【完結】羅刹と夜叉は蓮上に踊る   作:澱粉麺

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六根清浄

 

 

「あはあ」

 

濃い紫の混じる濡鴉。七尺ほどもある上背はしかし影じみて、闇に溶ける。それは存在そのものが、それに近しい故に起きる現象。ずるりと横に大きい口が三日月じみて歪んで見えた。

 

「ようやく見つけた」

 

昏い、昏い目だった。

べったりと張り付くような粘着質の闇色。

紫毒を備えた、悪意の持つ毒色だった。

 

「うちが迎えに行くね」

 

 

 

 

……

 

 

 

最近、紅蓮の様子が変だ。羅倶叉はそう思った。明らかにあの沙門とか名乗った胡散臭い若者の仕業だ。あの、去り際に言っていた、彼の追い続ける魔の話。奴の情報を聞いてから紅蓮の表情は更に険しく、ただでさえ多くない口数は更に、減ったのだ。

そして、何より。

 

 

「のう、紅蓮!随分しかめっつらしてるのお。

まあ良い。なんにせよ、笑っておけ。な?」

 

「……」

 

「紅蓮?ぐーれんよ。聞こえんことはないじゃろ?

暇じゃし妾にかまっとくれ」

 

「らくしゃ、殿。悪いのですが今は」

 

「…ああ?」

 

明らかに、態度が悪い。

悪いというよりは、会話をしようとしない。

露骨なまでに、師に向けて情を向けようとしない。

すごく俗な言い方をすれば、しょっぱいのだ。

 

らくしゃはこれに驚き。そして衝撃を受けた。

ここに来て、弟子としてから。弟子は無愛想であってもそうした対応をする事は一度もなかった為だ。

 

「…ぐす」

 

慣れていない彼女は、それに半べそをかいた。

そんな日々が幾月か続いた後の事だった。

 

 

 

「…ふむ。なあ、紅蓮よ。

ぬしはたましいというものを信ずるか?」

 

いつもの、山の上で。

ふと思いついたかのように女仙は言った。どこかしら思い詰めたように放つ言葉は、迷信じみて世間話めいている話だった。

 

 

「霊魂、霊。そういったものですか」

 

「おう、それよ。

どうよ。信じておるか?」

 

「信じてはおりません」

 

「ふむ、正直だな。理由は」

 

「どのような生き物も死ねば腐り、土になるだけです。

そこに何かが残る余地はありません」

 

「それだな」

 

「?」

 

「ぬしが中々に勝てぬ理由、分かったぞ。

その、それよ」

 

 

要領を得ない答えに紅蓮は首を傾げた。霊魂を信じる、信じないの話でどうしてそのような話になるのだろうか?師に言われた通りに坐禅を組みながら、疑問を露わにした。

 

 

「そういう話じゃあない。いや、お前がどういう死生感を思うとるとかそういうのは正直どうでもよいのよ。実際がどうとか本当に死んだもの以外分かったものではないしな」

 

「……お前はな、固い。固すぎる。頭が固いのは今に始まったことではないが、なんというかの。柔軟ではなさすぎる。それをただ悪いものとするのもまた別とは思うが…」

 

 

するりと、眼を覗く。

じいと見ているその目は、紅蓮のその眼光を見つつ、それでいて更にその奥を見据えるようで。弟子はただそれから目を逸らした。しかして見られているそれを逸らすことは、できない。

 

 

「…何をそんなに悩む事がある。

何をそんなに、恐れている?

妾を見て、妾と共にある事の、何を恐れる?そうして強きを求めて、それでいて何故、強くなる事を恐れている?」

 

びくり、と肩を揺らす。

見透かされている。

違う。強くなる事を、恐れているのではない。

強くなる事こそが、自らの本懐だ。

それ以外が欲求であってはならない。

 

 

「お前は、固い。

一度そうだと思えば、思うほど。

それにどつぼに嵌っていってしまうほどにな。

だからその、魔に。とことん酷い目に合わされて。お前は心の底でそれに勝てないと思ってしまったのかのう」

 

「違うッ!

そんなことがあるものか、そんな事がッ!」

 

 

初めて、感情を剥き出しにした紅蓮を見て。

おお、と一度口を開けて。

そうしてからすうと落ち着いて、対面した。

何処を見ているのだろうか。

紅の蓮の、その内側を除いている。

 

 

「私は、私はッ!そのような者ではない!

私は何であろうと利用をする。

それは例え、らくしゃ様。貴女だろうと!」

 

「嘘だな」

 

「ッ…!」

 

「ああ。そういきり立つな。度胸が無いとか、そういう話ではない。ただお主には、ずうずうしさが足らん。妾を利用しつくしてやろうという心。奪ってこいつを撃ち倒して、そんで自分の食い物にしてやろうという、貪欲がな。勝てぬ理由はそれよ」

 

「…そうして渇望するほどの念があっても、そう止まってしまう辺り紅蓮はやはり、優しい子じゃな」

 

 

激昂しかけた紅蓮を、そう優しい顔でそっと抱擁する。表しかけた怒りのその出かかりを優しく受け止められ、息の切れたままに動きが止まる。

 

 

「お主が何を迷っているかは、さすがにわからんよ。だが、やはり。妾はな。師としてお前のそれに沿ってやりたい。そうするのがな、楽しくて仕方ないのよ。かかか」

 

「…師…」

 

「だから、話したくないならそれでよい。だが。妾はお前がなにを恐れているかを知りたい。お前のそれを知ってやりたい。

そうしてお前を導いてやりたいのよ。

妾はお前の師として、そうありたい」

 

 

慈愛。そこにあるものは、ただそれだった。

仙の心が産み出すその貌に、紅蓮は、顔を歪めた。

それを、やめてくれと言わんばかりに。

そうしてはならぬ。そうさせてはいけないと。

 

 

「…やめろ、やめてください、師匠!

これ以上、私を…!」

 

ぐ、と悩むように口を一瞬つぐむ。いい加減にしろ、と言わんばかりにその口をらくしゃが無理矢理掴んで開けた。

それに観念して、ぽつりと話し出す。

 

「…奴は…奴は、私を…

私が、大切と思ったものの全てを奪っていく。私が尊く思ったものも、慈しんだものも、哀れんだものも全て平等に、何もかもを奪っていくのです!だから、私は、私は!」

 

「………私は貴女を、特別に想いたくない。

思い、敬うこともしてはならないのです。だから。

これ以上私を、私に、心を傾けさせないでくれ…」

 

「だから、妾に関わらん、てか?」

 

 

びしり。頬を叩き、額を叩いて此方を向かせる。

俯いていた紅蓮の顔は、また暗く俯いていた。

それを陽に照らすように顔をあげさせた。

 

「奴、とはくだんの、『やま』とやらか。それが、おぬしの関わる全てを無くす、だと?ばーか。そうなら手遅れじゃよ。そうならそもそも弟子入りなぞするな。それにの」

 

今度はげしり、と足を払う。

そうして転んだ紅蓮の手を取り、懐に抱き寄せた。

 

 

「妾ぁ、ぬしとずっと一緒にいてやるよ。失うだの、奪うだ?なんじゃ、随分と信頼されてないもんじゃの。紅蓮。お主から見て妾は、そんなやわに思えるか?」

 

「……!それ、は…」

 

「かか、死なんよ。

だから安心して妾を、好きになれ。

師として、十分に敬っておくれよ。のう?」

 

 

……沈黙が、暫く経った。

 

だんだんと、決めていたそれが照れ臭くなり。

らくしゃはえいと紅蓮を放り投げる。

「いい加減に答えんか!」とぼやきながら。

 

ただ弟子は返事をする代わりに、顔をあげた。

今度は、自らの意思で。

 

 

「迷いは、晴れたか」

 

「……まだ、全ては。ですが少し、凝り固まっていた頭に隙間のようなものができた気は、します」

 

「そうか。そいつは、良い。

これでぬしは、まだまだ強くなれるさ。結局の所、余裕と隙間、何かが入る空きがなきゃあ、何にせよ強くなることなんざできんのよ」

 

「…成る程。道理で」

 

「ま、そうして強くなっても手放す気はないがな。とりあえず向こう千年はいるぞ」

 

最後に、真顔でしらっと呟く。その、内容も様子も先までの諭していた仙人と同じとは思えない姿だ。その二面性こそがこの者の、一番の強さであるのかもしれない。そんな風に思えた。

 

「はは、ご冗談を」

 

「冗談なものかよ。…っと、そうじゃ。

それなら最近、ぬし無視して妾に飯を作らなかったろ?

ついでと言っちゃなんだが久しぶりに、い─」

 

 

 

どず。

 

鈍い、鈍い音が響いた。

心の臓がある位置に、風穴が空いた。

巨大な、樹の枝のような腕。

それが貫いて孔を開けた。ぽっかりと。

 

 

「…あ?」

 

 

ずぼり、と引き抜かれ。

羅倶叉はその傷の理解をするように、それにべちゃりと触れた。刹那にその首にごぎりと重い手刀。吹き飛び倒れた。

 

 

「……え」

 

世界が、止まった。

否。紅蓮がそう感じただけだ。

ただ、理解が出来なくて思考が止まったのみ。

つい先にできた頭のどこかにできた隙間を、ただ困惑と焦り、そして痺れるような恐怖が埋め尽くした。

 

 

「うわあーっ、久しぶり、⬛︎⬛︎!

たくましくなったねぇ、強そうだね!

ひょっとして、うちを倒そうと頑張ってるの?

すごいなぁ、かわいいよ!」

 

 

どくん。

能天気な、その下手人の声を聞いて漸く脳が動く。七尺はある上背。全てが大きい身体と、それに不釣り合いな幼い声。幼く高く、そしてそれでいて我儘で傲慢な、どろりとした毒じみた声。

恐れとその他全てを、噛み潰す。

ただここにあるべきは、怒りだけでいい。

 

 

「……その名前は、捨てた。

私は、紅蓮。紅蓮だ…ッ!」

 

そうあるべきとわかっていて、震える声が恨めしい。自らの無力が、まだまだ残るそれが、何よりも憎たらしい。

 

 

「ぐれん…?…紅蓮!うん、いい名前ね。

うち、すごくいいと思う!とっても可愛くて、見かけ倒しのあなたにとても似合ってる!うちが殺したさっきの人が名付けてくれたの?」

 

「殺…!

…やま、やまッ!『冶魔』ァッ!!

お前は、お前はどこまで、どこまでェッ!」

 

「あっはは、すごい声だねぇ!

ちょっと見失った間にこんなに大きくなるなんて。

やっぱり人間って、成長が早いねぇ」

 

 

どれだけ怒りを向けても。

どれだけ憎しみと怒りを向けても。

帰ってくるのは歪んだ愛と壊れた笑顔。

ただそれだけが此方に向けられる。

それも何一つ変わらない。あの時から一度も。

あの日初めて、全てを奪われた日から。

 

 

「いい加減に、学習しちゃって大切な人を作らないかなって心配してたけど…紅蓮が学ばない馬鹿でよかった!また忘れて、大切な人をちゃんと作ってくれた!だから、うん。今回も、い〜い顔!」

 

(うちはね、⬛︎⬛︎から全部を奪いたいの)

 

「やっぱり、凄くいいなぁ。

笑う顔も楽しむ顔もいいけど、きみはやっぱりこの時が一番一番、かわいい顔する。ほんと、する度に、実感しちゃうな!」

 

(理由?だって、失った時が一番良い顔をするんだもの。だから、大切なものが出来るたびにそれを何度でも奪うんだ)

 

 

(仕方ないよね?

だって、うち。君を好きになっちゃったんだもの)

 

 

どくん、どくん。

何も変わらない、その言い方に。

あの時がフラッシュバックする。

息が荒くなる、全てが、恐ろしくなる。

また全てを、失ってしまう。得たものが、全てが失われていく。私のせいで。私が、誰かを想ったせいで。私が。

 

 

「おい」

 

「あまり図に乗るなよ、阿婆擦れ」

 

 

地の底から、響くような声。

声音こそ変わったものではない。だから、いつも紅蓮が聞いていたその声と違うものはつまり、その声に込められた感情。

溢れてそのまま襲わんばかりの、害意。

 

 

「妾の愛弟子が失うものは、何もねぇよ。代わりに手前ぇを殺して、ぐちゃぐちゃにして終わりだ」

 

 

自らに向けられていないと分かっていても、歯の根が揺らぐような、猛烈な殺意。どす黒い、敵意。立ち上がっていること、生きていること。そうした喜びが吹き飛ぶ程に恐ろしき怪物の感情の発露がそこにはあった。羅倶叉。その貌は、怒髪天。

その言葉が、それだけが当て嵌まる。

 

 

「…お前、相当馬鹿みたいだね。そうやって話しかける暇があるなら、うちみたいに後ろから不意打ちすれば良かったのに」

 

「何を自惚れてやがる?手前ぇなんぞに、この妾が。そんな事する必要すら無いんだよ。身の程を知れよ、塵屑が」

 

 

紫黒の肢体がぐるりと紅蓮から離れる。

赤銀の姿がその魔に近付いていく。

ただただ、二つの魔が近付きかちあった。

どくどくと、血が流れている。

流血は全く止まらない。

向こう側が見える程に、大きなうろが空いている。

 

「……ら、くしゃ、様。お逃げを。

生きているのならば、すぐに逃げ…」

 

その場で手を貸せず、ただ震える声で言った紅蓮。

その、情けなさをただそっと笑って。

らくしゃは首を振るった。

大丈夫じゃ、と。

 

 

「…命乞いをしてみろ。冶魔とかいう、売女よ。二度と我が弟子に関わらねぇってんなら命だけは助けてやる」

 

「お前、羅倶叉って言うの?先に唾を付けてたものを横からとっておいて、どっちがアバズレなの。今から謝ったって、うちはお前のことを許さない。切り刻んで、粉微塵にして豚の餌にするよ」

 

 

うっとりと、恍惚の表情で手を合わせて頬の横に沿わせる。巨躯を持つ冶魔のその動作はひどく不均衡で、故にこそ彼女の正体そのものを表している気がした。

 

 

「そうして、紅蓮にそれを見せるんだ。ふふふ、そうしたらすごい、すごおい、良い顔をするんじゃないかって、うち思うの」

 

「ああ、もう喋るな。

やはり殺す。完膚なきまでにな」

 

 

 

 

……

 

 

 

天を衝く霊峰は、その昔にこの國を丸ごと滅さんと暴虐を尽くした凶つ星の末路であると人々は嘯く。凶星はただ堕ちて死後になりて尚、常人を寄せ付けぬ死の峰山と化したのだ、と。

 

その山の、天辺がえぐれ、存在しないのは何故か。

その不自然な光景の理由は、何だろうか。

それに答えられる者は、居ない。

ただ風聞に一つ、聞けるものがある。

 

それは。

『怪物のぶつかり合いで消し飛んだのだ』と─

 

 

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