しあわせをのぞむならば   作:華歳ムツキ

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「しまった、結局デスクチェアを買い替えるのを忘れてる!」- ブライト博士



彼にとっては何でもない一幕

「お兄ちゃん!」

 

 

子供特有の高い声でそう呼ばれた時、普通はどんな反応をするものだろうか。実際に兄の立場にある人物ならすんなり受け答えするのかもしれないが、そうではない人間からすると心底驚く状況だ。一人っ子なら尚更である。

円居は驚きで固まり、混乱で一歩後退りながら服の裾を掴む少年を見下ろした。アジア系の少年だ。ここが街中の道端などであれば、人種が同じだったために人違いをしたと受け取れるかもしれない。だが、生憎と今いるのはサイト-19の廊下である。サイト-17と違い、ここで自由行動が認められている人型オブジェクトは、エージェント登録を受けている者以外いないはずなのだが──と、そこまで考えたところでようやく子供の胸元に目がいった。見覚えのある首飾りだ。

 

 

「……ブライト博士?」

「おやおや、随分気付くのが遅かったね。そんなに動揺したのかい?」

「そりゃあ、動揺するでしょう……なんで子供の姿に?」

 

 

状況の真相に気付いた途端、円居はどっと疲れが襲ってきたように感じられた。ブライトはあどけない顔でにんまりと笑っているが、見た目と表情がちぐはぐすぎて眺めていると頭が痛くなってきそうだ。

 

 

「いやね、この前インシデントが起きた時にお気に入りの椅子が壊れてしまったから、近くに出来たイケアに行ったんだ」

「ふむ」

「で、そこで子供になったってわけ」

「どんな魔境のイケアに行ったんですか?」

 

 

イケア。北欧出身の家具量販店だが、そんな魔境だとは初耳である。イケアへの風評被害も甚だしい。

 

 

「詳しい調査は今行っているはずだが、そのイケアの店舗が何らかの異空間に繋がっていたんだ」

「えっ……よく帰ってこれましたね」

「いや、帰ってこれなかったんだが」

「ええ……あ、首飾りを店に持っていってなかったんですか?」

「ああ。実は自分で運転する時は安全のために首飾りを外すんだが……シートベルトに絡まったら堪ったもんじゃないからね。で、その外した首飾りを付け直そうとした時に座席の隙間に落としてしまったんだよ。閉店時間まで余裕がなかったし、少しの間ならなくてもいいかと車に置いていったんだ」

「……なるほど」

 

 

閉店時間など諸々の事情を踏まえれば、気持ちは分からなくもない。何せ、座席の隙間に物を落とすと非常に面倒なのだ。日常的に運転する人間なら、座席の下に駐車券を落として苛立ったことぐらいあるのではないだろうか。駐車券がなければ駐車場から出られないというのに、狭い隙間に落ちた駐車券に手が届かない──何ともストレスの溜まる瞬間だ。

一方で、アメリカでは車両盗難がそれほど珍しくないことを考えると、触れれば確実に死ぬ首飾りを無防備に放置していくのは非常に危険な行為だと言える。盗む方が悪いとはいえ、まさかそんな即死トラップがあると予想できる盗人は早々いないだろう。

 

 

「まあ、奇しくも落としたお陰で首飾りごと異空間に取り残される事態は防げたわけだが……」

「豪運というか、奇妙な巡り合わせというか……」

「奇妙なのはここからさ。私が連絡なしに行方を晦ませた場合、基本的にディオゲネスが連行……いや、迎えに来てくれる手筈になっているんだが」

 

 

連行されるらしい。

 

 

「ディオゲネスが車両を追跡した結果、私が乗っていた車はイケアから数キロ離れた郊外の廃屋で見つかった。そこは窃盗グループの住処で、盗んだ車が何台か隠してあったそうだ」

「災難でしたね……あれ? まだ子供の体になっている辺りに話が繋がらないような……」

「ああ、そのグループの中に子供がいたんだ。父親が窃盗グループの一員で、こいつは親の目を盗んで届いたばかりの戦利品に忍び込み……隙間に落ちていた首飾りを手に取ってしまったというわけだ。親が窃盗犯でさえなければ、子供の手に渡ることもなかったのではないかと思うと複雑ではあるが……」

「そ、それはまた……」

 

 

子供なら座席の下に手を突っ込むのも簡単だっただろう。大きな赤い宝石がついた首飾りは、子供の目にも大層輝いて見えたかもしれない。その結果、自分の人生を失っているのだから反応に困る話だ。

 

 

「まあ、こういうことはたまにあるから切り替えていくとして」

「あっ、はい」

 

 

ブライト博士ってこういうところが若干ドライなんだよな、とは円居の胸中である。尤も、老若男女どんな相手だろうと、新しく手に入れた器の事情を一々慮っていては身が持たないだろう。死ねない以上は何事にも順応する必要があるのだから、正気を保つためには仕方のないことなのかもしれない。

 

 

「ディオゲネスが通報して窃盗グループは全員お縄。私は一度は施設に引き取られたが、財団が手続きをしてこうして戻ってきたというわけだ」

「大変だったんですね」

「本当にな。さすがの私も子供の体に入っている時は、ある程度演技する必要があるからな……無邪気な振りをするのは疲れる」

「子供の演技できるんだ……」

「なに、コツを抑えれば案外簡単だぞ。人間っていうのは思い込みの強い生き物だからな。大多数が無邪気と思う仕草や抑揚といったポイントを掴んでおけば、それ以外では多少不自然でも誤魔化せる……こうやって抱き着いたりな!」

 

 

裾を掴んだままだった手を離したかと思えば、勢いよく飛びついてきたブライトを慌てて抱き留めた。普段なら回避の必要性を考えるところだが、今回は避けようという気がほとんど湧かなかった辺りに、ブライトの言う“思い込みの強さ”を自然と実感する。

円居は目の前の少年が本物の子供ではなくブライトだと分かっているのに、それでも見た目が子供だというだけでいつもより優しく接するべきではないかと感じてしまうのだ。人間が視覚情報から受ける影響の大きさは凄まじいものである。

 

 

「しばらくはこの体でいるかもしれないし、方々で君を兄と呼んで周囲を混乱させる遊びでもするか」

「最悪すぎる」

 

 

冷静に考えれば円居に弟がいないことも、いたとしても財団内にいるはずがないことも瞬時に理解できるはずだが、聞いた直後はぎょっとするだろう。円居も出会い頭に兄と呼ばれて仰天したため、今後悪質な遊びの被害に遭うであろう職員達に同情せずにはいられなかった。

 

 

「いいじゃないか。君は一人っ子だったよな? 弟というものに憧れたことぐらいあるんじゃないか?」

「あったとしても中身オッサンなのはちょっと……」

「本当にそう思うか? ね、お兄ちゃん?」

「脳が混乱するのでやめてもらっても──」

 

 

不意にバサッと乾いた音が響いた。思わず口を噤んで振り向けば、廊下の角からこちらを見つめる男性が目に入る。その足元にはファイルが落ちているため、先程の音は彼がそれを取り落とした音だろうと分かった。

しかし、見たことのない男性だ。全職員を覚えているわけではないが、一目見れば忘れられないような姿なので間違いなく初対面だと断言できる。さすがに白スーツに白髪という、あまりにも白すぎる人物は見たら忘れられないだろう。

これだけ目立つ格好で平然と施設内を歩いているということは、職員なのは間違いないのだろうが──今ひとつどういった役職の人物なのか、見た目からは想像がつかない。事務員や研究員といった感じではないし、上背のある体格からしてエージェントだとするのが一番しっくりくるだろうか。しかし、白スーツでエージェントの業務に当たるのは服が何枚あっても間に合わなさそうだ。

 

 

「なんだ、誰かと思ったらシックスか」

「シックス……?」

「ああ、O5だよ。O5-6」

「えっ!?」

 

 

O5評議会。財団の最高意思決定者の集まりであり、基本的に人前には姿を現さない人々。そう簡単に会える相手でもないのだから、円居が顔を知らなくても当然だが──

 

 

「あの、それって聞いてもよかったんですか……?」

「うん? ああ、O5の秘匿性? まあ、一般的にはそう言われているが、実際のところ一口にO5と言っても役職ごとに方針は違うからね。わざわざ喧伝して回らないから皆知らないだけで、シックスやセブンなんかはたまに施設内を徘徊してるぞ」

「そうなんだ……」

「一方でワンやツーなんかはほとんど徘徊しないから、評議会の眼前に引きずり出されたことがある研究員以外は顔を知らないだろうな」

「何その怖い経験……」

 

 

人生で一度たりとも味わいたくない状況だ。しかし、口振りからしてブライトは経験済みのような雰囲気を漂わせているのが恐ろしい。

 

 

「それより逸樹、さっさとここを離れるぞ」

「あの人は放っておいていいんですか?」

「よく分からんがO5の様子がおかしい時は近づかない方がいい。疲れるだけだからな」

「そ、そうなんですか……」

 

 

散々な言われようだが、O5-6は先程からずっと黙りこくったまま反応がない。距離的にブライトの言葉は聞こえていると思うのだが、何故こうも静まり返っているのだろうか。反論の一つぐらい飛んできてもおかしくない言い草だったのに、背後からは痛いほどの沈黙が漂っている。それが円居にとっても不気味に思え、少年姿のブライトに促されるままその場を離れることにした。

 

 


 

 

O5-8はO5-6のオフィスに踏み込んだ直後、瞬時に嫌な予感を覚えた。誰だってあの“カウボーイ”があからさまに落ち込んでいるのを見れば、何かしら碌でもないことの前触れだと察するだろう。

咄嗟に踵を返して退室したい衝動に駆られたが、部下相手ならばともかく同僚相手ではそうもいかない。O5は財団に所属する大半の人員に対して気を遣う必要のない存在だが、その限られた例外が互いに同僚である評議会のメンバーなのだから。

だが、O5-6もさすがに仕事をする気はあるらしい。いつになく淀んだ眼差しを浮かべながらも、渋々踏み止まったO5-8へ「挨拶は省略しよう」と切り出した。

 

 

「今回の訪問は5502による影響の追加調査に関し、再動員の割り当てとのことだが──」

「……シックス」

「何だ?」

「書類を間違えているようだが」

「うん? ああ……」

 

 

今回の交渉に関連した書類がデスク上に置かれた──かと思いきや、そこにあったのはSCP-████の報告書だった。手元にあったために間違えてしまったのかもしれないが、そもそも何故SCP-████の報告書を読んでいたのか。O5-6の様子がおかしいのはともかく、アノマリーに関することとなればO5-8も少しばかり勘繰らずにはいられなかった。

 

 

「何のために████の報告書を?」

「いや、プライベートなことなのだが……」

「……プライベートなこと?」

「実は……私の弟が彼を兄と呼んでいて」

 

 

O5-8は辛うじて無言を貫いたが、先程同僚への気遣いと体面からこの場に残ったことを心底後悔し始めていた。たまには本能に従うべき時があるのかもしれない。

 

 

「勿論、弟がふざけていたのは分かっている。諸事情により弟は今子供の姿になっていてな。それで、その姿でなければならない悪戯をしようとしているようなのだが……」

「シックス、その話題は今必要なことでは──」

「アジア人の子供の体になったから、アジア人である████を兄役に選んだというのは理解できる……だが、それでも実際に聞いてしまうと少なからず衝撃を受けてしまったんだ。ここ最近、実の兄である私ですら『兄さん』と呼ばれることは減ってしまったというのに……」

 

 

駄目だ、聞いていない。O5-8は溜息を吐き、手に持っていた書類をO5-6の眼前に突っ込んで強引に話を中断させた。

 

 

「シックス、今は仕事に集中してくれ」

「ああ、すまない……第五教会の残党についてだったか?」

「ああ。5502による影響の追加調査だが、規模が規模なだけに未だ正確なところは──」

 




タイトル: SCP-3008 - 完全に普通の、ありきたりな古いイケア
原語版タイトル: SCP-3008 - A Perfectly Normal, Regular Old IKEA
訳者: C-Dives
原語版作者: Mortos
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/scp-3008
原語版ソース: http://scp-wiki.wikidot.com/scp-3008
ライセンス: CC BY-SA 3.0

タイトル: SCP-963 - 不死の首飾り
原語版タイトル: SCP-963 - Immortality
訳者: 訳者不明
原語版作者: AdminBright
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/scp-963
原語版ソース: http://scp-wiki.wikidot.com/scp-963
ライセンス: CC BY-SA 3.0

タイトル: SCP-5502 - たなびく煙の断端
原語版タイトル: SCP-5502 - Where the Smoke Trail Ends
訳者: C-Dives
原語版作者: aismallard
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/scp-5502
原語版ソース: http://scp-wiki.wikidot.com/scp-5502
ライセンス: CC BY-SA 4.0

タイトル: ブライト博士の人事ファイル
原語版タイトル: Personnel Director Bright's Personnel File
訳者: Dr Devan
原語版作者: AdminBright
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/dr-bright-s-personnel-file
原語版ソース: http://scp-wiki.wikidot.com/dr-bright-s-personnel-file
ライセンス: CC BY-SA 3.0
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