眼前に広がる空間の、下側三分の一には白い雲が、上側三分の二には青い空が、それぞれどこまでも広がっている。その間を、まっすぐ、延々と続く虹色の道に、百合子は立っていた。振り仰いだ天の高みには、星やUFOの形、「めざせ! トップアイドル!!」の文字などが、飛行機雲で描かれている。視線を手前に移すと、「765PRO Live THEATER」と書いてある、一本足の看板が立っていた。
「ここ……」
どこ、という疑問を口にすらできないほど、百合子は困惑していた――さっきまでアリーナの出入口のとこだったよね? 可奈ちゃんやみんなは? 春香さんたちは?
首を左右に巡らせても、雲と空とが目に入るばかり。ただ、背後に何かあるのは見えた気がした。左足を引き、腰をひねって半身になった百合子は、その何かが、二、三メートル離れて虹色の道を塞ぎ立つ、自身の背丈の倍ほどもありそうな、大きな扉だと知った。両開きで、上の方が半円状の、ファンタジーゲームのお城や教会にありがちな形、色は赤く、枠と装飾に銀色の金属が嵌められていて、縦に長い取手もついている。そこまで見て取ったとき、百合子は忽然と、全てを悟った。
「……どうして……」
百合子の呟きには、納得できない気持ちがよく現れていた――このタイミングで、現実に帰るなんて! 輝きの向こう側のお話、まだ終わってないのに……
百合子はふと耳を澄ました。誰かに呼ばれているような気がする。
「……りこちゃーん……」
微かだったけれども、今度は間違いなかった。声のした方向、扉とは反対側に顔を向けなおすと、虹色の道の彼方に、小さな人影が見えた。
「百合子ちゃん、待ってー!」
だんだん大きくなる声と姿。走って来るのが春香だというのは、すぐに分かった。
「はぁ、はぁ……百合子ちゃ、うわぁっとっと……」
「は、春香さん!?」
看板のところまで来た春香が、脚をもつれさせる。慌てて駆け寄った百合子の前で、春香はなんとか転ばずに踏みとどまると、息を切らしながらも顔を上げた。
「えへへ……」
照れ笑いを浮かべる春香が身にまとっているのは、深緑色を基調とした、鼓笛隊やカラーガードを思わせるシルエットの、見たことのないステージ衣装だった。
「良かったー、間に合った!」
「え、間に合ったって……」
「だって百合子ちゃん、もう帰るところだったんでしょ?」
――幼ごころの君の春香さん!
百合子の脳裏に、ミリオンライブの最後のシーンが蘇る。目の前にいるのは、あのとき、自身に呼びかけてくれた人。そう認識できた途端、百合子は自然と、胸の内を口にしていた。
「あの、春香さん……私、帰らなきゃダメなんですか?」
「え?」
「私だって、この世界に来てから、ずっと頑張ってきたんです。だから、可奈ちゃんの気持ちもよく分かるっていうか……」
言っているうちに、だんだん気持ちが高まって来る。
「私も、みんなと一緒にステージに立ちたいです! 帰りたくな……」
「だ、ダメだよ百合子ちゃん! そんなこと望んだら、元の世界に戻れなくなっちゃうよ?」
「……あ……」
慌てたように手を振る春香からの警告に、百合子はひやりとした。帰りたくないと望んで、それがかなったとしたら――でも、輝きの向こう側の物語、最後まで見れないなんて……
葛藤する百合子を労わるように、春香の言葉は続いた。
「ありがとね、百合子ちゃん。百合子ちゃんのおかげで、私たち、まだ道が続いているんだって分かったんだよ。これからも、進み続けられるんだって」
「春香さん……」
――そっか、私、役目は果たせたんだ。
春香たちを前に進ませる。誰に言われたわけでもないが、それが自身の責務だと百合子は感じていた。だから、春香の言葉に安堵したのだが、それはそれとして、バックダンサーへの未練は残っていた。
「春香さん、私、あのステージで、見えたんです」
「うん」
「アリーナが、ファンの人たちでいっぱいになってて」
「うん」
「みんな嬉しそうで、ペンライトの光が、まるで星の海みたいで」
「うん!」
「だから、やっぱり私……」
「なら、大丈夫!」
突然の大声に、百合子はまじまじと春香の顔を見た。そこには、満面の笑みが浮かんでいた。
「百合子ちゃんも、進んで! 今は別々の道でも、私たち、きっとまた会えるから!」
「……えっと、それはどういう……」
「だって、ステージに立って、いろいろ感じたんでしょ? そしたら、なりたいものとか、やりたいこととか、できたはずだよ!」
――なりたいもの? やりたいこと?
春香の言っていることが、わかるような、わからないような。戸惑いの中、百合子は、春香の視線が自身の背後へと移っているのに気づいた。
「でもね、百合子ちゃんが上がるステージは、この世界じゃなくて……」
振り返った先で、赤く大きな扉が、音もなく手前に開き始める。そこから、黄金色の柔らかな光があふれ出し、周囲の空や雲を照らしていく。荘厳としか言いようのない光景に、百合子は目を奪われた。
「あの先にも、765プロの未来があるから。ね?」
「は、はい!」
春香の言葉に背中を押され、百合子は半ば夢心地で、光へと踏み出した。上がるべきステージ、765プロの未来。何を言われているのか、よく理解できないのは、さっきと同じだった。それでも春香の言うとおり、自身も進むべきだと直感していたし、動き出した脚を止めようとも思わなかった。
「大事なのは、『どうしたいか』だよ! 忘れないで!」
その声を背中に聞いたのは、扉を通る瞬間だった。振り向きざま、微笑む春香が一瞬見えた後、百合子の視界は金色に染まった。
「本当に、ありがとうございました!」
心の底からの叫びが、春香に届くよう願いながら、百合子は光の中へと沈んでいった。
THE iDOLM@STER MILLION LIVE!
THEATER DAYS
「百合子、起きろー! 百合子ー!」
誰かに呼ばれ、肩を揺さぶられている。
「ん……お父さん?」
「また、こんなところで寝て……ちゃんと起きたら、下りてきて、夕ご飯の支度、手伝ってくれよ」
「あ、うん……」
両腕の上に突っ伏していた顔を上げると、父親が部屋から出ていくところだった。その後ろ姿をぼんやりと見送る間に、意識がはっきりしてきた百合子は、室内を見まわした。扉、クローゼット、ベッド、机。下から二段目にはてしない物語がある本棚。どこからどこまでも自身の部屋。腕を乗せたローテーブルは、ベッドと本棚の間に置かれ、お尻の下にはお気に入りのクッションがある。窓の外の明るさは、カーテン越しにも分かったが、直接入り込む日差しはなかった。
百合子はゆっくり立ち上がると、机に向かった。充電中のスマートフォンに手を伸ばすと、画面に浮かび上がった時刻は17:32、日付は七月の三連休の最終日だった。机上には他に、本も一冊、置かれていた。 冬馬とバス停で出会った、遠い昔のように思える日、しかしカレンダー上では前日に買った、お気に入りのヒロイックファンタジーシリーズの最新刊。輝きの向こう側の物語の中にいる間は、時間的にも気持ち的にも余裕がなく、手つかずのままになっていたそれを手に取り、百合子は実感した――私、戻って来たんだ!
「行ってきまーす」
制服に身を包んだ百合子は、家の中に向かって一声かけてから、ドアを閉めた。連休明けの、火曜日の朝。現実世界では、もちろん765プロの合宿などない。学校に行く、ごく普通の日常が、そこにあった。
前日の夜、食事の準備をする間も、食べているときも、そのあとのお風呂でも、戻った自室でも、百合子は春香の言葉の意味を考え続けた。なりたいもの、やりたいこと。いろいろ思い浮かべる中で、一際強く、何度も心に描き出されたのは、アリーナのステージで見えた幻影だった。あの景色を、本当に目にできるなら――私、アイドルになりたいの? THE iDOLM@STERを読む前は、ほとんど興味なかったのに? だいたい、なりたいからってなれるものでもないし。でも、大事なのはどうしたいかだって、春香さんが……
結論は出なかった。ただ、立ち止まったままでいるつもりもなかった。進んで、と春香に言われていたし、そうでなくとも、レッスンを重ねてきた身体がうずうずし、早く何かをしたくてしかたなかった。
百合子は腰のところから手を回し、背負った通学用リュックに触れてみた。そして、一昨日買った本がそこにあるのをナイロン地越しに確かめると、昨晩の決心をあらためて思い起こした――今日のホームルームで、立候補しなきゃ。二学期の学園祭で、これの朗読劇をやります、って。
アリーナとは規模がまるで違うし、頑張ったダンスを披露できるわけでもない。とはいえ、お客さんの前に立つのは一緒だ。春香からも、現実世界に上がるべきステージがあると示唆されたし、絶好のタイミングでやってくるチャンス、逃すわけにはいかない。
百合子は歩きながら、春香が他に言っていたことも思い出していた――また会える、って、本当かな? 普通の中学生が普通に生活していたら、アイドルと接点なんてないよね? でも、ひょっとして……
「765プロの未来は、ここにある」
呟いた百合子は、空を見た。快晴とまではいかないものの、十分に晴れている――この現実が、THE iDOLM@STERの中の世界じゃないって、言い切れる? こうやって私が空を見てるのも、誰かの読んでる本に書いてあることかもしれないじゃない? もし、その誰かが、輝きの向こう側から帰って来た私の、次のお話を望んだら?
ありきたりな想像なのは分かっていた。それでも百合子は、見上げた青空のはるか向こうに、このお話の読み手がいるように感じられてしかたなかった。もしかすると、今、目が逢っているのかもしれない。
百合子は、見つめる先にあなたがいると信じて、そっと呼びかけた。
「私の新しい物語、一緒に創ってくれませんか?」
下側三分の一には白い雲が、上側三分の二には青い空が~
アプリゲーム「アイドルマスターミリオンライブ! シアターデイズ」(ミリシタ)に実装されている楽曲「Crossing!」のMVのイメージです。この楽曲には、「寄り添い離れては すれ違う時の交差点」という歌詞があります。
両開きで、上の方が半円状の
アニメ「アイドルマスターミリオンライブ!」のOPに出てくる扉のイメージです。
深緑色を基調とした~
ミリシタに実装されている衣装「エヴォリューションウイング」です。この衣装のフレーバーテキストは、アイマス史上屈指の名文だと思います。また、衣装とともに実装された楽曲は「LEADER!!」ですが、これが収録されているCDのドラマパートは、39プロジェクトが始まる直前の時期を描いています。
本当に、ありがとうございました!
3rdライブの最終日、最後のMCで「本当に」と言ったあと、「ありがとう(未来の中の人)」と「サンキュー(静香の中の人)」の声が重なり、「ありがサンキュー」というフレーズが生まれました。
THE iDOLM@STER MILLION LIVE!
THEATER DAYS
ミリシタ発表後の第二弾PVで、劇場の扉を初めて開いたプロデューサーは、百合子に出迎えられました。また、紬、歌織はこの作品で初登場しました。
二学期の学園祭で、これの朗読劇を~
ミリシタの百合子のメモリアルコミュをご覧ください。
765プロの未来は、ここにある
かつてミリオンライブのCDリリースイベントなどで使われていたフレーズです。
見つめる先にあなたがいると信じて
And You!!