高校の入学式、それは人生で一度しか訪れない特別な時間であり、同時にこれからの青春に胸を馳せる、興奮と不安が入り混じった時間でもある。
数百人が集まる体育館、その列に並んで頭のてっぺんが寂しい校長の話をつまらなそうに聞く俺は、余りにも長い間校長先生がやれ自分の若い頃はとか、最近の若者はとかぺらぺら言うんもんだから、退屈で死にそうになってしまい、同じ様に隣でつまらなそうに欠伸をかく、長い黒髪が特徴的な女子に小声で話しかけた。
「なぁ」
「え? わ、私です……か?」
「そうそう、君名前は? 俺は【怪異集人】」
「か、変わった名前……えっと私は【裏話葵】です」
「へー、変わった名前だね」
俺がそう言うと裏話さんは面倒くそうに目を細め、俺から視線を外した。
おかしいな、ありのままを言っただけなんだが。
「ねぇ裏話さん」
「……あの、校長先生が話してるのであまり話し掛けないで貰えます?」
「そんな事言わないでさ、裏話さんだって欠伸してたじゃん、つまらないよねあの校長の話」
「……否定はしません」
裏話さんは俺に視線を戻すと小さな声でそう呟く。
体育館の端に立つ先生には決して聞こえることのない声量だが、俺と裏話さんの周りにいる生徒には聞こえる様な声量。
それでいて周りの生徒が、俺達が喋ることを止めようとしないと言う事は、少なくとも俺達の周りの生徒は皆、同じ様に校長の話に飽きているんだろう。
「うんうん、やっぱりそうだよね」
「でも校長先生の話ですから、きちんと聞くのがマナーなのでは?」
裏話さんは口元で人差し指を立てて、俺にそう言う。
「そうかなぁ……俺はそうは思わないけどなぁ」
「ふふっ、あははっ……」
頭を捻らせ唸る俺の横で、裏話さんが突然笑い出す。
何故笑い出したのか、理由が分からない俺は直ぐに下に向いていた顔を裏話さんの方に向ける。
「裏話さん? 何がそんなにおかしいの?」
「ご、ごめんなさい……だって怪異君、【全然気付かないんですもの】」
裏話さんは笑う、たった一人で笑ってる。
俺も周りにいる生徒も誰も笑っていないのに、まるで世界から切り離されてるかの様にたった一人で、笑ってる。
「気付かない? 何に対して気が付いてないのか俺には分からないけど」
「あははっ! あははははは! おかしいっ! おかしいよ怪異君!」
裏話さんはずっと笑う。
黒い目を目一杯開いて笑う、小さな口を裂けるほど開いて笑う、喉が千切れそうな程大声で笑う。
それにも関わらず、周りの生徒は裏話さんを見ていない。
ずっと横の裏話さんに話し掛ける俺を怪奇な目でチラ見している。
まるで大笑いする裏話さんという人が【そこに居ないかの様に】。
「あははははははっ! 怪異君っ! 君!!! おかしいいいぃぃいいよおおぉぉ!!!! あははははは!!!」
「う、裏話さん、そんな笑ったら先生に気付かれちゃうよ」
「あはははははははっ!!!」
裏話さんの笑い声はどんどん大きくなっていき、思わず耳を塞いでしまいたくなる程だ。
不味い、不味いよ裏話さん。
他の人達は黙っててくれてるけど、流石に先生に裏話さんの声を聞かれたら、校長先生の話を聞いてない事バレて、怒られちゃうよ!
「うぇひひひひひひひひひひ?!?!」
「裏話さん! 女の子がそんなはしたない笑い方したらお母さん泣くよ!?」
「ぐぇふふふふふふふふ!!!??? かいいいぃいいいいくくうぅぅううんんんんん!! いっしょにわらおおうおうううよよおおおお!!!!」
「裏話さん! 何言ってるか分からないよ裏話さん!」
不味い。
校長先生がさっき、「この話で最後になりますが」、と言ったのに新しい話をし始めたから、裏話さんがおかしくなってしまった。
くそぅ……あの校長め。
自分が大事な生徒の頭を狂わせてる事を分かってるくせに、平然と話を続けやがってぇ。
「ね、ねぇ……」
「え? 何? 俺今ちょっと忙しいんだけど」
俺がどうにかしておかしくなってしまった裏話さんの事を落ち着かせようとしていると、後ろから肩を叩かれる感覚がした。
振り向いてみるとそこには如何にも真面目そうな見た目をした女子が、俺の事を怯えた目で見つめていた。
ははーん、そう言う事か。
察するにあんまりにも裏話さんの笑い声が煩いから、注意して来たんだな。
でも、真面目そうな女子生徒よ、分かってあげて欲しい。
君もあの校長のつまらない話を永遠聞かされ、お尻が痛くなった時は校長の事を恨んだりしただろう?
それがたまたま、裏話さんの場合は大声で笑うという行為になってしまったんだ。
元はと言えば話しかけた俺のせいだし、ここはどうか先生にチクるなら俺だけにしてはくれないだろうか。
「あの……校長先生がお話しされてるのでお静かにお願いします……」
「あぁ、ごめんね? 俺もさっきから落ち着かせようとしてるんだけどさぁ……」
「……」
「ん? どうかしたの?」
「いえ……さっきから気になってたんですが」
真面目そうな女子は今にも泣き出しそうな程、俺を震えた目で見つめながら問い掛ける。
俺は口が笑い過ぎて裂けてしまい、血で真っ赤に染まった歯茎を剥き出しにして、それでも尚笑い続ける裏話さんを必死に両手で押さえ付けながら、耳だけを後ろに傾ける。
「貴方、さっきから誰と話してるんですか?」
「あはははははははは!!!?!?!?!?! ……はははは……は?」
「え?」
俺は真面目そうな女子の問いの意味が分からなかった。
きっと裏話さんも同じだろう、あれだけ笑っていたのに今は真面目そうな女子の顔をじっと見つめているのだから。
「何を言ってるの? 君も聞こえてたでしょ?」
「な、何のことでしょうか」
「何って裏話さんだよ、ほら俺の隣にいる……あれ?」
そこまで言って、俺は違和感を感じて隣に目を向ける。
そこにはさっきまであんなに笑っていた裏話さんの姿は無く、まるでそこに誰も座りたがらないかの様に、一つの空白の椅子があるだけだった。
……裏話さん? おかしいな。
さっきまでそこに居たのに何処へ行ったんだ?
「あの」
「おかしいな……凄くおかしい」
「あのっ!」
「うわぁ! 急に大きな声出さないでよ……何?」
「貴方さっき裏話って言ってましたよね?」
「うん、言ったよ」
「裏話って……【私】ですけど……」
「……え?」
その瞬間、俺の耳元で不気味なほど低い笑い声がした。
後から聞いた話だが、この学校にはまことしやかに囁かれる多くの怪談があるらしい。
その内の一つは【笑う女子生徒】と呼ばれていて、毎年新入生の一人か二人がその女子生徒を目撃するらしい。
そしてその女子生徒は決まって、笑っていると言う。
裂けるほど開いた口からは、耐えず耳をつんざく笑い声がして、その笑い声を聞いてしまったら、どれだけ明るく笑顔を絶やさない様な人でも笑わなくなってしまうらしい。
曰く、それはその女子生徒に笑う事を奪われたのだと。
そうしてその女子生徒は今日も笑っている。
生きる人から笑うという感情を奪い、ただ自分が楽しくありたいが為、明日も明後日も笑い続けるのだそう。
そんな話を入学式終わりの教室で、偶然隣の席に居た加藤という男子生徒から聞いた時、俺はようやく気付いた。
「……裏話さん……校長の話がつまらな過ぎる余りそんな事をしてるなんて……」
「お前よくそんな考えに至れるな」
加藤の哀れみと嫌悪が入り混じった声を無視して、俺は窓の外の空を見上げる。
空は雲一つない晴天で、そんな空を眺めながら俺はある事を誓った。
「あの校長、叩いて吊るして三途の川だな」
「やめて?」
呆れる加藤と決意を固めた俺の後ろで、微かにだが女の子の楽しそうな笑い声が聞こえた気がした。
きっと気のせいだろうけど。