しあわせをのぞむならば   作:華歳ムツキ

45 / 59
「逸樹も幼い頃に一度ぐらいは親から“お前は貰われてきた子なんだよ”とか言われなかったかい?」- ブライト博士
「僕は言われた覚えがないですね……」- 円居


ジェーン・ドゥは家に帰れない

円居は日々いろんなところを飛び回っているが、たまに行ったはいいが予定が消えてしまうこともある。野外での任務であれば台風や地震のせいで延期になることもあるし、屋内での実験であっても担当職員に不備があって実行が困難になることもある。

また、これは滅多にないことだが、円居が到着するまでに任務が完了してしまう場合もある。

 

 

「SCP-910-JPが破壊された*1?」

『そうらしい。もうあとちょっと早く成功していてくれれば、協力要請を受けた君を行かせる前に中止にできたんだけどね』

 

 

今回、円居はSCP-910-JPの破壊作戦に関して協力要請を受けていた。

SCP-910-JPは道路標識であり、任意に変更した標識の柄に応じてありとあらゆる現象を起こせる。それがどれだけえげつない能力かというと、財団のロゴを表示すれば様々なアノマリーの複製を出現させられると言えば察せられるだろう。

こうなると財団としてはいろんな意味で看過できない。単純に危険というのもあるが、何より万が一隠蔽できないような類のアノマリーを複製されたら、これまで世界の正常性を保ってきた財団の努力が水泡に帰してしまう。

財団は何が何でも破壊するなり、地面から引っこ抜いて持ち去るなりしようと努力したが、SCP-910-JPは手強かった。知能があるのか財団が破壊しようとしているのを悟ったらしく、複製したアノマリーで波状攻撃を仕掛けてでも自衛してきたのだ。

 

再三の破壊作戦失敗を受け、日本支部はいよいよ本部に対して「SCP-████を破壊任務に同行させてほしい」と要請した。本部は当初これにあまりいい顔はしなかった。

確かにSCP-910-JPを円居の効果範囲に入れれば、無尽蔵に生み出されるScipの波は止められるだろう。だが、SCP-910-JPが何故だか財団の収容状況を把握していることを考えると、そもそも円居が近づいてきた時点でこれまでとは比べ物にならないほど激しく抵抗する可能性もある。そうなれば貴重なアノマリーを失いかねないため、難色を示していたのだが──最終的には何かあれば即時作戦を中止するという約束の下、円居はSCP-910-JPの破壊作戦に同行するよう指示を受けた。

受けたのだが、その矢先に中止の報せである。渋々許可を出した本部のお偉方が顔を真っ赤にしてそうだ。

 

 

『まあ、本部には君を急いで呼び戻さなきゃいけないほどの仕事は今のところないし、たまにはゆっくりしてくればいい……と、言いたいんだが』

「……はい」

『予定が浮いたならと、日本支部の別の研究員から協力要請があった。普段なら、こういった影響が軽微であろうものは出張させてまで君に対応させることはないんだが……まあ、折角時間が空いたからね』

「どんな要請ですか?」

『ちょっとばかしジェーン・ドゥとお喋りしてきてくれ』

 

 


 

 

今日はまた面談があると聞かされ、彼女はぼんやりと頷いた。正直なところ、もう何も期待できないし、新たな人と会うといっても胸中に広がるのは諦念ばかりだ。

此処に来たばかりの頃は、まだ誰か一人でもいいから自分の名前を覚えていてくれるという事実に救われていた。けど、その人も最後の面談で彼女を██と呼んだのだ。おそらくはもう誰も彼女を正しく理解することはできなくなっているのだろう。

ひょっとすると最初は安全に思えた此処にも、いつか恐ろしい人達が現れるかもしれない。如何にも親し気な顔つきで近づき、恐ろしい力で彼女の腕を掴んで連れ戻そうとするのだ。その様を想像するだけで背筋に冷たいものが走った。

だが、そうして恐怖を感じること自体にも乾いた笑いが出てしまう。全てを諦めたようでいて、その実まだ終わるのは怖いのだ。終わる覚悟はなく、かといって救われる方法も思いつかず、八方塞がりだった。

 

 

「失礼します。こんにちは、2060-JP-1……気分はどうですか?」

「ああ……大丈夫です。えっと、職員さん……ですよね?」

「ええ、円居といいます。どうぞよろしく」

 

 

憂鬱な気分を余所に、面談相手は予定通りやってきたらしい。ゆるゆると顔を上げた先、視界に飛び込んできた相手の姿に彼女は少しばかり困惑した。

今回の相手は想像よりもずっと若い。多分、彼女と同年代のはずだ。つまりは大学生ぐらいなわけで、そんな人物が職員として現れたことに驚かされた。尤も、相手はそういった反応に慣れているのか、あまり気にした様子もなく対面の席に腰掛ける。

 

 

「今回は名前を呼んでもいいと言われていますが……█さんとお呼びしてよろしいでしょうか?」

「は」

 

 

一瞬、呼吸も忘れるほどに驚いた。もう誰にも呼ばれることはないだろうと思っていた名前──彼女の本当の名前だ。

 

 

「ど、して……」

「僕はこういった不思議な現象に巻き込まれにくい体質なんです」

 

 

それ以上は涙が零れ、上手く喋れなかった。呆然としたままぼろぼろと泣く█に、そっとハンカチが差し出される。そのハンカチで必死に目元を押さえるものの、涙は中々止まりそうになかった。

 

 

「大丈夫ですよ。ゆっくりで構いません」

 

 

彼の言葉に甘え、ただただ泣き続ける。涙は枯れることがないのではないかと思うほどに流れたが、存外泣けばすっきりするものらしい。

乾いた涙で目元や頬の皮膚が張り付いた感覚を訴える頃には、ようやく虚を衝かれた思考も元に戻り始めた。寧ろ、泣いて気持ちがリセットされたせいか、最初よりも思考ははっきりしているかもしれない。

 

 

「すみません……もう大丈夫です。それで、今日は何をお話しすればいいでしょうか?」

「以前、水橋さんとお話しした時のことを覚えていますか?」

「……はい」

 

 

忘れもしない。あの日、█は此処の人ですらもう自分の名前を呼べなくなったのだと気付かされた。そして──

 

 

「あの時、█さんは何かに気付かれた様子でしたが、それが何なのか詳しくお聞きすることはできるでしょうか?」

 

 

その日、彼女は本来█などという人間は存在しているはずがないのだと気付いた。

 

 

「……私、あの家の次女なんです。両親と兄、それに弟がいました……あまり、実感はありませんが」

「……待ってください。兄と弟? ですが、█さんは次女なんですよね?」

 

 

本来、兄の下が女児だった場合、それが第二子だとしても戸籍上は長女となる。しかし、█は間違いなく次女なのだ。それが意味するところは──

 

 

「ええ。けど、姉はいません。姉がいるべき場所に……今は私がいるんですから」

 

 

彼はあまり驚いた様子もなく、あるいはあまりにも巧妙に表情を取り繕ったまま、じっと█の方を見つめていた。それは人によっておそらくは不気味にさえ感じるほどの平静さだったが、信じ難いことを話している█にとっては逆に不思議と落ち着く静けさだ。

 

 

「私が誰なのか、もう私にさえ分かりません。唯一分かるのは、本来ここにいるべきだったのは██だということだけです」

「つまり、長女は██だと? では、█さんは……いつから“次女”になったのでしょうか?」

「……正直なところ、はっきりとは思い出せません。どうやって私が“私”になったのかも……以前水橋さんにもお話ししましたが、私は本当に突然生まれた子供でしたから」

 

 

産まれたのではなく、生まれたのだ。あの家の娘は何の前触れもなく、長女から次女になった。もしかすると何らかの予兆はあったのかもしれないが、少なくとも█に知る術はない。

 

 

「……円居さん、██は家に帰れる日が来るんでしょうか?」

「それは……」

「ああ、すみません。変なことを聞いてしまって……」

「……いえ」

「……あの、もう少し話せますか? なるべくたくさん話しておきたいんです」

「構いませんよ。面談時間は決まっていますが、その時間いっぱいならお話しできるでしょう」

 

 


 

 

『それで? 2060-JP-1の様子はどうだった?』

「最初は動揺していたようですが、しばらくすると落ち着いて話していましたよ。それからは会話の調子自体に変わったところは見られませんでしたが……会話の内容自体は何とも言い難いものでしたね」

 

 

財団が手配したホテルの一室にて、円居はベッドに腰掛けたままブライト博士と通話していた。誰に見られるわけでもないため、至ってリラックスした体勢で会話しているが──気分はリラックスと程遠い。昼間に妙な話を聞いたせいだろう。

 

 

『突然生まれた“次女”ねぇ……さながらチェンジリングだな』

「どうやったらそんなことが起きるんでしょうか?」

 

 

あり得るわけがない、とは言わない。一般人には知る由もないことだが、この世界では取り替え子ぐらい実際に起きても全く不思議ではないのだ。異能者も化け物も平然と存在している世界なのだから。

 

 

『財団の身辺調査によれば、2060-JP-1は間違いなく普通の人間だ。他の異能者や異常物品が関わっている可能性はほぼない。となると、一番あり得るのは現実改変だが……』

「でも、2060-JP-1は現実改変者ではないですよね?」

『ああ。だが、現実改変者ではなくとも条件が揃えば疑似的に現実改変が起きることはある』

「あ、なんか、聞いたことがあるような……学校の怪談が実物として現れたみたいな……」

『SCP-540-JPだな』

 

 

SCP-540-JPはとある学校の教室だ。余所よりも少しばかり現実性が薄い教室である。薄いといっても正常域からわずか0.02Hm*2程度しか変わらず、財団が先んじて見つけていればナンバーが割り振られることすらなかったであろうアノマリー。

とはいえ、財団も全ての異常現象を細かく把握することはできない。だからこそ、大抵は事が起きてから収拾のために出動し、そこでようやく異常現象が発覚するのだ。

SCP-540-JPもその類である。現実性が薄い場所に大勢の子供が──つまりは1Hm以上を有する個体が複数集まり、狭い密室で怪談話に興じた。ただそれだけで、子供の内の一人が作り話であったはずの怪異に変化してしまった。現実改変は現実性の高低に応じ、高い側が低い側に情報を押し付ける行為である、ということがよく分かる事例だ。

 

 

『540-JP指定領域も、実際に事が起きるまで財団は把握していなかった。だから、今回もそういった事例だとすれば原因を特定するのは難しいかもしれないが……それはそれで違和感があるな』

「財団が気付かない程度の希薄領域であれば、普通の人間が単独で現実改変を起こすことはできない……」

『そうだ。もし2060-JPも同様の例だとすれば、当人以外に関係者が複数いなければおかしい。だが、そんな集まりがあれば財団の調査ですぐに出てくるはずだ』

「うーん……考えれば考えるほど不思議な話ですね」

 

 

同様の事例を起こさないためにも、財団としてはできれば原因を突き止めたいだろう。だが、あまりにも判断材料が乏しく、ここまで来ると手詰まりかもしれない。

そもそも2060-JP-1を保護してからしばらく経つが、第二第三の“チェンジリング”が現れたとは聞かない。SCP-2060-JPは極めて特異な事例、何らかの偶然が重なった産物だとすれば、財団が必死になって原因究明にこだわる意義は薄いという面もある。

 

 

『あるいは、もっと単純な話かもしれないが』

「え?」

『肉体の変化を伴わない程度の軽い現実改変であれば、おそらく必要なのは精々数人程度だ。それこそ、一世帯程度でいい』

「……まさか家族が長女を追いやろうとしたと? でも、報告書によれば彼らは娘に帰ってきてほしがっているんですよね?」

『人間の気持ちなんて生きている内に何度でも変わるものさ。特に、苛立ちのあまり弾みで要らんことを考えてしまった……なんて経験は誰にでもあるだろう? 娘にもっと良い子になってほしくて苛々していたが、いざ別人になったらそれはそれで違った、と』

「そんなつもりじゃなかった、ってやつですね」

 

 

親がたまに冗談で「お前は橋の下で拾ってきた子なんだ」とか言うことがあると聞くが、そういう全くの冗談だって条件次第では現実になり得るのだ。元々どうだったかという正しい現実など関係なく、現実性の濃淡によって簡単に事実は捻じ曲がる。

2060-JP-1の両親だって、何かの弾みで「あんたみたいな子、うちの子じゃない」と叱ったことぐらいあるかもしれない。それをまだ幼い兄弟が見ていれば、純真ゆえに信じてしまうかもしれない。そうして█という人間が生まれたのだとしたら──

 

 

「……さすがに荒唐無稽じゃないですか?」

『そうかもしれないな。他の事例を考えたらあり得ないってほどじゃないが、2060-JPの件に関してはそうだと結論付けられるほどの状況証拠もない。そして、おそらくは今後も確固たる証拠は挙がってこないだろうな』

「それは……財団にとって無理をしてまで調べる価値がないからですか?」

『財団は潤沢な資金と人材を抱え込んではいるが、それも無限にあるわけじゃない。些細なアノマリーであればScipではなくAnomalousに分類されるように、脅威でない部分に関しては節約も必要だ』

 

 

その節約で一人の人生が左右されそうなのだが、財団がそんなことを考慮するはずもない。財団は冷酷だが残酷ではない──要するに冷酷ではあるのだ。多数を守るためなら、何ら躊躇いなく少数を切り捨てられるのが財団である。

 

 

「……今後、2060-JP-1はどうなるんでしょうね? 少しずつ██に変わっているようですが、もし完全に変わったらNeutralizedとして解放するんですか?」

『それはない。原因や経緯がどうであれ、彼女が認識災害という警戒すべき異常性の対象だった事実は変わらない。物理的に異常性の有無を確かめられるような人型オブジェクトと違って、こういった精神的な影響がメインだと本当になくなったのか確証は持てないからね』

「つまり、彼女はこれからも家には帰れないのか……」

 

*1
tale:骨折り損

*2
Hm:ヒューム値。現実性を表す単位。




タイトル: SCP-910-JP - シンボル
作者: tsucchii0301
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/scp-910-jp
ライセンス: CC BY-SA 3.0

タイトル: 骨折り損
作者: KABOOM1103
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/symboldestroyerkaboom
ライセンス: CC BY-SA 3.0

タイトル: SCP-2060-JP - 帰宅
作者: hisaki
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/scp-2060-jp
ライセンス: CC BY-SA 3.0

タイトル: SCP-540-JP - ンボボボさん
作者: tsucchii0301
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/scp-540-jp
ライセンス: CC BY-SA 3.0

タイトル: ブライト博士の人事ファイル
原語版タイトル: Personnel Director Bright's Personnel File
訳者: Dr Devan
原語版作者: AdminBright
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/dr-bright-s-personnel-file
原語版ソース: http://scp-wiki.wikidot.com/dr-bright-s-personnel-file
ライセンス: CC BY-SA 3.0
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。