さっきまで晴れ渡っていた空に暗黒の雲が流れ出し、稲光を伴う雷雨となった。禍々しい空だった。稲妻が暗黒の空を走り、空気は蒸し暑く、生暖かい風が吹いている。
大海原に浮かんだ要塞。人はそれを『海上要塞』と呼んでいる。その要塞の首領のいる場所を目指す勇士たちがいた。
「ハアハア…」
そして、今、頂上での戦いの前に、ひとつの死闘があった。一人は全身が紅蓮の炎のごとくの赤き鎧を纏う武人の男。要塞の首領のいる場所に向かう途中、彼が勇士たちに立ちふさがったのだ。
そして彼と戦ったのは鉄の拳をもった武闘家の女。二人は一騎打ちで戦った。そして激闘の末に勝ったのは女だった。
だが勝ったのに彼女の表情に喜びは何一つない。それどころか、彼女は敵の返り血を浴びた自分の拳を忌々しそうに睨み、かつて魔界の名工と呼ばれた男が作ってくれた武具を怒りに任せて地に叩きつけた。もう二度と身につけるものかと言わんばかりだった。
その場にはその武具を作った魔族の男もいた。だが自分の作った武具を粗略に扱った女に腹は立たなかった。彼もまた女の悲しみを理解するかのように無言で女を見ていた。
「う、ううう…」
彼女と共に、この戦いの場に来て、その一騎打ちを見届けた者たちは悲しみに震える女の背中を黙ってみていた。涙する女の後ろ姿を見つめていた。美しい女の顔は涙と鼻水と雨でずぶ濡れであるが、誰もハンカチを渡せなかった。ただ黙って泣かせてやることしかできない。天も泣いているかのように雨を降らせて雷を鳴らす。黄色いバンダナをなびかす魔法使いがようやく言葉を発した。
「マァム…」
「なんで…どうしてこんなことに…!私が何したっていうのよ…!」
雷鳴の後、豪雨が勇士たちを濡らす。マァムの顔は雨と涙で雫が落ちる。
「ごめん…ポップ…アバン先生…みんな…。私…戦えない…もう嫌だ!」
「「……」」
と、その時だった。再び彼らの進軍を防ぐべく一人の武人が立った。攻撃を仕掛けてこない。
泣き崩れているマァムと、その傍らで立ち尽くす彼女の仲間たちを見ているだけである。武人の姿は全身が黒い鎧と黒い鉄仮面。
黒い鎧の男。彼も鎧の様式は違うが、赤い鎧の男と同じく仮面をしている。漆黒のマントが暴風雨と共に激しくゆれていた。
「黒騎士…」
ポップはこの敵手をそう呼んでいた。
「お前は知っていたのか?この赤い鎧の正体…」
「……」
黒騎士は答えない。
「…何とか言え!」
黒騎士を睨み、一喝するポップ。だが黒騎士は何も答えなかった。
「口が利けないのか?それとも前大戦のミストバーンを真似ていやがるのか!」
海上要塞の中腹、黒騎士とポップは睨み合う。その二人の睨み合いを仲間たちは静かに見つめていた。マァムはまだ泣き崩れていた。
「その赤い鎧と同じように、俺たちの前に立ちはだかる気だな…受けて立つぜ…。だが仮面を取れ」
「……」
「…最後くらい顔を見せたっていいだろうが!」
ポップには、どうしても黒騎士の素顔を見る必要があった。なぜなら、その正体に心当たりがあった。そして、それは当たってほしくないことでもあった。
「……」
黒騎士は仮面のあご紐を解き、ゆっくり仮面を上げ、外れた仮面を無造作に地に放る。黒騎士の顔が明らかとなった。マァムとアバンは絶句し、その場にいた誰もが自分の目を疑った。だがポップは顔色を変えなかった。
「やっぱり、お前だったか…!お前だったか!!」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ベンガーナ王国の中心に位置する王立劇場、ここで一大演劇が開催されようとしていた。大魔王バーン討伐の日から五周年を祝い、勇者ダイの師であるアバンの冒険記が演劇化されようとしていた。
勇者アバン、戦士ロカ、魔法使いマトリフ、武闘家ブロキーナ、王女フローラ、そして魔王ハドラー役においても厳しいオーディションを勝ち抜いてきた役者たちが演じるが、僧侶レイラ役には、ここベンガーナの王立劇場の看板女優が演じる事となった。女優の名前はマァム。僧侶レイラの娘である。
マァムはバーン討伐後、しばらくポップ、メルルと共にダイ捜索の旅を続けていた。立ち寄った町や村で働いて路銀を稼ぎながらの旅だった。だがいつまで経ってもダイの足取りはつかめず、メルルの占いでもとうとう居場所を割り出す事は出来なかった。この三人の捜索の旅は一年でピリオドを打った。
パプニカの岬に立てられているダイの剣の柄にある宝珠の輝きは失われておらず、三人はこのダイの剣の前で別れたのであった。
その後、マァムは故郷の村で母と共に畑仕事に励み、時には村の子供に拳法と学問を教えて過ごしていた。平穏で何の変化もない毎日かもしれないが、激闘の冒険をしてきたマァムにとって、この平穏で静かな日々がどんなに大切なことか知っている。彼女に取ってはまぎれもなく充実している日々なのだ。
そんな平和な日常を過ごしていたある日、マァムに客が来た。ダイの偉業は世界に住む人間誰もが知っている事である。ゆえに、そのダイの仲間であるマァムを訪ねて来る者は多かった。
リンガイア王室などは自国の王子の花嫁に是非アバンの使徒で美人の呼び声高いマァムをと望み、使者が幾度か往来したがマァムはそれを断った。
村の子供たちと共にあるのがマァムは好きだった。ずっと今の生活をして、いつかこの村の男性を好きになり、普通の結婚をして妻となり母となるのを望んでいた。
今さら栄華など欲しくはない。自分は栄華や名誉が欲しくて戦ったのではないのだから。
今回来た使者は着飾った気障な男で、森の中の村にそぐわないスーツを着ている。マァムはまたどこかの王室の使者かと、胸中はウンザリしながら客と会った。
マァムの家を訪れテーブルにつき、その男はニコニコしてマァムを見ていた。母のレイラが彼に茶を出した。
「粗茶ですが」
「いやいや、おかまいなく」
「遠いところをわざわざお越し下さり、ありがとうございます。私がマァムです。ご用向きは何でしょう?」
茶なんか出すことないのにと思いながらも、マァムは愛想よく振舞った。どんな用向きであっても立ち入りが決して容易ではない森の中のネイル村に来てくれたのだから。
「申し遅れました。私、こういうものです」
男はマァムに名刺を差し出した。
「ベンガーナ王立劇場支配人…パノンさん?」
「はい」
「ベンガーナに劇場が出来たのですか?」
「はい、勇者ダイ様のバーン討伐二周年を記念して建てられました」
「その支配人さんが私に何か?」
コホン、ひとつ咳払いをしてパノンは切り出した。
「お願いいたします。マァムさんに当劇場の演劇団に入団してほしいのです」
「はあ?」
「最初に言っておきますが、アバンの使徒としての貴女ではなく、武闘家として鍛え上げた体も持ち、かつ美貌の貴女を見込んでお頼みしているのです」
「ちょ…ちょっと待って下さい。私は演劇なんてやったことが…」
「それは、他の劇団員も同様です。まだ演劇なんて素人の者たちばかりです。劇場なんて作りましたが演劇の歴史は浅く、舞台の上は肌を露出した踊り子のショーで成り立っています。ですが演劇はこれからの時代必ず庶民たちの娯楽、いや文化となるもの。それには優れた女優が必要なのです。急に演技力を求めたりはしません。私が必要としているのはハドラーとバーンに立ち向かったあなたの根性、決して途中で物事を投げ出さない気迫なのです。ぜひ、我が劇団の看板女優となっていただきたいのです!」
「でも…」
「すぐに答えを出せとはいいません。考えて返事を下さいませ」
そういうとパノンは席を立った。
「お茶、ご馳走様でした。一週間後、また来ます」
レイラに軽く会釈をしてパノンは出口へと歩く。その時にマァムはパノンが右足を引きずって歩くのを見た。
(足が不自由なのに…こんな森の中まで…)
ベンガーナから、この村までは遠い。マァムを自分の劇団にと願う彼の気持ちが知れた。マァムとレイラは村の外までパノンを見送った。見栄えの良くない歩き方をするパノンの後ろ姿を二人はしばらく見ていた。
「パノン…聞いたことあるわ…」
レイラがふとつぶやいた。
「え?」
「魔王ハドラー台頭の世のころ、魔王軍に攻め込まれた町や村はひどい有様でね…。家族や住む場所、仕事もなくし、みんな絶望の中にあった。そんな時、一人の芸人がいたの。その芸人は魔王軍に攻め込まれた町や村を訪れ、まったくの無償で自慢の芸と話術を披露し、沈む人々に笑いを与えたのよ。その芸人の名がパノン」
「そ、そんなスゴイ人だったの?」
「ええ、私や死んだ父さん、アバン様、マトリフ、ブロキーナ老師も一度だけ彼の芸を見たことあるけど、めったに馬鹿笑いしないマトリフさえ腹抱えて笑ったものよ。私も涙出るほど笑ったし。その時に思ったわ。彼のような戦い方もあるのだなって…」
「……」
「ハドラーがアバン様に倒されてから、彼の噂は聞かなかったけれど、足を悪くされていたのね…」
その時、マァムはパノンの後を追いかけていった。
「マァム?」
「それを早く言ってよ!そんなすごいに見込まれたならやるしかないじゃない!もう一度連れてくるから、お茶菓子用意しといて―ッ!」
そしてマァムはパノンと共にベンガーナにやってきた。それから三年。マァムは女優として着実に演技力を身に付けていき、パノンの見込んだとおりベンガーナ王立劇場の看板女優となった。今では熱狂的なファンもいるほどである。
そして勇者ダイのバーン討伐から五周年、パノンが長年温めてきた脚本がとうとう舞台化される事となった。カール国王アバン、王妃フローラの承諾をようやく得ることが出来たのだ。パノンが書いた脚本は勇者アバンの冒険記である。
主人公で自分が演じられるのがよほど照れくさかったのか、アバンはパノンに中々OKを出さなかったが、バーンが死んだ五年後に当たる今年に盟友マトリフとブロキーナが老衰で世を去った。大往生である。彼ら二人が舞台上に蘇るのならと、アバンはやっとパノンに良い返事を出したのだ。
マァムは母レイラを演じられることを喜び、稽古に没頭した。戦士ロカ役はオーザム出身の戦士であり、実際に戦士として先の大戦、つまりクロコダインとヒュンケルがバーンにより公開処刑が予告されたカール北部山脈の戦いに義勇兵として参加しており、マァムとも面識があった。彼の名前はグレンと言った。
ダイやヒュンケルのような剣に豪快さは無いものの、堅実な剣を使い、オーザムに伝わる剣術の免許皆伝者でもある。フローラからレオナの護衛を任され、モンスターを全くレオナに近づけさせなかった。
幼いころ、両親をハドラーの襲撃により亡くした彼は、自分に笑いと希望を与えてくれたパノンがベンガーナに劇団を持ったと知り、大戦後は剣を捨てて、パノンの劇団に入り若手の俳優として頭角を現し、戦士ロカと云う大役を掴んだのだ。ゆえに気合もひとしおであり、時にマァムとの稽古は深夜にも及んだ。
今日も稽古に熱が入り、日付が変わる時刻を過ぎた。他のキャストはすでに帰宅しており舞台上にはグレンとマァムだけである。
「ふう、そろそろ切り上げようか」
「そうね」
彼らがこの時に稽古に励んでいた場面は、アバンが『凍れる時の秘法』を使用するため、パーティーの解散をロカとレイラに告げる場面であった。主人公アバンを引き立てると共に、ロカがレイラのお腹に自分の子供がいると初めて分かる重要な場面である。そのお腹にいた子であるマァムが今、それを舞台上で演じようというのだから、世の中の縁とは時に粋な巡り合わせを運んでくるものである。
二人しかいない舞台の上で、グレンは腰をおろし、汗をふいた。その彼に冷たい水の入ったコップを渡すマァム。
「ありがとう。喉が乾いていたんだ」
「そうでしょう。ずいぶん熱込めて台詞を言っていたもの」
「ああ、またとない大役だからな。このチャンス、ぜったいモノにする」
「大丈夫よ。グレン、父さんをすごく素敵に演じているもん」
グレンの横にマァムも座った。
「…そういえば、じっくり訊く機会もなかったが、親父さん、どんな人だったんだ?俺は本で読んだ戦士ロカ像しか知らないからなあ…」
「…残念だけど、あまり覚えていないのよ。私が幼い頃に死んでしまったからね…。でも、私を抱いてくれた時の優しい顔と暖かい匂いはよく覚えているわ」
「…匂い…か…。俺もその匂いが出せるほどに演じられたらいいのだけど」
「でも、父さんは父さん、グレンはグレンでしょ?たとえ父ロカを演じるにしてもグレンなりの演技でいいと思うよ。私だって貞淑な母さんを演じるのは正直しんどくて自分なりにやろうと思っているのだから」
「確かに僧侶レイラとはかけ離れた性格しているもんな。マァムは。ははは」
「なに、それ褒めてんの?」
「さーてね。さあ、もう一回、『アバン、パーティー解散を告げる』の段、やってみようぜ!」
「そうね!」
演技にこだわる二人を舞台袖からパノンは見ていた。
「いい役者になるぞ…二人とも!」