風呂と夕食を終えて自室のドアを開けたとき、百合子の頭の中は、今日買った本のことで占められていた。大好きなヒロイックファンタジーシリーズの最新刊。本当なら夕食前に読み終える予定だったそれは、部屋の奥の机に置かれたままになっている。百合子はドア脇のスイッチを押して電気をつけると、ベッドと本棚の間をまっすぐ進んだ。その際、ベッドに置きっぱなしにしていたTHE iDOLM@STERが目に入り、明日は警察に行かないと、と思った。同時に、何か妙な感じを受けた気もしたが、それはすぐに意識の外へと消えた。だから脚を止めずに机へと向かい、椅子を引き出してぽすっと座ったのだが、その途端、数秒前のごくわずかな違和感が、胸の中で急激に膨れ上がった。百合子は机上の小説に手を伸ばす代わりに、椅子の背もたれに肘をかけて、肩越しにベッドを見た。そこには確かに一冊の本が置いてあった。一瞬の間をおいた後、息が止まりそうになった百合子は、立ち上がってもう一度目を凝らした。THE iDOLM@STERは、青い表紙だったはず――じゃあ、あの黄緑色の本は、何?
百合子は足早にベッドへ歩み寄ると、両手で本を取り上げた。おかしいのは色だけではなかった。ハードカバーではなくソフトカバーになっているし、サイズも少し小ぶりになっている。一方で、「THE iDOLM@STER」というタイトルと、その下に「アイドルマスター」とカタカナ書きされているのは、そのままだった。
わけがわからなかったが、百合子はとにかく本を開いた。そこには、序文が載っていた。
「あー、そこでこっちを見ている君! そう君だよ、君! まあ、こっちへ来なさい」
「ほう、何といい面構えだ。ピーンと来た! 君のような人材を求めていたんだ!」
「わが社は今、アイドル候補生たちをトップアイドルに導く、プロデューサーを募集中だ」
「わが社に所属する、アイドル候補生の女の子は……この子たちだ!」
「同じ……」
百合子の呟きには、混乱と疑問が現れていた――違うのは装丁だけで、中身はそのまま?
百合子は本を開いたまま椅子に戻ると、デスクライトをつけた。そして、天板に前腕を乗せ、身を乗り出すようにしながら、次のページへと進んだ。
THE iDOLM@STER
「アイドル」
それは
女の子達の永遠の憧れ
だがアイドルの頂点に立てるのは
ただ、1組‥‥
そんなサバイバルな世界に
今10人の女の子と
1人のプロデューサーが
足を踏み入れる!
東京・渋谷の裏通りに面した、1階にたるき亭という居酒屋が入居している小さな雑居ビルの前で、俺は深呼吸した。快晴とまではいかないものの、十分に晴れて、気持ちのいい朝だ。初出勤の日としては上々。ビル内に足を踏み入れ、薄暗い階段を3階まで上がると、「芸能事務所 765プロダクション」と書かれたドアの前で、もう一度深呼吸する。いよいよ俺がアイドルをプロデュースする日がやってきた……そんな感慨にふけりながら、ドアを押した。
やっぱり変わってない、今日の午後に読んだTHE iDOLM@STERだ、と思った百合子は、まず自身の記憶を疑った。小さいころの百合子は、たいていの子どもと同じように、想像と現実の境があいまいだった。家族旅行で泊まった古い旅館の柱時計が真夜中に十三回鳴るのを聴き、両親の部屋にある大きなクローゼットの中に広がる魔法の国の森を見た、という印象は、十五歳になった今でも、まるで本当に経験したことかのように、鮮明に残っている。今日も、同じことが起きただけなのかもしれない。青い表紙のハードカバー本など、もともと存在しなかった。それは、ありあまる想像力が作り出した幻で、実際には、今こうして読んでいる、黄緑色のソフトカバーの本だった――ううん、違う。
空想癖は昔から変わっていないと自覚している百合子だったが、現実との区別をそこまでつけられない時期は、さすがに卒業していると思いたかった。だいたい、今日初めて手に取った、特に思い入れもない本のことで、そんな白昼夢を見るはずもない。
百合子は無意識にぱらぱらと数ページめくった。そこには、相変わらず、昼間に読んだ文が続いているのが見て取れ……
「あっ!?」
短い声と同時に、百合子の手の動きが止まった。社長がプロデューサーに渡したファイルに載っている、アイドル候補生のプロフィールが紹介されているページ。その最後の部分を、百合子は瞬きもせずに見つめた。
星井美希(ほしい みき)
Age14 159cm 44kg
B84 W55 H82
苦労を知らない人生を歩んできたので、過度の世間知らず。彼女の眠れる才能を呼び覚ますのがポイント。
星井美希。765プロのアイドルの中でも、テレビCMや雑誌などでよく見かける一人で、百合子も顔を思い浮かべられる。もし前に読んだとき美希の名前があったなら、印象として残っているはずなのに、それがない。ということは、装丁だけでなく、中身も違っている。つまり――これ、別の本だ!
誰が本をすり替えたのだろう。いや、誰と言っても、家にいるのは百合子のほかには両親だけだ。父親か母親のどちらかが、百合子の部屋で青いハードカバーのTHE iDOLM@STERを見つけ、黄緑色のソフトカバーのそれに置き換えた。そんないたずらをするような両親ではないと思うものの、他には考えられない。
百合子は左手で本を押さえながら、大きくため息をつき、それから右手で握りこぶしを作って、側頭部をコツコツと叩いた。明日、警察に届けようと思っていた本が、今は親の手元にある。返して、と言いに行けば、きっと「この本、どうしたの?」と聞かれる。そのとき、どう説明すれば――「バス停にあったのを持ってきちゃった」なんて言ったら、泥棒と同じだって怒られるかも。でも、このまま届け出ないでいたら、本当に泥棒だし。ああ、もう、どうしよう……
結論を出せない百合子は、開いたままのページに視線を落とした。星井美希という四文字に、再び目を射貫かれる。その瞬間、百合子は決断した――明日! ぜんぶ明日! お母さんやお父さんに言うのも、警察に行くのも、考えるのも!
完全に開き直った百合子は、紅潮した両頬の間で口を真一文字に結び、睨むような目つきで続きを読み始めた。
「星井美希……」
「おお、星井美希君を選んだか。彼女はうちの期待の新星で、ルックス抜群の世紀の逸材……と思っていたんだがなあ。はぁー」
社長が大きな溜息をつく。話し出したときはテンション高めだったから、落差が凄い。
「なにを落ち込んでるんですか?」
「会えばわかる。彼女は公園にいるから、早速、迎えに行き、活動を開始してくれたまえ」
「はい!」
同一の書き出しから、主人公が前回と異なる選択をすることで、別の物語へと進む展開に、百合子は一度クリアしたゲームの二周目のプレイを連想した。一冊目のTHE iDOLM@STERを読んだときに抱いた、ゲームみたいという印象と合わさって、余計にそう思うのかもしれない。ともあれ、この二冊目では、百合子の期待通り、プロデューサーと美希の話が進んでいくようだった。
ルックス抜群か。なら、きっと目立つはず。そう思って公園の中を見渡してみると……
「おっ、あの子か!」
金色に輝くロングヘアに整った顔立ち、中学生離れしたスタイル。ファイルに貼ってあった写真も魅力的だったけど、実物はもっと凄いな。それにしても、何してるんだ、カップルの前に立って?
「ねえ、つめてくれる? ミキもそのベンチ、座りたいから」
うわ、なんだ、あの子? 普通、カップルのジャマするか? 空気読めって……とりあえず、呼ぼう。
「あー、君、君。ヤボなことしてないで、ちょっと、こっちへきなさい」
「? 誰?」
手招きすると、素直にこっちに来てくれた。よし、重大発表といこうか。
「俺は、さっき決まった、君のプロデューサーだ。社長から迎えにいくよう、言われてね」
「プロデューサーの……、人?」
うん? なんだか反応が薄いな。アイドルデビューが決まったっていうのに。
「よくわからないけど、それって、なにする人?」
「決まってるだろ。プロデューサーってのは、つまり……いろいろする人だ」
「そーなんだ。いろいろするってことは、いろいろ大変だよね」
「まあな。でも、これが仕事だから」
話しているうちに、なんとなく社長の溜息の理由がわかってきた。やる気がないというか、マイペースというか、とにかく独特な感性を持ってる娘みたいだ。これはプロデュースするのに骨が折れるかもしれないぞ。
写真や映像で見てきた美希とはかけ離れた姿に、百合子は面食らった。クラスメイトの天ヶ瀬冬馬ファンに、彼がどれほど頑張っているか、さんざん聞かされてきた百合子は、アイドルといえば前向きな努力家で、だから応援したくなるものだと思っていたし、前の本での春香もその通りの存在だった。そういったイメージとは百八十度違っている美希――ほんとにアイドルやってけるのかな?
百合子の懸念通り、美希はアイドルとしてのスタートを切ったものの、とんでもない言動の連発で、プロデューサーを振り回し続けた。
「大変なの、プロデューサーさん! ミキのケータイに、ありえないメールが!」
「なに!? まさか、それは……告白メール?」
「そんなの、全然ありえないメールじゃないよ。ミキ、しょっちゅうもらってるもん」
「ちがったか。じゃあ、どんなメールなんだ?」
「それがね、おどしのメールなの。この間、取材にきた、雑誌記者の人から」
「って、メールアドレス、教えちゃったのか? うかつだぞ!」
「ううん、教えてないよ。返信で来たの。内容は『そこまで言うなら、もうあなたの取材は絶対しません』って」
「は? 返信? じゃあ先に、美希がメール出したのか?」
「うん。ほら、この間、けっこうしゃべったのに雑誌に載せてくれたの、ちょっとだったでしょ。だから、文句送っておいたのっ。『バカにしないでよ、ベー』って」
「なに考えてんだ! まだ駆け出しなんだから、きてくれただけで、ありがたいってのに!」
「……でも、ガッカリしちゃったんだもん。もっと大きく載るって、ずっと思ってたから」
「正式なおわびには、後で行くとして……まずは謝罪のメール書いて送るんだ。すぐに!」
「……わかったよ。ていねいに書いたほうがいいよね。教えて。謝る言葉は、どんなのがいい?」
ただ、美希にも学ぶ意欲はあるようだった。するべきこと、してはならないことをプロデューサーから教わるうちに、その才能はだんだんと花開いていく。
「おつかれさま! さすがだな。1回でOKだったじゃないか」
「ダメ……あんなんじゃ……ミスっちゃった」
「え、どうして? 役柄に上手くハマッてたし、監督もよろこんでたよ?」
「ミキ、カン違いしてたの。ほら、背景、ぜんぶ合成でしょ? 合わせた映像見せてもらったけど、思ってたのと違ってて。ミキ的には『あーあ』ってカンジ」
「そうか。合成映像だと、その辺は、どうしても監督任せになるからな」
「最高の撮りたいって思ってたのに……くやしいかも」
「まあ、今回は及第点ってことで、ガマンしておこう。次は、同じ失敗しないように、監督とよく話そう」
「そうすれば、今日みたいなことなくなる?」
「ああ。事前に、合成前の素材をすべて見せてもらっておけば、解決するだろ?」
「あ、そーだね! ミキ、撮られるコトばっか考えてて、そういうの忘れてた……今度は、ちゃんと聞いとくね。もし忘れそーになってたら、プロデューサーさん、教えて!」
また、春香のときに比べて、プライベートなシーンが多くなっている感じもした。
「へー、美術館って、こーゆートコロなんだね。で、ミキはここに立ってればいいの?」
「は? 立ってたって、絵は見られないだろ?」
「じゃあ、会場をまわる乗り物が、迎えにきてくれるの?」
「まさか。自分で歩いて、見てまわるんだよ」
「そーなんだ……ベルトとかで、絵がグルグルまわってくれれば、ラクなのにね」
「……回転寿司じゃないんだから。ま、ノンビリ見てまわろう」
「うん! あ、これ、ピカソだよ! この間、美術の時間にやったから、ミキ知ってるの」
「お、本当だ。この独特な色づかいは、まさに芸術って感じだよな」
「ミキの描く絵もね、学校じゃ、ピカソみたいって、よく言われるよっ」
「え、そんな才能があったのか!? 一体、どんな風に描いてるんだ?」
「知りたい? まずはね、普通にスケッチするの。外に出て、校舎とか空とか」
「うんうん、それで?」
「下書きが終わったら、見たまんまの色に、塗っていくの。そうすると、そのうちに飽きてきちゃうの。で、空とかピンクにしちゃえって思って、好きにやってるうちに勝手にピカソそっくりになるんだよ!」
「それは、なんていうか……ねらってやったんじゃなくて、途中で投げた結果だろ?」
「ピカソもきっと、ミキとおんなじだよ。途中で、テキトーでいいや、って思うんだよ。会ったコトないけど、もしどっかで会ったら、いいトモダチになれるかもっ」
「ピカソは、故人だって。なんというか……失礼も、そこまでいくと、すがすがしいな」
そして、プロデューサーに導かれた美希は、トップアイドルの栄光をつかみ取る。
「もうすぐ本番だね。夢のドーム・ライブ……ミキの言った通り、照明、そろえてくれた?」
「ああ。数聞いた時はビックリしたけど、なんとかね。見ろ、天井からぶら下がるライト群! 星のようだろ?」
「ホント……アレが一斉に光って、ミキのこと、照らすんだね」
「そうだ。今日くるファンは、度肝抜かれるだろうな。美希を中心とした、光の祭典に」
「ミキね、思うの! ライブは、やっぱゴージャスじゃなきゃって」
「でも、ここまでセッティングがハデだと、主役の美希が飲まれたりしないか?」
「飲まれると思う? 今のミキが」
「ははは……その心配はないか。昔とは違うもんな、なにもかもが」
「ライブは、次もドームがいいな。その次も、次の次も♪」
百合子は顔を上げると、首をぐるっと回した。デビューからトップアイドルに至るまでの大まかな流れは、春香のときと同じだった――ってことは、この後、美希もプロデュース終了になるかも?
左手の親指が押さえている残りページのボリュームを一瞥し、その数が多くはないと確かめてから、百合子は続きにとりかかった。
「おつかれさまー」
「お疲れ様」
「次のお仕事、早くしたいな。ミキ的には今、元気余ってるカンジだし! 連絡、待ってるね!」
事務所の出入口のところでそう言うと、美希は帰っていった。今週もよく頑張ったな……っと、俺の仕事はまだ終わりじゃない。高木社長に呼び出されていたんだった。それを思い出した10秒後には、俺は社長室にいた。事務所の狭さがよくわかる。
「社長、お疲れ様です!」
「うむ、お疲れ様」
入ってきた俺にそう言ったきり、社長はなかなか話を切り出してこない。何かマズいことでもあったか? でもこのまま2人して黙っていても話は進まないし、ここはこっちから聞いたほうが……と思っていると、社長は軽くため息をついてから、口を開いた。
「さて……実に言いにくいのだが……星井美希君のプロデュースは、終了してもらう!」
「…………!」
「今まで、本当にご苦労だったね。今回、プロデューサーとしての君の手腕は、見事だった。ぜひもう一度、その手腕を発揮して、新しい芽を育ててくれないか? 心から頼むよ!」
――やっぱり。
予想通りの展開だった。ゲームでよくある、どうプレイしても必ず起きる強制的なイベントみたいだと思いながら、百合子は前の本をなぞるように進むストーリーを読み続けた。やがて、美希がプロデューサーと臨む最後のコンサートの場面となり、それは春香のときと同じく、大成功を収める。そして終演後、プロデューサーに送ってほしいと頼んだ美希は、車が家に近づくと、今度は降りて歩くと言い出した。
並んでゆっくり歩く俺たちを、残業帰りらしいスーツ姿が早足で追い抜いていく。歩道の幅はけっこうあるから、そんな迷惑ってわけでもないだろうし、まあいいよな。
「……美希の家は、もうすぐか?」
「うん、あとちょっと……そしたら……」
消え入りそうな声、つま先を見るような視線。何か言わないと、と思った瞬間、美希は笑顔を作って俺を覗き上げてきた。
「ねえ、今日まで、いろんなコトあったよね」
「ああ、数えきれない程にな」
「アイドルはじめるコトになった朝もね、この道、歩いてたの。その頃は、やる気もなくて。そんなミキを、ドームまで引っ張っていっちゃうんだもん。ホントすごいよね」
言葉を切って脚を止めた美希に、一瞬遅れてから立ち止まった俺は、半歩先で振り返る。夜の大通りの明るさに照らされる中、まっすぐ俺を見つめるその瞳には、今までで一番、柔らかな光が浮かんでいる感じがした。
「会えてよかったって……思うな」
「そう言ってもらえると、うれしいよ」
「……でも、そんなミキを、プロデューサーさんは、ポイするんだね」
えっ?
「ちょっと待てよ。ポイだなんて……」
「だって、そうでしょ? なんだかんだ言って、捨てるんだもん。遊びだったんだよね」
いやいや、何を言ってるんだ?
「明日からは、別の子、見つけて……やっぱそれ、ひどいよ……うう……」
「美希……」
「ミキ、キレイになったよ? なれたの、見てくれる人が、隣にいたからだよ? せっかく、ここまでになったのに……ね、さよならなんて、やめよ? やめてくれないなら、ミキ引退するっ」
「おいおい……」
夜の路上で必死に訴える声、トップアイドルに輝いた美少女の涙。目を引いて当然だし、実際、通りがかる人たちの視線が痛い。なにより、こんなところを悪徳記者に撮られでもしたら、一大事だ。とにかく、美希を落ち着かせないと。
「うーん、弱ったなあ。じゃあ、こうしよう。明日からは友達っての、どうだ?」
「友達?」
「そう、個人的な友達。もう美希も一人前なんだし、そういう関係だって、成り立つだろ?」
……その場しのぎにしても、もうちょっとマシなこと言えないかな、俺。真剣な想いをはぐらかされたって思われるに決まってるじゃないか。案の定、美希は不満げな表情を見せている。
「むー、ただの友達なの? なんかやだけど、でも、これから言う約束守れるなら、いーよ」
「約束? なんだ、言ってごらん」
促すと、いつの間にか涙の乾いていた美希はにっこりと……いや、にやりとした?
「まずー、毎日、朝と昼と夜に、電話とメールくれるコト。ミキも絶対するからっ」
「そんなに連絡するのか!? ま、まあいい。わかったよ」
「それから、お休みの日は1日中、一緒にいてくれるコト。祭日がある時は、週2がいいなっ」
「おい、それって……本当に友達か?」
「うん、トモダチ♪ カンケーの名前なんて、どーでもいいの! ただプロデューサーさんが、ミキのコト、24時間考えてくれれば!」
「……困った奴だなあ」
「プロデューサーさん、これからもミキのコト、ずーっと大事にしてね。そうすればー、ミキ、いつまでだってキレイなまんまで、いられるから。10年でも、100年でもっ!」
満面の笑みで思うままを口にする美希を前に、俺はあきらめた。この子には、このまま振り回されていくしかないんだ。出会ったときから今まで、そしてこれからも……とりあえず、今日は家までちゃんと送ろう。
こうして俺が育てた少女は、その素質を見事開花させ、アイドル史に残る華麗な花となった。少女が、素晴らしい容姿を持っていたのは確かだ。しかし、それをここまで磨き上げたことを、素直に誇りに思うとしよう。至高の花は、最高の陽光を浴びてこそ、輝いていられるのだから。
本を閉じて机の上に置いた百合子は、読んでいたときと変わらない姿勢のまま、今回の結末に思いを巡らせていた――プロデュース終了なのに個人的な関係は続くって、大丈夫なの? プロデューサーが新しいアイドルを育て始めたら、三角関係確定のような。だいたい、これが許されるなら、春香とプロデューサーの別れは何だったのってことにならない? 作者はアイドルとプロデューサーの関係を、どう考えて……
作者、という単語が脳裏を過った瞬間、百合子は机上の本を再び取り上げ、表紙、背表紙、裏表紙と順に確認した。ところが、作者名はどこにも書かれていなかった。他にも、出版社や定価、ISBNコードなど、通常なら書籍の外装にあるべきものが、まったく見当たらない。思い返してみると、一冊目のTHE iDOLM@STERも、表紙にはタイトルや天使のデザインしかなかった気がする――ほんとは二冊ともカバーか外箱がついてて、全部そっちに書いてあった、とか?
百合子は裏表紙をめくり、最後のページを開いてみた。さっき読んだばかりの、美希とプロデューサーのやり取りが目に入る。指先で二、三ページめくり、また最後のページに戻って、百合子は小首を傾げた――奥付も、ない?
本文が終わったあとには、タイトルや著者名、出版社や発行年月日の書いてあるページ、すなわち奥付をつける。百合子の知る限り、それが本の形だった。
「うーん……」
ただの落丁とも思えなかったが、小さく唸って考えても、納得のいく答えは出てこない。しばらくして、百合子は立ち上がった――とりあえず、トイレ行こう。
黄緑色の本
アケマスを移植した、Xbox360版のアイドルマスターのタイトル画面の色です。美希はこの作品で初登場しました。
THE iDOLM@STER
このタイトルが表示されて以降の、百合子が読んでいる部分は、Xbox360版のセリフをもとに筆者が地の文を加えて小説文化したものです。
たるき亭
765プロの入居しているビルの1階のお店です。アケマスでは「だるい家」でしたが、Xbox360版以降はこちらの名前になっています。
柱時計が真夜中に十三回鳴る
フィリパ・ピアスの「トムは真夜中の庭で」から拝借しました。おそらく百合子は読んでいると思います。
クローゼットの中に広がる魔法の国の森
C・S・ルイスの「ライオンと魔女」から拝借しました。百合子が読んでいないはずはないと考えます。