暗黒錬金術師伝説6 暗黒!ソフィーのアトリエ   作:dwwyakata@2024

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3、退路追撃

五十人を護衛しながらキルヘン=ベルまで三日の道を行くのは大変だ。食糧に関しては充分だし、足りなくなったときのことを考えて既に動き始めてもいる。先行したフリッツさんが、鹿を一頭仕留めてきた。これだけで十人分以上の食事になる。もっと大型の草食動物なら、更に肉を取る事も出来る。

 

ちなみに襲ってきた死体どもは。

 

全部まとめてから焼き捨てた。

 

雨が降っていたから大変だったが。そうしないと、スカベンジャーが人間の味を覚えて面倒な事になる。

 

小型動物ばかりがスカベンジャーではないのである。

 

中には要領よく死体を掠め取るためだけに、図体がでかい獣もいて。

 

そういうのはパワーだけはあるので、襲われると面倒なのだ。

 

だから移動を開始して。

 

結局の所、一日経過して、普通なら半日で行ける分しか進む事が出来ていなかった。

 

だがこればかりは仕方が無い。

 

フリッツさんと、ジュリオさんが会話をしている。

 

どっちもこの面子の中では最強の戦士だ。

 

特にフリッツさんは経験も豊富で、先の戦いでは完全に判断が正しかったこともあり、既に周囲の戦士達に信頼されているようだった。

 

「今の時点では追撃はないかね」

 

「ないようですね。 ただしこの人数、ノーライフキングにとっては手頃な獲物に感じる筈です。 獣に関しては、時々此方から仕掛けて処理していますが、大物が出てくると厄介な事になりそうですね」

 

「幸い、この辺りではネームドの目撃例はないらしいが……」

 

「にもかかわらず、ノーライフキングが厄介すぎる」

 

奴はおばあちゃんが現役時代にはこの辺りで最強の災厄だった。

 

隣街でも、その名前を聞くだけで、厳戒態勢に入ったほどだったと聞いている。

 

おばあちゃんが封印するまでは。

 

この街道を行くのは、今の十倍以上は危険だったのだ。

 

もっとも、おばあちゃんが奴を封印した結果。

 

代わりに匪賊が出るようになったのは、皮肉としか言いようが無い。

 

最後尾を歩いているのはシェムハザさん。

 

隣を歩いているモニカと、幾つか会話をしている。

 

モニカは雰囲気が落ち着いているからか。

 

老人と話が合うことも多いようだ。

 

「匪賊どもは自業自得だ。 奴らは見逃す代わりに、子供を寄越せと言った。 喰うつもりだったらしい」

 

「やはり……。 匪賊が旅人を喰らう事はよくあるようですね。 何処でも匪賊に落ちると、最悪まで堕落するようで、おぞましい限りです」

 

「魔族の中にも匪賊になる者がいる。 嘆かわしい。 魔族の恥だ」

 

ぐちぐち言っているシェムハザさんに、モニカは笑顔で応じているが。

 

匪賊が人間を喰うくらいは、この世界では誰でも分かっている事だ。

 

それくらい匪賊も悲惨な生活をしていて。

 

蛋白を得るために必死、という事である。

 

許せるかは話が別だが。

 

実際問題、辺境の村になると。

 

迷い込んだ旅人を身ぐるみ剥がしたあげく、喰ってしまうようなケースも珍しくないそうである。

 

匪賊に掴まったら、奴隷にされるとか、性的なオモチャにされるくらいだったら、幸運な方なのである。

 

多くの場合は、身ぐるみ剥がされたあげくに食肉にされてしまうのだ。

 

あたしは列の真ん中で、いつでもどこからでも襲撃に備えられるようにしている。魔力の消耗は激しいが。まだ戦闘続行可能だ。

 

昨日から今日に掛けて、二刻程眠れたのも大きい。

 

まだまだやれる。

 

歩いていると、少し先に言っていたオスカーが、戻ってきた。

 

「植物たちに聞いたが、この辺りの獣が殺気立ってるってよ! 昨日の戦いの気配を嗅ぎつけたんだろうぜ」

 

「まずいね」

 

「そうだな。 数少ない植物なんだ。 踏み荒らされたら大変だ」

 

「それもそうだけれど」

 

まずは自分の命が危ないことに、オスカーは気付いているだろうか。

 

コルちゃんは荷車を確認しながら、食糧、爆弾、薬の在庫をチェックしている。

 

昨日使った分を既に計算し、後どれくらい保つかも素で言えるようだ。

 

この辺り数字に強い商人だけある。

 

最悪の場合、爆弾や薬を増やして貰うかも知れないが。

 

コルちゃんの錬金術には副作用がある。あくまでそれは最終手段だ。

 

前衛にいたフリッツさんが、この先の丘を越えたら休憩にすると声を掛けてきた。

 

丘で周囲を確認できるため、不意打ちを防げる。

 

その代わり、周囲からも丸見えになる。戦力があるから出来る判断だ。ネームドが近くにいないという事も、判断材料の一つになっているだろう。

 

とにかく疲弊が酷い民達を叱咤して、少しでも進ませる。

 

まずはしっかり休憩を取りたいところだが。

 

残念な事に、今はそれも難しい。

 

天候が極めて怪しい上に。

 

昨日の大規模戦闘で、血の臭いを嗅ぎつけた獣たちが、相当に殺気立っているし。

 

ノーライフキングだって、手勢を潰されて、黙っているとも思えない。本人は封印から出られないにしても。

 

更に追撃の戦力を出してくるかも知れない。

 

匪賊だって、この辺りには複数グループがいる。

 

そいつらも、此方の動きを嗅ぎつけていても不思議では無いだろう。

 

とにかく急ぐ。

 

少しでも急ぐことで。

 

被害を減らせる。

 

ゆっくり休むのは、キルヘン=ベルの戦力と合流してからでも遅くない。

 

子供達は未来のために働いて貰うし。

 

老人達は知識を生かして貰うし。

 

負傷者は傷を癒やした後、キルヘン=ベルのために動いてくれればそれで良いのだから。

 

おばあちゃんがいた頃に比べ、今のキルヘン=ベルは人間が少なく。

 

逆に言うと、受け入れの余地は充分にある。

 

更にこの五十人を受け入れられれば。

 

ナーセリー復興が現実的になってくるのだ。

 

フリッツさんが急げ、急げと促している。

 

あたしも、出来るだけ急いで貰う。

 

丘に出た。

 

後続の部隊がまだ此方に続いているが。

 

丘を見下ろして。

 

さてここからが難所だぞと、自分に言い聞かせる。

 

ここから先は、見晴らしがいいのだが。

 

ゆっくりとした下り坂が、ずっと続いているのである。

 

転がり落ちるほどではないのだが。

 

とにかく長い。

 

これは非常に危険な地形だ。

 

追撃を受ける場合、厄介な事になる。

 

相手は常に上を取り。

 

そして追ってくる事になる。

 

ただでさえ追われるのは面倒なのに。

 

更に上まで取られるとなると。

 

飛び道具などを使われた場合、非常に対処が大変になる。

 

後続部隊が追いついてくると。

 

一旦円陣をしいて、休憩に入る。民にはみな休んで貰い。自警団員も交代で休む。フリッツさんは、休んでいる者達にも聞こえるように言った。

 

「この坂と、次にある谷間が山場だ。 其処さえ越えれば、キルヘン=ベルは指呼の距離にある。 言う間でも無く、此処は追撃を受けると非常に厄介だ。 しかも現時点で、此方をかなりの数の獣が狙っている」

 

分かっている。

 

というか、全員が気付いている。

 

大型のものから、小型のものまで。

 

相当数の視線が、此方を伺い。

 

脱落者が出たら、貪り喰ってやろうと狙っているのだ。

 

更に、それは。

 

恐らく獣だけでは無い。

 

匪賊ももう来ていて。

 

好機を狙っているとみて良いだろう。

 

「雨の中の戦いの時でも分かっただろうが、算を乱すと収拾がつかなくなりやすい。 皆の事は必ず守るから、秩序を持って移動して欲しい。 では、これから何人かに先行してもらい、丘の下の坂に安全地帯を確保して貰う」

 

名前を呼ばれたのは、獣人族の戦士達全員。

 

なるほど。

 

坂を下りきったときに、奇襲を避けるために、感覚が鋭い獣人族の戦士達が先行するのか。

 

覚える。

 

歴戦の傭兵らしい。

 

今の判断も、殆ど迷いが無かった。

 

「荷車も一つ運んでくれ」

 

「心得た」

 

「彼らが坂の下につき次第、後続部隊を順番に発進させる。 五十人を12人と13人で4隊に分け、順番に移動して貰う」

 

その前に、と。

 

あたしに声が掛かった。

 

多分そうなるだろうと思ったが。

 

あたしもやる事は分かっていたので。

 

さっそくうに袋を荷車から取り出す。

 

油紙をかぶせていたので、品質は落ちていない。むしろ品質が心配なのは、持ち込んでいる食糧の方だ。

 

フリッツさんが指さしたのは、丘の下の、岩陰。

 

なるほど、多分匪賊が潜んでいると見て良い。

 

あたしは紐を付けたうに袋を。

 

遠心力を付けて、回転しながら放り投げる。

 

そして上空に飛んだところで。

 

起爆した。

 

子弾がばらまかれ。

 

何かまずいと思ったのだろう、岩陰から匪賊どもがわっと逃げ出したが。

 

もう遅い。

 

爆裂。

 

広域制圧を目的とする爆弾が、周囲を蹂躙。

 

匪賊どもを血の海に沈めていた。

 

面倒なのは、あれの片付けをしている暇が無い、という事で。

 

今回の護衛任務が終わったら、獣狩りを結構大規模にやらなければならないだろう、という事だ。

 

続けて、今度はレヘルンを同じように、岩陰に放り込む。

 

逃げだそうとした大型のキメラビーストが、一撃で氷像になる。

 

当然即死である。

 

あれは放置で良い。

 

爆弾は無駄にしたが。

 

これによって、追撃を仕掛けてくれば、どうなるか。

 

示したことになる。

 

発進前に、もう一度フリッツさんが声を掛ける。

 

「護衛の面々、無事か。 負傷は問題ないか」

 

「問題なし!」

 

一人ずつ、順番に答えていく。

 

今ので、敵も此方に仕掛けるのが高リスクだと気付いたはず。

 

逆に言うと、一斉に連携して仕掛けてくるかも知れないが。

 

その時はその時。

 

総力戦を覚悟するしか無い。

 

先発隊が出た。

 

避難民達は、固唾を飲んで見守っている。

 

戦闘力も無いし。

 

今まで散々恐ろしい目にも会ってきたのだろうから、当然だ。彼らを憶病と言う事は出来ない。

 

ドラゴンの襲撃で焼け出された人も多いだろうし。

 

避難した先で、ぞっとするほど冷たい目にもさらされ続けたはずだ。

 

その気持ちは分かる。

 

あたしだって、あのクズにそういう視線を向けられて、殺され掛けたのだから。

 

先発隊には、仕掛けてこない。

 

戦闘力が高い部隊だと言う事は、分かっているのだろう。

 

「よし、第一隊、移動開始」

 

「転ばないように気を付けて」

 

ジュリオさんが出来るだけ紳士的に声を掛け、先導する。

 

戦闘力が高いジュリオさんは、坂の半ばほどに留まり、敵の攻撃を警戒しながら避難民を護衛する。最終的な護衛は、先行した獣人族の部隊に任せる。また、第一隊には、オスカーとハロルさんも同行する。

 

第一隊がある程度進んだところで、第二隊出発。

 

この部隊には、モニカとあたしが同行。コルちゃんも此処にいる。

 

坂道の、少し高めの位置で、周囲を確認し。

 

敵の接近を確認したら、即座に爆弾を放る。

 

あたしの護衛は、モニカに頼む。

 

なおこの部隊にはシェムハザさんも同行。

 

老いて傷ついてはいるが。

 

それでも歴戦の魔族だ。

 

日中だから力は半減してしまうが。

 

例えば、あたしが爆弾を投げるのを補助したりとか。

 

その高い背で遠くを見るとか。

 

そういったことは得意だろうと判断した。

 

本人は殿軍を希望したのだが。

 

フリッツさんが駄目だと言った。

 

多分、鈍足なため、追撃が掛かるとまずいと判断したからだろう。

 

空模様が怪しくなってくる。

 

第三隊が出た。

 

今までの二隊で、荷車の輸送は終わっている。あの傷つき意識が戻らないレオンさんも、運び終えている。

 

避難民達は、包帯まみれになって、今も意識が戻らない彼女を心配する余裕さえ無い様子だ。

 

恥知らず恩知らずと罵るのは簡単だが。

 

それだけ皆に余裕が無いことを意味している。

 

第四隊が出る。

 

殿軍に残ったフリッツさんは、その場でじっとして周囲を確認している。最悪の場合、多数の敵を一人で引きつけるつもりだろう。だが、第二隊が麓に到着し。第四隊があたしの所を通り過ぎた辺りから、坂を下り始めた。

 

嫌な臭いがする。

 

雨も降り始めた。

 

シェムハザさんも気付いたらしい。

 

「邪悪な魔力の気配がする」

 

「……どうやら来たようですね」

 

ノーライフキングの勢力圏は、そろそろ限界の筈だ。少なくとも麓を過ぎ、更にその先の谷を越えたら追撃を出せないだろう。

 

そうなると、まだ全員が「もたついている」此処が、収穫の好機というわけで。

 

更に言えば、この間の戦いで大勢手駒を失って。

 

頭にも来ているはずだ。

 

仕掛けてくるだろう事は予想していた。

 

そしてその予想は。

 

想定外の所から来た。

 

周囲の地面が、ぼこぼことふくれあがる。

 

しまったと、フリッツさんが叫んだ。

 

「全員走れ! 前衛と合流! GOGOGO!」

 

避難民を急かしながら、あたしは見る。

 

雨で柔らかくなっている地面を押しのけるようにして、死体の群れが周囲から姿を見せる。

 

なるほど。

 

こうやって死体を隠し。

 

雨の日に通りがかる獲物を襲っていた、と言う訳だ。

 

さっそく伏せていた匪賊が襲われているようだが、そんなものはどうでもいい。悲鳴が聞こえるが放置。勝手に全部死ね。

 

慌てた獣たちが、距離を取るが。

 

無数の死者に取りすがられて、そのまま肉を食い千切られている。

 

見境無しという訳か。

 

フリッツさんが追いついてくる。

 

それと同時に、移動速度を速める。

 

当然、周囲に見境無く沸いている死体どもだ。

 

襲いかかってくる。

 

前の方では、ジュリオさんが縦横無尽に暴れまくっているのが見えた。獣人族の戦士達も、敵を寄せ付けていない。

 

爆弾は。

 

駄目だ。止めた方が良い。

 

乱戦になっているし、何より昨日のこともあって、避難民もパニック寸前だ。

 

モニカがスパスパと腐った死体をスライスしている横を通りながら、避難民を逃がす。雨がどんどん激しくなっていく。

 

杖を一振り。

 

死体の頭を吹き飛ばし。

 

更に魔術砲で、大きめの獣の死体に大穴を開けた。

 

視界が悪くなっていく中。

 

追いついてきたフリッツさんは、敢えて少し遅れて、それで敵を引きつけ。近寄ってきた敵を、二本の剣で舞うようにして切り裂いていた。

 

だが数が数だ。

 

しかも下り坂をゆっくりとはいえ追撃されている状態である。

 

友愛のペルソナとマイスターミトンで皆強化しているとは言え。

 

それも限度がある。

 

荷車に取りつく死体が見えた。

 

コルちゃんが、仕込み手甲で一撃。木っ端みじんに吹っ飛ばす。

 

だが、それで手甲は打ち止め。しばらく彼女は機動戦で敵の注意を引くくらいしか出来ない。

 

相手が魔族の死体だったのが幸いだ。

 

無駄撃ちにはならなかった。

 

「よし、そのまま走れ!」

 

坂道を下りながら、フリッツさんが追いすがる死体を斬り伏せながら叫ぶ。

 

それにともなって、あたしは確認。

 

味方がかなりこっち側に来ている。

 

坂道が禍し。

 

鈍足な死体どもは、此方を追い切れていない。

 

それならば。

 

レヘルンを取り出す。

 

それを見て、自警団の者達や、他の戦闘要員も。

 

慌てて避難民を促して下がる。

 

此奴がどれだけ危険な代物か、知っているからだ。

 

放り投げる。

 

そして、起爆した。

 

周囲の雨粒さえ凍り付かせながら、冷気の地獄がその場に顕現する。

 

直撃した死体どもはそのまま氷像に。こんな急速冷凍したら、もう構造が崩壊して使い物にならないだろう。

 

他の死体どもも、体が砕けたり、動きが止まったり。

 

更に其処へ、とどめのうに袋をぶち込む。

 

死体の群れに襲われている匪賊や獣もまとめて。

 

強烈な爆圧が薙ぎ払った。

 

「走れ!」

 

フリッツさんが叫ぶ。

 

雨脚が更に激しくなってきているが。

 

敵の追撃はかなり弱くなった。

 

街道とは言えこれだ。

 

街道を外れればどうなるか。

 

匪賊どもを見てもよく分かる。

 

文字通り「人間を止めないと」生きていく事は出来ないのである。

 

最後尾で敵を斬り伏せているフリッツさんにモニカが駆け寄るが、不要と一喝される。

 

回復が出来るモニカは、中衛に控えていろ、という事だ。

 

それにしても、フリッツさんは、戦闘時は荒々しい言動になるものだ。

 

人形を扱っているときと同一人物だとは思えない。

 

倒れそうな避難民や。

 

老人や子供を叱咤して、走らせる。

 

獣がまだ雨に紛れて散発的な襲撃を掛けてくるが。

 

此方だって対応は遅れない。

 

ただ、どうしても。

 

怪我と疲労が増えていくのはどうにも出来ない。

 

あたしも手傷を受ける。

 

後方にまたうに袋を放り投げる。

 

今回ホルストさんはかなり在庫を大盤振る舞いしたが。それでも、この調子で使っていると、無くなる。

 

また造りためしておかないといけないだろう。

 

ぬかるんだ道に転ぶ子供。

 

ジュリオさんが助け起こす。

 

襲いかかろうと飛びかかってきたキメラビーストにオスカーが即応。

 

スコップで顔面をフルスイング。

 

動きが止まった所を、獣人族の戦士達が滅多打ちにして肉塊に変えた。

 

谷が見えてくる。

 

呼吸を整えながら、周囲を確認。

 

これは死体の処理どころじゃないな。そうぼやきながら、後方を見る。

 

後方では、あたしの爆弾で死にきれなかった匪賊や獣らしいうめき声や。まだ追いすがろうとしているらしい死体どもの湿った足音がしていた。

 

谷にさしかかる。

 

ようやくだ。

 

だが、既に避難民達のコンディションは限界に近い。一旦此処に閉じこもるしかない。増援は当然期待出来ない。

 

キルヘン=ベルからこれ以上戦力を出したら。

 

匪賊からも身を守れなくなるし。

 

獣か何かが乱入しても対応出来なくなるからだ。

 

フリッツさんが戻ってくる。

 

引きずっているのはキメラビーストの死体だ。

 

さっきオスカーがしばき倒した奴である。

 

まあ、此奴の肉はとてもまずいのだけれど。贅沢は言っていられない。

 

あたしが魔術で雨を防ぐと。

 

疲れ果てている皆が、淡々と点呼を取り始め。

 

ジュリオさんさえ余裕を無くしている中。

 

やりきれない面持ちで、降り続ける雨と。慈悲無き天を見上げていた。

 

 

 

谷は決して良い場所では無い。

 

敵対勢力が存在する場合、簡単に包囲できる。

 

上も取ることが出来る。

 

人間も魔族も。

 

弱点は上なのだ。

 

ましてやこの天気。

 

土砂崩れでも起きたら大惨事で。

 

しかも、それを止めることが出来ないし。

 

何より匪賊か何かが待ち伏せしていたら、そいつらは簡単に災害を引き起こすことができるのだ。

 

だが、前後と上だけ警戒すれば良い。まあ先ほどの様子からしても下も、だ。

 

左右は確認しなくて良い。それだけで、随分と楽になる。

 

だから谷の入り口で、休憩する。

 

最悪の場合でも、すぐに谷から脱出できるように。

 

出口までは行きたかったのだが。

 

全員が限界のこの状況。

 

そんな事はしていられない。

 

戦士達には余裕があるが。

 

避難民はそうではないのだ。

 

食事を避難民達にさせる。モニカが慌てた様子で、駆け回っていた。

 

あたしが最近プラフタに教わって作った栄養圧縮レーションを食べさせている様子からして、栄養失調とこの状況で、バイタルがまずい避難民が出始めているのだろう。

 

山師の薬は惜しみなく使う。

 

傷は癒やせるが。

 

疲労はどうにもならない。

 

あたしもずっと傘代わりに魔術を使っていて、少し疲弊が溜まってきた。しかも昨日と違って、休憩も無い。

 

コルちゃんが谷の上に上がって来ようかと言うが、フリッツさんが却下。

 

この状況。

 

谷の上に何かがいた場合。

 

狙い撃ちのカモだ。

 

今はまだフリッツさんとジュリオさんに多少の余力が(とはいっても二人とも疲れが見え始めているが)あるが。

 

コルちゃんはもとより専業戦士でも傭兵でもない。

 

多少機動力がある程度の素人一人に。

 

偵察なんて任せられない。

 

「全員、交代で休憩。 上には注意し続けろ」

 

「畜生、ラスティンは軍をもっと増やせよ……なんで自警団の俺らが此処までしなければならないんだよ」

 

「そうも言っていられないだろ。 大規模な軍が移動すると、決まってドラゴンや邪神が姿を見せるって話もある」

 

「いずれにしても、此処は街からたった二日とちょっとの位置なのに、人間の領域じゃないって事だ」

 

獣人族の戦士達のぼやきが聞こえる。

 

あたしは座って黙々とレーションを口にしながら、魔術を維持し続ける。今の状態、雨に当たり続けるのは、避難民にとって致命的だ。

 

歩み寄ってきたのはシェムハザさん。

 

「どうしましたか」

 

「代わろう」

 

「大丈夫ですか。 いざという時に走れなくなると困りますよ」

 

「君は錬金術師だろう。 君がいないとこの一団は下手をしなくても全滅する。 儂の命より君の疲弊を回復する方が優先度が高い」

 

その通りだが。

 

疲れているのは皆同じだ。

 

少し黙り込んだ後。

 

折衷案を出す。

 

「それなら、少し全力で寝ますので、その間だけお願いします」

 

「心得た」

 

「モニカ、見張り頼むよ」

 

「ごめん、余力無いわ。 コルネリアさん、頼めるかしら」

 

モニカは即答。あたし以上に魔力を消耗しているし、仕方が無いか。

 

五十人からの負傷者、足弱の者が、この状態なのだ。当然とも言える。

 

それでも山師の薬をつぎ込んだおかげで、生傷だけはどうにか出来ているのは救いと言えるか。

 

コルちゃんが来る。

 

そして、フリッツさんとあたしに、あまり聞きたくないことを言った。だが、こういうことは聞かなければならない。

 

「計算すると、明日も襲撃を受けた場合、薬が足りなくなるのです」

 

「食物は」

 

「それは大丈夫なのです」

 

コルちゃんが視線で指した先には、解体されてみんなの腹に収まりつつあるキメラビーストの死骸がある。

 

丁度骨を割って軟骨を取りだし、炙っているところだった。

 

あたしは指先を頭に当てると。

 

嘆息し。

 

そしてフリッツさんに言う。

 

「とりあえず少し全力で寝ます。 移動か何かあったら起こしてください」

 

「分かった。 シェムハザ老、頼むぞ。 ハロル、周囲の警戒に当たってくれ」

 

「うむ……」

 

「了解した」

 

濡れていて気持ち悪いけれど、谷の岩に背中を預けて、目を閉じる。

 

さて、やる事は決まっている。

 

少し全力で休んだ後。

 

とにかく少しでも早く谷を抜ける。

 

谷さえ抜ければ、それほど強力な猛獣は出ないはず。匪賊も最近念入りに消毒したから、減っている。

 

ここぞとばかりに姿を見せていた匪賊どもは、隣街の関連者ばかりだった。

 

ならば、此処さえ抜ければ。

 

勝機は見えてくる。

 

雨音の中、疲れから、あたしはすぐに眠りに落ちた。

 

生きて起きられるかは、分からない眠りに。

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