魔法力でヴェルザーの封印を解くことは可能である。だが、どう言う属性のものを魔法力で練成し、それを放てば良いのか、それが精霊カトレアに分からなかった。だから彼女は当時魔界で最高の頭脳と魔力の持ち主であるザボエラに近づいたのである。
『貴方の妻となります。だから知識と呪文を学ばせて欲しい』
姿と名を変え、精霊から魔族の女の容貌となっていたが美しい青髪と端正な顔立ち、均整の取れた肢体にザボエラはすぐに篭絡された。妻に迎えて毎日のように妻の若い肌に溺れた。
その屈辱の日々の中、アグリッサと名を変えた精霊カトレアは、ついにヴェルザー封印解除の方法を確立した。若くて美しい妻を手放したくないか、ザボエラは惜しみなく妻に知識と魔力の応用等を伝授したことが大きかった。
ザボエラから得た知識と魔力。後にアグリッサは『魔科学』と位置づけるが、それを独自にさらに研究した。だがこの間、彼女は生みたくない子を二人生んだ。ザムザとサリーヌである。
『生まれてくる子に罪はない』よく聞く言葉であるが、アグリッサはこの領域に達することは出来なかった。その気にすらならなかったのだろう。母親になる気など無かった。何より憎悪するザボエラの子供であるのだから愛情など全く湧かない。何よりザムザとサリーヌは父ザボエラと性格が似ていた。
この時、地上では大魔王バーンの侵攻が始まっていた。ザボエラはバーンの部下となって地上に行き妖魔師団の長として地上に勢力を構え、大魔王六大団長の一翼を担っていた。
すでに成人していた長子ザムザは父と共に妖魔師団に在ったが、娘サリーヌは父と兄、母とも相容れられず、知らない間に魔界のザボエラ邸から姿を消して二度と戻ってこなかった。
後にヴェルザーの幕僚として再会した時、二人はすでに母と娘の間柄ではなくなっていた。
夫も子も邸宅にいない状況はアグリッサに好都合だった。ザボエラは研究機材など魔界一所有していたし、蔵書の充実はバーンの居城を凌駕していた。
ザボエラから知識と能力を全て得たら殺してやろうと思っていたアグリッサだが、ザボエラはもう戻ってこなかった。バーンの部下として地上に留まっている。もうあの男に身を汚されることもないという開放感もあるが、何よりザボエラの邸宅にある設備を自由に使えると言うのが嬉しかった。狂ったように知識を頭に入れて研究に没頭するアグリッサ。
そして研究に研究を重ねて、とうとうヴェルザーの封印を解く術は見つかった。あとはそれに必要な力を手に入れる段階である。
アグリッサは自分の魔法修練も欠かさず、ついに天界に瞬間移動呪文ルーラが出来るほどの魔法使いとなった。
天界にあるヴェルザーの肉体を奪取するにも一人では心もとない。優秀な部下が必要となる。だから彼女は作ったのである。自分の魔科学のレベルを試す意味もあったが一体のサイボーグを作った。
魔法以外の戦闘術を持たない彼女が自分を守るために作った戦闘サイボーグ。そして、さらに強力なボディガードも作り出してレッドと名づけた。
夫ザボエラが途中まで完成させていた『超魔生物』の理論をアグリッサは確立し、このレッドを作り上げたのだ。もはや彼女の魔科学はザボエラを超えていたのである。
彼女が作り上げた戦闘サイボーグは黒い衣を着て、何種もの仮面を使い、そして死神さながらの大鎌を使う者だった。後のキルバーンである。
ザボエラはキルバーンが妻アグリッサの作り出したサイボーグだと知らぬまま、クロコダインに討たれた。
やがてキルとレッドを連れて、ヴェルザーが封印されている魔界の祠へと向かいアグリッサは精霊カトレアとしてではなく、魔科学者アグリッサとしてヴェルザーに対した。
『お初に御意を得ます。冥竜王ヴェルザー様』
『…なに者か』
『私は魔科学者アグリッサ、これなるは我が護衛を努めますキルとレッドにございます』
『キルです』
キルの肩に乗る一つ目ピエロのピロロも恭しく礼をとった。ピロロはアグリッサが魔界で拾って養っていた低級モンスターである。
『レッドにございます』
アグリッサの左右で二人の男は主人と同じようにヴェルザーの石像に礼を示した。
『…何用か』
『はっ、今すぐは無理ですが後に冥竜王様の封印を解き、やがて魔界の覇業のお手伝いをさせていただきたく…』
『魔界だけでは余は足りぬ…』
『は?』
『アグリッサと言ったな。余はバーンと賭けをした。どちらが早く地上の覇権を手に入れるかを』
石像の竜の瞳に赤みが帯びる。
『だが、バーンが持ち込んだ、その賭けも今にして思えばバーンの謀略であったのやもしれぬが、こんな姿でそれを悔しがっても仕方がない。だが俺は諦めきれぬ…。地上を我が手にすることを』
『現在、バーンはヴェルザー様を倒したバランをも自分の部下に取り込みました。今はまだ動くに時期が悪いかと愚考します』
『ほほう…。バランがバーンについたのか、ではいささか分が悪いな』
ひときわ、ヴェルザーの瞳が輝くと、アグリッサの目の前に一つの鍵が出てきた。
『これは…?』
『我が居城、冥竜城の鍵だ。場所もその鍵についている宝珠が教えてくれよう。ここに行き俺の封印を解くための研究を続け、時期の到来に備え、兵を集めておけ』
『くっくくくくく…』
キルが笑った。
『キルと言ったか。何がおかしい?』
『いえね、冥竜王と呼ばれる御大様がずいぶんとあっさりと他人を信じて大事な居城の鍵を渡すものだと思いましてねえ』
『俺がこの地に封印されて以来、初めての客がおぬしらだ。この場を知ること、来ることさえ困難なはず。おぬしらが俺の冥竜王としての力を利用しようとしていることは分かる。それに乗ってやろうと言うのだ。俺もまた、おぬしらを利用する。いささか石像でいるには飽きた』
『キル、言葉を慎みなさい』
『ははっ、申し訳ございません。アグリッサ様』
『アグリッサとやら。このキルと言う男、俺に預けてくれぬか?』
『え?』
『こやつ、使えそうだ。地上のバーンの元に送り届ける』
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
海上要塞の上空はだんだん雨模様となっていた。テラスにもポツポツと雨が落ちた。
「…と言うことよ。あの方は私の夫だった。生まれてこの方、私はいつも嫌いな男に抱かれ続けた。でもただ一人だけ最愛の人がいた。その人に抱かれることが無上の幸せだった。それがヴェルザー様だった。たとえ、あの方がもう私を忘れていようとも…」
「アグリッ…いえ、カトレア様…」
科学者の笑みではない、ただの優しい笑みをレッドに見せた。
「さあ、話は終わり。行くわよレッド、アバンたちを迎え撃ちます!」
「カトレア様」
その声に振り向くと同時に精霊カトレアのみぞおちにレッドの当て身が入った。
「ぐっ!」
「ここからは私だけが戦います。今のあなたは魔族の姿をしておりません。神々しささえ感じます。よもやアバンたちも刃を向けますまい。ここにいれば安全です」
「レッ…ド!」
「それに、こんな不意打ちを食らうようでは、到底貴女はアバンに敵いますまい…。お許し下さい」
気を失った精霊カトレア、天使のような顔立ちの精霊カトレアを見て、レッドは部屋を出た。
「これにてお別れです。私は貴女のためでもない。自分のために戦います」
アバンとポップたちは駆けていた。アバンのリリルーラで戦士たちはすべて合流した。ノヴァも本陣の守りをクロコダインとチウに委ね、自身はトベルーラを使い、アバン率いる本隊と合流を果たした。
それにラーハルトも合流したのである。士気は上がっていく。立ちはだかるモンスター兵もほとんどいない。走っているルートは冥竜城の南側面、島の、いやかつては魔界の山々だったのであろうが冥竜城は天嶮を利用して築かれており、城壁の階段というより山道を階段状に切り抜いたと言う様相の道である。
やがて階段の踊り場と言うより、大き目の台地に出た。そこには一人の武人、アバンたちの道を阻むべく立っていた。赤い鎧の男レッドであった。先頭を走っていたアバンが立ち止まった。
「やはり貴方が来ましたか」
「ここから先は通さん」
「レッド…貴方は…」
「黙れ、勝負に言葉は不要。全員まとめてかかってくるがいい」
やむをえない、アバンは剣を抜いた。そして全員が戦闘態勢に入った。冥竜城に乗り込んできたのは、アバン、ポップ、マァム、ロン、でろりん、ずるぼん、フォブスター、バロン、マリン、エイミ、アポロ、レオナ、ノヴァ、ラーハルト総十四名のパーティーである。バーンパレス突入に比べれば戦力的には格段に劣るだろう。しかし、パーティーの気持ちは一つであり、結束の力、士気はバーンパレスに乗り込んだメンバーにも劣るものではなかった。
「待って!」
マァムが前に出た。
「ごめん、先生、みんな。こいつは私が一対一で戦う」
「マァム、お前何言って…」
闘気を上げるマァムの後ろ姿にポップは何も言えなかった。
「許せない、私の仲間たちを殺したこいつが…!私たちの舞台を壊したこいつが!仲間たちの仇、私の鉄拳で討ってやる!」
「いいでしょう。レッド、貴方はどうですか?」
「…結構だ」
「ではマァム、私たちが見届けましょう」
アバンはあの鎧の男を知っているのではないか…?ロンは考えた。パーティーの縦列の中堅にいたロンは小声で言った。
「なにやら因縁があるらしい。ヴェルザー相手なら一対一などを認めるわけにはいかんが、ここは黙って指揮官のアバンの言に従おう」
「しかしロン殿…」
勝てるのか、ただ一方的な殺戮になるのではないか、とアポロは危惧した。
「万一の時はアバンの指示がなくても全員でレッドに攻撃を開始する。どんな因縁があるのかは知らんが、あの娘をヴェルザー戦前でリタイアさせるわけにもいくまい。いざとなったら全員でレッドの首を取る」
ロンの言葉にアバンとマァム以外のメンバーは頷いた。ポップが小声で
「みんな、いつでも飛びかかれる用意をしておけよ!」
「いくわよ、レッド!」
「来い!」
冥竜城の天空は雷雲が鳴り響き、豪雨が降り注いだ。カンカンと音を立てて雨がレッドの鎧に当たる。
(船の上であいつが言ったとおり、到底レッドにはパワーで敵わない。スピード勝負ね…)
マァムの闘気がどんどん上がる。雨もマァムの周りで蒸発していく。
「はあっっ!」
正面から、突進技を仕掛けた。
「愚かな!」
その動きに合わせて横なぎの斬撃を一閃。だがマァムの姿は目の前から消えていた。
マァムは腰を落とし、レッドに足払いを叩き付けた。斬撃の軸足を見事に払った。
「ちっ」
重心をくずし、マァムに覆いかぶさるかのように倒れるレッド。だがこれもマァムの想定内のことである。
「武神流・天翔脚!!」
マァムは上半身のばねだけで飛んで、倒れ来るレッドに強烈な蹴りを浴びせた。そのすさまじいパワーにうつ伏せで倒れかけていたのが、今度は仰向けで吹っ飛ばされていく。マァムの攻撃はまだ続く。レッドの利き腕である右腕を即に極めた。
「これで剣は握れない!」
「ぐあっっ!」
レッドの右腕は折られた。
「アバン、妙だと思わんか?」
「貴方もそう思いますか、ロン殿」
「ああ、あの男にはまるで精彩がない、お前と戦った時とは別人のようだ」
「だが、鎧の中にいるのはまぎれもなく同一人物でしょう」
「その通りだ…。どういうことだ?」
レッドの攻撃は確かに精彩を欠いていた。マァムの攻撃をいいように食らっている。たとえ纏う鎧と彼の肉体そのものの防御力が飛びぬけているとはいえ、ダメージをもらいすぎである。
「俺が見る限り、別人と言うよりも同じ者がひどく弱ってしまったと言う感じだ。ハドラーも超魔生物になった時に、その反動により吐血したと聞く。彼ももしや…」
ロンの言葉もアバンには届かない。この時にアバンは心の中で叫んでいた。
(もういい…。もうやめるんだ!君がマァムとの一騎打ちを受け入れた時点で私は悟った。君は倒されることを望んでいる…。そしてその精彩を欠いた攻撃…!おそらく君は病を…!)
「まだまだ!何も知らないうちに殺された私の仲間の無念はこんなものじゃないわ!一日も稽古を休まず女や酒も絶ち、ひたすら芝居に情熱を向けていた私の先輩たちをお前は殺した!許すもんか!」
「ふふ…」
「…何がおかしい!」
「何故、あの時にお前を殺さなかったか…。分かるか?」
「私を馬鹿にしていたのでしょう!いつでも殺せるからと!」
言葉を交わしていても、マァムには油断はない。レッドを見据えて構えている。
「ちがうな…。待っていたんだ…この時を…!」
レッドは左腕の片手上段でマァムに向かった。
「うおおおおっ!」
「どうしたのレッド、痛みで我を忘れたのかしら?隙だらけの突進攻撃をするなと私に教えたのは貴方でしょう!」
マァムはすぐに懐に飛び込み、両手の掌底突きをレッドの胸元に炸裂させた!
「武神流・双虎掌!」
闘気を含んだ掌底突きである。レッドは吹っ飛んだ。赤い鎧の胸部部分が砕けた。超魔生物の肌が露出した。
「覚悟!」
全身に闘気を纏わせ、マァムは突進した。もはやレッドに避ける力が無いと見越していたからだ。
(勝てる…!みんなの仇…私、討つよ!)
「はああああっっ!」
レッドは黙って、その直撃を待った。兜の隙間からアバンは見た。口元が笑っていたのである。マァムを笑っての笑みではない。何かから、やっと開放された、そんな笑みだった。
「猛虎破砕拳!!」
マァムの闘気がレッドの体を貫き、虎の顔を模した紋章がレッドの背中に刻まれ、そして突き破られた。レッドはそのまま城壁まで吹っ飛んで叩きつけられ、そして落ちていく。赤い血だった。
「はあはあ…」
赤い血のついた自分の拳を見つめ、そしてとどめを刺すべく、レッドに歩み寄った。そしてレッドは言った。万感の思いで、この言葉を発した。
「…強くなったな…マァム…」
「………!!」
マァムは金縛りにあったように動くことが出来なくなった。
「……え?」
アバンはこの光景に顔を背けた。壁へ衝突した衝撃からレッドの兜が砕けた。短い金髪が乱れてほつれる。レッドの顔が明らかになった。マァムはその顔を見て、全身から血の気が引き、崩れ落ちるように膝を着いた。
「そ…そんな…」
「マァム…」
「と…父さん…」
満足そうに、マァムに父と呼ばれた男は優しく微笑んだ。
「ふ…泣き顔など、レイラにそっくりだ…。美人になったな…」
「父さん…父さん…どうして…どうしてぇ…」
「許せ…。お前に…倒されたかった…」
「いやああああああっっ!!」
マァムの悲痛な叫びが冥竜城の空に響いた。レッドの正体、それは勇者アバンと共に魔王ハドラーを倒したマァムの父、戦士ロカだった。