも上層部が警戒している一因だろうな」
「異常性が発現する法則性も全くの謎、おまけに射程も特に制限なしとなれば……何かの拍子に事故が起きてもおかしくありませんからね」
本日の同行者であるエージェント・シトラーテは一つ頷き、件の民家手前で車を停めた。リー宅には今でも一家が暮らしているはずだが、その割には生活感の乏しい佇まいだ。周辺の監視員によれば今日も在宅のはずだが、玄関口に立っても屋内から人の気配はほとんどしなかった。まるで息を潜めているかのようだ。
「……真昼間なのに随分と静かですね」
「ここはいつ来てもこんな感じらしい。それがまた不気味らしいが……」
シトラーテは肩を竦め、さっさと呼び鈴を鳴らした。それから然程間を置かず、玄関が開かれて痩身の女性が顔を出す。中年の女性、一家の奥方であるイヴェットだろう。
「あら、あなた達は──」
「どうも。事前に別の職員から連絡が入っているかと思いますが、本日も調査のために上がらせていただきます」
「ええ、どうぞ……」
了承を取っているというよりはただの確認だが、イヴェットはそれほど気にした様子もなく二人を招き入れた。何度か財団が調査に来ているから慣れているというのもあるだろうが、それ以上にあれこれと口出しする気力がないように見える。痩せた体と蒼褪めた顔色のせいで、酷く憔悴した様子に映った。
「今回は何か、お手伝いすることは……」
「いえ、今回は我々だけで調べますのでお構いなく」
「そうですか。では、私共はダイニングにいますので……」
小さく会釈した後、イヴェットは宣言通りダイニングへ引っ込んだのだが──ドアが開いた一瞬、かなり強いアルコールの匂いが鼻先を掠めた。イヴェット自身から酒気は感じられなかったため、おそらく旦那のフランクリンが飲んでいるのだろう。
「昼間から飲酒……」
「旦那の方はかなりの酒飲みらしいな。飲まなきゃやってられん、ということかもしれんが」
「……なるほど」
リー家の面々も、これだけ妙なことが続けばさすがに異常事態だと気付いている。しかし、気付いたところでどうにもできない。
引っ越しも取り壊しもできず、得体の知れない屋根裏のある家に押し込められる生活。おまけに、これまた得体の知れない連中が頻繁に現れ、ああでもないこうでもないと調べ回っているのだ。苛立つなという方が無理があるだろう。
薄らと同情を抱きながら二階に上がったところ、廊下の突き当り近くに目的の梯子はあった。屋根裏部屋に続く落とし戸は開かれたままになっており、黒々とした穴はどこか不気味な雰囲気を漂わせている。
「それじゃあ……上の様子を確認してくれ。何かあればすぐに引き返せよ」
「わかりました」
普段なら情報が不確かな状況でいきなりエージェントが飛び込むことはないのだが、民間人がいる手前Dクラスを連れ回すのは些か問題がある。それに、屋根裏部屋の広さ次第では円居の効果圏内から出てしまう可能性もあるのだ。そのため、今回は円居が直接屋根裏に上がることになっていた。
認識災害のことを抜きにしても、明かりのない暗がりは近寄りがたいものを感じさせる。その先をちらりと一瞥した後、円居は慎重に踏み桟を一段ずつ登り始めた。
よく見れば踏み桟に厚く積もった埃に、わずかな濃淡があることに気付く。報告書によればイヴェットが一度だけ屋根裏部屋へ向かったことがあったらしく、その時の足跡が残っているのだろう。
「気分はどうだ?」
「変わりないです」
ただの梯子、ただの暗がりだ。その感覚はいよいよ屋根裏部屋を覗き込める高さになっても変わることはなく、円居は屋根裏の床に手をかけて懐中電灯を取り出した。
家主のフランクリン曰く、この家に引っ越して以来一度も屋根裏を使ったことはないらしい。人が住んだこともなければ、物置としてすら使われたことすらない。そのため、白い灯りで照らされた狭い空間には、本来ならば何もないはずなのだが──
「……何か落ちてますね」
「何だ? まさか死体じゃないだろうな」
「いえ、白い何かが……」
使われていないはずの屋根裏に人の死体が隠してあった。三流のサスペンスドラマでありそうな展開だが、大きさや色的にそういったものではないだろう。
埃まみれの床に転がっていたのは白っぽい塊だった。大きな塊が一つ転がっているのではなく、大小様々な何か──破片のようなものが一点に寄せ集められている。目を凝らしてもそれが何かはよくわからず、円居は完全に屋根裏へ上がり切って白い何かに近づいてみた。そして、手が届く距離になってようやくその正体に気付いた。
「……骨だ」
一際大きな塊。後ろを向いた状態だったせいで丸っこい何かにしか見えなかったが、上から覗き込み、その特徴的な形状──眼窩を見れば瞬時に理解した。これは人の頭蓋骨だ。
大きさ的に大人ではないだろう。まだほんの小さな頭だ。おそらく生まれたばかりの赤ん坊の頭。そして、その周りに寄せ集めた破片が何なのかも自ずと悟った。
多分、ここに赤ん坊一人分の骨がある。その事実を呑み込んだ瞬間、円居はひとまずスマホでそれの写真を撮った。触りはしない。状況的にこれがSCP-2740の発生源かもしれない以上、迂闊に触るべきではないだろう。
「おい、大丈夫か?」
「大丈夫です。骨があったので、写真だけ撮って一旦戻ります」
「……骨?」
コトン、と骨が落ちる。遅めの昼食はフライドチキンだった。トレイの上には身を剥がれたチキンの骨が転がっている。
「何だかなぁ……」
「不完全燃焼か?」
「そりゃあ……」
「まあ、気持ちは分かるけどな。こういうのはたまにあるし、お前もいつか慣れる」
向かいの席で同じものを食べていたシトラーテが肩を竦めると、円居は不承不承頷いた。納得はしていないが、慣れなければいけないという理屈も分かる。
そもそものところ、アノマリー絡みの事件は本来綺麗に片が付くことの方が珍しい。財団による研究も主に安全に収容するにはどうしたらいいか、というところまでしか調べないため、原理や構造まで詳らかにされることは少ないのだ。何より、知的好奇心を優先させた結果、かえって収容が不安定になったら目も当てられない。だから、下手に突くべきでないというのは理解できる。
だが、それにしたって今回の件は後味の悪い幕引きだった。それはおそらく、超常現象の裏に人間の悪意が隠れていたからだろう。いや、あれは悪意と呼べるのかすら分からない。
「……あの骨、誰のだったんでしょうね」
「さあな。状況的に考えれば、リー家で生まれてすぐ死んだ赤ん坊の骨なんだろうが……骨の状態からして火葬されたようだし、特定は難しいだろうな。家から持ち出せばもう少しわかることがあるかもしれないが、そこまでして知りたい状況でもないしな」
「そうですよねぇ……アメリカでも火葬を選ぶ人っているんですね」
「結構多いぞ。昔は一割にも満たなかったが、最近じゃ六割ぐらいは火葬を選ぶ」
「へー……」
そこは昔ながらの土葬にこだわれと八つ当たりのようなものを抱きながら、次のチキンに齧りつく。胸中は晴れないままだが、やはり肉は美味い。
「そういや、リー家には今家にいる子供達以外にもう一人娘がいるらしい。オリヴィアという名前で……今はレベッカと名乗っているようだが、彼女曰く『自分には弟がいたかもしれない』そうだ」
「は? え、でも、家にいない子供は一人だけなんですよね?」
「ああ……今も生きている子はな」
途端に、口の中の肉の味が分からなくなった。
「両親は家を出たまま帰らないオリヴィアについては口にしたが、彼女に弟がいたなんてことは一度も言っていない。状況だけ見れば、親が死んだ男児について隠していると考えるのが妥当だ。だが、親が嘘を吐いている様子もない。心理学部門の博士にインタビューを頼んだが、嘘を吐いている可能性は低いそうだ」
「どういうことですか? 親は本当に記憶がない……?」
「そう考えるのが自然ではある。実際、ストレスで特定の記憶が飛ぶこともあるからな……今回のようなきな臭いケースだと、何ともよく出来た話だとは思うが」
全く以てその通りだ。勿論、赤ん坊の死因はただの事故や病気の可能性もあるが、それなら何故如何にも後ろめたそうに遺骨を屋根裏に隠したのかという話になる。そこが一番知りたくて仕方ないところなのだが、肝心の当事者たちは揃いも揃って記憶喪失ときた。
「レベッカさんは弟のことをどういう風に認識していたんですか? いたかもしれない、というと随分曖昧な口振りですが……」
「その辺もさっぱりだ。そもそも彼女は実家の問題についてインタビューされるのを酷く嫌っているようだった。苛立ちながら話している内、勢いのまま思わず零れた一言って感じだったが……」
「……レベッカさんも、屋根裏には入れなかったんですよね?」
「ああ。ただ……まだ実家にいた頃、彼女は両親よりも鮮明に『屋根裏には何かがいる』と感じている様子だった」
異常現象に対し、大人より子供の方が敏いことは儘ある。だが、それならば今家にいる子供達も何か感じていなければおかしい。今のところ、屋根裏に何かいると感じたのはオリヴィアだけだ。
他の家族とオリヴィアの何が違うのか。さらに言えば、子供達は屋根裏の問題についてほとんど関わってこないのは何故なのか。何故SCP-2740の異常性は両親とオリヴィアにのみ強く反応するのか。
例えばの話だ。もしSCP-2740の発生源が本当に名もなき赤子の骨だったのなら、両親に反応するのは恨みなのかもしれないし、オリヴィアに反応するのは羨ましさなのかもしれない。何故忘れようとするのか、無視しようとするのか。何故自分は死んでしまったのに、近い時期に生まれたオリヴィアだけまだ生きているのか──そこまで考えて、くだらないと首を振った。これらの推測には大した根拠もないのだ。
「何か釈然としない話でしたね……」
「まあな。けど、うちとしては屋根裏に異空間やら未確認生命体がいたわけじゃないと確かめられただけで十分だ。骨なら転移能力でも備わらない限り、勝手には動かないだろうしな。何か変化があればまたお前に声が掛かるかもしれないが、それまでは現状維持に落ち着くだろう……だから、お前もさっさと忘れちまえ。早いとこ食って次の現場行くぞ」
「そうですよねぇ……」
カラン、と最後の骨が落ちた。
タイトル: SCP-2740 - そこにはない
原語版タイトル: SCP-2740 - It Wasn't There
訳者: gnmaee
原語版作者: djkaktus
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/scp-2740
原語版ソース: http://scp-wiki.wikidot.com/scp-2740
ライセンス: CC BY-SA 3.0