【完結】羅刹と夜叉は蓮上に踊る   作:澱粉麺

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一期一会


 

 

 

 

「ほう」

 

 

天を衝く霊峰は、その昔にこの國を丸ごと滅さんと暴虐を尽くした凶つ星の末路であると人々は嘯く。凶星はただ堕ちて死後になりて尚、常人を寄せ付けぬ死の峰山と化したのだ、と。

 

霧と雲が濃く立ち込めて、劈く雷鳴はそのまま踏破せんとする者を落命せしめん災となる。市井の者はただそれに近づかず、平安無事を願って過ごす。それそのものには近付きはしようとしない。

 

 

そんな、死の峰の頂に、『それ』はいた。

 

白き化生が放つ気。

灰神楽じみていて、それでない。もしそれがそうであるならば、熱源はつまりその者のたましいとも言えるものの、内の力そのものだ。

恐ろしくは人に在らざる者の気配。

そして人を超えし覇そのもの。

 

そんな者が、ふと興味を留めた。

対象は、崖のような荒々しい山嶺を、軽々と駆け上る姿。既に荒業じみた登頂を幾日と続けた後だろうに、笠と薄い衣だけを纏いて歩くように平然と登る人影。青年と、少年の合間といった所。日の落ちかけた夕焼を背にただその者は、敢然と歩き続けている。急がず、されど劣らず。

 

化生はその懐をじいと見た。

そうしてから。

 

 

「か」

と小さく笑った。

 

ぢゃりん。大きな鈴が鳴る。

それは久しく無い、訪者を表す音。男の身に付けた笠より垂らされた魔と獣除けの鈴音が続いてしゃらしゃらと鳴った。先まで、遠くにあった影は既に此処へと辿り着いている。

 

 

「独力でここまで至る者など…

妾も久しぶりに見たのう」

 

 

来訪者に向けてそう言い放つ、その者。

銀糸のように真白い髪に、紅に染め上げられし衣を纏う。それでいて見目姿、肌の質共に老齢どころか、幼児か箱入り娘の様に瑞々しい。

 

「んー…」

 

ぱきぱき、と伸びをする。それは真似事遊びをしてる、女児。そう言われれば、得心をしてしまいそうな幼き、嫋やかな面。だがその眼は老境たる渾然の眼をしている。

 

その容姿と、永くを生きた者にしか現れぬ顔表層の、両面価値じみた矛盾こそが正に最たる異常であり、証明であるのだろう。

その者が、仙なる者であることの。

 

「もし」

 

べろり、と舌を口の周りに巡らせる。それは蜥蜴のようで、はたまた舌舐めずりをする人のようであり、そのどちらでもない。眼前に立つ来訪者に見え、ただそうしたのはただ、この化け物だ。

そうして、目の前に着き、次に話す瞬間を待った。

 

 

「この霊峰の頂に鬼が棲むと聞いて、来た。

貴殿がこの鬼天に居やる仙人殿か」

 

「さあな。が、妾以外が此処に棲むのは見んのう。しかし鬼か仙人かどうかなど知らん。誰が何と呼ぶかなぞ知らぬし、興味も無いしの」

 

 

派手に欠伸をし、能天気をかます仙女を前に、その者はのそりと礼をした。この目前の存在が、彼が求めた存在であることに間違いは無かった。この異常さと、触れるに触れられぬような浮雲じみた曖昧。根拠こそは無いが、むしろその感覚こそが確信せしめた。

 

その確信の故にただ直入に。

用件を申し出る。其奴にはそれしか出来ない。

ただただ不器用で無作法な者だった。

 

 

「私と手合わせ願いたい」

 

「おう。いいぞ」

 

 

仙女はさらりと、そう答える。死合よりもむしろ晩酌や庇を借りる事を承るような、軽々しい承諾。

それにむしろ面を喰らうは、申し出た方だった。

 

 

「随分と、気前の良い」

 

「む、そういうわけでもないが…

ちょいと急ぐでな。それ、やるぞ」

 

 

そう言うや。そ、と二本の腕を前に出した。上下、天地にそれぞれ向けるような、隙だらけや無雑作にすら見えるような構え。事実、何一つそれに脅威を感じ取る事はできなかった。

 

故に、何も出来ずに負けた。

 

打たれ、投げられ、叩きのめされ。叩きつけられまた投げられ、極められ締められ、折られ反吐をぶち撒けて、手刀で首筋が斬られて、漸く倒れ伏せる。

刀より鋭き傷痕はいっそ惚れ惚れするようで、このような傷があの柔肌で付けられた事がいよいよ不思議な程であった。

 

 

「がっ…ぐ、はっ…」

 

「おう、やるな。まだ立つか」

 

「……今一番、お願い申す」

 

「かか、やめておけ。死ぬぞ」

 

「本望にございます」

 

「やめろと云ったらやめろ。お主が惜しくなくとも、妾が惜しいのよ。主のような卓抜を喪うことがのう」

 

「……」

 

 

「それに、見ろ。刻限よ」

 

刻限。

何の時間制限を表すかは分からない。だが先までの羅刹、夜叉じみた暴威はすうと過ぎ去り、そこにはただはしゃぐ子姿がある。

その豹変にまた内心、面食らった。

 

「さっさと闘ったは、取引を急ぎたかった故な。さあさ、お主の望みも聞いてやったのだ。こちの望みも叶えてくれ!」

 

「……何を、ごふっ、お望みになる」

 

「主の懐の瓢箪よ。

その酒を寄越してはくれんか?

なな?頼む。自家製はもう飽きた!」

 

 

そう言われ、は、と。来訪者の貌が驚愕に歪んだ。

この時になって初めて、自らが持ってきた瓢箪が割れていないことに気が付いた。この怪物は容器が割れないように加減し、叩きのめしていたのだ。それを認め青年はまだ盛っていた闘志を消した。

先程の咬合はつまり、彼女には闘いですら無かったのだ。それを、切に認識した故に。

 

ただ、諦念と共に目を瞑って、するりと懐から瓢箪を取り出し、巻き紐を解いてから恭しく渡した。夜目に慣れたその目に映るその瓢箪は、傷一つなく綺麗なものだった。

 

 

「おう、助かる!…なんぞ、安酒じゃな。まあ良い。この景色があるなら玉酒も駄酒も変わらぬわな。

…そおら折角だ。お主も見ろ!」

 

そう、仙女に無理矢理に引き出された先にて、信じられぬものを見た。

 

雨雲が遠ざかり、一際に青く光る月。澄んだ空の望月が通り過ぎた雲海を照らしている。雲空の狭間より見える人里は橙色の光を放ち、空の蒼きと競い合うように、また、取り合うように。一つの情景と相成っていた。

 

 

「年に一度の蒼月。特に今宵は望月よ。いやあ、これを肴に呑むのが楽しみでな!」

 

上機嫌にただ咲って酒を呷る女仙。蒼き満月と人の営みの灯を肴に、くいと呑み続け。そうして後に呑み切った瓢箪にすこんすこんと指で穴を開け上機嫌に吹いた。たまらない音だった。夢の只中にあるような音。幻想を絵巻とした様な現世だった。

 

しかしその中にあっても、青年の眼は自らの傷と目の前の女にのみある。この場の影響か、はたまた笛の音の妙か、傷はもう痛みを忘れている。ただぼたぼたと流れ続ける血のみが傷の深さを表しているようだ。

 

 

「仙人殿」

 

「…ん、ああ、妾のことか。おう、なんだ」

 

「私を弟子にしては頂けませぬか」

 

 

ひゅい、と。瓢箪笛を吹きながら応えていた仙は、そう聞かれて拍子と音を外した。咲い、息の調子が乱れての変調。そのまま、暫く気味良くひゅるると吹き続けてから、ぱりん、と瓢箪を岩肌に叩き付け、自らの膝をばしばしと叩いた。

 

 

「く、かかか!主ゃあ、阿保か!さっきまで殺そうとしてた相手に、そのまま師事せんてか?あわや殺されようとした相手が頷くと思うか?」

 

「お頼み申す」

 

「かかっかかか。思うか!小馬鹿にされた相手に師事するのも構わんてか。んなこと、気にせぬてか!面白いな、ぬし!かはははは!ふぅーっ…」

 

 

 

「だが強くなってどうする。

理由無き強さはただのいかれよ」

 

「理由は、言えませぬ。ただお教え頂きたい」

 

 

なんとも、傲慢で自分勝手。

青年には一般の常識と云うものが欠けていた。頼み込む分際でいて、こちらに聞かれたことは言えぬ。ただこちらの言い分だけはお頼み申す。そのような無様と無法と失礼、只人なれば追い返して終わりだったのだろう。

 

 

「ふむ」

 

だがそうされた者は、人かすら確かでは無い必竟者であり、そうしてまた、した者のその目のみは真っ直ぐだった。先の拳もまた、正道を外れている、という意味では外道の拳ではあったが、人の道をこそ外れてはいなかった。言葉よりもそれらが、化生を強く惹いた。

 

そして何より。

 

魔よ、死すべし。

心中の声が、化生の肴とした蒼月を囲む様に響いたのは、錯覚や幻覚であったか。分かる事はない。必要も。

 

 

「………くか。かか。かかか、かっかかかか!良い、良い!永く生きてみるものだな!この月夜の晩酌くらいしか娯楽なぞ無いと思っていたところだ。だがお主は、良いな!」

 

「ならばなるほど。

お主を蒼月に散る星とするも悪くない」

 

詩じみた言葉を、詠うように遠くを眺めて言った。遠景をのぞむ黄色の眼は、ただ今宵のみ青く上がった元の月の色を、そのまま奪ったかのように鮮烈で妖艶だった。

 

 

「応!ならばお主、名くらいはあるだろう。

様々を教える代わりよ。それを妾に教えよ」

 

「…名は、捨てました」

 

「は?阿呆か、おのれは。親に貰った名前を捨てるやつがあるか。ならば…ふむ。妾が名前を付けてやる」

 

 

名を捨てた、と聞いた時のみに、びきりと機嫌の悪そうな貌となり。そうしてからけろりと名前を考え出す。その変貌の早さはやはり、只人には無きものであるのやもしれない。それともそれは、此の仙人のみの個性なのかは分からない。

 

じい、と血色に染まった服、肌、そして赤黒い汚れが溜まり落ちなくなった手先を眺めて、にい、と笑った。

拾い上げた動物を戯れに名付けるような気軽さで。

 

 

「ならば、お前は血に塗れた紅き蓮よ。

主のことをこれから紅蓮と呼ぶ。

早々に慣れることよ。良いな?」

 

「…ぐれん…畏まりました、仙人殿」

 

「ああ、さっきからそういう呼び方も気に食わん。

妾には羅倶叉という名がある。

呼びたきゃそうか、師匠とでも呼ぶがよい」

 

「わかり、ました。らくしゃ、師匠…」

 

 

そこまでを耐えて、失った血の欠落で青年は、その時より紅蓮という名になった者は、横倒しに倒れた。

痛みこそは仙郷の故か治りつつある。だがただ単に疲労、そして、失血と標高の高さによる体温の低下が齎す失神だった。

 

傷ならば、どうとでもなる。

だが温かさというものは、そう簡単にはならない。

だから故に、仙女ははぁとため息を吐いた。

 

 

「くく、弟子入りしてすぐに師にやらせることが此れとは。全く、不義な弟子もいるものよ。なあ?」

 

羅倶叉はそうして銀の髪を後ろに束ね、弟子を持ち上げる。意識の無いその姿を看る顔は、不思議と楽しげだった。そうして、体温を失った身体に、自らの温度を分け与える。それは仙となった者の力などという大仰なものでなく。もっと、原始的に。ただ、肌と肌を触れ合わせて。

 

ぴとり。柔肌の温度が伝わっていく。

 

その顔はやはりただ、少女のそれにしか見えない。

酒気を帯びた頬と、老境たる眼、以外は。

 

 

彼らはそうして、師子の誓いを結んだ。

師の気持ちは未だ判らず。

子の気持ちも未だ明かさず。

ただ有るは、子の心の中の事。

魔よ、斃すべし。

魔、疾く死すべし。

 

火の如し欲望を、ただ星のように眺めながら。

らくしゃは優しげに微笑んだ。

そう、して。

 

 

「…是非、是非。楽しませてくれよ?我が弟子」

 

夜叉か羅刹の如くに、赤き蓮に頬を歪めた。

 

 

 

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