はてしないTHE iDOLM@STER   作:765歌劇場P

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六(前)

 気が付いたとき、百合子はローテーブルに突っ伏していた。そのままの姿勢で数回瞬きしてから、はっと身体を起こし、周りを見る。扉、クローゼット、ベッド、机。下から二段目にはてしない物語がある本棚。どこからどこまでも、自身の部屋だった――えっと、私、THE iDOLM@STERの世界に呼ばれたんじゃ? バスチアンみたいに……違うの? まさか、夢? だとしたら、どこから? フレンチトースト食べたのは絶対に現実だし……

 ローテーブル上に視線を向けると、ミリオンライブの入っていた端末は消えていた。その代わりとなる新しいTHE iDOLM@STERは、見当たらない。百合子は立ち上がり、机の上と引き出しの中、さらにベッドも確認したが、六冊目の本は、やはりどこにもなかった。 夢、現実のいずれにしても、春香に新しい道筋を示した時点で、自身の冒険は終わったらしい。残念なような、ほっとしたような、何とも言えない気分になった、そのとき。

(ジリリリリリ!!)

 目覚まし時計が鳴った。突然のことにびくっとなった百合子は、慌てて手をのばし、スイッチをオフにする。時刻は五時半――アラーム、かけたっけ?

(コンコン)

 今度はノックの音だった。

「百合子、起きたか?」

――お父さん?

「あ、うん」

「そうか、早く下りて来いよ……ふわぁ……」

 遠ざかるスリッパの音を聞きながら、百合子はどこか腑に落ちない感じがしていた――起きたか、って、私、やっぱり寝てた? お父さんも、なんか眠そうだったけど。

 顔を扉から室内へ向けなおすと、カーテンの隙間から差し込んだ白っぽい光が、枕の上を横切っているのに気づく。何気ない場景。ただ、何かが引っかかる。一瞬の後、その違和感の正体に気づいた百合子は、机上で充電中のスマートフォンに飛びついた。画面に浮かび上がる時刻は、5:32。17:32ではなく、5:32。

「朝っ!?」

 東向きの窓を照らす朝日の熱を感じながら、百合子は混乱していた――ずっと寝てたの!? 夕ご飯もお風呂もなしで!? おかしくない!?

 何がどうなっているのか。さっぱりわからなかったが、百合子はとにかく、父親を追うように部屋を出た。

 

 一階に下りた百合子は、まず両親に文句を言うつもりでいた。どうして昨日、夕食のときに起こしてくれなかったのか。呼んで返事がなかったとしても、部屋に様子を見に来るくらいはしてほしかった。それとも、ローテーブルに伏せて動かない娘を見て、そのまま放っておいたのだろうか。だとしたら、なおさら一言必要だと思った。

 ダイニングキッチンのドアノブに手をかけたとき、玄関にキャリーバッグを出してあるのが目に入った――お父さん、ひょっとして出張? ふだんよりもだいぶ早起きだし。話できる時間ないかな?

 扉を押し開けると、いつも通り、コーヒーの香りが漂ってきた。

「ああ、百合子、おはよう……ふわぁ……」

 朝食をテーブルに運んでいる父親は、さっきと変わらず眠そうだったが、そんなに急いでいるふうでもなかった。

「あの、お父さ……」

「ん、なんだ百合子、その恰好。寝起きのまま行く気か?」

「へ? 行く気か、って……」

「おいおい、寝ぼけてるのか? 今日からだろ、765プロのって」

――え?

「期末テストのあとなら合宿OKって、先生、言ってくれたじゃない。今になって、行くのやめにするつもりかしら?」

キッチンで盛り付けをしている母親が、顔を上げて話を引き取る。

「765プロ……合宿……」

「ほらほら、着替えてらっしゃい。杏奈ちゃんと待ち合わせしてるんでしょ?」

「あ……杏奈ちゃん!?」

 思わず叫んでしまった百合子に。

「どうした、大声だして?」

 父親は目を丸くし。

「早くしてね、ほんとに」

 母親は笑顔で急かしてくる。

「……うん、わかった……」

 百合子はどうにか両親に返事をすると、回れ右をして廊下に出た。ぎこちなく手足を動かして階段を登り、自室に戻るまで、なんとか我慢する。そして中に入って後ろ手で扉を閉め、一呼吸置いてから。

「ええええっ!」

――765プロの合宿!? 何それ!? ううん、決まってるじゃない! ここ、THE iDOLM@STERの中の世界ってことだよね!?

 夢ではなかった。全部本当だった。はてしない物語のバスチアンと同じことが起きた。沸騰しそうになる頭を両手で押さえ、部屋の中を行ったり来たりしながら、百合子はこれからどうなるのか、何をすればいいのか、必死に考えた。今、分かっているのは、自身がこれから765プロの合宿に参加することと、杏奈と一緒に行く約束をしていること――どうしよう!? 私、アイドルなの!? 歌もダンスもできないのに!? それに、杏奈ちゃんと待ち合わせって、どこで何時何分!?

「百合子、まだかー? 百合子ー?」

「今、行くー!」

 階下からの父親の声に返事をしてから、百合子はクローゼットを開けた――とにかく、着替えなきゃ。

 

 新宿駅南口改札を入ってすぐの壁際。父親が貸してくれたキャリーバッグを傍らに立てた百合子は、真剣な表情でスマートフォンを見ていた。メール、電話帳、通話履歴、写真。メモリに蓄積されたそれらの存在に気付いたとき、百合子は地獄で仏の思いだった。今までに確認できた情報によれば、この世界の765プロは、響や貴音がいたり、竜宮小町の活動があったりと、THE iDOLM@STER 2の設定に近そうだった。また、春香がアイドルアワードという賞を勝ち取っていたり、美希のハリウッド進出や千早の海外レコーディングが世間の話題になっていたりと、所属アイドルは皆、かなりの人気を博しているようだった。

 一方、百合子自身はまだアイドルになる手前の、養成スクールに所属する練習生で、学校が終わった後、歌やダンスのレッスンを受けている、といった感じだった。スクールにはミリオンライブに出てきた子も何人かいて、百合子は今度 、彼女たちとともに、765プロのアリーナライブでバックダンサーを務めることになっていた。そして今日は、ライブに向けた765プロの合宿初日。合宿所までの移動は新幹線利用で、集合場所の東京駅へは、同じくバックダンサーに選ばれた杏奈と一緒に行く約束をしていた。この世界の杏奈とは、スクールでのクラスは別々で、知り合ってからも間もないらしかったが、それでもすぐに仲良くなれたようだった。

 春香たちが、トップアイドルとまではいかなくとも、すでに有名になっていて、自身はその後輩という、念願だった「輝きの向こう側」の物語に相応しいシチュエーション。とはいえ、それを楽しもうという気持ちを、今の百合子が持ち得るはずもなかった。読者ならぬ登場人物の身になってしまった以上、まずはとにかく、このパラレルワールドに適応して、生きていかなければならない。

 幸いなことに、学校の友人たちとやりとりしたメールや写真は、百合子の記憶とほぼ一致していた。この世界は、自身が芸能活動を始めていること以外、現実と変わらないらしい。アイドルスクールに通いだしてからの日もまだ浅いようで、歌やダンスが拙くとも、何とかごまかせるかもしれないと思えた――あとは合宿に参加するメンバーと、うまく関係を作れたら……

「……百合子さん、お待たせ……」

「えっ……」

 声のしたほうを向くと、そこにいたのは、ピンク色のパーカーに膝丈のデニムスカート姿、小ぶりなキャリーバッグを引っ張り、眠たげな表情を浮かべた女の子――杏奈ちゃんだ! 

 顔を見たのは初めてなのに、はっきり分かる。ミリオンライブの最後で春香たちが見えたときと同じだった。

「……んと……どうしたの?」

「あ……ごめん、ちょっと考え事してて」

 それ以上、言葉が出てこない。怪訝そうな表情を浮かべる杏奈と、しばらく無言で見つめ合ってから。

「い、行こっか、杏奈ちゃん」

「……うん」

 二人並んで歩き出す。新宿駅といえども、早朝の人出はそう多くない。キャリーバッグを転がす音が妙に響く中、杏奈が話しかけてくる。

「……765プロの人たち、どんな感じ、なのかな?」

「あー……どうなんだろ?」

「……杏奈、初めての人と話すの、苦手だし……十二人もいるから……」

十二人? 十三人のはずじゃ、と一瞬思った百合子だったが、すぐにその理由を思いついた――律子さん、ミリオンライブだとアイドルだったけど、竜宮小町のいる世界なんだし、またプロデューサーになってるかも。

「……百合子さん……何か、あったの?」

「えっ?」

「……いつもより、無口な感じする、から……」

 杏奈の言葉に、百合子はひやりとした。この世界にとって、自身は別次元からやってきた異邦人だ。その事実をうっかり漏らしでもしたら――白い拘束具を着せられて、監視カメラで二十四時間モニタリングされる精神病院に入院させられたりとか、表舞台に出てこない政府機関に拉致されて、サングラスをかけた黒服がガラス窓の向こうで見つめる中、マッドサイエンティストの研究材料にされたりとか!?

 ぼろを出したら、一巻の終わり。身震いした百合子は、とにかく言葉を絞りだした。

「まだちょっと眠くて。昨日、合宿のこと考えてたら、目が冴えちゃって……ふわぁ……」

「……そう、なんだ」

「杏奈ちゃんは、眠れた?」

「……うん……平気」

 なんとか普通のやり取りに持ち込みながら、胸の内では溜息をもらす。ミリオンライブで一番仲が良く、描写も多かった杏奈との会話ですら、これでは。先行きに不安を抱えながら、百合子はホームへ下りるエスカレーターに足を踏み出した。

 

「わぁ……」

「なになに? 何か見えた?」

「いえ、景色がどんどん流れて行って……新幹線って、本当に速いんですね!」

「はれっ? 星梨花ちゃん、新幹線乗ったことなかったの?」

「はい、初めてです」

「意外やなあ。旅行とか、よく行ってるんちゃうん?」

「旅行はいつも、飛行機かパパの車なんです」

 通路を挟んだ席にいる三人の賑やかな声を、百合子は開いた本に視線を落としながら、聞いていた。こちら側の、二人掛けシートを向かい合わせにして座っている、自身を含めた四人は、ずっと静かだった。隣の杏奈は、車窓に目もくれず携帯型ゲームに没頭しているし、その向かい側にいる、杏奈と同い年でウェーブがかったロングヘアの少女、北沢志保も、スマートフォンを操作している。ちらりと目を上げると、正面の席では、今回のメンバーでは最年長の佐竹美奈子が、旅程表とにらめっこしていた。百合子が再び本に集中し、ページをめくろうとしたとき。

「百合子、何読んでるん?」

 声のしたほうへ首を巡らすと、通路越しの隣席から上半身を乗り出した、大阪生まれのムードメーカー、横山奈緒に、手元を覗き込まれていた。

「エンデのはてしない物語です。読んだことありますか?」

「ないけどな、一つだけ分かること、あるで」

「えっ?」

「それ、大きすぎ。合宿に持ってくには向いてへんやろ」

「ま、まあ、そうかもですけど……」

 朝、着替えて部屋を出るとき、百合子は本棚の下から二段目にあったこの本を手にしていた。外箱入りのハードカバー、六百ページ近い厚み。奈緒の言葉通り、持ち出すのに向いているとは言えない。それでも、ファンタージエンへ飛び込んだバスチアンの描写が、きっと自身の参考になるはず、と思えば、キャリーバッグに押し込むしかなかった。

「東京の中学校でも、夏休みの宿題に読書感想文あるんやろ? 可奈、いけるほう?」

「わ、私は、ちょっと苦手かな……」

「わかるで。星梨花は?」

「苦手じゃないですけど、時間かかっちゃいます」

 奈緒は三列シートの真ん中に座る矢吹可奈、窓側の箱崎星梨花にも会話を広げていた。読書に戻っていいものか迷う百合子の耳に、今度は美奈子の声が届く。

「その本、面白い?」

「あ、はい」

 正面に向き直りながら返事をすると、美奈子が優しげに微笑んでいた。

「まだ少し時間あるから、読んでて大丈夫だよ。名古屋が近づいたら、声かけるから」

「はい、ありがとうございます」

 バックダンサーに選ばれた七人のうち、百合子を含む五人はまだ中学生だったので、高校生の美奈子と奈緒が、必然的にリーダーの役回りを担ってくれていた。百合子としては、二人についていけばとりあえずは大丈夫そうだと感じる一方、他のメンバーが中二の杏奈、志保、可奈、中一の星梨花で、自身のみ中三というのは、なんとも悩ましかった。年少グループの中では一番上のお姉さんという、微妙な立ち位置で、いったいどう振る舞うのが正解なのか。さっぱりわからないまま、百合子はとにかく、はてしない物語を読み続けた――これからどうすればいいのか、ヒントがあるかもしれないんだし。

 

 新幹線を下りた後、在来線を乗り継ぎ、さらに路線バスに揺られ、合宿所の民宿に到着したときには午後になっていた。七人に割り当てられた一階の大部屋で荷物を解いた後、少し空いた時間に、百合子ははてしない物語を、全体の折り返し地点、バスチアンがファンタージエンへと足を踏み入れたシーンまで進めていた。

 バスチアンは月の子(モンデンキント)と出会い、できるだけ多くの望みを持つようにと告げられる。望みこそが、ファンタージエンを救う源泉になる、と。バスチアンは当惑した。背が低く太っていて、顔色の悪い弱虫は、どう考えても救世主に相応しくない。しかし、月の子(モンデンキント)の瞳を覗き込むと、そこに映っていたのは、誇り高く毅然として、ほっそりと上品でありながら、力強さも感じさせる美少年だった。それが今の彼自身の姿だと理解したとき、バスチアンは悟る。ファンタージエンは、彼自身の望みが実現する世界なのだ。

 ここまで読む中で、百合子は忘れていた細かい部分も思い出し、続きがどうなるのかもだいたい分かるようになっていた――バスチアン、美少年になったら、太っちょだったことを忘れちゃうんだよね。それで、このあとも望みが叶うたびに、その前がどうだったのかの記憶が無くなって、最後は現実世界のこと、ほとんど全部忘れちゃって……って、もしかして私も!?

 元の世界に戻れなくなるかもしれない。今さらながらの思いつきに動揺した百合子は、不安を打ち消せるようなロジックの組み立てに挑んだ――確かに、トップアイドルになった後の春香さんたちを見たいって望んだのは私だし、それっぽい世界が実現してる。でも、バスチアンと違って、望み通りになっても、元の世界のことや、五冊のTHE iDOLM@STERの内容、忘れてないよね。それに、バスチアンだって、結局は現実に帰れたんだし。きっと大丈夫……なはず!

 いまいち説得力に欠ける気もしたが、百合子はとにかく納得することにした。そして、次のページをめくろうとした、そのとき。

(タタッタタタッタッ)

 入り乱れた足音のあとに、ふすまが開き、閉まる音も続く。顔を上げると、浮足立った奈緒と可奈が部屋に入って来たところだった。

「来たで!」

 奈緒の一言で、部屋の空気が変わる。

「みんな、準備はいい?」

 美奈子の呼びかけに、皆がごそごそし始める中、百合子もはてしない物語を閉じ、外箱に入れる。少しの後、ふすまがノックされ、朗らかな男の声が続いた。

「765プロだけど、入ってもいいかな?」

「ど、どうぞ」

 美奈子の返事に、ふすまが開く。そこに立っていたのは、眼鏡をかけた優男――プロデューサーさんだ!

 いよいよ、輝きの向こう側に進んだアイドルのお話が始まる。百合子は顔の筋肉が強張るのを感じながら、立ち上がった。

 

 プロデューサーに案内された、廊下との仕切りのない談話室で、百合子は他の六人とともに、奥側の窓を背にして並び立っていた。自身の呼吸音がやけに大きく聞こえるし、心臓もばくばくしている。何か一口、飲んでくれば良かった、と思ったとき、廊下に眼鏡をかけた女性が現れた。百合子は、それが律子だともちろん分かったし、やはりこの世界ではアイドルでなく裏方らしいとも直感した。

「こっちよ。入って、座って」

 振り返った律子の呼びかけに、春香が、美希が、千早が、他のアイドルたちも姿を現わし、次々と部屋へ入って来る。百合子は、その様子を視界に捉えてはいたが、誰とも目を合わせないようにしていた。口の中はからからだった。

「あの、そんなに緊張しなくていいから」

「みんな本業は同じスクールに通うアイドル見習いだけど、今回は特別にダンサーとして協力してくれることになったの」

プロデューサーの苦笑交じりの声も、律子の説明も、妙に遠く感じる。

「はい、自己紹介」

 律子に促され、全員が並んでいる順に名乗っていく。

「佐竹美奈子です!」

「横山奈緒です!」

――あ……私の番!?

「な……七尾百合子です!」

 ぎりぎりで我に返って、なんとかやり過ごす――ちょっと噛んじゃったけど、大丈夫だった?

「北沢志保です」

「箱崎星梨花です」

「望月杏奈、です」

「やっ、矢吹可奈です!」

 最後の可奈が言い終えたあと。

「よろしくお願いします!」

 全員で声を揃え、頭を下げる。

(パチパチパチパチ)

「よろしくお願いします」

 拍手の音に続いて、春香たちの声も聞こえた。顔を上げたとき、百合子はようやく、765プロのアイドルをきちんと見ることができた。ソファに座る春香と千早、真と雪歩。廊下との境の段差に腰掛ける響。その左に伊織、右に美希とやよいが立っていた。

「よろしくね」

 春香が微笑みながら、一番近くにいる可奈に話しかける。

「はっ、はいっ! 頑張ります!」

 大声で返事をする可奈の様子を窺いながら、百合子は少し安心した――私だけ挙動不審、ってことにはならなそう。良かった……って言っていいのかな?

 

 顔合わせの後、用意してもらったトレーニングウェアに着替え、別棟のレッスン場へと移動した百合子たちは、765プロのアイドルと一緒に、合宿の基本方針やスケジュールについて、プロデューサーと律子から説明を受けた。亜美、真美、あずさ、貴音の合流は今晩で、真と雪歩も数日後に一時離脱するといった、売れっ子ぶりを示す話に、体育座りで膝をかかえた百合子は、この世界が自身の望んだ、輝きの向こう側の物語の舞台だということを、改めて感じていた。

「まだ全員そろってはいないけど、みんなで作った貴重な時間だ。有意義に使おう!」

「はい!」

 プロデューサーの締めの言葉に、アイドルもバックダンサーも、声を揃えて返事する。ここは百合子も大声で和した――うん、挨拶と返事はしっかりしよう。それだけでも、だいぶ不審者っぽさは減るはず。

「合宿中はビシバシいくから、覚悟しなさいね」

「望むところだぞ」

「あんたのしごきには慣れてるわよ」

 律子の猛特訓予告に、響と伊織が応じる。続けて律子は、春香を指名した。

「リーダーとして、一言お願い」

「は、はい」

 立ち上がった春香を、真と雪歩がはやし立てる。

「よっ、頼んだよリーダー!」

「春香ちゃん、頑張って!」

「えへへ……うわわっ」

 前に出ようとして転びかけた春香は、なんとかこらえると、照れ笑いを浮かべながら百合子たちのほうに向き直った。

「あはは……え、えーと、一言、一言……」

「意気込みとかあるでしょ?」

「そ、そうだね……えっと……」

 伊織に促された春香は、少し考えてから、話し始めた。

「まず、こうしてみんなで協力して、合宿を実現できたことが嬉しいです。今回のアリーナでのライブは、過去経験したことない、大きな規模のライブだよ。私たちにとって、大きなステップアップになると思うし、大切な思い出にもなると思う」

 春香の言葉は、どんどん熱を帯びていく。

「何より、応援してくれる多くのファンの人たちのためにも、力を合わせて、最高のライブにしよう!」

「おー!」

 春香の呼びかけに、765プロのメンバーは全員立ち上がって、腕を突きあげる。百合子はその光景を陶然と眺めていた――すごい! 春香さん、すごい!

 百合子の想像していた輝きの向こう側の世界を軽々と超える、圧倒的な説得力を感じさせる春香と、そんな春香を当然のように受け止める美希や千早たち。しかもそれが、本の中ではなく、目の前で繰り広げられている。あまりにも刺激的だった。

「みんなー! いつもの、いくよー!」

 号令をかけた春香を起点に、円陣が組まれる。

「ほら、アンタたちも!」

「は、はい!」

 伊織に誘われて、百合子たちも立ち上がり、輪に加わった。

「じゃ、いくよー? 765プロー!」

「ファイトー!」

 春香の声に掛け声に、765プロのアイドルたちは声を揃えて応える。

「ファ、ファイトー」

 戸惑いながらも追随するバックダンサー陣。百合子は内心の興奮のまま、気合いの入った雄たけびを上げそうになったが、寸前で雰囲気を察し、皆に合わせた遠慮がちな声にして、その場を乗り切った。

 

「うーでもー、あーしもー、うーごかーないー、上腕三頭筋がー、大腿四頭筋がー!」

「可奈、その歌やめてくれへん? 余計しんどなるわ」

「ここ、一人部屋じゃないのよ」

 畳に倒れ伏した可奈のでたらめな歌に、重ねられた布団へ上半身を投げ出した奈緒と、スマートフォンをいじっている志保が、つっこみを入れる。初日のレッスンが全て終わり、大部屋に戻った百合子たちは、くたびれ切った身体を、思い思いの方法で休めていた。壁際に座り込んだ百合子も、疲労感は相当なものだったが、それでも気力を奮って、はてしない物語の続きを読んでいた。

 バスチアンはファンタージエンで、次々と望みをかなえていった。巨大なライオンを手なずけ、英雄たちの集まる競技大会で優勝し、素晴らしい詩を作って、人々の称賛を欲しいままにする。そしてついには、ファンタージエンの帝王の座を望むようになるのだが、そのときのバスチアンは、すでに現実世界の記憶の大半をなくしていた。

 百合子は再び不安になってきた。バスチアンは記憶がなくなっても、それに気づかない。当然ながら、人は何かを忘れているとき、そのことを自覚できないわけで――ひょっとしたら私も、気が付いてないだけで、何かの記憶をなくしてたりするのかも?

 これから、どうすればいいのか。百合子は確信を持てないながらも、ひとまずバスチアンを反面教師にしようと決めた。多くを望まず、端役として地味にやっていく。格別難しいことでもなさそうに思えた。もともと春香たちの活躍するお話を読みたかったわけで、自身を主役にするつもりなど、さらさらない。実際、今日のレッスンを思い返してみても、百合子たちバックダンサー組は、765プロのアイドルたちに技術体力双方で差を見せつけられる、いわば引き立て役になっていた――ミリオンライブでダンスが得意だった美奈子さんや奈緒さんもきつそうだったし、杏奈ちゃんもハイテンションになるスイッチ、入らなかったよね。それってつまり、主役は春香さんたちって私が思ってるから、そんな感じの世界になってるってことで。だったら、このまま普通に、余計なことしないようにすれば、たぶん大丈夫……

「765プロっていいなぁ。なんか、信頼で結ばれてるっていうか……」

「別にそういうの、関係なくない? プロの人って、もっとドライなのかと思ってた」

 可奈と志保、ミリオンライブでも仲の良かった二人の会話をBGMに、百合子ははてしない物語の、残り少ないページをめくった。

 

 連日のハードなトレーニングを何とかこなしていき、合宿も佳境に入った一日、レッスンがメディア向けに公開された。テレビカメラや芸能記者に取り囲まれる765プロのアイドルたちを、百合子は杏奈や星梨花と一緒に、邪魔にならないよう、座って眺めていた。その後、取材陣に見守られる中、全員でのレッスンが始まった。

「ワン、ツー、スリー、フォー、ファイブ、シックス、セブン、エイト! ワン、ツー、スリー、フォー……はーい、ちょっとストップ! 全体を意識して! もう一回!」

「はい!」

「じゃ、同じところから。ワン、ツー、スリー、フォー……」

 手拍子を取る律子の指導に、百合子もみんなと一緒に大声で返事をして、また踊り始める。ただ、やはりいつもとは勝手が違った。ターンするたび、どうしても周囲が目に入る。テレビカメラ、一眼レフカメラ、ガンマイク……見たこともない、本格的な機材を手にする人々。事前にプロデューサーから、特に意識をせず、練習に集中するようにと言われてはいたが、気になるのは止められない。しっかりやらないと、と思いながら身体をひねったとき、床についた足が外側によじれる。

「あ、あっ!?」

 次の瞬間、百合子は尻もちをついていた。

「あ……真、救急箱!」

「わかった!」

 律子と真の声が聞こえる中、百合子は何とか立ち上がるが……

「痛っ!」

「だめよ、動いちゃ」

 左足首がズキリと痛み、ふらつきかけたとき、背後から肩を支えられた。振り向くと、すぐ近くにあずさの顔があった。あまりにも綺麗で、少しどきっとする。

「こっちに」

 促されるまま、レッスン場の隅に移動し、腰を下すと、救急箱を持った真が小走りでやってきた。

「あずささん、これ」

「ありがとう。百合子ちゃん、痛いのはどこ?」

「……足首です、左の」

 真から受け取った痛み止めスプレーを、あずさは数回振ってから、靴下越しに吹き付けてくれる。ひんやりとした感触が、痛みのある場所に広がった。

「靴、脱いで。靴下も」

「は、はい」

 あずさと入れ替わるように座った真からの指示で、百合子は素足になる。

「足首、動かせる?」

「はい……っ!」

「こことか痛い? ここは?」

 真の手が、患部をチェックしていく。

「大丈夫です」

「痛いの、ここだけ?」

「あっ……はい」

「そっか。たぶん、軽い捻挫だと思う。テーピングしておくよ」

 慣れた手つきでテープを引き出す真と、それを見守るあずさ。

「……すみません、ありがとうございます」

 百合子は小さくそう言うのが精一杯だった。

 

 大事をとって、その日の後のレッスンがすべて見学になった百合子は、脱落した情けなさを感じると同時に、これも輝きの向こう側の物語の要素なのかもしれない、と考えていた。主人公の前に立ち現れる、乗り越えるべき困難。お話を盛り上げる、王道の展開。ミッシングムーンでは美希、THE iDOLM@STER 2では冬馬が、ライバルとしてその役割を担っていた――今回は、私たちバックダンサーがやる感じ? もちろん、ライバルは無理だけど、足手まといとして春香さんたちを困らせる感じで。でも、最後には全部解決して、アリーナライブを成功させる、とか。

 ただ、あくまでも脇役でいたい百合子からすると、準主役とも言える美希や冬馬の立ち位置に自身を置くなど、考慮の外だった。自身以外の誰かがお話の中心になってくれたら、と思いながら、百合子はレッスン中の六人をよく観察した。

 飲み込みが早いのは、やはり高校生の美奈子と奈緒だった。リーダー格でもあるし、この二人が問題を起こす展開は考えにくい。残りの四人はどうだろうか。最年少の星梨花は、体力的には厳しそうに見える。ただ、素直で真面目な優等生という、トラブルの原因にはなりにくいパーソナリティの持ち主だ。となると、杏奈、可奈、志保のうちから――でも、杏奈ちゃんだと、私もセットで目立っちゃうかもしれないから、ここは可奈ちゃんと志保がいいかな。特に可奈ちゃん、こうやって外から見てると、ダンスが遅れてること、多いし。

 本を読んでいるとき、描写されなかったことや先の展開を考えてみるように、百合子は目の前の光景から想像を広げていた。それは日頃からの癖というだけで、特別なことではなかった。こうだったらいいのに、と気軽に思う程度で、真剣に実現を望んでいたわけではない。そのはずだった。




六(前)
長くなったので前後に分けましたが、六は映画「THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!」(ムビマス)を、百合子視点から文章化したものです。

合宿所までの移動は新幹線利用で
ムビマスでは、765プロオールスターズは飛行機で合宿所に向かいましたが、百合子たちバックダンサー組は同乗していませんでした。そこからのイメージです。

この世界の杏奈とは、スクールでのクラスは別々で
ムビマスに関連するボイスドラマがGREE版ミリオンライブで公開されたとき、判明した設定です。
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