【完結】羅刹と夜叉は蓮上に踊る   作:澱粉麺

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輪廻
胡蝶之夢


 

 

 

 

 

 

蝶が、舞い踊る。

ひらひらと、湖の波紋の動くままに。

蝶が舞う。

鼓笛の音に促されるように。

 

 

 

蝶など、この季節に珍しい、と己は其方を仰ぎ見た。だがそこには忽然と、そんな姿は無い。

はて、気のせいか。

 

 

「お、に、い」

 

 

 

そう考えた刹那のこと。

背中に、激痛と衝撃が走る。

 

 

「ちゃーん!」

 

 

ごぎり、という音が鳴った、と思う。

それで大怪我を負わなかったのは我ながら、奇跡だと思った。師事して、鍛えてなければ命の危機も見えてたのではないだろうか。

 

厄介な事に、こうしてくる相手に己に対する殺意や悪意も何一つないのだ。ただ、好意のみでそれをしているのだから、始末が悪い。

 

 

 

「……お前は…いい加減に、不意打ちで抱きついてくるのはやめろ!おれが、死んだらどうする!」

 

「あっははあ!隙を見せる方が悪いんだもーん!それに、お兄ちゃんが死ぬわけないよーだ!」

 

「何を根拠に…ぐうっ、重い!」

 

「あははあ、いーけないんだ、女の子に重いなんて」

 

 

べえ、と長い長い舌をいたずらに出して、さらにのしかかるように甘えてくる。

己の、妹だ。血は繋がってはいないが、それでも。いいや、だからというべきか。背丈は既に兄であるはずの自分を超えてしまっている。

 

 

「こーら、何をさぼっておる!特に小娘ぇ!お前の方だ!普通に妾から逃げてくんじゃない!」

 

 

どきり、とするような高い声。

甲高い、しかし鈴のような音が怒鳴り散らす。

間違いない、師匠だった。

己と、妹の師匠。

 

 

己よりも小さいような身体。

全身を覆うような銀の髪。

そして、真っ赤な眼がこちらを見据えている。

ぎりと、怒って此方を見つめて。

 

それは、まるで子供のままごとのようだが。

しかしそれでも、不思議と師匠は師匠で、子どもではない。その小さな体躯に見合わない力と、知識を持ち合わせている化け物だ。因むように歳を、聞いたら。記憶が失いかねないほど怒られた。

 

 

「ったく。のたれ死にかけてたお前らを拾ってやったのは誰だと思っているのじゃ。それを仇で返すようにまあ生意気だわすーぐ鍛錬から逃げるわ…大体お主らはのう」

 

「…すみません」

 

「はーい、反省してまーす」

 

「そこ!ぬしは正座あと一刻追加ァ!」

 

「えー」

 

 

余裕そうに、不服を垂れる妹を己は笑って眺めた。

笑う。なんだか、久しぶりなようだった。

 

 

 

 

……

 

 

 

 

あの日、己たちは両親に捨てられた。

いや、正確には、寝ている間に殺して捨てられようとしていたことを知って、妹を連れて逃げ出したのだ。

 

だが、身の着身のままで駆け出し、元々、食べるものなどまともになかった環境での脱出が長続きするわけもなく。ましてや、雨も降り、体温を奪われ。

気付けば己は生死を彷徨った。

 

 

そんな私たちを拾ったのが、師匠だった。

気まぐれ。

そう言って、百なん年かぶりに人里に降りた瞬間に、珍しい落とし物を見つけたと拾い上げたらしい。

 

 

目を覚まして、まずした事が感謝。

そして、次にしたのが何でもするから自分たちを連れて行ってくれという厚かましい要請だった。

本当に、図々しく、厚かましいものだとは分かっていた。それでもそうせねば、己も妹も死ぬ身だった。なりふりなど、構ってはいられなかったのだ。

 

 

 

『ただ、拾ってもらって、それで養ってくれ、だと?か、か。調子が良すぎるんじゃあないか?』

 

『相応の、対価をもらおう。

そうさな。そこのお前。小僧の方。

おぬしの人生を貰おうか』

 

 

『ッ!ふざけ、ふざけるなッ!

お兄ちゃんに手を出させるか、殺す、殺してやるッ!てめぇこそ殺してやるよッ!!」

 

激昂し、牙を剥き出しにした妹をなんとか宥めて、ああ、それでいいと快諾をした。

そうだ、それでいい。

己が犠牲になるだけで、済むならばと。

 

 

『か。ならば貰うぞ』

 

 

すぱん。

そうして、師匠は。己のぼさぼさに伸びきっていた髪の毛を手刀で裁断した。そうして言う。

 

 

『これで。お前の今までの生は死ぬ。

それまでの名前であったお前は死んだ。

これからは別の命として生きよ』

 

『そうさな。紅蓮。

お前の名前はそれでいい。それにしろ』

 

 

なんと見掛け倒しの、厳つい名前だと思った。

しかし今はすっかりと馴染んでしまったものだ。

そうして、ひ弱な餓鬼なんぞ要らない。だから、妾の元で鍛えろ、と。そういった。

 

涙が出た。

ただ、自分に都合のいい事だけを言われているだけで、良いのだろうかと思った。頭を地に付けて、崇めようとしても、それを受け取ってすらくれない。

 

 

『…お名前を』

 

『お名前を、聞かせてください。己が師として、敬うにも。知らねばならない筈です』

 

『妾か。妾は──』

 

 

 

 

……

 

 

 

「羅倶叉さま、羅倶叉さま!

本日の鍛錬、終了しましたっ!」

 

「あーあ、めんどかった。

ばばあー、終わったよ」

 

 

「おう、お疲れ。

紅蓮、お前は飯の準備しとけぃ。あと、やま貴様!次婆ア呼ばわりしたらひん剥くぞ!」

 

「やま!師匠にこれ以上失礼を利くな!」

 

「…ちぇっ、ごめんなさい」

 

 

 

「まーじむかつく、あのばばあ。

もう寝てる間に殺しちゃわない?」

 

「…これ以上、冗談でもそんな事言うな。

いくらお前でも、怒るぞ」

 

「…ふん」

 

「それに、師匠にそんなの通じるわけないだろう」

 

「…それは、そうなんだけどね」

 

 

やま。

己の妹は、人では無い。

その正体はきっと、恐ろしい何かなのだろう。それ故の暴力性と力は恐ろしいもので、腹に据えかねたというだけで、何度もやまは羅倶叉様に襲いかかっているのだ。

 

だが、それを無理矢理叩きのめして、屈服させる。やまこそそれに納得していないようだが、だが、そうして牙を折られたからだろうか。

どこか最近の妹は、丸くなったような気がした。

 

 

どん、どん。

 

祭りの音頭が聞こえる。人里からだ。

蝶々が飛んでいく様を、横目で見た。

また、蝶?

もう一度そこを見る。やはり、居ない。

 

 

「か、紅蓮。行きたいか?」

 

「うわっ、ば…らくしゃ!

いつから聞いてたの!」

 

「今バっつったか…まあ良い。

で、どうよ。行きたいか、行きたくないのか」

 

 

「……しかし己のような者に、祭りなど贅沢で、それに、まだ飯の支度も…」

 

 

「行きたいか、行きたくないか」

 

「………行きたい、です」

 

「よし、決まりだな!

餓鬼ども、祭りに行くぞ!」

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

 

「しっかり手を握って離すなよ、餓鬼ども。はぐれられたら面倒くてかなわん」

 

「言われなくても離さないよー、だ!

ね、おにいちゃん!」

 

「あ…ああ」

 

 

人混みはとてつもない数で、確かに少しでも手を離せばそのまま混ざり消えそうなものだった。

しかし、やまは『らくしゃとは繋ぎたくない』と言い張り。故に真ん中には己、その両端に二人がいる状態になっていた。その状態は不均衡で、何やら可笑しいようだった。

 

 

「…むう。お主、いかさまをしてるな」

 

「いえいえ、滅相もございません!第一、私がそんな事をすればこの町の者どもに私刑に遭ってしまうではありませんか!」

 

「なーんかこいつの顔。気に食わんのじゃよ。反骨の相とでも言おうかのー、なんか味方を自爆させるような外道な感じ」

 

「なんと酷い!?」

 

 

くじを引いて、外ればかりが出ている時に、そんな風にらくしゃ様が頬を膨らませてそう憤った時があった。

 

確かに、細い目と、異国の雰囲気を醸すその男は胡散臭さをそのまま形にしたような存在ではあった。だが、己にはそこまで悪い人ではないとも、思えた。

 

まあ、そんな事がありつつも。

祭りはただただ楽しくて。

己にこんなことが許されるのか、と。

ずっと思っていた。

 

視界の端に、蝶が映った。

また、そこには何もいない。

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

 

「お休みなさい、師匠」

 

「ああ、早く寝ておけよ」

 

 

そうして、祭りの後。

すっかりくたびれて寝台について。

己とやまは、一つの布団。

そうしているのが、いつもだった。

 

 

「……ねえ、まだ起きてる?⬛︎⬛︎」

 

「…その名前の奴はもう死んだよ。

今のおれは、紅蓮だ」

 

 

一瞬の沈黙。

ただ、本当にすぐだったが。

 

 

「ごめん、そうだったね。

ぐれん、紅蓮か。

…正直、らくしゃはまだきらーい。

なんだかいっつも偉そうだし」

 

「だけど、あいつがつけたその名前は、うち好きなの。なんだか前の名前よりしっくり来る!ね、ぐれん。紅蓮兄ぃ!」

 

「…そう思うか?

不思議だよな。おれも、なんだかむず痒い。だけどなんかさ、呼ばれてて変な気はしないんだ」

 

 

話はそこで、一度途切れる。

一つの追想が、示し合わせたように。

己も、やまにも同時に行われていた。

それは先に呼ばれた、己の名前。

もう、『死んだ』、過去の自分。

その時の、話。

 

 

「…あの時から、疑ってたけどさ」

 

「何を、だ」

 

「…やっぱり、嘘だよ。うちを、庇ってくれたんでしょ。ただ、紅蓮兄ぃがあいつらに追い出されそうとしただけなんて、嘘。うちをそのまま、殺そうとしたあいつらを。あなたが背負って逃げ出して、くれたんだ…」

 

「……違う。おれは、おれだけ追い出されそうになったのを、ただ寂しかったから勝手にお前も連れ出しただけだ。前の説明のままだよ、事実は」

 

 

「…うん。わかった、それでいい。

うちの思い込みってだけでも、いいんだ」

 

「お兄ちゃんと、ずっと一緒にいられればそれで…」

 

 

そこまで言って、言い淀む。

そして、しばらくがしがしと頭をむしるようにかいてから、苦渋を煮詰めたような声で絞り出した。

 

 

「…ううん。悔しいけどさ。

あの、人。…らくしゃと、あなたと。

みんなで、ずっと一緒にいれたらいいな…」

 

「……!」

 

「…だってぇ、しょうがないじゃん。紅蓮、あの人といると本当に嬉しそうな顔をするんだもの。

その、今まで見たことのない顔を見るのが。うちは、一番幸せなんだもの…」

 

 

照れをそれ以上見せないように、やまはもうそれ以上言葉を発しなかった。そして布団の中に潜って行った妹を、そうして背中を叩いて。

目を瞑る。

 

 

「そうだな、やま。

おれも、お前と。師匠と。

ずっと、ずっと一緒にいたいよ。

ただ、それだけでいい…」

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

 

…その日の、高揚が残ってのことか。

その後にも眠れなくて。

 

やまが寝込んだ後の寝台からこっそりと忍び出た。

野営の近くには、湖があり、だからこそちょうどいいとここにしていたのだ。

 

 

 

その、湖の側に腰掛けて己は小さな筒を出す。

祭りで貰った品。ただの石鹸水。

 

それにこの粗末な筒を付け、

ふう。息を吹き込む。

しゃぼん玉が浮いていく。

祭りの余韻を、ただ吹きくらまして。

 

 

昏い、蒼月の夜だった。

湖の側は水の冷たさを風に運ぶ。

底冷えする肝をそのままに、吹く。

 

 

「……楽しかったな」

 

底からの、声。ぼそりと、耐えきれずに漏れたもの。

己の心には、箱があった。どれだけつらくても、そこに詰め仕舞えば、耐えられる。そうして生きてきた。

 

心の箱は、いつしか満たされていた。恐怖、苦痛ではない。ただ、幸福に。そうして漏れ出たものが、この独り言だった。

 

 

(……こんなに、しあわせな事があるのかな)

 

 

人生を、人間の生まれを悲観したとか、そういうわけではない。だが時たま、おかしな気持ちになる。

 

こんな、自分にとって都合の良いことなどあるだろうか。本当は自分は、あの日にのたれ死んで。ただそこから、都合の良い幸せな夢を見続けてるだけなのではないだろうか、と。

何かの幸せな、嘘なのではないか、と。

 

そこまで考えて。

結局、考えても意味がないと思ってやめた。

 

 

 

「おう。眠れないか、紅蓮」

 

「!らくしゃ様…!」

 

「ああ、いい!楽にしておけ。

妾も、ちょっと息抜きしたかっただけだ」

 

 

そう言うと、らくしゃ様はするりと衣服を脱いで。そのしなやかな肢体そのものが、そのまま猫の姿になっていくまでを眺めていた。

そのまま湖に浸かり、しばらく、水浴びをして。

湖には小さな波紋が広がっていってきた。

 

 

「…妾は、ずっと、退屈だった。

今は、それが無い。それは凄く嬉しいんだ。

すごくすごく、お前たちに逢えてな」

 

「…!」

 

「あの時の気まぐれをした、自分を褒めてやりたいわ。かかっ」

 

 

「だが、なにかのう。

お前とは、初めてあった気がしない。

紅蓮。お前もそう思わないか?」

 

「……」

 

 

「そんなことを、聞かれても困るか」

 

 

くすっ。

気が付けば、人の御姿になられた師匠は、そう寂しそうに少し笑って、虚空を眺めていた。

なぜ、寂しそうな目をしてたのだろう。

それは、わからない。

ただ、そっと指を虚空に向けて。

 

 

「蝶か。まぼろしか」

 

「夢か、輪廻か」

 

 

指を指した方に、蝶など居ない。

ただ、影と闇があるだけだった。

 

 

 

「…は。戯言だ。 

それじゃあ、おやすみ、紅蓮」

 

 

そ、と。

頬に柔らかな口付けがした。

親愛の、温かさを感じた。

 

 

 

暫く、その感触に己は呆けてから。

また暫くしゃぼん玉を浮かせた。

 

影色の、小さな蝶々。

視界の隅に、居た。

小さな小さな、黒い影が自分を見つめるように。

そのまま、己の鼻に一度止まる。

 

触ろうとして、しかし、そこには居ない。

やはりこれも、気のせいか。寝不足と寒さが祟って、幻覚が見えたか?この蝶は、夢の中のものなのだろうか。

 

 

この今は、蝶と共に泡沫なのか。

ふと、そんな事を思った。

少し考えて、また。

考え続けても意味がないと思って、やめた。

 

代わりにただ、息を吸って。

 

 

 

ふぅ──

 

しゃぼん玉が、一つ大きく離れて飛ぶ。

泡沫は、天に登って。

こわれて、消えた。

 

 

影色の蝶がいつまでもそれを見つめていた。

 

 

 

 

 




羅刹と夜叉は蓮上に踊る

輪廻

おわり
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