カヨコ「拾って下さい……か」
ざぁざぁと、空から雨が降る音だけが響く路地裏。ビルとビルの隙間、ビルの雨どいや飛び出し窓によって空から遮られる場所の下に、ひとつの段ボールがある。
それは、マジックペンで書かれた文字が前面にあった。
曰く、「拾って下さい」。
段ボールの持ち主は、近くにはいないようだ。
何とも無責任な話である。
中身が何だとしても、他人任せの「拾って下さい」とは、段ボールの元の持ち主はよほど無責任であるらしい。
そんな段ボールの前に、チープなビニール傘を差した女の子が一人立っている。
『悪魔』という種族に由来する、頭の後ろに生えた角、背に生えた細い翼が特徴的に映る。
大人っぽくもどこか幼さをほのかに感じさせる顔を、段ボールの中身に対して向けている。
ここ学園都市キヴォトスでも屈指の治安の悪さで知られるゲヘナ学園の3年生。鬼方カヨコだ。
「……この子って……」
そう、その段ボール、顔が怖いなどと言われ恐れられるが、心は(学園都市キヴォトスという超が付くほどの銃社会の土地基準では)優しいカヨコが足を止めるあたり、どうやら中身には「いる」らしい。
それなりの暖かさを有する、生命体的なサムシングが。
「子供、だよね」
しかも、捨て猫でも、捨て犬でもなく。
「……小学生? 体が小さいし……」
どうやら、捨て子であるらしかった。
*
カヨコは、目の前の捨て子、らしき子供についてどうするか考える。
目の前の子供は、頭を常に押さえ、両耳には安っぽいヘッドフォンをしてガタガタと震えている。
意識はあるらしい。様子からして、カヨコの独り言にも、そもそも存在にも気が付いていないようだ。
「意識があるのにヘイローが無い。……外から来た子なのかな……」
言いながら、カヨコは「とんとん」と子供の震える肩を軽く叩く。自分の存在に、まずは気づいてもらうために。
ビク、と、少年の動きが一瞬びくついた後で止まる。
そのあと、ヘッドホンをおそるおそる外して、目を開く。
クリっとした、1対のダークブラウンの瞳が、カヨコを見た。
「大丈夫? 怪我はない?」
可能な限り優しく、カヨコは話しかける。
それに対して目の前の子供は、
「……ひっ」
泣き出す寸前。目に涙を蓄え、カヨコの方を見つめながら動かなくなってしまった。
カヨコは、やっぱり自分は怖がられるのか。顔が怖いのか。目つきが鋭いのか。そう思って悲しくなる……その刹那、少年の目の向く先を意識して確認した。
その目は、自分自身の顔に向いていなかった。
ホルスターだ。カヨコ自身が身に着けている拳銃のホルスター。具体的には、その中身である拳銃に意識が向いている。
ここで、この場所、キヴォトスについて語っておく。
学園都市キヴォトスは、神秘を宿し、頭に天使の如く煌々と輝く『ヘイロー』を浮かべる『生徒たち』によって運営される学園都市だ。
生徒たちはその身の神秘により、銃火器でもかすり傷、戦車やヘリコプターによる砲撃、機銃掃射をくらってもなお、最悪気絶で済ませる頑健さをデフォルトで備えている。
ゆえに、不良生徒同士の喧嘩ではほとんどの場合、暴力的に、銃弾や爆弾の投げ合いになる。
怪我で済む、『殺し合い』の道具ではなく『子供同士の喧嘩』の道具に銃火器は成り下がってしまっていた。
銃声がキヴォトスで鳴らない日はない。
だが、『キヴォトスの外』からやって来た人間にとっては冗談ではない。何せ銃弾1発、肉体の何所かにあたれば致命傷だ。
銃社会のアメリカすら真っ青になって凍り付く超銃社会のキヴォトスは『外』の人間にとっては地獄以外の何物でもないのだ。
話を戻そう。
カヨコはキヴォトス人の生徒だ。当然、銃を持っている。
ここキヴォトスでは全裸で町を歩く人間よりも銃を持たずに町を歩く人間の方が少ないのだから、当然と言える。
「これが、気になるの?」
とんとん、と軽くカヨコは自身の拳銃を指先で叩く。
子供は一瞬びくり、と顔をこわばらせた後、こくり、とうなずいた。
「そっか。ごめんね」
本当はかなり危険で、不良がいる可能性が高い……いや、確実にいる路地裏では絶対にやってはならないことだが、カヨコはあえて、その危険を承知の上で拳銃をホルスターごとポケットの中に隠した。
簡単には取り出せないように、パーカーのポケットの奥深くまで突っ込む。
「これで大丈夫。ほら、おいで。ここは危ないから、落ち着くまで私と居よ?」
そう言って、カヨコは子供に対して手を伸ばす。
連れ帰るつもりらしい。
確かに、騒ぎ声と銃声が近い。銃弾飛び交う戦場が近いのは間違いない
「ぇ、……ぇと、その」
子供は困惑している。
目の前の女性が、優しいことはなんとなくわかっている。
今も、ヘッドホンで耳をふさいでいるにもかかわらず響いてくる銃声と、銃の存在に怖がっている自分のために、銃を見えなくしたうえで、自分の身を心配してくれている。
「……少しゆっくりしすぎたかな。銃声がもうすぐそこだし、ごめんね」
ふわり。
そんな擬音が似合いそうな感覚が、子供を急に襲う。
襲うと言っても危ないものではない。
カヨコだ。カヨコの胸元に片腕で抱きしめられていて、子供の顔がちょうど胸にあたっている。
「軽いね。これなら片手で行けるかも。戦場のわきを駆け抜けるけれど、安心して。絶対にキミに怪我をさせないから」
彼女の胸元に抱きしめられながら、子供はカヨコの顔を見上げる。
自信たっぷりな笑顔だ。
だから。
「あ、あの……この仔もお願いしてもいいですか……?」
にゃぁ、と、着ている服の中から聞こえる鳴き声の主とともに、子供はその身を預ける。
一番、頼りになるその胸に小さな体を寄せた。
「まかせて」
怪我をさせられない理由が、彼女の中にもうひとつ増えた。
カヨコは全霊の力で、子供を抱えて路地裏から駆け出す。
子供も、服の中に隠した小さな命を落とさないようにぎゅっと抱きしめてカヨコに身を預ける。
駆ける、駆ける、駆ける。
銃声から少しでも遠ざかるように、全力で人の多いショッピングエリアに向かっていく。治安のいい場所に向かえば、少なくとも見えない箇所から銃弾が飛んでくる可能性は減る。
ドン______! と、爆発音。突然カヨコの真後ろ40メートルの路地裏から黒煙が上がり、戦車が転がりながら吹っ飛んでくる。
「っく、今日に限って派手にやるのはなんで!?」
カヨコは傘を捨て、両腕で子供を包み込むように抱きしめる。傘があると思ったようにスピードが出ない。戦闘の派手さから、スピードを上げるべきだと判断したのだ。
細いが、ないよりはましと悪魔特有の特徴を有する自身の翼も子供を包むようにして前に持ってくる。体も前かがみにして、自分の体を、子供の傘にする。
「ごめんね、少し濡れるかも……!!」
子供は、爆音にびっくりしたのか目を閉じていたために笑顔は見えていなかったが、「大丈夫」と返した。銃声に対しての怖がりようから不安だったが、中々肝が据わっている。爆発に対して暴れ出さないのは、この子供の芯が強いからだろうか。
「うん、絶対にお姉ちゃんがケガさせないから」
カヨコから普段は言わないような言葉が出てくる。守るべき対象である腕の中の子供に、少し入れ込み始めたのだろうか。
チュン、と風切音を鳴らしながら銃弾が通り抜ける。
カヨコの側を銃弾がかすり始めた。戦闘の規模が思ったよりも大きい。走り始めてしばらくたつのに戦場を抜けない。
可能な限り自分の肉体で、子供に弾が当たらないようにしながら走る、走る、走る。
「っぐぅ……!?」
カヨコの肉体に流れ弾が当たる。衝撃によろけて子供を手から落としそうになり、はっとして子供を見ると、泣き出しそうになりながら、それでもこらえて自分に身を預けている。
絶対にこの子を落とせない。
ぐっと全身に力を入れ、抱きかかえなおして走り出す。出会って間もない自分の言葉を信頼して、自分に命を預けた子供を死なせてたまるものか。
「大丈夫、大丈夫だから______!!」
その時だ。
ヒュゥー、と気の抜けた音。
戦場でよく聞く擲弾の音だ。
それも、自分に、カヨコに向かって落ちてくる擲弾の音。
「まず」
い、とまで言葉が続かない。
擲弾の爆発なんて、気絶する程度で済むだろう。
だがそれは、カヨコだけの時の話だ。
子供は……『外』の子供であるこの子は、どうなるか。
そこまで考えたカヨコの行動は早かった。
「ごめんね」
子供を、可能な限り前に投げる。
頭から落ちないよう投げ出した直後、爆音。
「ぇ」
ボロボロのアスファルトに投げ出された子供は、爆発で照らされた世界の中、カヨコの方を見た。
地獄が、そこにあった。
華やかだった街並みは崩れ、流れ弾が空を裂き、ヘルメットをかぶった少女達が銃火器を振り回す。
そして……自分をこれまで守ってくれていた、彼女の……カヨコの、倒れ伏す姿。
「なん、で」
言葉が出てこない。
にゃぁ、とむなしく、服の中の存在からの不服そうな声がむなしく響く。
雨が降る曇天に黒煙が立ち上り、さらにより一層周囲の空気が、雰囲気が暗くなる。
「ねぇ、やだよ、ねぇ」
鳴きながらカヨコの肩を揺らす。
しかし、完全に意識がなくなっているのか、ヘイローは既に消え、子供の声に彼女は答えない。
「起きてよ、もうやだよ。僕の側からいなくならないで。ねぇ」
強く肩を揺らしても、何も応えない。
ぼろぼろと涙をこぼしながら、子供は必死になって声を上げる。
ひゅう、と気の抜けた音が聞こえる。空を見上げれば、擲弾がもう一発落ちてきている。
自然落下してくるその爆薬の詰まった金属の塊が、子供にはやけにゆっくりと見えた。
「たすけて」
震える声でつぶやく。
ゆっくり、ゆっくりと確実に近づく「死」に、子供は震えるしかできない。
いや、さっさとこの場から立ち去ればよかったのだが、出来ない。
できないのだ。
だって、ここまで、自分のことを守ってくれたお姉ちゃんが……カヨコがいる。
絶対に離れられない。
……守ってくれた人を置いて、離れることはできなかった。
「ぁ……」
子供の目に、鈍く光るものが見えた。
それは、彼女が、自分を怖がらせないようにとポケットに隠してくれたもの。
子供にとって、恐怖の代名詞とも言える存在。
ホルスターから、爆発の強い衝撃で転がり出ているそれには、セーフティはかかっていなかった。
まるで、「俺を使え」と、子供に言っているかのように。
小さい両腕で持ち上げる。
重い。しっかりと持っているはずなのに。
少し腕が垂れ下がりそうになりながらも、頑張って腕を上げる。
狙うは1点。空から落ちる「死」の弾。それに狙いを定め、引き金に指をかける。
「お願い……お姉ちゃんと僕を守って______!」
子供の、震える声。
情けない、泣きそうなか細い声だ。
ガォンッ!
その声に、今度こそ、1つの銃声が応える。
デモンズロア。カヨコの愛銃。
悪魔が上げた咆哮のように、大きな音が市街地に鳴り響く。
その悪魔の咆哮は、カヨコと子供に落ちる擲弾を穿ち抜き、空に吸い込まれるようにして消えていく。
瞬間、空で爆発。
銃の反動と同時に襲った衝撃に、子供は耐え切れなかった。
「……ぁ」
暗くなる視界。
最後に見たのは、慌てて駆け寄る、カッコイイコートを羽織ったお姉さんの姿と、
「よかった……」
衝撃で目を覚まし、驚愕とともに子供に手を伸ばす、カヨコの泣きそうな顔だった。
ゲヘナだとカヨコが一番好きです。