海鳥が水平線からカールに向けて、鳴きながら飛んでくる。海上要塞の到着は近い。
今回の海戦の方針、それは海上での戦いと水塞からの砲撃により海上要塞を攻撃し、そして精鋭を乗せた船が海上要塞に進入、そして要塞に君臨しているヴェルザーを倒すことである。
砲撃兵たちはすでに台場で待機。そして戦士と弓手は船に乗り込んだ。全世界合わせて五十以上の軍艦は、いつでも出撃の準備を整えていた。
総司令官となったのはアバンである。ポップはその補佐に入った。場合によっては各国の王に指示を出さなければならない総司令官に海のことに長けているとはいえ、一商人であるポップがなるわけにはいかない。
パプニカの女王レオナは一翼の将として備えているが、彼女はヒュンケル処刑の負い目をいまだ引きずり、覇気は全く無かった。ずっとパプニカの帆船の甲板で水平線を見つめていた。
「女王」
「……」
「女王!」
「え?あ、何かしらマリン」
「…女王、もう戦闘開始まで間近です。兵の士気にも関わります」
「…ごめんなさい」
「あれは…ヒュンケルの件は、あの場合仕方ありませんでした。いつまでも気に病んでいては…」
「何が仕方ないと言うの?」
レオナとマリン主従に冷徹に言葉を投げかける者がいた。
「エイミ…」
開戦前の寸暇に、エイミはパプニカの帆船に乗り込んでいた。憎悪の眼差しを向けるエイミを見たとたん、レオナはエイミから顔をそむけた。そのレオナの元に、エイミはツカツカと歩き出した。そして…
「あうッ!」
エイミは力任せにレオナをひっぱたいた。たまらずレオナは倒れた。マリンはエイミの手を取り押さえた。
「何するの!」
「離してっ、一歩間違えれば、主人はこの女に殺されていたのよ!」
レオナは顔を上げられなかった。
「そうだけれども、あの場合は仕方なかった!好きで女王がヒュンケルに死罪を言い渡したと思っているの!」
「じゃあ姉さんはアポロが同じ目に遭っても許せるの?国の法を保つためなんて理由で夫を殺されかけたのよ!」
「ふふ…」
レオナは笑った。憤慨してエイミは取り押さえるマリンを押し退けてレオナの胸倉をつかみ、無理やり立たせた。
「何が可笑しいのですか!」
「嬉しいの…」
「嬉しいですって!?」
「やっと結果が出た…。叩かれることがこんなに楽なことなんて知らなかった…」
「…楽?私が一度の平手打ちで矛を収めるとお思いですか!」
再びレオナを力任せに叩くエイミ。今度はレオナも倒れない。そして言った。
「ごめんね、エイミ…。あとで思い切り謝るから…ヒュンケルにも…」
「後で?」
自分を叩いたエイミの右手をレオナは握った。
「分かっているでしょ?今はヴェルザーとの戦いに集中しなくちゃ」
「女王!」
ため息と同時にレオナは笑った。
「マリン…叩かれなきゃ分からないなんて、私も駄目ね」
エイミの口元が少しだが微笑んだ。
「分かりました。怒りの矛先は一旦引っ込めます。だから姫様」
「なに?エイミ」
「主君に手をあげたのです。私にも二つ」
一瞬、あっけに取られたが、エイミの気持ちを察してレオナはニコリと笑った。
「分かったわ」
甲板に平手打ちの音が二つ響いた。
「おあいこね」
「はい」
叩かれた頬を笑って撫でるエイミ。
「ところで、エイミ。あなたはどの船に?」
「私はポップくんの旗船のマトリフ号に乗って戦います」
「できればアポロとマリンと共に私の側にいて欲しいけれど…」
「それはできません。私もある作戦の一端をポップくんから頼まれていますから」
「作戦?」
「今は言えません」
「危険なの?」
と、マリン。
「大丈夫、私一人でやる作戦じゃないから。それに…」
ヴェルザーがやってくるであろう水平線の彼方を見つめた。
「私にとっては世界の平和の戦いではなく、夫ヒュンケルを助けるための戦い。多少の危険で引くわけにはいかないもの」
「エイミ…」
「姫様、姉さん、ご武運を」
「エイミもね!」
レオナ、エイミ、マリンは固く手を握り合った。
エイミが船から降りると、バロンが立っていた。
「バロン?」
「いや、懐かしくてな、この帆船」
「ああ、そういえばこの帆船…。元々は先王からバロンへ賜れた船だったわね」
「そうだ、あれから少し改修されたようだが…面影は残っている」
パプニカの旗艦は、かつてレオナがバロンと司教テムジンを伴い、デルムリン島に行った時に乗っていた『賢者の船』である。バロンの反逆が露見した後は国に剥奪されて帆に描かれていた賢者のシンボルもパプニカの紋章に変わってしまった。
賜れたといっても、帆船の設計と造船はバロンが行ったものである。当時から彼は船大工として才能に溢れていたのだろう。かつて自分の船だった帆船をバロンは感慨深く見つめていた。
「それはそうと、良かったな。姫と和解できて」
「何だ、聞いていたの」
「嫌でも聞こえるよ。あんな大声で怒鳴っていたら」
「それもそうね。ふふ」
「姫も、あの負い目から解放されたようだ。声に覇気が戻っていた。良かった。少々乱暴だが叩いたのは正解だったな。あれでだいぶ姫も気が楽になったはずだ」
「最初はね…。許す気などなかったわ。でも姫様がヒュンケルのことでずいぶんと苦しんでいることは伝え聞いていたし…。それにソアラでバロンと話した時に思ったわ。自分は何もしないで、ただ恨んでいるだけとね。それでは何も解決しない、変わらないと気がついた。だから姫様への憎悪が消えたのはバロンのおかげでもあるの」
「そうか」
「私のことより…バロンも開戦前に姫様とお会いしてはどう?もうデルムリン島でのことなど姫様は何とも思っていないでしょうし…」
「そうもいかんよ。時が経っても合わす顔が無いのは変わらずさ。自分の野心のために殺そうとしたんだぞ。会えるものか。だが…」
「だが?」
「俺は姫を守りたい。裏切り者の汚名を晴らすためじゃない。ソアラで取り戻した賢者の誇りにかけて」
その時、カール本陣の鐘が鳴った。カール本陣に建てられた見張り台最上階で望遠鏡を持ち水平線を監視していた兵士の合図で鐘は鳴らされた。
「敵影発見!」
ポップの旗船マトリフもそれに呼応し、全軍への合図に空砲を三発発射した。アバンの号令が水塞に轟く。
「総員、戦闘準備!」
「バロン!」
「来たか!マトリフ号に戻るぞエイミ!」
「はい!」
敵影発見の鐘と同時に、本陣で軍務をしていたアポロも自分が乗船するパプニカの旗艦へと駆けて行った。その時にすれ違った二人の賢者。同じパプニカの賢者のローブを着て駆けてきたのは義妹エイミだった。だが今は懐かしい再会を喜んでいる場合じゃない。軽く笑顔ですれ違いざまに挨拶をしたが、そのエイミの横を走っていた男の顔を見て、思わず立ち止まってしまった。だがエイミたちは走り去っていく。
「まさか…」
すれちがった男は正真正銘パプニカ賢者の証である『賢者のサークレット』を頭に戴いていた。そして、そのシンボルは『月』である。そのシンボルを持つパプニカの賢者は一人だけである。
「バロン…!」
アバンは号令を発した後、すぐに台場下の砂浜に駆けていった。そこにはポップも待っていた。
「先生!」
「待たせましたね、ポップ!さあ始めますよ!」
「はい!」
砂浜には魔法陣が記されている。ポップとアバンは神経を集中した。彼ら二人の体が魔力に包まれる。開戦前にカール王国の領内にフォルケンが設置した五つのある物、それが二人の呪文に反応した。
五つのある物、それは石柱である。そしてその石柱の上にはアバンが精製した輝聖石が置かれていた。『アバンのしるし』と違い、直径十センチはあろう輝聖石である。それが二人の魔法力に反応するように輝いた。
カール王国領内には前もって魔法陣が引かれていた。そして五つの柱、点在する場所を線で繋げれば五芒星となる。意外にもアバンとポップが戦場で二人同時に呪文を発動させるのは前大戦も含めて、これが初めてである。
アバンも、ポップも、戦闘の高揚とは別の血のたぎりを感じる。師と、弟子と、協力して行う大仕事に幸せを感じていたのかもしれない。そして輝聖石、五芒星による、その魔法効果作用の増大を図る、その魔法は…
「「マホカトール!」」
カール王国が、まるで透明なドームにでも覆われたように、マホカトールに包まれた。
「うむ、成功じゃ!」
カール本陣からマホカトール成功を見たフォルケンは静かにうなずいた。
「これで、力の無いモンスター兵は入ってこられぬ。入って来られたとしても力は半減する。砲弾さえ、着弾と同時に消滅するであろう」
「フォルケン老の立てられた策、お見事です」
「なんの、フローラ殿。アバン殿とポップ殿のお力があればこそです」
海上要塞の東塔最上階で、サリーヌはマホカトールを見た。
「見事なものね」
「やはり和睦は、こちらを油断させる策でしたか」
サイヴァは苦笑した。
「退くよ。今をもってヴェルザーからお暇させてもらう。負け戦に参戦するほど私は酔狂じゃないんでね」
東塔からサリーヌとサイヴァは飛び立った。