「そうでしょうね」- カイン
アルト・クレフは手元のフォークで昼食のラザニアに穴を開けながら、一つ向こうのテーブルに座る円居を眺めていた。円居の隣にはカインが座っており、昼時の光景としては至って平凡なものだが──
「カイン、またピザを食べてますけど好きなんですか?」
「以前、458の実験のために食べさせていただいたことがあって……それ以来、妙に食べたくなることがあるんです」
「……どうやって食べたんですか?」
「急いで口に放り込んでもらいました」
「放り込……いえ、食べれてよかったですね」
円居の前にはグラタン、カインの前にはピザ。ごく普通の食事風景だが、そもそも財団職員からしてみればカインが肉料理以外を口にできている時点で異様だ。
実際、時折ぎょっとした顔でカインの食事風景を二度見する職員がいる。真新しい白衣からして、まだ入ったばかりの新人が驚いているのだろう。新人はどんなオブジェクトがどこにあるのかも碌に把握していないだろうが、食堂を利用する両腕金属製義手の男となればさすがにSCP-073だと分かるはずだ。SCP-073の周囲では植物性由来の物質は悉く腐敗するため、彼は本来穀類や野菜を使った料理を口にできない。
だが、円居の傍ではカインの異常性が抑制され、植物も土も死に絶えることはない。カインも最初は驚き戸惑っていたが、次第に慣れ、円居がサイト-17に戻ってくる日には一緒に食事を摂る姿をよく見かけるようになった。サイト-17に勤めて長い職員が驚いていないのはそのためだ。
「逸樹は458を使ったことはありますか?」
「ブライト博士に促されて一度だけ……シーフード味のハーフピザが出ました。カニが載っていて美味しかったです」
「そういえば、日本人の方は海産物が好きだと聞きますね」
古代から生きているサイボーグもどきの心情など分からないが、円居の隣にいる時のカインはいつもより心持ち穏やかに見えた。いつだって表情や話しぶり自体は穏やかな男だが、誰に対しても冷たいはずの声音にほんの少しばかり温かみがあるようにすら感じられる──あるいは、これはクレフの複雑な心境を反映した邪推なのだろうか。今ひとつ判断がつかず、クレフは小さく呻いて再びフォークを料理に突き刺した。
折角のラザニアはもう穴だらけで、クレフがそれだけ長い間何事かについて思い悩んでいることが窺える。そして、クレフがここまで懊悩する物事というと、それは大抵自分か家族のことぐらいのものだった。
今、クレフを悩ませているのは娘のことだ。勿論、父親として、娘の儘ならぬ境遇を悩まない日などない。だが、先日の三連続収容違反事件が起きて以来、これまでとはまた違った迷いが混ざっていた。
先日、娘は意図せずして初の自由な外出へ繰り出したわけだが、その時の出来事について大層楽し気に語ったそうなのだ。クレフは余程のことがない限り娘と直接話すことはできないが、隔週で娘の元へ訪れる司祭とのインタビューを閲覧することはできる。そこで娘はこんな風に語っていた。
娘が円居に興味を持っている。しかも、おそらく、憎からず思っている。改めて意識した時の衝撃は大きく、遂に皿の中のラザニアが破片を飛び散らせた。
冷静に考えれば、娘が第三者に興味を持つのはいいことだ。それに、修道院にいるような老人と違って同年代だ。娘と円居の立場を踏まえると気兼ねなく友人になるのは難しいだろうが、たまにでも交流を持てれば気晴らしになったり、新たな価値観を得ることができるかもしれない。
クレフとしても、円居なら娘と安全に交流できるのではないか、と考えたことがなかったと言えば嘘になる。娘は化学物質に過敏な体質のせいで、一般的な都市部で生活している人間とは直接触れ合えない。化学物質に少し触れただけで酷い喘息発作を起こしてしまうため、加減を誤れば容易く死に至るだろう。だが、死に至るような異常性由来の発作だからこそ、円居が傍にいれば普通の人間のように振る舞えるはずだ──今目の前にいるカインのように。
「あ、逸樹。ここ、ついていますよ」
「え? あ、どうも……言ってくれたら自分で取りますから!」
「ふふ……幼子のようでつい」
ぎち、と手元で握り締めたフォークが軋む音を立てた。
それほど不思議なことでもないが、人は助けられると自然に好意を持ちやすくなる。あのカインですら多少なりとも態度が変化するのだから、助けられたという事実が如何に心境へ変化を与えるかが分かるだろう。
しかも、この人助けが生きるための必須事項というわけではなく、あれば生活の質が上がるという程度のものなのが一際厄介だ。人の心理というのは複雑なもので、助けられれば好ましく思う一方で、助けられなければ生きていけないという状況は嫌がる。尤も、誰だって第三者に生殺与奪を握られていては落ち着かないのだから、これもこれで当然なのかもしれない。
要は娘が円居に好意を持たないかが心配なのだ。円居は真面目な奴だし、友情までなら許せる。だが、それ以上のことが発覚すれば──想像しただけで背筋が震え、今まで考えてもみなかった問題に頭痛がした。
よくよく考えてみれば、年頃になった娘に色恋云々の問題が浮上するのはあり得ることだ。今までにも娘を持つ男性職員が、この世の終わりのような顔で頭を抱えているのを見たことがある。その時は大袈裟すぎるだろうと呆れたものだが、いざ味わってみると大袈裟でも何でもない。仮にこの想像が現実になった時、自分が衝動的にどんなことをするか分からなかった。円居とも知らぬ仲ではないため、最悪半殺しで済ませるだろうが──
「っ!? なんか今悪寒が……?」
「大丈夫ですか? 温かいものでも飲みますか?」
「い、いや……大丈夫です。気のせいだと思います」
司祭と娘の会話記録を確認した直後、ソフィアに「娘が円居に好意を持ったらどうすればいい?」と尋ねたら、話を飛躍させすぎだと呆れられた。確かにそうだ。クレフの娘であり、女神の子でもあるということで、財団は娘の扱いについて態度を一転二転させている。当初は最低限の交流を持つことすら許されなかったのだ。エージェントとして登録され、昔に比べてさらに忙しくしている円居との面談許可が下りるかは怪しい。
一方で、上層部はクレフに対して昔ほど強気な態度に出られない。オメガ-7の後始末から始まり、お偉方ご執心のアノマリー部隊の再建、そして現状に至るまでアルファ-9のお目付け役の仕事までこなしてやっているのだ。おまけに上層部が悪足掻きの一環として1909-Aを持ち出し、さらに事態を悪化させた負い目もあるため、交渉の勝算は十分にある。
わざわざ他の任務を押しのけてまで円居をサイト-19に引き摺ってくるのは難しいだろうが、サイト-19に来たついでに三十分程度の時間を貰う程度なら申請を通せる見込みはあるだろう。円居と関わりの深いブライトやクレフもサイト-19にいることが多いため、たとえついでであっても機会は十分にあるはずだ。
考えたことはあった。実現する算段を立てたこともある。以前ならあくまで実験のためにしか行動できなかった円居も、エージェントになったことで多少融通が利くようになった。どうとでも言い訳は作れるだろう。しかし、もし交流が実現できたとして、それで“とんでもないこと”でも起きたら──
「やっぱり寒いかも……?」
「食堂は広いですから、暖房が行き渡っていないのかもしれません。よければこの後一緒に休憩室に行きませんか?」
「そう、ですね……そうしようかな」
悶々と考え込んでいる間に、円居とカインは食事を終えたらしい。席を立ち、トレーを手に立ち去る間際、ふとカインだけがこちらへ振り向いた。
非人間的な青色の目と視線が交わる。そして、わらう。去り際のカインが微笑んだのはただの愛想笑いなのか、あるいは──答えが出る前に視線は逸れ、二人は人混みに紛れていった。
ややあって手元に視線を落とせば、ぐちゃぐちゃになったラザニアが目に入る。最早原型が分からなくなった料理を口に運べば、冷めた油の味だけがべったりと舌に残った。
※補足:タイトルの「心の楽しみは良い薬である、魂の憂いは骨を枯らす」は箴言17章22節から。箴言はキリスト教知恵文学の一種。
タイトル: SCP-073 - "カイン"
原語版タイトル: SCP-073 - "Cain"
訳者: 訳者不明
原語版作者: Kain Pathos Crow
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/scp-073
原語版ソース: http://scp-wiki.wikidot.com/scp-073
ライセンス: CC BY-SA 3.0
タイトル: SCP-166 - ただの年頃のガイア
原語版タイトル: SCP-166 - Just a Teenage Gaea
訳者: 訳者不明
原語版作者: Ross Fisher-Davis, Cerastes, DrClef
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/scp-166
原語版ソース: http://scp-wiki.wikidot.com/scp-166
ライセンス: CC BY-SA 3.0
タイトル: SCP-458 - はてしないピザボックス
原語版タイトル: SCP-458 - The Never-Ending Pizza Box
訳者: 訳者不明
原語版作者: Palhinuk
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/scp-458
原語版ソース: http://scp-wiki.wikidot.com/scp-458
ライセンス: CC BY-SA 3.0
タイトル: クレフ博士の人事ファイル
原語版タイトル: Dr Clef's Personnel File
訳者: Dr Devan
原語版作者: DrClef
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/drclef-member-page
原語版ソース: http://scp-wiki.wikidot.com/drclef-member-page
ライセンス: CC BY-SA 3.0