一九三六年四月三十日。
宍戸が書類整理を行っているところに、一つの連絡が入る。
「宍戸所長、スペインの第九師団から連絡が入りました」
「内容は?」
「『我、対象を確保す。これより帰還す』とのこと」
「良かった。一安心ですね」
宍戸は安堵したような表情を見せるが、ガルシアからの連絡で既に作戦が成功していることを把握していた。
(あまりスマホのことを知られると、後で大変なことになりそうだからな……)
情報戦が物を言う時代に突入しつつある今だからこそ、気を引き締めなければならない。
その時、十六時の鐘が鳴る。
「おっと。もう時間か」
そういって宍戸は、自分の荷物をまとめる。
「申し訳ないですが、今日は米内総理に呼び出されているので、これにて失礼します」
宍戸は立川研究所を出て、通勤に使っている自動車に乗り込む。運転手は宍戸が乗り込んだことを確認して、自動車を発進させた。
自動車は赤坂へと向かう。そしてとある料亭の前で止まる。
店の前では、女将が待っていた。
「宍戸和一様ですね?」
「えぇ、はい」
「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
そういって料亭の中を案内される。
料亭の中を進み、とある部屋の前に通された。
「どうぞ」
女将が戸を開けると、そこには米内総理が座っていた。
「ようやく来たか、宍戸君」
「お待たせしました、米内総理」
「総理と呼ぶのは止めたまえ。とはいっても、それが事実なんだがな」
そういって米内総理は頭をかく。
「ま、立ち話もなんだ。座ってくれ」
「失礼します」
宍戸は、米内総理の前に用意された座布団に座る。目の前にはお膳があり、高級そうな料理が並んでいた。
「まずは一杯どうだ?」
そういって米内総理が徳利を宍戸に差し出す。
「あ、いや、自分まだ未成年なんで……」
「未成年? その歳でか?」
「あー、未来の日本では、二十歳からが成人ってことになってるんです。自分まだ十九なので」
「そうなのか。ならなおさら飲んだ方がいい。違法なことをやっている背徳感は最高だ」
「……それ、総理自身もやったことあるような言い方ですけど」
「バレなければさして問題ではないからな」
悪い顔をする米内総理。宍戸は折れて、少し早い成人を迎えることにした。
米内総理からお酌させてもらい、宍戸もお酌し返す。
「宍戸君はなかなか頑固な所もあるのだな。その頑固さは将来武器になるだろう」
「そうですかね……?」
「首を容易に縦に振らないというのも、技術の一つだからな」
そういってお猪口を掲げる。
「では、乾杯するか」
米内総理はお猪口を、宍戸は湯呑を持つ。
「乾杯」
そういってそれらを軽くぶつけるのだった。
しばらくはたわいもない話が続いた。特に、米内総理はすず江のことを気にかけているようだった。
「嫁は可愛いものだろう?」
「いやぁ、まだ実感はないですけどね」
「人生はそういうものだ。常に分からないことに支配され、いつの間にか実感を抱くものだよ」
そんな話をしていると、米内総理は急に真面目な顔になる。
「宍戸君、少し政治の話をしよう」
「どうしたんですか急に」
「今、帝国は窮地に追いやられているといっても過言ではない。太平洋は米国に支配されており、大陸はソ連と中華民国、引いては植民地を持ったイギリスとも対立している。私は海軍の人間だが、大陸から手を引くのはいかがなものかと思うぞ」
「そうかもしれませんが、いずれ大陸の脅威は迫ってきます」
「ならば、なおさら大陸から手を引くのは問題だぞ。実際してしまっているのだから余計に面倒になっているのだが」
「だからこそ、今は朝鮮半島で防衛線を引き、しかるべき時が来たら、反攻作戦を行うのです」
「それではソ連の脅威を完全に排除しきれん。だからこそ満州に陸軍を配置して、大陸の安定を図るのだよ」
宍戸と米内総理の主張は平行線を辿る。このままでは決着がつかないだろう。
「まぁ、やってしまったことは仕方ない。ここまで総理職が面倒とは思わなかったぞ」
そういって米内は、空になったお猪口をお膳に置く。宍戸はすかさずお酌した。
「おそらく総理になるだろうだからと言われ、わざわざ予備役に入ったのだがなぁ」
宍戸も内心は同情している。しかし今は、日本の未来を左右する大事な局面でもあるのだ。妥協は許されない。
「今は、朝鮮半島から本土までの領域を絶対防衛線として守り切ることが重要です。それと、シーレーンの絶対死守。これを徹底することが、今後の日本を存続させることに必要なんです」
「うーむ……」
米内総理は少し考える。シーレーンの話が刺さったのだろう。
「まぁ、君の話も一考の余地はある。少し検討しよう」
こうして米内総理との時間が過ぎていく。
料亭の正面玄関。米内総理と一緒に料亭を出る。
「今日はいい話ができた。今後ともよろしく」
「よろしくお願いします」
米内総理は自動車に乗り込み、帰路についた。
「俺も帰るか……」
そういって自分の自動車に乗り込もうとするが、少し視界がグラグラする。
「ぅおっ……。これが酔いか……」
宍戸は何とか車に乗り込み、家へと帰るのだった。