一九三八年十一月三日。
カムチャッカ半島の先端付近の沖合を航行する数隻の潜水艦がいた。帝国海軍の伊号潜水艦だ。
彼らは哨戒任務として、千島列島の太平洋側を北上する形で海上を走っていた。
潜水艦だけの哨戒部隊もなかなか珍しいが、こうでもしないと、水上艦が不足しかねない。致し方ない処置と言えるだろう。
「なーんにもないっすねぇ」
周囲を警戒している士官が、一緒に艦橋に上がっていた艦長に話を振る。
「そうだな。何も無いのが一番だ。そして最悪でもある」
「どういうことっすか?」
「平時で何も無いことは、平和そのものを意味する。しかし、戦時で何も無いことなんてない。隙や余裕があれば、攻撃を続けなければならないからだ。今は戦時。何も無いということは、敵が何かを企んでいる時と言える」
「それもそうっすねー」
士官は適当に言葉を返す。
その時だった。
少々曇っていた空だったが、その隙間から何かキラキラした物が見えた。ついでに、潜水艦から発せられる機関以外のエンジン音も微かに聞こえる。
「艦長、何も無いってことはないみたいっすね」
士官は双眼鏡ではなく、肉眼で上空を見る。明らかに航空機だろう。
「そのようだな」
日本の陸海軍航空隊が、この周辺を飛行する計画は聞いていない。そして航空機群は、日本領土に接近しているように飛行している。
やってきたであろう方角には、アリューシャン諸島がある。
つまり。
「あの飛行機たちは、米国の爆撃機だろう」
「敵機捕捉! おそらくB-25と思われます!」
「高度から見て、空母から発艦したものだろう。彼らの目的地はおそらく……、択捉島だ」
敵爆撃機の進路を見て、艦長がそう言った。
「択捉島の基地に連絡! 敵の爆撃隊がそちらに向かっていることを知らせるんだ!」
「了解!」
実際、艦長の読み通りで、伊号潜水艦から東の方角約三百キロメートルの所に、アメリカの空母艦隊がいた。
そこからB-25が発艦し、択捉島を目指していた。
『いいか、寄り道するなよ? そうじゃなきゃ、敵地への片道切符になっちまう』
爆撃隊の指揮をする大佐は、皆に言い聞かせるように言う。
実際、発艦した地点から択捉島までは一二〇〇キロメートル強あり、妨害なしで真っすぐ飛んだとしても、空母に帰ってくるころには燃料が尽きてしまう。それを抑えるために、巡航高度を維持する分にはなるべく出力を絞って飛行している。
高度五〇〇〇メートルを飛行していると、目的地が見えてくる。
『目標視認。ちょうど雲も切れ始めている。攻撃するなら今だ』
爆撃隊に連絡をしていると、銃座に座っている兵士が声を上げる。
『大佐! 一時方向下方に何かいます!』
『それなら、下にいる護衛隊に任せるんだ。我々は我々の仕事をすればいい』
爆撃隊に接近する何かとは、択捉島の基地で待機していた帝国海軍の九八戦である。潜水艦からの連絡を受け、緊急発進したのだ。
その九八戦が相手にするのは、グラマン鉄工所とも呼ばれるF4Fワイルドキャットである。
ワイルドキャットは九八戦のことを確認すると、一斉に九八戦に襲い掛かる。そして空戦が始まった。
強固な機体であるワイルドキャットは、急降下で九八戦の編隊に飛び込む。それを九八戦は回避する。
双方散開し、各々が目標を決めて格闘戦が行われる。運動性能が高い九八戦が、優位な位置を取り続けるものの、七.七ミリ機銃だけではワイルドキャットは墜ちない。仕方なく二〇ミリ機銃を使い、何とかして墜としていく。
二〇ミリ機銃を使って狙うが、集中して狙っている間に別の機体が強襲してくる。そうして墜ちていく九八戦も多かった。
次第にお互いの数が減っていく。残っている機体だけを見れば、九八戦のほうが多い。
だが、これ以上は弾がなくなる上、高度も低い。今から爆撃隊のいる高度まで上がるのには時間がかかるだろう。その間に爆撃隊による爆撃が行われてしまう。
『今回は我々の勝利だな』
大佐はそんなことを言いながら、次の指示を出す。
『爆弾倉開け!』
爆弾が顔を覗かせる。それを確実に基地に届けるため、爆撃手が最終調整に入る。
『ちょい右……。ちょい右……。オーケー、そのまま』
そして爆弾が落とされそうになった時だった。
爆撃隊のさらに上空から、何かが急降下してきた。通り過ぎざまに機銃攻撃を行い、エンジンを燃やしていく。
『なんだあの機体は!?』
特徴的な直線翼、九八戦と見間違えるほどに似た機体。
帝国陸軍航空隊所属の一式戦闘機である。武装は七.七ミリ機銃と十二.七ミリ機銃であるが、正確な狙撃によって次々と爆撃機のエンジンと翼を破壊していく。
あっという間に、数十機いた爆撃隊は数機まで減っていた。
「海軍の連中、驚いているだろうな」
史実では飛行第六四戦隊、通称加藤隼飛行隊の隊長として知られる加藤健夫が、そんなことを言う。
制式採用されたばかりである一式戦闘機六機だけで、敵の爆撃隊を壊滅状態にまで陥れたところを見るに、この一九三六世界でもエース・パイロットの素質を持っているようだ。
こうして、アメリカ海軍による択捉島への爆撃は、失敗に終わったのであった。