ポップは先日のことを鮮明とは言わずとも覚えていた。レオナに会わせる顔もなく、謝罪の手紙を一生懸命に港にあるカンパニー事務所の社長室で書いていた。
よほどレオナの平手打ちが効いたのだろう。レオナの目にはうっすらと涙もあった。彼は自分の無神経な暴言を恥じ、あの日以来から身を正し始めた。
「イマイチだな…」
便箋を丸めてゴミ箱に放る。もう何度同じことを繰り返しているだろう。
「ふう」
社長室のドアにノックの音が響いた。
「どうぞ」
「失礼します」
「でろりん、どうした」
「明日のパプニカへの積荷の目録台帳を持ってきました」
「ありがとう、ここへ」
パプニカの積荷の台帳を入念にポップは見た。机の横のくず入れは失敗した便箋が山のように積まれていた。
「社長、恋文でも書いていたのですか?」
「ち、ちがうよ!嫁さんがいるのに、どうして他の女に恋文を出すんだよ!」
「だって、親愛なるレオナ様って…パプニカ女王を口説こうと?」
「ああもう、違う!」
「はいはい、違うということにしておきましょう。それより台帳にサインを」
「まだチェック中だって。ったく…」
一つ一つの品物の状態と数量が細かく記されている台帳をポップは見た。
「…ロウソク六十ダース、高級薬草八百束、高級赤ワイン五十樽、オリーブオイル五十樽、小麦粉…砂糖…塩…鶏肉五百キロ、OK、これでいい」
ポップは台帳の表紙に自分のサインを書いた。でろりんはポップの書いたサインを確認した。
「確かに。何ならその手紙女王に渡るようにしましょうか?」
「いや、残念ながら文章が全然決まらない。後日、直接会って言うよ」
ポップは鍵つきの引き出しから三百ゴールドの入った巾着袋を取り出し、
「無事の航海を祈っている。仕事終わったらこれでみんなと一杯やってくれ」
と、でろりんに渡した。
「ありがとうございます」
でろりんは大事そうに両手で袋を握った。
「ああ、そういえば最近、社長は遊びを慎んでいるそうですね」
「どんなに楽しい夜も毎日じゃ飽きるだろ」
「いやぁ遊びを控えだしたと聞いた時は船長連中でホッとしたもんですよ。影の大ボスであるメルルさんの雷がいつ落ちるか冷や冷やでしたから」
「怖いことを言うなよ。でもまあ普段おとなしい分デカいのが来るだろうからな。そろそろ止めないと」
「あんな出来た嫁さんはいやしません。大事にしなきゃバチが当たるってもんです」
でろりん、後年に残る勇者ダイの伝記の序盤と終盤にも出てくるニセ勇者一行のリーダーで、後世の人々にも憎めない存在として親しまれている人物である。
彼は大戦後、仲間であった僧侶のずるぼんと結婚した。二つ年上の姉さん女房であるずるぼんとしばらくはオーザムの復興作業を手伝うことで糧を得ていたが、復興を遂げつつあると同時に仕事も無くしてしまった。
戦闘以外、ほとんど手に職もなく途方にくれていた二人だったが、あの大魔道士ポップがソアラの町にカンパニーと云う交易共同体を作り、腕の立つ者を公募していると噂で聞いた。すぐにソアラに行き、雇い入れてくれるよう二人はポップに頼んだ。
当時まだポップも世界の国々への安全航路を海図に起こせてなく、交易中に海棲モンスターや狂暴な巨大魚と戦闘になることも多かった。ニセと言われても、でろりんはメラとイオラを使いこなし、剣の腕も立つ。戦闘力は決して二流ではない。ずるぼんもまたバギやベホイミも使える。
ポップは喜んで二人を雇い入れた。安全航路が確立されたころになると、ずるぼんはでろりんとの子供が身に宿り退社していたが、でろりんの航海術はカンパニー屈指となり今は二十人の船員を抱える船長となっていた。
かつてクロコダインがロモス城を襲撃した際にポップを叱咤した魔法使いのまぞっほは高齢のため他界しているが、戦士のへろへろもソアラ・カンパニーに属し港の力仕事に精を出していた。彼好みのふくよかな妻をめとり、幸せな日々を送っている。
このように、あのバーンとの大戦で国に属さず義勇の士として戦いに参加した者の多くはソアラ・カンパニーに入ってきた。自己の収入を求めては無論のこと、ポップの下でなら、と考えたからだろう。
あのロモス王国武術大会に参加し、マァム、ゴーストくんと共に決勝まで残った六人、つまり格闘士ゴメス、怪力無双の戦士ラーバ、万能鞭の名手スタングル、弓の名人狩人ヒルト、剣士バロリア、そして後述する魔法使いフォブスターは現在ソアラ・カンパニーに属していた。彼ら六人はソアラの町で『ロモス武術大会六人衆』と呼ばれている。
ニセ勇者ご一行様とロモス武術大会六人衆、ある意味ポップは世界のどの国より強力な軍団を抱えているのかもしれない。しかしそれは自然な成り行きだっただろう。海路の交易と云うのは危険なことばかりであるのだから、屈強な者が集まるのは当然といえる。
ロモス武術大会六人衆の中に、大魔王バーンが落としたピラァ・オブ・バーン六本のうち一本の黒のコアを凍らせるなど、その魔法力を示したフォブスター。彼がポップの部下になるには、でろりん、ずるぼんと同様に少しのエピソードがあった。
それは、まだカンパニーの基盤は固まっておらず、ポップとメルルが夢中になって世界の海を回っていた時だった。ポップはほぼ復興をとげたリンガイアにメルルと共に滞在していた。
その時に交易の約定を結んだ商会の番頭がポップを訪ねた。リンガイア一番の大店グラセオ商会の番頭で名はゲイツといった。
彼の主人であるグラセオは最初ポップとメルルの前に商敵として現れた。若くして頭角を現した商人夫婦を叩き潰すかのように容赦なくポップたちが獲得しつつある販路を横取りしていった。
彼も必死だったのだ。母国リンガイアは復興を遂げつつあるが、肝心の彼の商売における販路は戦乱の最中に消滅してしまい、ほとんど振り出しから開拓しなければならない。なのに、それをポッと出てきた若者に先を越されてはたまらない。
老獪な手段でポップたちを騙して自己の販路の確立を企んだが、結局その販路の取り合いはポップに軍配があがった。海路上においてグラセオは船の航行の安全を考えて用心棒を雇うしかない。
となると積み荷の単価を嫌でも上げるしかない。だがポップの船はポップ自身が用心棒のため、その分単価は安く、かつポップの戦闘力は誰でも知っている。多少知能のある海棲モンスターならば、海中にいる段階でポップの魔力に気づき襲ってこない。積み荷の安全を考えれば顧客がポップに任せたいと思うのも無理はない。
負けた以上、どれだけの交易制裁があるかと覚悟していたグラセオだったが、ポップは仕返しをするどころか改めて彼に販路の分割利用と、その相互の協力を提案してきた。
恨みを徳で返してきた若夫婦にグラセオは兜を脱ぎ胸襟を開き、以後は約定を結んだ対等の交易商人として親交を深めていくことになるが、そのポップがグラセオに販路分割利用を提案してきた日、グラセオはポップが後に大物商人になると見越し、親密を深くするため改めて贈り物を届けた。番頭ゲイツはその贈り物を持ってポップの前に現れた。
「…というわけで、ございまして主人グラセオから、これを」
ポップは贈り物を手に取った。それは本だった。
「これ『王国記』じゃないですか…!」
「はい、魔王ハドラー台頭までのリンガイア、ベンガーナ、ロモスの歴史をまとめたものです」
「よくこんな貴重な本を…。ハドラーは各王国への攻撃の際、財貨を奪うと共に、文化も焼いたと聞きましたが」
「はい、幸いにして炎から逃れ、無事に今に至っています」
ポップは目を輝かせて本をめくった。
「主人グラセオはポップ殿を高く評価されていました。互いの商売だけでなく、グラセオ個人としても親密を深めたいと思い、それを選びました。高価な装飾品では返って失礼に当たるだろうと、あえて書を」
「いいえ!何よりの宝ですよ」
後ろからメルルも本を覗いた。勉強好きなメルルにとっても興味尽きぬ内容が記されているようだ。
「素晴らしい本です。あなた、交代で読みましょうね」
「そうだな。考えてみれば俺はハドラー台頭前の歴史なんてほとんど知らない。知りたいと思っていたんだ」
「私もです。でもこんな貴重な本を…」
「よいのですよ、質で流れた本ですから」
「え?」
ゲイツの『質に流れた本』と聞くとポップは顔色を変えた。
「我がグラセオ家は質屋もやっていますから、時折、こういう本が飛び込んでくるのですよ。歴史書がご所望なら、まだ何冊かありますが」
「では…これは誰かが質に入れた本なのですか?」
「はい、でも期限がとうに切れたものです。もう買ったも同じと」
「……」
「あなた、どうしたのです?」
ポップは少し考え、本を閉じた。
「すまないが、ゲイツさん。この本を質入れした者の名を調べて、少しの金を添えて、その人に返してやってくれませんか?」
「は?」
ゲイツはビックリした。
「そんなことをされては主人の顔がつぶれます。それに期限が過ぎたなら、質入れした者にとっても、売ったと同然ではございませんか?」
「ちがいます」
ポップは首を振った。
「売るつもりなら最初から売ります。しかし質入れするのは、お金ができたら必ず取り戻したいと思っているからです。手放す本に対して思い入れが違うのです。この本は名書です。質に入れた者は、どれだけ無念に思っているか分からない。返します」
「ですが、お金までつけなくても」
「いえ」
ポップはまた首を振った。
「これだけの本を受け出せないくらいなのだから、その人物はおそらく日々の生活にも困っているはずです」
「ゲイツさん。主人は思い上がりで言っているわけではありません。このような貴重な書を質に入れざるを得なかった人の気持ちを察して言っているだけです。主人の言うとおりにしていただけませんか?」
娘の年齢に等しいメルルに気持ちを読み取られ、ゲイツは赤面しつつ詫びながら言った。
「分かりました。でも主人になんと言えば…」
「本は確かにいただきました。私も妻も大変嬉しかったと伝えてください。ただ偶然にも元の持ち主を知ったから返しました。ですからグラセオ殿のものを返したのではなく、いったん私の所有物になったので、ポップの意思で返した、と伝えてください。あなたの主人の顔をつぶしてはなりません」
「よく分かりました。さっそくその通りにいたしましょう」
ゲイツは下がった。そして
(なるほど、売るのと質に入れるのとでは、確かに気持ちの持ち方も違うな、さすがはだんな様が認めた若者だ。大物になるぞ)
と思った。
そう言ったものの、その後もポップはあの王国記の事をよく思い出した。
(あの本が読める機会は二度とない。考えてみれば惜しいことをしたなあ…)
と正直に思った。
(返さずに、手元において置けば良かったかな…。返すにしても読み終えるか、書き写してから…)
しかし、そのたびにポップは上の空になるので、妻のメルルが笑って言った。
「逃がした魚のことは、もうお考えにならないで。あなたはとてもいいことをしたのですよ」
と、やんわり叱りつけた。
数ヶ月後のある日、一人の薄汚れた青年がポップに会うためにソアラに来た。見知った人物なのでポップは会った。魔法使いフォブスターだった。
「お久しぶりです、ポップ殿。本日はお礼を言いにまいりました」
「礼?」
「はい、記憶にないかもしれませんが、数ヶ月前に質入れいたしました家宝の『王国記』を返していただきました」
「え?」
「……」
「あの本の持ち主は貴方だったのか、フォブスターさん!」
「はい、すぐにも礼に伺わなければと思ったのですが、あいにく病気のため遅くなりました。なお、その節は過分な配慮をいただきましたが、これだけはどうしてもいただくわけにはまいりません。ご不快を承知でお返しにあがりました」
そういって、フォブスターはポップが王国記に添えたゴールドの入った革袋を差し出した。彼はポップに恩義を感じ、言葉も十は年少のポップにも丁寧であった。そして何より目は澄んでいた。バーン討伐後にどのような暮らしをしていたかは分からない。だがバーンの脅威がなくなった後には、フォブスターの持つ魔力はむしろ恐れられ、やがて失業の道を歩んだと推察するには容易である。しかしフォブスターには、そんな不遇に荒んだ様子がない。ポップはフォブスターに好感を持った。
「いえ、俺こそフォブスターさんの誇りを汚すようなことをして恥ずかしく思います。ところで今、フォブスターさんの生業は?」
「もう魔法の必要とする時世ではありませんので、妻と薬草売りをしています。ですが歴史研究が好きで、そちらの方に夢中になり、薬草の仕事がおろそかになってしまいました。それがため家宝の『王国記』を手放すことと…」
「どうでしょう?その歴史研究で培った知識と魔法の腕で、俺のところで働きませんか?」
フォブスターは真っ直ぐにポップを見た。そして
「考えさせていただきます」
と言った。ポップは当然だろうとうなずき、
「その間、ソアラ見物でもしていてください」
と言った。フォブスターは半月ばかり、ソアラに滞在した。ソアラ見物と云ってもまだ町の創造期であり観光スポットなどは何もない。しかし自分たちで町を作る喜びからか人々の顔には活気が溢れていた。
共にロモス王国武術大会に出場していたラーバやゴメスとも再会をし、二人が誇りに満ちた顔で仕事に打ち込んでいるのを見た。
また、ラーバとゴメスはカンパニーの仕事とは別に格闘技団体を旗揚げしており、ちょうどフォブスターが滞在中にその興行があった。町はリングを中心にお祭りのように盛り上がり、メインイベントのラーバ対ゴメスの試合に町民は酔いしれた。
田舎で薬草取りをしていたフォブスターにとっては夢のような町に思えてきた。そして数日後、彼は妻子をルーラでソアラに連れて来てポップの元に赴き
「ポップ殿の下で働きたいと思います」
と言った。ポップは手を打って喜んだ。フォブスターはその後、大船の船長となり、そのかたわら歴史家としても執筆業にもはげみ、後にカンパニーの分業として世界初の出版業に乗り出すことにもなる。
このように、ポップの元には色々な人間が集まった。
当時はまだ身分制度が厳しく、王室や貴族に生まれれば無能でも裕福かつ権力が約束され、有能でも貧民に生まれれば貧民のままであった。よほどのことがなければ、この身分の壁を打開することなどはできなかった。
ポップが作ったのは、彼自身が知ってか知らずか、そんな身分制度を度外視した共同体である。大国の元首に師もいれば友もいるポップがこういう組織を作ったのは特筆に値し、後の歴史家の評価も高い。