はてしないTHE iDOLM@STER   作:765歌劇場P

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六(後)

 合宿が終わって一か月ほど後。百合子たちは、春香、千早、あずさの三人が出演する、商業施設でのミニライブに、バックダンサーとして出演した。アリーナライブに備え、本番のステージに慣れるためにも、というプロデューサーの配慮だったのだが……

「ほんまもんのステージって、音も大きいし暑うて、なんか凄かったわ」

 ライブ後の楽屋の雰囲気は、完全にお通夜だった。いつも明るい奈緒が、顔を伏せてしまっている。

「頭が真っ白になって、全然、練習通りにいかなかったですね……」

 百合子も同調せざるを得なかった。本当にぼろぼろだった。

「大丈夫なのかな、私たち」

「ほ、本番までまだ時間あるんだし、みんなで一緒に頑張れば、きっと大丈夫だよ」

 美奈子の不安げな声に、可奈が明るく言う。今回のステージで、可奈は星梨花と接触し、転倒している。一番悔しい思いを抱えているはずだ。それでも、精一杯の空元気で、弱音を吐く年上の三人に気を遣ってくれている。百合子は、ありがたくも申し訳ない心持ちだった。しかし、違う受け止め方をするメンバーもいた。

「あなたが一番出来てないんじゃない」

 そう言ったのは志保だった。

「えっ?」

「みんなでとか、一緒にとか言う前に、自分のことをどうにかしなさいよ」

 戸惑い気味の可奈を睨み、志保は容赦なく言葉を続ける。

「志保!」

 奈緒が咎め、美奈子も無言で立ち上がる。

「……やめようよ」

 一触即発の雰囲気に、杏奈が割って入る。

「そこまで言わなくてもいいんじゃない?」

 百合子も、何とかしたいという思いから、できるたけ穏やかな調子で、志保に話しかけた。そのとき。

「どうしたの?」

 楽屋の入口から声がした。振り向くと、声の主のあずさと、心配そうな表情を浮かべた春香がいた。

「あ、いえ、なんでも……」

 答えた奈緒の目は泳いでいる。ひとまず場は収まったものの、気まずい空気は漂ったまま。いたたまれない気分の百合子だったが、それとは別に、心にさざ波が立つのも感じていた――これって、ひょっとして私のせい? 合宿のとき、可奈ちゃんと志保が足手まといになるのを想像したから? まさか…… 

 

 その日以来、七人の関係はぎくしゃくしたものになり、スクールでのレッスンも、以前のようにはいかなくなった。しばらくすると、可奈が姿を見せなくなる。百合子も他のメンバーも何度かメールを送ったが、返信は無かった。こうなると、さすがに黙っているわけにもいかず、美奈子が代表して765プロと連絡を取ることに。結果、バックダンサーは765プロの預かりとなり、アリーナライブまでのレッスンを、全てアイドルたちと合同で行うと決まった。そのままでは見込みがないと、プロデューサーに思われたのかもしれない。

 合同レッスンが始まっても、可奈は来なかった。リーダーとして春香も気にしているようで、ある日のレッスンの休憩時間、壁際に座っていた百合子たちのところへ、携帯電話を片手にやってきた。

「ちょっといいかな? 今日も可奈ちゃんは……」

 春香は一番近くにいる百合子を見ていた。あまり目立ちたくないとは思うものの、この情況では答えるしかない。

「はい、連絡はしているんですけど……」

「そうなんだ……もう結構経つよね?」

 携帯電話の画面に目を移す春香。可奈との連絡を試み、返信を待っているようだった。

「可奈、諦めるんやろうか?」

「練習、辛そうだったしね」

 奈緒と美奈子が、お互い目を合わせないまま言い交わす。

「戻って来ないなら来ないで、仕方ないんじゃないですか?」

 汗を拭きながらの志保の言葉に、百合子は心をちくりと刺された気がした――志保、ミリオンライブのときは、可奈ちゃんと仲良しだったじゃない? なのに、なんで……やっぱり、私のせいなの? 私、こんな展開が見たかったわけじゃないのに……

「み、みんな、憶測で言うのはやめようよ。もしかしたら、何か来れない理由とか、あるのかもしれないし……ほら、学校で補習受けてるとか……ね?」

 自責の念にかられた百合子は、何とかしようと頑張ってくれている春香の顔を見られなかった。

 

 アリーナライブ当日まで二か月を切っても、可奈の件は、解決の兆しすらなかった。また、この時期から、本番を想定してセットリスト順に連続で踊る、それまで以上にハードなレッスンが始まった。精神面でも体力面でも厳しい状態で、本も碌に読めず、学園祭や中間テストなどの学校生活にも影響が出るほど、百合子は追い込まれていた。そんな中、バックダンサー組に対し、春香から話し合いの提案があった。レッスン場にアイドルも含めた全員が集まり、めいめい腰を下したところで、前に立った春香は、まず百合子たちに問いかける。

「この中で、ダンスを今の振り付けのままで頑張りたいって人、どのくらいいるのかな?」

 真っ先に奈緒と志保の手が上がり、遅れて美奈子も加わる。杏奈と星梨花は下を向いたままだった。六人の右端に座っていた百合子からは、皆の様子がよく見えた――どうしよう? 私、どうしたら……

 結局、百合子は最後に手を上げた。春香たちにこれ以上迷惑をかけられない、という気持ちが優先された感じだった。結果として、四対二。今の演出を続けたいという意見が、多数となる。

「正直にありがとう」

 そう言った春香は、しかし、可奈の話も聞いてから決めたいと、結論を持ちこそうとする。それに対し、志保が異を唱えた。

「今はそんなこと言ってる場合じゃないんじゃないですか? 私たちも、プロとしてステージに立つからには、みんなライバルだと思っています。自分の出来るだけのことは、ステージで出し切りたい」

 目を伏せて、淡々と、よどみなく。

「先輩たちは違うんですか?」

「それは……」

 最後に顔を上げて問いかけた志保に気圧されたように、春香は口ごもってしまう。しばしの沈黙の後、杏奈が立ち上がった。

「あっ、あの……天海さん……こ、これ……」

 差し出したされたスマートフォンを受け取る春香。その表情が変わる。

「これって……」

「……ごめんなさい、急にメールが来て……どうしていいか分からなかったから……レッスン終わってから、相談しようって思ってたんですけど……」

 ただならぬ雰囲気に、百合子も他のダンサーも立ち上がる。

「これ、可奈ちゃんのメールなの?」

「は、はい……間違いないです」

「で、でも、なんだか印象が違う感じで……」

 杏奈とやり取りする春香の、明らかに動揺した様子で、可奈のメールがどんな内容なのか、見当はついた。百合子は胸をえぐられるような衝撃を受けた――なんで……なんで可奈ちゃんが諦めちゃうの!? こんなの、認められるわけないじゃない! 私が望んでるお話は……

 百合子ははっとした。望みのままを実現させていたら、バスチアンのようになってしまうかもしれない。現実世界に戻れなくなる可能性も……一瞬の躊躇の間に、志保の声が響く。

「天海さん、もう迷うこと、ないんじゃないですか? あの子を待つ必要は、もうなくなったんだから」

「……ごめん、あの、少しだけ、もう少しだけ、考えさせて欲しいの」

「もう少しって、いつまで待たされるんですか!? 結論なんて、ほぼ出てるじゃないですか! 少なくとも、勝手に諦めて辞めていった可奈のことを、気にかける理由はないはずです!」

「ちょ、ちょっと!?」

 響が止めるのも聞かず、志保は春香への訴えをやめなかった。

「もう時間が無いんです! 今、進める人間だけでも進まないと、みんなダメになりますよ!?」

「結論を出すにしても、諦めた理由を、ちゃんと可奈ちゃんに確かめてからだよ」

「……話にならないです。なんであなたがリーダーなんですか?」

 どんどん険悪になっていく春香と志保の応酬に、百合子は耐えられなかった――志保、もうやめて! 春香さんもそんな辛そうな顔、しないでください! 悪いのは私なんだから! この世界がこんなふうなのも、可奈ちゃんが来なくなっちゃったのも……言わなきゃ! 全部、私のせいなんだって!

 百合子が二人の間に割って入ろうとした、その瞬間。

「ストーップ!」

 大声で先んじたのは、伊織だった。

「志保、今のはさすがに言い過ぎよ。アンタの意見も、焦る気持ちもわかるけど、それは言って欲しくない言葉だわ。それから、春香もよ」

 平静だからこその強さで志保を制した伊織は、春香にも釘を刺す。

「そろそろリーダーとして、みんなをまとめていく覚悟を決めて。もうあまり時間はないわよ」

伊織の仲裁で、いったん嵐は収まった。しかし、感情が乱れたままの百合子は、ほとんど泣きそうだった――私が……私のせいで……私……

 

 その週末。仕事の入っていた春香と千早以外のメンバーは、レッスン後の打合せが長引いた関係上、泊まりの流れになった。翌日も午前中からレッスンというスケジュールだったので、まとまっていたほうがいい、という事情もあった。最終的には、大人数を受け入れられる雪歩と伊織の家に分かれて厄介になると話が決まり、百合子は杏奈、星梨花とともに、雪歩宅へとお邪魔することになった。他に、真、やよい、真美、貴音も一緒だった。

「すいません、遅くなったとはいえ、みんなで泊めていただくなんて……」

 バックダンサー三人の中で最年長の百合子は、降り出した雨の音を聞きながら、座布団の上で居住まいを正し、挨拶した。広い敷地に、素人目にも逸品と分かる柱や床板を用いた日本家屋。雪歩の部屋も、花の飾られた床の間や皮張りのソファなどがしつらえられ、普通の中学生でも自然と背筋を伸ばしてしまうような空間だった。

「そんな、気にしないで? お泊り会みたいで、私は嬉しいよ?」

「うっうー! この前の合宿を思い出しますー!」

 座卓の反対側で雪歩とやよいが笑い合う。

「合宿かー。みんな、あのときより、ずいぶん上達したよね?」

「ええ、真、頼もしきことです」

 ソファでクッションを抱えた真も、いつも通り品のある貴音も、優しく微笑みかけてくれる。ただ、今の百合子には、雪歩たちの気遣いが心苦しかった。春香と志保の言い争いの後、百合子は結局、自身の秘密を誰にも言わなかった。全てを告白し懺悔しても、理解されるはずもない。それどころか、余計な混乱を引き起こすだけだろう。冷静になってみると、はっきりそう分かった――でも、それならどうすればいいの? 可奈ちゃんのこと、私たちのこと、何も解決してないし、このままじゃ、アリーナライブも大失敗になっちゃうし……

 百合子は、並んで座っている杏奈と星梨花を、横目でちらりと見た。二人とも下を向いてしまっている。ダンスについていけていない負い目を感じているのだろう。

「ん? みんなどうしたの? 超ハードな練習で疲れちった?」

「あ、はい……あっ、いえ……」

 真美の声に星梨花が顔を上げたものの、答えに窮しているようだった。その気持ちを察し、百合子は会話を引き取った。

「あの……私たちどうしたらいいのか……」

「えっ?」

 雪歩たちの視線が、一斉に自身へと集まる。一瞬怯みかけるが、目を伏せてやり過ごすと、百合子は言葉を続けた。

「このまま、一緒に続けていいのかなって……天海さんや皆さんが困ってらっしゃるのって、私たちが遅れているから、ですよね? 皆さんの時間を無駄にしているんじゃないかと思って、だから……」

「待って!」

 真の声がして、百合子はいったん言葉を止めた。

「ボクたち、無理なんてしてないよ?」

「ええ、無駄なことなど、なにも……」

「私も、みんなでやった方が、頑張れるっていうか……」

「そうだよ!」

 貴音、やよい、真美も同調する。

「でも、私たちのせいで、ご迷惑を……」

「あっ、あのっ!」

 再び話を遮られた百合子が視線を向けると、今度は雪歩が、座卓に手をつき、腰を浮かせていた。

「私は、いっぱい頼って欲しいよ? 私じゃ頼りなくてダメダメかもだけど……」

 座りなおした雪歩の声は、静かで、しかし力強かった。

「あのね、私も最初、うまく出来なかったから、気持ち、すごくわかるの。でもね、誰かが一緒に頑張ってくれることに、凄く励まされたんだ。その人たちに応えたいから、自分が強くならなきゃって、思えるようになったから……」

 隣の杏奈の、胸の前で両手を握る動きが、視界の端に映る。そうしたくなる気持ちは、痛いほど分かった。尊敬するアイドルの、真摯な心情の吐露。ありがたさと、もったいなさに、百合子の心も震えていた。

「だからね、迷惑とか、考えないで。今はただ、どうしたいかだけ考えて欲しいかなって……」

 どうしたいかだけ考えて欲しい。雪歩の言葉を、百合子はその夜、客間に用意してもらった布団の中で嚙み締めていた。バスチアンの轍を踏まないよう、なるべく望みを持たずに過ごしてきたが、どうやら覚悟を決めるべき時が来たらしい――私がこの世界を作ったなら、最後まで責任持たなきゃ、だよね。私はどうしたいの? 輝きの向こう側の物語、どういうエンディングにしたい? 今こそ考えなさい、私!

 

 翌朝、起き出したとき、百合子の心は決まっていた――春香さんが可奈ちゃんと志保を仲直りさせて、ライブも大成功! それで、みんなで大団円、ハッピーエンドになる! 私が望んでいるのは、そういうお話!

 ずいぶん身勝手で他力本願な気もするが、もともと百合子が読みたかったのは、輝きの向こう側へ進んだ春香たちの物語だ。どうしたいのかをひたすら考えた末の結論が、「春香さんたちの活躍を見たい」になるのは、自然な成り行きとも言えた――ここが本当に、ファンタージエンみたいに、望みのかなう世界だとしたら。私が本当に望んでいることなら、きっと……

 降り続く雨の中、皆で765プロの事務所に向かうと、伊織の家に泊まったグループが先に到着していた。すぐに千早も顔を見せ、最後に春香がやって来る。その春香は、開口一番、今日はレッスンを中止し、可奈を迎えに行くと宣言した。

「昨日ね、可奈ちゃんと電話したんだ」

「可奈ちゃん、なんて?」

 雪歩の問いかけに、春香は少し間を置いてから答えた。

「『辞めたい』……きっぱり断られちゃった」

 重たい空気の中、百合子の隣で、志保が口を開く。

「でも、それならなぜ?」

「声がね、震えてたの。可奈ちゃん、なんだか凄く無理してるみたいに聞こえたんだ。少なくとも、嫌なもの放り出してほっとしてるような、そんな風には思えなかったの。だから……」

「待ってください」

 そう言うと、志保は春香の前へと進み出た。

「やっぱりそこなんですか? そんな風に思えなかったことが、そんなに大事なんですか?」

 春香が無言でうなずく。

「全員のライブの練習より何よりも、一人の『かもしれない』を確かめることが、大事なんですか!?」

 再びうなずく春香。

「まずは、可奈ちゃんの気持ち、確かめてからだよ」

 声色、表情、姿勢。有無を言わせぬ春香の迫力に、志保だけでなく、その場の全員が呑まれたようになる。百合子も、息を殺して成り行きを見守るしかなかった。

「行きましょう」

 沈黙を破ったのは、伊織だった。

「それがリーダーの、アンタの思いなら」

 

 ほとんどのメンバーが、可奈の自宅周辺に直接向かう中、百合子は伊織、志保と共に、まずスクールとその周辺を見てまわった。しかし、特に手がかりらしい手がかりもなく、結局、他のメンバーと合流するため、電車で移動することになる。その車内で、伊織のスマートフォンに、律子からのメールの着信があった。

「律子、今からプロデューサーとアリーナの下見に行くらしいわ」

 伊織に告げられ、百合子は小さく息をのむ。アリーナ。登場人物としての自身にとっては、努力の成果を示すべきステージ。読者として考えるなら、物語がクライマックスを迎えるであろう場所。いずれにしても、ライブ本番までに残された時間は多くないと、改めて突きつけられた気がした――でも、きっとうまくいく、よね? 私が望んでいるんだから……春香さんも、可奈ちゃんのために動いてくれたんだし!

 

 可奈の家の最寄り駅で電車を降り、改札を出たとき、百合子は星梨花に電話し、情況を聞いた。可奈は見つかっていないが、家の近所の土手にいる可能性があるので、今から春香や千早と一緒に行ってみる、ということだった。電話を切り、伊織と志保にあらましを伝え、三人で走る。現場に到着したとき、可奈は発見され、橋の真ん中で皆に囲まれていた。

「なんで……私のことは気にしないでって……」

「うん……でも私、電話で可奈ちゃんと話してても、やっぱり信じられなかったから。アイドルって、そう簡単に諦められるものじゃないって思ったから……そういうものだって、思いたいの」

 パーカーのフードを目深にかぶって俯く可奈に、春香は傘もささず、雨に打たれながら語りかけていた。百合子は、千早や星梨花の後ろから、その様子を見守った。

「私だって……私だって、諦めたくない。でも、もうだめなんです……」

 そう言って、可奈がフードを外す。春香の驚きの声が上がる。何がどうなっているのか、距離のある百合子には、よくわからない。

「アンタ、そんな体形だったかしら?」

「ちょ、ちょっと、ふっくらしたね……」

「まさか、これ気にして逃げたん?」

 少し前に立っている伊織と、可奈を挟んだ反対側にいる真美と奈緒の言葉で、なんとか事情が飲み込めた――可奈ちゃん、そういうことだったんだ……

「私だって、出来ることなら、一緒にステージに立ちたかったんです。でも、私だけダンス全然下手っぴで、足手まといになっちゃって……」

 雨のせいで視界が悪いのか、昼間にも関わらずライトをつけた車が通り過ぎる。

「なんとかしなきゃって思ったんです。自分で、なんとかしなきゃって。一人でもできるようにならなきゃって。だって、私、天海先輩にサインまで貰って、応援してもらったのに、全然うまくできないから……ストレスでお菓子、いっぱい食べちゃって、こんなみっともない……」

 聞いているのが苦しくなるほど、悲痛な声。顔を覆って泣きじゃくる可奈に、春香は、千早から傘を受け取ると、開いて差しかける。

「でも、諦めたくないんだよね?」

 一瞬の間の後、可奈が微かにうなずいたように見えた。

「よかったー……」

 そう言ったときの春香は、心底ほっとしたようだった。

「じゃあ、大丈夫だよ! 一緒に、ステージに立とう!」

「で、でも、私もう、こんなんで……衣装だって入らないし、きっと、余計迷惑かけちゃいます」

「そうじゃなくて、どうしたいか、だけでいいんだよ」

――春香さん、雪歩さんと同じことを……

 百合子がそれ以上考えるより早く、伊織の声がした。

「じゃあ、確かめに行く? アリーナへ行けばわかるかもよ?」

「ええ」

「もしもし、律子……さん? あのね、今からそっちに行くから、よろしくなの」

 千早がうなずき、美希が電話をかけるのを見ながら、百合子は戸惑っていた――アリーナに? どうしたいかを確かめにって、どういうこと? 

 

 学校の体育館の何倍もあるフロア。左手から正面、さらに右手へとU字型に続く、二階層の観客席。ひたすら高い天井と、そこから吊り下げられる大型ビジョン。アリーナのステージ上で、百合子は見える物全てに圧倒されていた。

「前やった会場とは、規模が違うね……」

 誰に言うでもなく、思いを素直に口にする。

「ここにお客さん入ったら、どうなっちゃうんだろう……」

 同じような気持ちになっているだろう美奈子の言葉に、百合子は、目の前に広がる空間がファンでいっぱいになっている様を想像した。地鳴りのような大歓声、数えきれないペンライト、みんなの笑顔……それらは本当に聞こえ、見えた気した。

「私……」

 背後から、可奈の呟きが聞こえる。その声に反応したように、突然、春香が駆け出した。向かう先は、仮組されている花道。えっ、と百合子が思う間に、一番前までたどり着いていた春香は、大声で叫んだ。

「後ろの席まで、ちゃーんと見えてるからねー!!」

 マイクなしでも会場全体に広がる反響。それが消えてから、

「はあ、広いなー」

 感に堪えないといった風の声を漏らし、春香が振り向く。そして、少し照れたような笑顔を浮かべながら、話し始めた。

「私ね、いつも、一番後ろのお客さんまで、声、届けようって思ってるの。ソロでも、全員のライブでも、全部。それで、その度にね、ステージって広いなーって思うんだ。でも同時に、私ひとりじゃない、って思うの」

 ステージ上の誰もが、身じろぎ一つしない。百合子も、春香の一言一句を聞き漏らすまいと、耳に神経を集中させていた。

「えっと、うまく言えないんだけど……あのね、私の今いる場所は、今までの全部で出来てるんだってことなの。伊織、真、雪歩、やよい、響ちゃん、貴音さん、あずささん、亜美、真美、美希、千早ちゃん、律子さん、プロデューサーさん、小鳥さん、高木社長……他にも、たくさんの人と出会って、私はアイドルとして、今、ここに立ててるんだって思う。誰か一人でも欠けてしまったら、たどり着けなかったんだなって。出会って、今、一緒にいるってことは、私にとってそれくらい大事なことなの」

 春香の言葉が、百合子の胸の奥に突き刺さる。一人でも欠けたら、たどり着けない――私、今、物凄く大切なこと、教わってる。

「奈緒ちゃん」

「はっ、はいっ!」

「美奈子ちゃん」

「え……」

 少し間を置いてからの春香の呼びかけに、奈緒は慌て、美奈子は戸惑った感じで、それぞれ反応する。

「星梨奈ちゃん、杏奈ちゃん」

 二人の答える声は、百合子の立ち位置までは届いてこなかった。

「百合子ちゃん、志保ちゃん」

 自身の番が来たとき、百合子は返事をしようとしたが、喉も舌もまともに動かず、結局何も言えなかった。志保も黙ったままだった。

「ね? 可奈ちゃんも同じだよ!」

 背後にいる可奈の、しゃくりあげる様子が、耳に伝わる。

「私たちは、今ここにいて、それぞれ目標も考え方も違ってて、それでもこのライブのためにみんな集まったの。それが今なんだよ。誰か一人でも欠けちゃったら、次のステージには行けない」

 言葉を切り、春香は首を横に振った。

「もしかしたら、もっといい方法があるのかもだけど……でも、私は天海春香だから」

 春香は、一人一人に目を合わせるよう、視線を動かしていく。

「私は今、このメンバーのリーダーだけど、その前にやっぱり私だから、全員で走り抜きたい。今の全部で、このライブを成功させたいの!」

――春香さん……

 百合子は頭が真っ白になっていた。THE iDOLM@STERの読み手として、輝きの向こう側の世界を産み出した張本人として、そしてアイドル天海春香の後輩として。今までの全てが胸に迫り、感情が溢れ、泣きそうになる。

「……きたい」

 絞り出すような声。百合子の振り向いた先には、下を向き、肩にかけられたタオルを強く握りしめている可奈がいた。

「……一緒に、行きたいです……私も、一緒に……」

 そう言いながら、可奈は両手で顔を覆った。それでもこぼれ落ちる大粒の涙が、ステージを濡らしていく。

「諦めたくない! アイドル、諦めたくないんです! 一緒にステージに立ちたい!」

「可奈……」

 奈緒が呟くのと同時に、星梨花が可奈のもとへ駆け寄る。

「可奈ちゃん! 私も、諦めずに頑張ることにしたんだよ!」

 少し遅れて、杏奈も。

「杏奈も、最後まで走るから! 一緒に……」

 肩を震わせ続ける可奈と、レッスンで苦しんでいた星梨花と杏奈。三人の様子を見て、百合子は本能的に自身の役回りを悟った――あの子たちの「どうしたいか」を守らなきゃ! 私、お姉さんなんだから!

「みんなで、元のフォーメーションのままでもいけるように、なんとかやってみるから……」

 夢中で進み出て、美奈子と奈緒、そして志保の目を順番に見ながら訴えかけるものの、途中で言葉が出てこなくなる。それでも、奈緒と美奈子には、言わんとすることが伝わったようだった。

「そんなん、私かて、周り見えてへんかったし……」

「お互い協力しなきゃいけなかったのに……」

 そして志保には、伊織が歩み寄ってくれていた。

「アンタはどうなの?」

「え?」

「春香も可奈も、どうしたいかを言っただけだもの。言いたいことがあったら、言うべきよ」

 伊織と志保が客席のほうを向く。百合子もつられたように首を動かした。

「そのために春香はあそこで待ってる」

 伊織の言うとおり、花道にたたずむ春香は、じっと志保を見ていた。百合子は春香の視線を追うように、再び志保と伊織のほうを向いた。しばらくの間があったあと、志保が首を横に振った。

「あるはず、ないです。このステージは、今立っているこの場所は、私が思っていたよりも、ずっと、重たかったから……」

 百合子は口に手を当て、嗚咽が漏れそうになるのをこらえた――可奈ちゃん、志保、みんな……先輩たち、春香さん……

 

 アリーナの外に出ると、雨はあがっていた。出入口付近に敷かれたタイルは濡れていたが、雲の切れ間から差す日に照らされ、輝いていた。鳥の声も聞こえる中、百合子たちバックダンサーは、春香たちに挨拶するため、一列に並んだ。最初に口を開いたのは、いつも通り、美奈子だった。

「じゃあ私たち、このままスクールに寄っていきます」

「うん。今日はありがとう」

 春香の返事に、百合子は美奈子より早く反応する。

「いえ、私たちの方こそ、ありがとうございました」

 ありがとう。この言葉を、百合子はとにかく言いたかった――ちょっと出しゃばりかもだけど、でも言えてよかった!

「これからみんなで挽回していきます」

「よーし、まずは元気付けに、おいしいもの、ごちそうするよ?」

「それは今の可奈にはあかんて」

 奈緒と美奈子の掛け合いに、皆がどっと湧く。そして、笑い声がひとしきり収まったあと。

「あの……天海さん」

「うん?」

 声をかけた志保と、かけられた春香が、お互い歩み寄る。向き合う二人を見ながら、百合子は初めて気が付いた――春香さん、志保より背、低いんだ。

「どうしたの?」

「色々と言葉が過ぎたと、反省しています。すみません」

 志保が頭を下げる。

「え、いいよ、いいよ」

「……私には、天海さんのような考え方、まだ出来ないと思います。でも……」

「ううん」

 首を振り、春香は微笑んで言った。

「考え方は人それぞれでいいと思う。ライブ、一緒に成功させよ!」

 そのときの志保がどんな表情だったのか、後ろから見ていた百合子には分からなかった。ただ、少しして軽くお辞儀をしたその姿は、これまでになく柔らかいものに思えた。そして。

「天海先輩!」

「……それじゃ」

 可奈の声を潮に、志保は踵を返し、百合子たちの位置へ戻ってくる。一方、可奈はその様子を目で追いながら、入れ替わるように、春香の前へと歩を進めた。

「あ、あの、天海先輩。私、もう絶対諦めるなんて言いません! みんなと一緒に頑張ります!」

「うん!」

「それで、やっぱり思ったんです。私、やっぱり春香ちゃんみたいなアイドルになりたいって!」

 シンプルな可奈の望みは、意外なほど百合子の胸に響いた。アイドルになりたい――可奈ちゃんだけじゃないよね。杏奈ちゃんも星梨花ちゃんも、美奈子さん、奈緒さん、もちろん志保も。それに、この輝きの向こう側の物語に出てくる、登場人物としての七尾百合子も。みんな、アイドルを夢見て、今、ここにいて……じゃあ、現実の七尾百合子は? 読みたかったお話を実現させた私は、次に何を望むの?

「……春香ちゃん?」

「あ、す、す、すいません!」

 奈緒のつっこみに慌てる可奈。その様子を前にしながら、百合子の脳裏には、ステージ上で想像した光景が蘇っていた――ペンライト、綺麗だったな。あれが、アイドルの見る景色なんだとしたら、私、いつか……あれ?

 突然、百合子の世界は大きく揺らいだ――立ち眩み? 危ない!

「あはは……じゃあ、私も、頑張る!」

 春香の声が遠ざかっていく。倒れる、と思った、次の瞬間。百合子の視覚と平衡感覚は、正常を取り戻した。しかし、瞳孔を通る光によって作られた絵面は、理解の範疇を超えていた。




メール、携帯電話
ムビマスでは、春香はガラケーを使っていました。また、メッセンジャーアプリは使っている描写はなく、連絡手段はメールか通話です。

もう時間が無いんです
ミリオンライブのアニメ4話で、志保が「まだ少し時間はありますし」と言うのは、このムビマスのセリフへのオマージュと考えられます。

天海先輩、春香ちゃん
ムビマスにおいて、可奈はファンとして春香のことを「春香ちゃん」と呼んでいたのを、「天海先輩」と変えるよう努力します。ミリオンライブのアニメ3話の「春香さん……ちゃん」は、上記の志保のセリフと同様のオマージュと考えられます。
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