実は最初、世界を悟ったみてぇな井の中の蛙のクソガキがエデン条約編後のサオリに拾われて一緒にホームレスやったりDJやったり自分探ししたりする予定でした。
カヨコ可愛くて美人でマジェスティックで麗しくて美人でえっちで美人でソッコー浮気した俺を許してほしいんだサオリ。
目が覚める。
子供が最初に感じたのは、ほのかな薬品の匂い。小学校の保健室で良く匂ってくる消毒液のものによく似ている。
「ぅんっ……?」
目に、薄暗い部屋が映る。トラバーチン模様の天井材、チープな鉄パイプ製のカーテンレールに、プラスチック製のリングで吊り下げられた、白っぽい、ナイロン生地のカーテン。
典型的な学校の保健室のベッドの様相である。
となれば今子供が寝転がっている、硬く、表面が布っぽいものは保健室特有のめちゃくちゃ硬いベッドだろう。
起きて、ベッドから下りる。子供は少しふらついて、頭を押さえた。少々頭がずきっとするためだ。あの後、頭を
「うぅ……ここどこぉ?」
カーテンをサラリ、と開ける。金属製の棚に薬品の入った白いプラスチックの入れ物やガラスの便が乱立し、薬箱や包帯のようなものも見える。
「保健室……てことは、ここは学校……今までのは夢……?」
子供にとってはそれが一番いい結末だろう。何せ、夢の中では爆弾や鉄砲でドンパチやっていたのだ。現実に戻ってきた。そう考えたいのだ。
だが。
「学校の保健室とは違う……パソコンもない……」
配置がどうやら、子供の知っているものとは異なるらしい。
「それに、鉄砲……」
簡素な木製のガンラック。そこには、子供の大きさ程のマシンガンがあった。ご丁寧に、マガジンも予備がちゃんと近くにある。恐らく、これで先ほど見たような不良が襲ってきた場合に追い返そうという事なのだろうか。
思わず、子供は手首を抑える。トリガーを引いた、利き腕の右手首。
夢ではない、と、カヨコの愛銃「デモンズロア」を撃った反動が、今になってジンジンと子供の腕にやってくる。
「うったんだ」
手のひらを子供は見る。小さな、すべすべとした手。その手で握った銃の重さを、反動の強さを、今でも覚えている。あんなものを、あの角と翼のあるお姉ちゃんは何時も撃っているのだろうか、と子供は思った。
さて。
今までの物事が、子供にとっては夢ではないと分かったところで。
「っ、う……」
一度、外に出ようとして。
「なん、で……?」
腕が震えた。
握れないのだ。
ドアノブが握れない。
子供でも握れる位置にある、ただ回して開けるタイプの、円筒形のドアノブ。
別に、ドアノブがつるつるしていて摩擦で握れないわけではない。
子供の手が、ドアノブを握ろうとするたびに震える。離すと、止まる。
「ひゅー、ひゅー、ひゅー」
子供の額に、汗が流れる。
背中に脂汗がにじみ、手がべたつく。
目がうつろになって、呼吸が荒くなる。
「なんで、なんで握れ……」
わかっている。理由なんて。
怖いのだ。
外が、怖くて怖くてたまらない。
鮮明に思い出せる、ぐったりとした
迫りくる擲弾。爆発の光、轟音。
建物が崩れる音、流れ弾が耳を掠め、空を裂く音。
それらすべてが、子供の心に深くのしかかる。
まるでビデオのリピート再生のように、何度も、何度も、ドアノブを目の前に、フラッシュバックする。
ドアノブを開けたらあの地獄が待っているかもしれない。
そんな恐怖で、頭がいっぱいになる。ドアに手をつき、倒れそうになるのを必死に抑える。
そうしている中で、ひとつ、引っ掛かる。
「あ、……お姉ちゃん」
そうだ、
記憶に残る最後の姿。ボロボロになって、
「いかなきゃ」
ああ、そうだ。
知らない場所で1人だった
自分のことを、身を挺してかばってくれた、頼れる年上。大人っぽい人。
……でも、あの時、
きっと、そんな顔をさせてしまったのは、
路地裏で小さく丸まり、耳をふさいでいた子供を助けてくれるくらいに心優しい彼女のことだ。きっと、自分自身のことを責めてしまっている。
だから、
「大丈夫だよって、言わなきゃ」
そうだ。
自分はまだ壊れていない。壊れるわけにはいかない。
だってまだ、
震える足で立つ。ドアノブに手を伸ばす。
これは壁だ。
路地裏の、猫の入った段ボールの側にいつの間にか立っていた子供が生み出した、外への
お姉ちゃんは、今この部屋にはいない。
きっと、外だ。
お礼を言うには、この扉を開けなきゃだめだ。
ドアノブを持つ手が震える。
手汗で滑る。
滑る手の平を服で拭いて、がっしりと握る。
深呼吸して、呼吸を整える。
「ひらけ______!」
ドアノブを捻る。
「______ぁ、れ」
その瞬間、勢いよく扉が開いた。
たたらを踏む。
転びそうになりながら、外に開いた扉の奥に、子供は一歩、転ばないように足を踏み込んだ。
捻ったと同時に、扉の向こうの誰かがこの外開きの扉を開けたらしい。
子供は、前を見る。
そこには、ボロボロの廊下に、今一番感謝を伝えなければいけない人が立っていた。
*
便利屋
社長の陸八魔アルを含む4人で構成されたアウトロー集団。
ゲヘナ学園の問題児グループのうちのひとつ。
彼女らは、無数にいるゲヘナ学園の無法者たちの中でも抜きんでた強さを持つグループだ。
実際、彼女ら4人でゲヘナの治安維持組織「風紀委員会」を相手に、委員長抜きという条件付きであれば勝利できるほどの実力派のつわもの達である。
さて、そんなグループが現在臨時拠点として使用している廃墟。
今は使われなくなった、ゲヘナ学区郊外の旧校舎。
草木が生え放題の、その保健室前に、まるでお通夜のような雰囲気で4人はいた。
「……」
原因はわかっている。
怪我をした子供のことだ。
それも、ただの子供ではない。
超銃社会キヴォトスにおいて吹けば飛ぶ命の『外』の存在。
ヘイローのない子供である。
そんな子供が、自分を守るために、自分の銃を使って、その銃の反動でこけて頭を打った。
そんな環境に立たされているカヨコの心情たるや、もはやノイローゼ。
子供が大事に、服の中に隠していた子猫をアルに預け、子供が頭に装着していたヘッドホンを大事そうに抱えながら、涙をこらえていた。
「自分が、ケガをさせないって言ったはずなのに」。
彼女の、カヨコの現在の精神状態の根源はこれだ。
自分で怪我をさせないと言っておいてケガさせて、挙句、大怪我しそうになったところを命を懸けて守られて。結果として頭を強く打たせてしまった。
自分は何ともない。
愛銃が少々傷ついた。
擦り傷が多少ついた。
ホルスターがお釈迦になった。
それだけだ。
ゲヘナの救急医学部に連絡はした。位置情報の送信もした。自分たちが頼りにしている連邦捜査部「シャーレ」の先生にも、現状を伝え、こちらに来てもらっている。
最低限のことはした。最低限の責任は果たした。
でも、それだけ。
カヨコは、自分自身をずっと責め続けている。
わかるのだ。
自分たちが先生を頼りにしているように、あの子供もまた、
今ならわかる。先生の言う「責任」の重さ。
果たせなかった時のその無力感と、心に来る重圧で、
怪我をさせない。そういった時からカヨコは、あの子供にとっての「先生」だったのだ。先生に対してカヨコ自身が向ける信頼のように、子供から向けられた、路地裏での信頼から来る言葉は心の内を暖かくさせた。
しかし、その信頼を裏切ってしまった。
それがわかった時、凍えるほどに冷たい何かが頭の先から背筋まで伝ったのを、カヨコは今でも覚えている。
守れなかった。怪我をさせないって言ったはずなのに。
自分自身の言葉に、心を責められる。自分自身が、自分の敵になる。
信頼を置かれる側になって初めて、先生が、自分たち生徒に真摯な理由が理解できた。
何もかも手遅れな今になって、カヨコは理解できてしまった。
「様子、見に行ってくるね」
責任を取るものとして失格の言動をした自分に、最後にできることと言ったらこれしかない。
最後まで、その身柄を明け渡すその時まで、無事を祈り、ただ大事が無いようにする。
「ええ、わかったわ」
アルからの返事は、どこか気を遣おうとして、何も出てこない。そんな雰囲気だった。
自分の所為で。
カヨコはまた、心が暗くなる。
扉の前に立つ。
ドアノブを持つ手が震える。
目の前の扉が壁に見える。
ただの木製の扉のはずなのに、やけに重い。
ああ、これが、子供の、今の私に対する心の壁なのかもしれない、と、カヨコは
起きていたら、なんて声をかけよう。
どんな顔をされるだろう。
どんな目で見られるのだろう。
怖い。
でも、子供はもっと怖い思いをしたのだ。
信頼した相手に裏切られるような真似をしたのだから。
だからこそ、その恐怖を押し殺して、扉を開く。
「______ぇ」
そこには、子供がいた。
守れなかった、信頼にこたえることが出来なかった子供が、幼いクリっとした丸い瞳をこちらに向けている。
思わず、目線を逸らしそうになる。いや、もう逸らしている。その目線が、痛い。
「______」
息が詰まる。
子供の、その頭に巻かれている包帯を見て、自分の罪がまざまざと見せつけられるように感じて、一瞬、呼吸の仕方を忘れるほどの衝撃を受けた。
次に何を言われてしまうのか、それだけがただただ恐ろしくなり、体がどんどん冷たく感じる。
身構えたカヨコは、努めて冷静を装う。
腰をかがめて膝を曲げ、目線を合わせ、話しかける。
「怪我は、まだ痛むよね。……ごめんね。私______」
ただただ自分が情けなくて、嫌になって。
それでも、絶対に言わなければならない謝罪の言葉。
その言葉を紡ごうとして。
「ありがとう、お姉ちゃん」
遮られる。
「……え?」
ぽす、と子供の小さく、柔らかい手がカヨコの冷たい体を抱きしめている。
カヨコは思わず、子供の顔を、目を見た。
笑顔だった。
「路地裏で声をかけてくれてありがとう」
すこし、体に熱が戻る。
「絶対にこれだけは言わなきゃ、って思って」
カヨコは、自分の顔が今、歪んでいっているのを感じている。
それと同時に、抱きしめられた個所から、胸の奥から、暖かいものがこみあげてくるものを感じる。
「今、大丈夫なのはお姉ちゃんがいたからなんだ。あの路地裏から出る勇気をくれたのは、優しいお姉ちゃんだから」
思わず抱きしめ返す。なんだか胸がいっぱいになって溢れてくる。
「だから、ありがとう。助けてくれて、ありがとう」
これが、信頼が失われていなかった安心から来るものなのか、それとも、子供自身のやさしさに触れてくる感動からこみあげてきたものなのか、それとも別の何かが由来しているのか、カヨコにはそれはわからなかった。
だけど。
少なくとも子供の信頼にこたえることが出来ていたという喜びと、子供の笑顔と感謝の言葉。
今のカヨコは、それだけで、自分も救われたような気がした。
もう、冷たくない。
心象って描くのが難しいです。本当に。