部屋に戻ってきたとき、百合子の頭には一つの仮説が浮かんでいた――THE iDOLM@STERって売り物じゃないかも?
現役アイドルを登場させる小説に、所属プロダクションが関わっていないはずがない。だとすると、たとえばファンクラブ限定の特典品といった感じで、もともと本屋に並べるつもりのないもの、という可能性は、十分ありそうな気がする。定価や出版社が書いてないのは、非売品のファンアイテムと考えれば納得だし、作者名や奥付がないのも理解できなくはない。春香と美希の物語が似たような展開だったのも、同じ事務所のアイドル間で格差をつけないようにする工夫だったのかもしれない――そうだ、スマホで調べれば、いろいろ分かるかも。でも……
もし、この仮説が正しいとすると、二冊目のTHE iDOLM@STERを百合子の部屋に置いた人物は、765プロのファンクラブの会員か何か、ということになる。百合子は両親が法被姿でペンライトを手にしている姿を想像して、ぶんぶんと頭を振った――この説は無かった、ってことに。とにかく、明日、お父さんとお母さんにちゃんと話そう。そうすれば、全部わかるんだし。
取り散らかった思考をどうにかまとめ、先送りという結論に落ち着かせた百合子は、意識を今日買ってきた本へ向けなおした。今から読みはじめると、徹夜か寝落ちのどちらかになるだろうが、幸い、明日は海の日だ。カーテン越しに感じる朝日の中、あくび交じりの溜息をつきながら、のろのろと制服に袖を通す、なんてことをする必要はない。心置きなく夜更かしできるめぐり合わせに、自然と足取りも軽くなった百合子は、期待に胸をふくらませながら机に近づいた。しかし、腰を下ろすべく椅子の背に手をかけた刹那、その姿勢のまま、動けなくなってしまった。百合子は我が目を疑った。さっきまで読んでいたソフトカバーのTHE iDOLM@STERがあるべきはずの場所。そこに、文庫本が置かれていた。
操り人形にでもなかったかのように、百合子はぎこちなく右腕を伸ばした。指先が文庫本に触れたとき、それが三冊重なっているとわかった。一冊ずつ手に取り机上に並べると、落ち着きのある赤、青、黄のグラデーションをそれぞれの地の色とした表紙には、「THE iDOLM@STER SP」というタイトルが、「アイドルマスター」というカタカナ書きとともに記されていた。そしてその下には、一冊ずつ別々の、「パーフェクトサン」「ミッシングムーン」「ワンダリングスター」という副題が続いていた。
百合子はしばしの間、呆然としていたが、やがてはっとして、血の気が引いていく感覚を覚えた――この本、誰が置いたの!? お母さんもお父さんも下にいるのに!?
顔を上げた百合子は、まず手を伸ばしてカーテンをめくり、窓に鍵がかかっているのを確認すると、次いで作り付けのクローゼットに目を移した。THE iDOLM@STERが限定品の類だったとするなら、何としても手に入れたいマニアがいてもおかしくない。そんな人に、バス停でハードカバーのTHE iDOLM@STERを手に取ったところを見られていたとしたら。家まで走ってきたとき、後をつけられていたとしたら。そして、今もどこかから見られているとしたら!?
百合子はおそるおそるクローゼットに歩み寄ると、深呼吸してから扉の取手に手をかけ、一気に開いた。制服と通学用リュック、私服と小物、幼稚園や小学校のころの思い出の品々、本棚に入りきらなくなった本をつめた段ボール。目に映るのは、見慣れたものばかりだ。念のため、下げられている洋服をかき分け、本当に誰もいないと確かめてから、百合子はゆっくりとクローゼットの扉を閉めた。そして振り返ると、今度はベッドをじっと見下した。そのまま数回呼吸し、口の中にたまった唾を飲み込むと、膝を折って四つん這いになり、右腕を伸ばして収納ケースをベッド下から引き出す。顔を床につけるようにして覗き込んだそこは暗かったが、誰もいないのは分かった。百合子は収納ケースを元に戻しながら、大きく息を吐いた。考えてみれば、住居侵入を企ててまでTHE iDOLM@STERを狙うような人が、律儀に代わりの本を置いていくはずもない――じゃあ、どういうこと?
百合子は上体を起こして、机に顔を向けながら、かつて読んだ本に出てきた少年少女たちを思い浮かべていた。宝石泥棒や殺人犯と対決する親友三人組。気が付かない間に船が海へ出てしまった四人兄妹。ローラースケートをはいた馬に乗って南洋へと旅立つ少年。彼ら彼女らに訪れたような、特別でときに不思議な出来事が、いつか自身のところにもやって来ると、幼い百合子は信じていた。何も起きないまま年を重ね、常識なるものを身につけてしまったはずの今になって、ついにその瞬間が訪れたのだろうか。
百合子はどきどきしながら立ち上がって机に向かうと、さっき並べたままの文庫本を見下ろして、また唾を飲み込んだ――たとえば、トイレに行ってる間、黄緑色のTHE iDOLM@STERがまばゆい光に包まれながら消え去って、その輝きがおさまったあとには、三冊のTHE iDOLM@STER SPが残されていた……なんて可能性は?
「そんなの、ありえない」と「でも、ひょっとしたら」が頭の中をぐるぐる駆け回る中、百合子は半ば無意識のうちに一冊を手に取り、そのまま後ずさりして、ベッドにお尻を落とした。そして背中を倒し、脚もベッドに上げて仰向けに寝転がると、両手で文庫本を持ち上げ、あらためて表紙を見つめた――THE iDOLM@STER SP。SPはスペシャル? 特別編ってこと? ううん、それより。
「ミッシングムーン……」
サブタイトルを読み上げた百合子は、太陽、月、星の中なら、自身は月だろうと、何となく思った。三冊のうちから、この一冊を選び取ったのも、何かの運命なのかもしれない。百合子は三度唾を飲み込むと、身体をひねって腹ばいになり、枕を書見台代わりにして、本を開いた。
THE iDOLM@STER SP ミッシングムーン
アイドル……
それは女の子のあこがれ、夢
だがアイドルピラミッドの頂点に立てるのは
ただ、1人……
そんなサバイバルの世界に
今新たに、9人の女の子達と
1人のプロデューサーが足を踏み入れる!
今までの二冊と変わらないように見える書き出しだったが、百合子は少し引っかかった――九人だっけ? 十人だったような? 違ったかな?
東京・渋谷の裏通りに面した、1階にたるき亭という居酒屋が入居している小さな雑居ビルの前で、俺は深呼吸した。快晴とまではいかないものの、十分に晴れて、気持ちのいい朝だ。初出勤の日としては上々。ビル内に足を踏み入れ、薄暗い階段を3階まで上がると、「芸能事務所 765プロダクション」と書かれたドアの前で、もう一度深呼吸する。いよいよ俺がアイドルをプロデュースする日がやってきた……そんな感慨にふけりながら、ドアを押した。
おはようございます、と言いかけた言葉を飲み込んだのは、ドアの向こう側に女の子が立っていたから。きれいな長髪、明るいブルーのインナーに白いシャツジャケット、黒っぽいパンツ姿。高校生くらいに見えるし、明らかに社員じゃない。とりあえず、何か言わないと。
「あ、え、え~と、キミー……この事務所の子?」
俺の言い方がはっきりしなかったせいか、それとも見知らぬ男ってことで警戒したのか。女の子は何も言わないまま、すっと俺の横を通って事務所を出て行った。まるで、最初からそんな女の子はいなかったかのような、一瞬の出来事だった。もしかして俺、夢でも見ていたのかな?
前の二冊では、ここでプロデューサーが出会ったのは春香だったが、今の女の子の描写は、明らかに別人のものだと思えた。今回のヒロインだろうか。何にせよ、このあとプロデューサーが社長室に行くはずだから、そのとき誰だか判明するはず。そう思いながら百合子はページをめくったが、そこには予想と違う場面が待っていた。
「あれ? えーと、あなたは……どちら様でしょうか?」
気を取り直して社長室に脚を向けようとしたとき、事務所の奥から女性の声がした。
「あ。す、すみません! えーと、その、俺は……」
「ああ、あなたが、今日から765プロで、働いてくださる人ですね!」
「は、はい! よろしくお願いします!」
「ふふ。そんなに、かしこまらないで下さい」
軽く下げた頭を戻したとき、声の主はすぐ近くまで来ていた。緑のベストにタイトスカート、いかにもOL、って感じだ。どうやら765プロの職員らしい。ってことは、さっきの子のことも知っているかも?
「あ、あの、ところで、今、そこに、女の子が……」
「女の子? 誰かしら? 多分、事務所の誰かだとは思うけど……うふふ、もしかしたら、運命の相手だったりして!」
運命の? いや、そういうことを聞きたいんじゃなくて……
「あ、そういえば、まだ自己紹介をしてなかったわ! あの、あたし、いえ、私、765プロで、事務などをしております、音無小鳥と申します。社長が、あちらでお待ちです! どうぞ♪」
一冊目や二冊目のTHE iDOLM@STERには出てこなかった、新たな登場人物の出現に、百合子は意表を突かれた感じがした。ただ、考えてみれば、社長とプロデューサーと所属アイドルだけで、芸能プロダクションが成り立つはずもない。春香や美希のときも、実はこの人が陰でいろいろ仕事をしていてくれたのかも、などと思いながら、百合子は先へ進んだ。そこでは、高木社長とプロデューサーが、おなじみの会話を始めていた――ここは前と一緒なんだ。
「おはようございます」
「よく来てくれた! 私がこのプロダクションの社長、『高木』だ」
初対面ではないけど、今日からここで働くという節目になるからか、あらためて自己紹介された。高木順一朗社長はこの765プロダクション、略して765プロの代表取締役社長で、真っ黒に日焼けした初老の紳士だ。
「君の仕事は、わが社に所属するアイドル候補生たちを、プロデュースすることだ。目的は、彼女たちを芸能界のトップへと導くこと。道は厳しいと思うが、がんばってくれ」
「はい! がんばります!」
「では、まず、現在プロデュースを待っているアイドル候補生3人の中から1人を選んでもらおう。その子とトップを目指し、二人三脚で頑張ってもらうことになるから、慎重に選びたまえよ。なお、1人選べば、他の子はライバルとなる。もちろん同じ765プロの仲間ではあるが、アイドルの頂点に立つのは、あくまでたった1人だからね。厳しい世界なのだよ。あ、それと、トップアイドルを育てあげるには、君自身の経験や力量も、とても重要だぞ。プロデューサーとしてのランクを上げることが、トップへの近道でもある。腕をみがきたまえよ。では、君の大切なパートナーとなる、アイドル候補生を選びたまえ」
そう言うと高木社長はファイルを差し出してきた。そこに綴じてあったのは、3人のアイドル候補生のプロフィールだった。
如月千早(きさらぎ ちはや)
Age 15
162cm 41kg B72 W55 H78
クールでストイックな努力家。歌の才能に富むが、真面目すぎるため少々扱いずらい面も。
秋月律子(あきづき りつこ)
Age 18
156cm 43kg B85 W57 H85
勝気な女の子ではあるが、頭が良く冷静なので筋の通った対応を行えば、実力を引き出せる。
三浦あずさ(みうら あずさ)
Age 20
168cm 48kg B91 W59 H86
人を惹き付け和ませる、癒し系お姉さん。いつでもマイペースなのが、長所であり短所。
――三人? さっきは九人って書いてあったのに?
百合子は少し考えてから、はたと思いついて机をちらりと見た。このミッシングムーンが三人で、パーフェクトサンとワンダリングスターも三人ずつなら、全部で九人――うん、それなら辻褄があってる……気がする。
ファイルには写真も貼ってあったが、そのうちの1人に目が吸い寄せられた。さっきすれ違った娘だ。やっぱりアイドル候補生だったらしい。名前は……
「如月千早……」
「お、如月千早君を選んだか。目が高いな。彼女は、うちでも飛び抜けた才能の持ち主だよ」
「そうですか。それで……、その子は今、どこに?」
「ここの向かいの部屋で、ひとり音楽をきいているはずだ。集中するために、部屋を暗くしてな」
「では、早速、迎えにいって、活動を開始してくれたまえ」
「はい!!」
如月千早。聞いたことのある名前だとは思ったものの、それ以上のことは知らなかった。百合子は右手の親指を開いているページに挟むと、人差し指で前のページをめくり、あらためて千早のプロフィールを確認した。如月千早、十五歳――え、同い年?
テレビでアイドルを見ることはあっても、彼ら彼女らの年齢などろくに気にしたことのなかった百合子にとって、プロデューサーの選んだ候補生が同年齢というのは、ちょっとした発見だった。百合子は何人かのクラスメイトを思い浮かべた。もし、彼女達の誰かがアイドルだったら――やっぱり、私もライブを観に行ったりするのかな? ペンライトとか持ってないけど、どこで買えるんだろ? そういえば、春香や美希って何歳だったっけ?
とりとめのない考えが浮かび消える中、親指を滑らせて元のページに戻ると、続くシーンではプロデューサーと千早の出会いが描かれていた。
社長が言っていたのは……この部屋か。ホント、真っ暗だな。流れてる曲は……クラシックか。如月、千早……どこにいるんだろう? あっ、そこかな?
「この曲……ブラームスのロ短調に似ている。けど、抑揚の付け方と、振り幅が、やや大きい」
なにか、こむずかしい事を、つぶやいている。社長の言う通り、すごい子みたいだな。
「あっ!? 誰、です!?」
「あ、ごめん。おどろかせちゃったな。今、電気をつけるよ……」
壁のスイッチを押すと、部屋の奥に座っている千早が、俺のほうへ顔を向けていた。
「はじめて見る人ですね。なにか用でしょうか? 今、忙しいのですが」
「そう、邪険にするなよ。俺は、君の面倒を見ることになった、プロデューサーだ」
「あなたが、私の?」
デビューが決まったっていうのに、全然喜んでる風に見えないな。というか……
「な、なんで、そんなキツイ目で、こっちを見るんだ? もしかして、ケンカ、売ってる?」
「……まさか。ただ、どんな人なのかと思っただけで、気にさわったのなら、あやまります」
「いや、まあ……悪意がないのなら、いいけど」
「どうやら……悪い人では、なさそうですね。これから、よろしくお願いします」
――かっこいい!
親しみやすい春香ともマイペースな美希とも違う、プロデューサーと対等に渡り合うクールビューティーなヒロイン。信じる道を迷わず進んでいけそうな、千早の気持ちの強さは、百合子好みの人物造形だった。前二冊のTHE iDOLM@STER以上にストーリーへの期待を高めた百合子だが、数ページ先で待っていたのは、夜の765プロ事務所を舞台にした、思いがけない展開だった。
がたんっ
「だ、誰だっ!? もう、このフロアには、誰もいないはず……」
「くう……すう……。わぁ~、おにぎりでできたお城だ。おにぎり城なの。むにゃ……」
百合子は数度瞬きしてから、もう一度同じ行を読み返した――え……これ、美希?
誰か、フロアのすみのソファーで、眠っているみたいだ。
「くう……すう……。おにぎり城で、ミキ姫は、王子様と幸せに暮らしましたとさ、なの……」
うわ、すごくカワイイ女の子だ。アイドル候補生の子かな? よく眠ってるようだし、起こしちゃかわいそうかな。早く用事を済ませて、出て行こう……あっ! 何か、蹴っとばしてしまった。これは……おにぎりの形のマスコット?
「……あふぅ。今の、何の音?」
「ご、ごめん。起こしちゃったか。今のは、俺が床に落ちてたマスコットを蹴った音だよ」
「あっ! それ、ミキのおまじない用マスコットなの! もしかして、拾ってくれたの!?」
「あ、ああ。そうだけど。ところで……、君は?」
「ミキ、星井美希なの。14歳だよ」
美希が名乗ったところで、百合子は頭の中を一度整理すべく、本から顔を上げた。前の二冊では出てこなかった、プロデューサーの選んだ子以外のアイドル。顔見せだけの登場とも思えない。とすると、ほぼプロデューサーとアイドルの二人だけで進んでいった、今までのTHE iDOLM@STERとは全然違う、ミッシングムーン独自の展開が、この先に待っているはず――でも、最初のシーンや社長との会話は変わってなかったし。
ゲームにたとえるなら、同一作品の三周目か、それとも新作なのか。判然とはしなかったが、とにかく百合子は続きに取り掛かった。美希はプロデューサーに一目惚れして、自身をプロデュースするように社長に頼むなどと言い出す。しかし……
「ミキだって、ミキなりにがんばってるもん! いじわるばっか言わないでよ、社長のバカっ!」
「美希君、落ち着きたまえ!」
ん? なにやら、社長室の方から、怒鳴り声が聞こえる。トラブルか!?
「社長! 大丈夫ですか、高木社長っ!」
社長室の扉に向かって呼びかけた、その瞬間。
「ううう、もういいもんっ! 社長なんか……こんな事務所なんか、知らないっ!」
バタン! ドンッ!
「いててっ!」
急に誰か飛び出してきて、顔面を強打してしまった……って、美希か?
「あれ? ぷ、プロデューサー」
「や、やあ、美希。どうかしたのか?」
「ううっ。ぐすっ。ミキは、ミキは……。うわあああーんっ!」
「あ、美希! ちょっと待って……」
高木社長と喧嘩して765プロを飛び出した美希は、その後、とんでもないことをやらかしていた。プロデューサーと千早が、社長にTV出演の報告をしているシーンで、それが発覚する。
「実は、君達に、1つ、報告というか……謝罪せねばならないことがあるのだよ。先程、如月君の後に、TV出演した子達の中に、よく知っている顔を見かけてね……説明するより、歌をきいてもらった方が早いな。ちょっと、これをきいてくれたまえ」
そう言いながら、高木社長がCDラジカセの再生ボタンを押す。一応は芸能事務所なのに、機材が安っぽいのはどうなんだろう、なんて思っているところに流れ出したのは、ゆったりめイントロから歌いだしの直前にテンポを上げる楽曲。かっこいいな。でも、この歌声、どこかで聴いたことがあるような……
「これは……美希!? 歌っているのは、星井美希ですよね、社長?」
千早の言葉に、俺もはっとした。そうだ、これは美希の声だ。
「彼女もデビューしたんですか?」
「うむ。ただし、我が765プロからではなく、961プロ所属の新人アイドルとしてな」
「ええっ!?」
「ええっ!?」
プロデューサーと同時に、百合子も思わず声を上げていた。961プロ。バス停で出会った冬馬が、もともと所属していた事務所だ。そこに――美希が移籍!?
プロデューサーと千早の話に美希がどう絡んでくるか、いろいろ想像しながら読み進めてきた百合子だったが、この展開にはさすがに驚いた。百合子が知る限り、現実の星井美希は765プロのアイドルで、黄緑色の表紙のTHE iDOLM@STERでもそうだった。ミッシングムーンというサブタイトルが付き、今までとは違う話になりそうだと感じていたとはいえ、根本的な設定からひっくり返るとは思いもよらなかった。
さらに物語が進むと、千早はプロデューサーの指導のもと、「IU(アイドルアルティメイト)」という歌番組に出演し、そこで美希と競い合うようになっていった。
「プロデューサー! 千早さーん! 久しぶりなの! これからIUの予選?」
「美希……ええ、そうよ。あなたも?」
「ううん。ミキは先週の予選で、もう勝っちゃったから、今日は出ないの。別の仕事で来ただけ。でも、千早さん達と、話したいなって思って、のぞきに来たんだよ」
「そうか。美希が961プロに移ってから、ほとんど話せていないもんな」
「うん。特に千早さんとは、移るちょっと前くらいから、あんまり会えてなかったから。相談もしないで、急に移っちゃって、ごめんね、千早さん。ビックリしたよね?」
「ええ、確かに、突然のことで、驚きはしたけど、別に、謝ることはないわ。あなたには、あなたの事情が、あるのでしょうし。特に、気にはしていないから」
「むー。ミキは、765プロの中では、千早さんのこと、一番尊敬してたんだよ? お姉さんみたいって思ってたし。なのに、千早さんは、ミキが移っても、平気なんだね」
「……私に、どういう反応を期待していたのか知らないけど、今は歌に集中すべき時よ。お互い、すべきことをしましょう、美希。それ意外のことを考えるのは、ムダだわ」
プロデューサーと千早の前には、961プロの社長や、所属するアイドルも現れる。
「まさか、あなたが黒井社長ですか?」
「ウィ。いかにも、私が961プロ社長の、黒井だ。ご機嫌いかがかな、負け犬諸君」
「負け犬? 失礼ですね、俺達は、何にも負けていませんよ。今日のIU予選だって勝ちました」
「フンッ。生意気な。弱小で品性下劣な765プロに所属している時点で、負け犬だろうが。美希ちゃん程の素晴らしいアイドルが、高木なんかの元にいたとは。なげかわしい限りだ」
「自分、我那覇響! 15歳! クールなイメージで売り出し中のアイドルだぞっ!」
「クール!? どっちかというと君は、かなり、にぎやかな雰囲気だと思うけどなあ」
「でも自分、だまってたらクールに見えなくもないし! その方が皆、喜ぶんだから仕方ないよ。それが961プロのやり方だからね! ま、それはさておき、モモ次郎見なかった!?」
「モモ次郎? ……って何だい?」
「自分が飼ってる、モモンガのモモ次郎だよ! カゴをあけたら、うっかり逃がしちゃって! さっきからずっと、探してるんだよ。モモンガって飛ぶから、逃げると、やっかいなんだぞ!」
「私の名は、四条貴音、と申します」
「四条、貴音……。君、失礼だけど、まだ十代だよね?」
「そ、それは、いかなる意味でしょうか?」
「いや……、その、話し方が少し……」
「……この話し方は、じいやと話すことが、多かったゆえです。やはり、その……どこかおかしいのでしょうか?」
一方で、プロデューサーと千早が絆を深めていくストーリーも、同時に進行していった。その中で、千早の強さ、ストイックさの理由も、明らかになる。
「墓地……? 千早、俺をつれてきたかったところって、ここ?」
「はい。くわしく話すなら、ここがいいかと。両親の離婚の原因になった、事件について。父と母の仲が悪くなりはじめたのは、8年前……と、いうのは、話しましたっけ?」
「きいた気がする」
「8年前……とても大切な人が、私達の前から、突然、姿を消しました。この……目の前のお墓の下に眠っているの、私の弟なんです」
「亡くなった、のか?」
「はい、交通事故で。母と買い物に出かけた時、手を振り切って、道に飛び出してしまって……一瞬だったそうです。父は、母を激しく責めて、母は、泣きじゃくるだけで……弟は……いつも、私の下手な歌、よろこんできいてくれました。私はあの日、たったひとりの兄弟と、幸せだった時間を、同時になくしたんです」
「……そうか。それ以来、千早の両親は」
「はい。そのせいで、ずっと苦しい思いをしてきました。けど、もう両親を責めようとは、思いません。あれは、やはり不運な事故だったんです。ふぅー、こうしてゆっくり、弟に会いにきたの、デビュー前以来です。なにから、話せばいいでしょう? いろいろ、ありすぎたから、迷ってしまいますね」
「当然、千早の活躍ぶりだろ。そんなにお姉ちゃんの歌、好きだったんなら」
「ふふっ、そうですね。悲しい話は、あまりしたくないです。プロデューサーからも、いろいろ話してあげてくれますか? きっと、よろこぶと思うので」
そして千早と美希は順調にIU予選を勝ち上がっていくが、二人の関係は徐々におかしな雰囲気になっていき……
「……あふぅ。あれ、千早さん。あ、そっか。今日、IUの予選の日なんだね」
「美希……。ちょうど今、あなたの話を、していたのよ。どうしたの、今日は仕事?」
「うん。番組の収録なんだけど、今、休けい時間だから、お散歩しにきたの。つまんない番組だし、このまま帰っちゃおっかな。ねえ、プロデューサー、ミキと遊び行こ?」
「な、何、言ってるんだよ。俺は仕事! 千早のIUオーディション、これからなんだぞ」
「ふーん。でも、IUも、最近、つまんないよね。ミキ、ちょっと飽きてきちゃったかも。どうせミキが勝つし。そんなのほっといて、やっぱミキと遊びに行こ? その方が楽しいよ」
「み、美希! 何を言ってるの!?」
「あ、千早さんも、一緒に来たい? オジャマだけど、いいよ、来ても。構わないの」
「そんなことを言ってるんじゃないでしょうっ! 不真面目なこと言うのは、止めなさいっ!」
「ひゃん! 大きな声出しちゃ、や! なに怒ってるの、千早さん?」
「……美希。私は真剣にIUに取り組んでいるの。このオーディションに来ている他の人もそうよ。皆、自分の限界と戦っているわ。その人達の前で、どうせ美希が勝つとかつまらないとか、そんなことを言うのは、失礼なの。そのぐらいのことも、わからない?」
「うう……。だって、ホントにつまんなくなってきたし、ホントにミキが勝つつもりなんだもん」
「……見損なったわ、美希。はっきり言って、すごく失望した」
「え……」
「いつもの怠けグゼが出ただけなのか、事務所が変わって人格まで変わってしまったのかは、わからない。けれど、私の知っているあなたは、周囲の人をバカにして、そのまま平気で、『自分は悪くない』って、開き直るような子じゃなかった」
「あ、あの、ミキ、そんなつもりじゃ……」
「言い訳は、ききたくないわ」
「うう……」
「ち、千早。そう怒るなよ。少し、お互い冷静になった方が……」
「私は常に冷静です! よりによって、プロデューサーを遊びに誘うなんて、美希ったら」
「!! もしかして、千早さんが、怒ってるのって、そこ? 道理で怒りすぎだと思ったの。千早さん、ミキのこと無神経だとか失望したとか言って、ホントは、ミキがプロデューサーを誘ったから、ムカついただけなんじゃないの?」
「な……そ、そんなわけないでしょう?」
「どうかなあ。千早さん、自分がプロデューサーのこと、素直に誘えないからって、ミキにシットしすぎなの。バカみたい!」
「……バカバカしくて、話す気にもならない」
「それは、ミキのセリフなの!」
本選・準々決勝に進出したころには、完全に千早、美希、プロデューサーの三角関係の話になっていた。
「……わかったの。プロデューサーが欲しいのは、才能のあるパートナーってことだよね? だったら、ミキにも、なれるもん! ミキの方が才能があるってこと、ハッキリさせるの」
「ど、どうするつもりだよ?」
「千早さん、ミキと勝負して!」
「それはIU優勝を目指して戦うということね? 望むところよ」
「それと、プロデューサー!」
「え、俺!?」
「もし、ミキが勝ったら、961プロに来て、ミキをプロデュースしてほしいの! ミキが優勝したら、千早さんより才能あるってことになるから、パートナーにしてくれるよね」
「ええっ。そ、それはだな……」
「美希! あなたは、プロデューサーを賭けの賞品にするつもり? やめなさい、そんなことは。プロデューサーが、あなたにとって、本当に大切な人なら、そんな風に扱ってはいけないわ。大切な人を粗雑に扱えば、その人を失った時、傷つくのは、あなたなのよ!」
「……この勝負に勝ちさえすれば、ミキはプロデューサーを失ったりしないもん。千早さんがプロデューサーと恋人じゃないなら、ミキに譲ってよ。そしたらIUで負けてあげる」
「美希。千早は、そんなことを言ってるんじゃ、ないんだぞ。どうしてわからないんだ?」
「プロデューサーは黙っててってカンジ! 今のプロデューサーは、ただの賞品なんだから!」
「そんな言い方をして……プロデューサーは、モノじゃないのよ、美希! それに、勝ちを譲ってもらう必要など、私にはないわ。実力で、あなたに勝ってみせる」
「できるなら、やってみてほしいな。ミキだって、本気出せば、千早さんには勝てるもん!」
「わかった。あなたが、そんなに勝負にこだわるなら、その挑戦、受けてあげるわ。そして、大切なものを全て、手に入れてみせる……私の歌で!」
(ぱさっ)
開いているページの上に落ちた額を、百合子はのろのろと持ち上げた。そして両手で本を枕の向こう側へ押し出すと、今度は顎を枕に落とした。午後から夜にかけて、興奮しっぱなしだった反動か、急にエネルギーが切れた感じがした――でも、お話も盛り上がってきてるし、読んじゃいたいな……
うつらうつらしながらも字面を追うと、千早はついに、たった六人にしか許されないIU決勝の舞台に立つ日を迎えていた。
「プロデューサー、本当に、たどり着いてしまいましたね。今日という日の、この場所に……初めてお会いした頃、一緒に頂点を目指そうと約束したこと、覚えていますか?」
「当然だろう。昨日のことのように、覚えているよ……」
『歌でトップに立てないのなら、その程度の力しか、私にないのなら……私の存在など、歌の歴史から消えてしまった方がいい。けれど、そうはなりません。至高の座、必ずつかみとってみせます。道は険しくても、この手で……必ず!』
『よし、その決意、俺も全力でサポートする。必ずIUで優勝して、トップに立とう、千早!』
『はいっ! 約束です、プロデューサー。共に行きましょう、誰も到達したことのない高みへ!』
「思えば、あれが、私とプロデューサーの、初めての約束でしたね」
「そうだったなあ。最初は、ただの約束だったのに、本当に、ここまで来ちゃうなんて……千早は、スゴイよ。素直に、尊敬する」
「そんな……スゴイのは、プロデューサーです。私は、的確な指導に導かれてきただけですから」
「そうか。じゃあ、二人ともスゴイってことで、いいんじゃないか」
「ふふっ。そうですね。では、二人ともスゴイということに」
決勝に残った六人の中には、美希もいた。
「美希! ……健闘を祈っているわ」
「千早さん……うん、ミキも!」
「「……でも、負けない!」」
そしてついに始まったIU決勝。一位に輝いたのは……
「……」
「IU優勝おめでとう、千早! スゴイぞ! トップアイドルだーっ! ……って、あれ? どうしたんだ、千早。だまりこくって。優勝したのに、うれしくないのか?」
「う、うれしいです。でも、こういう時、なんと言ったら……?」
「なんだっていいんだよ。叫んだっていい。『やった』でも『最高』でも『愛してる』でも!」
「で、では、失礼して……。やったー! 最高っ! 愛してるーっ!」
一方、黒井社長の叱責を受けた美希は、泣きながら会場を飛び出してしまった。千早は美希を追い、プロデューサーも続いた。
スタジオの裏まで走ったところで、ようやく追いかけっこは終わった。
「はあ、はあ……。やっと追いついた。相変わらず足が速いわね、美希……」
「ぜえー、ぜえー……ち、千早も、相当速いぞ。うう、ちょっと休ませてくれ。息が苦しい……」
現役、アイドル、の、体力に、ついていけるわけ、ないだろ。心の中でこぼした愚痴まで、ぜーはー言ってる感じだ。両ひざに手をついて、なんとか呼吸を整えようとしているところに、美希の声が降って来た。
「……うう。なんで、追いかけてきたの? 2人して、ミキのこと、笑いにきたの?」
「違うわ、心配だからよ。私は、もう二度と大切なものを無くさないって決めているの」
身体を起こしはしたものの、まだ息の荒いままの俺を置いて、話が進んでいく。なんだか情けないぞ。
「大切なのは、プロデューサーでしょ? IU本選が始まる前、千早さん、言ってたの。歌で、大切なものを手に入れてみせる、って」
「プロデューサーを賭けての美希の挑戦を、受けた時ね? 覚えているわ」
「それって、IUでミキに勝って、プロデューサーを手に入れるってことでしょ? いいね、千早さんは……望み通りのもの、ちゃんと手に入って」
いや、だからそれは誤解……と言っても、美希には通用しないだろうな。何て言えばいいんだ?
「私は『大切なものを全て』と言ったのよ、美希。プロデューサーだけじゃ、足りないわ」
「え……」
「『大切なもの』の中には、美希も入っているの。知らなかった? 私は意外と欲張りなのよ。美希、お願い。戻ってきてくれないかしら、765プロへ」
千早……すごいな。俺以上に、美希のことをきちんと考えてる。それに、今の千早の、美希を見つめるおだかやかな眼差し。初めて会ったときの、鋭い目つきとは大違いだ。歌の技術と一緒に、千早は人間としても大きく成長した。俺のプロデュースは成功だった、って言っても、自惚れじゃないよな。よし、これからも頑張って……
「もし戻ってくれるなら……私は、他のプロデューサーと組むことになっても、いいと思っているわ」
は?
「ち、千早! 本気か? 俺とのコンビ、本気で解消する気なのか!?」
「有能なプロデューサーを、私だけが独占していては、高木社長に、怒られてしまいます。私は……、ここまで連れてきていただいただけでも、満足していますから……本当です」
――またアイドルとプロデューサーが別れちゃうんだ……トップアイドルになったあとにだって、いろんなドラマがあるはずなのに……ダメ、今、目、閉じたら……
そう思ったのを最後に、半睡半醒だった百合子は、瞼の重みに耐えきれなくなった。残りわずかなページを押さえていた手から力が抜けて、THE iDOLM@STER SP ミッシングムーンが閉じる。そして数秒後には、百合子は枕に頬を押し付け、規則正しい寝息を立てていた。
操り人形にでもなかったかのように~
百合子はアイドルマスターミリオンライブ! シアターデイズ(ミリシタ)における「Chrono-Lexica」で、操り人形をイメージさせるジャケット写真を撮っています。
落ち着きのある赤、青、黄のグラデーション~
PSP版のアイドルマスターSP(SP)のタイトル画面の色です。響、貴音、黒井社長はこの作品で初登場しました。また、小鳥さんがゲーム内に登場するのは、この作品の前に出されたファンディスク的な「THE IDOLM@STER LIVE FOR YOU!」に続き2回目となります。
「パーフェクトサン」「ミッシングムーン」「ワンダリングスター」
SPは3作同時発売で、パーフェクトサンは春香、やよい、真を、ミッシングムーンは千早、あずさ、律子を、ワンダリングスターは雪歩、伊織、亜美真美をプロデュースできました。
宝石泥棒や殺人犯と対決する親友三人組
アストリッド・リンドグレーンの「名探偵カッレくん」シリーズから拝借しました。百合子はろろことばをマスターしているでしょう。
気が付かない間に船が海へ出てしまった四人兄妹
アーサー・ランサムの「海へ出るつもりじゃなかった」から拝借しました。百合子はレモネードをラム酒と言っていたはずです。
ローラースケートをはいた馬に乗って南洋へと旅立つ少年
エーリッヒ・ケストナーの「五月三十五日」から拝借しました。百合子は岩波少年文庫はすべて読んでいるかと。
太陽、月、星の中なら、自身は月
GREE版ミリオンライブ及びミリシタで、百合子はBlueMoon Harmonyの一員です。
THE iDOLM@STER SP ミッシングムーン
このタイトルが表示されて以降の、百合子が読んでいる部分は、SPのセリフをもとに筆者が地の文を加えて小説文化したものです。