ここはロモス王国、大魔王バーンとの大戦後に国王シナナは王都に大学を作った。乱世が終わった今、必要なのは剣の技ではなく、智の技である。医学、農学、工学、商学、法学、建築学、海洋学、あらゆる分野においてのスペシャリストを輩出するために作られた大学である。
大学名はそのまま国の名を取りロモス大学といい、商学と海洋学を学んだもの中には、ポップのソアラ・カンパニーに入社した者もいる。
そしてこのロモス大学に一人の若き教授がいた。農学を教え、バーンの爪あと残る世界の国々の食糧問題に解決の糸口を示した若き大学教授。名をヒュンケル。かつて大魔王バーンとの戦いで戦士として勇者ダイと共に世界に平和をもたらした人物である。
ヒュンケルはバーンとの大戦後、朋友ラーハルトと共にしばらく世界を歩いた。ダイを探すためである。しかし彼もポップと同様にダイを見つけることができなかった。そして彼は旅の途中に気づく。バーンの残した傷跡の数々を。
あのピラァ・オブ・バーンの破壊力、そして魔王軍の侵攻により住処や仕事を無くした者の多さにヒュンケルは驚いた。なまじ一時は魔王軍に身を置いたゆえに、それが残した傷跡の数々はヒュンケルにとって愕然とするものばかりだった。
バーンが勇者ダイにより倒されたことさえ知らない者が何人もいた。町には無気力に日々をすごす者たちが溢れている。希望も何も持っていないのである。
彼は思った。バーンを倒して勝利の美酒を飲んだのは、地上のほんのわずかな人々に過ぎないのではないだろうかと。
バーンの地上侵攻は終わっていない。バーンにより生きがい、仕事、友、恋人、家族を奪われたものにとっては終わっていない。ヒュンケルはそう思った。
加えて食糧のなさは深刻だった。腹を空かせると人間はロクなことを考えない。さほど整った旅装もしていないヒュンケルとラーハルトさえ、どれだけ人間の盗賊から襲われただろうか。
カール国王アバンやパプニカ女王レオナ、そしてロモス国王シナナも救済に動くが、腹を空かせた者たちに望まれるだけ食糧を与えれば国家は破綻する。またオーザムとリンガイアは復興中で自国のことで手一杯であり、ベンガーナはあまり救済活動に積極的な態度はとらなかった。
バーンの破壊による恐怖は無くなったが、バーンの幻影と戦う日々が始まったのだ。
その中で、ロモス国王シナナは苦しい財政にも関わらず自国に大学を作った。明日の人材を作るためと家臣たちの反対を押し切り建設したのである。それをヒュンケルはリンガイアで聞いた。ある酒場でのことだった。シナナの深慮も分からない酔客たちが
「まったくよ、のんびりした爺さんと思えばよ。そんな学校作ってどうなるってんだよ。かつて勇者様に『勇者ダイを名乗るがよい』と言った貫禄ある王様も今じゃ老害か?」
「そんな金あるんなら、俺たちに回せってんだよなぁ!」
ヒュンケルとラーハルトはその酔客たちの席近くで酒を飲んでいた。耳障りである。
「やかましい連中だ…。酒がまずくなる」
忌々しそうにラーハルトは酒をあおった。だがヒュンケルはその男たちの会話に興味を示しだした。
「どうした?」
「大学…」
「なに?」
「ロモス王国が大学を…」
「らしいな、だがまだ時期が早いと思う。お前も見ただろう。バーンの残した傷跡を。やつは死んだが、やつの攻撃により世界は半壊状態だ。人も町も国もな。そんな中、大学とやらで勉強して何になるんだ。ロモス王はその金で目の前の腹を空かせた国民にパンを与えてやるべきだったんじゃないか」
「いや…俺はそう思わん」
「何故だ?」
ヒュンケルの杯に酒を注ぎながらラーハルトは訊ねた。
「今こんなふうに世界が半壊状態だからこそ必要だと思うのだ。人々に足らないのは船頭だ。誰もが自分勝手にオールを漕いでいるから船は進まない。だが船頭、つまり現場指揮官がいれば農業や漁業と云う船は前進し、食糧不足も無くなる…。大学はその現場指揮官を育てる場所ではないかと思う」
「なるほど…」
「ラーハルト、俺はその大学に行ってみようと思うんだが」
「ダイ様の行方を捜すことはどうするんだ!」
憤然としてラーハルトは怒鳴った。酒場にざわめきが起こる。思わず短気で怒鳴ったことを恥じ、ラーハルトは小声で言った。
「ポップはまだダイ様を探す旅を続けているんだぞ。それを…!」
「…すまん、だがラーハルト、お前ももう気づいているだろう。俺がもう戦えない体だということを」
「……」
「何度か盗賊に襲われた時も、森の中で獣に襲われた時も、俺はお前に守られた。戦おうと思った。だがもう体がついていかんのだ」
「…バーンパレスの戦いからだろう。気づいていたさ」
「あのときに戦ったマキシマムというやつがな、人の体を見透かす技を出して言っていたんだ。俺の全身の骨には微細なヒビが入っているということをな」
「全身の骨にヒビ?ホイミで治らんのか?」
「やつは素手でオリハルコン戦士と戦ったからそうなったと言っていたが、それは違う。俺はバランの強烈な一撃も喰らったこともあるし、それ以前から骨は悲鳴を上げていただろう。あのオリハルコン戦士と戦ったのがとどめとなったようだ。現にあれ以降歩行さえ不自由になった。ブロキーナ老師にベホマをかけてもらったが回復したのは体力と疲れ、そして痛みの軽減だけだ。歩くのも辛かったのは変わらなかった…」
「今はどうなんだ?」
「日常生活には支障はないが、もう戦うことは無理だ」
「……」
「だからずっと考えていた。俺のこれからやるべきことはなんだろうと…」
「……」
「きっかけは取るに足らない酔客の会話だが、俺にとっては啓示となりえた」
ラーハルトはテーブルを叩いた。
「そんなことを聞いているのではない!ダイ様を捜すことはどうすると訊いているんだ!」
「俺の旅はここで終わりだ」
「貴様っ!」
ラーハルトはヒュンケルの胸倉を掴んだ。ヒュンケルは黙って掴ませている。やじ馬が好き勝手に言ってくる。
「なんだなんだ喧嘩か?」
「おい!喧嘩なら外でやれ!」
振り上げた拳をラーハルトは引っ込め、乱暴にヒュンケルを突き飛ばす。
「戦えない体が幸いしたな。武人として弱者に手は上げられん」
「ラーハルト…」
「さらばだ」
ラーハルトは酒場を去った。ヒュンケルはラーハルトの出ていった扉を見つめ、そして相棒が残していった酒を乱暴に飲み干した。
数日後、ロモス王国王都に到着したヒュンケル。かつてザムザの姦計により建造された闘技場、その跡地にシナナは大学を建てたのだ。
後年、これより数十年後にロモス大学は城のような建造物になるが、この当時は木造三階建ての質素なものだった。しかし校内から感じられる活気は建物の質素さなど感じさせないものである。正門の前に立ち、ヒュンケルは活気に湧く声を心地よく聞いていた。その時ヒュンケルに声をかけた人物がいた。
「ヒュンケル殿」
ロモスに知人はいないはずなのにと、彼は振り向いた。
「バダック殿」
「おお、久しぶりじゃな。どうじゃな?体の具合は」
「ええ、なんとか」
バーンとの大戦後、ヒュンケルはパプニカで養生をした。バダックは療養の退屈な時間を過ごしているヒュンケルの話し相手によくなっていた。彼がもう戦えない体と云うことはバダックも知っている。
「バダック殿はロモスに何を?」
「ん?儂は、この大学の講師じゃ」
「講師?」
「そうじゃ、こう見えても儂はパプニカ一の発明家だったからのう。パプニカ軍人退役後は、ここの工学講師となったのじゃ。ところでヒュンケル殿こそロモスに何を?」
「入学を希望しているのですが、方法が分からなかったのです」
バダックは自分の胸を拳で叩いた。
「なんじゃそんなことか。まかせんしゃい!」
バダックはヒュンケルの手を取り、大学校舎に入っていった。
「ところで、何を学びに来たのじゃな」
「農学を」
「ほう…」
「何か?」
「いや、正直意外なものに興味を示したと驚いたのじゃ。わかった、農学専科の入学を済ませよう。この大学は学びたい者、拒まずじゃ!」
「ありがとう、バダック殿、恩に着ます」
「なんのなんの、その代わり、明日から校内で儂と会ったら『先生』と呼ぶようにの!ハハハ!」
農学、ヒュンケルが選んだ学問はそれだった。あらゆる農法と開墾法などを会得して、それを貧しい人々に伝えよう、これがヒュンケルの出した『これからやるべきこと』である。
戦えない自分は剣を捨てるしかない。ならば剣を一本の鍬を持ち替えて人々の役に立とう。そう決めた。
かつて不死騎団を率いてパプニカを焦土とした自分。悔い改めたとはいえ、その罪の念は彼の心に根強く残る。だから人々に役立ちたかった。
ヒュンケルはパプニカで療養中、本を多く読んだ。その中にこんな本があった。
作中の主人公が人生とは何だと考える。そして最初にしたのが恋愛、ところがそれに満足できない。次に権力。悪魔と取引して政治権力を握る。しかし、これにも満足できない。最後は神から荒地を賜って社会のために働く。やっと彼は満足感を得られた。
つまり、人と社会のために奉仕するのが最高の生き方と書の作者は言っていたのである。
ヒュンケルはこの書に強い感銘を受けた。指針を見出した思いだった。だが手段が分からない。剣しか知らない自分に何ができる。戦えない戦士の自分が何を出来よう。そう考えが宙ぶらりんのままラーハルトと旅を続けた。
だが書に記されてあった『荒地を賜って社会のために働く』がキーワードとなった。つまり『開墾』ということである。このバーンの残した傷跡が残る今、荒地を食料実る田畑に変えられたらどんなに素晴らしいことだろうと彼は思った。指針を見つけたのである。『農学を習得し、世界の人々の食糧難を救おう』と云う目標を。
そして彼は勉強した。明けても暮れても農学一筋に打ち込んだ。優れた農学書があると聞けば、生活費を削ってまで購入して、その知識を得た。剣一筋に生きて二十に満たぬ歳で、あれほどの強さを体得した彼である。やがて農学においても頭角を現し、今ではロモス、リンガイア、ベンガーナの新田開発に対して指示書を出せるほどになった。
農務の責任者として各国、各自治領主に請われるほどにもなったヒュンケルだが、彼は大学にとどまった。助教授となったからである。自身も現場に出て農務の指揮を執り、かつ後輩の指導に当たった。
プロフェッサー・ヒュンケル
それが今の彼の通り名である。
また、この間、彼は結婚もした。妻は元パプニカ三賢者の一人、エイミである。
ヒュンケルは大学に学生として通っていたころはロモスの港で、もっぱら荷物運びをしながら学費を稼ぎ、そして生計も立てていた。いかに戦えない体といっても地力は常人を超えている彼にとっては無理なく、しかも適度な運動にもなり、また給金も良いので打ってつけの仕事だった。城下の安価な集合住宅に住み、勉強と仕事に精を出していた。
だがそんなある日、エイミが押しかけ女房でやってきたのである。
とことん色恋のことに鈍感であるヒュンケルは、とうにエイミはパプニカの名家の男にでも嫁に行っただろうと思っていたので驚いた。三賢者を辞めてきたと言われ、さすがのヒュンケルも帰れと言えず部屋に置いた。そして自然に結ばれたのである。二人だけの質素な結婚式をロモスの教会で挙げた。
エイミはロモス王国王都のレストランで給仕として働き、そしてヒュンケルも学生から助教授となった。そして二人でゴールドを貯め、つい半月前、二人の家を購入するに至った。まだ子供には恵まれないものの二人はロモス城下で仲むつまじく暮らしていた。
しかし、その幸せな日々は、ある日突然に音を立てて破壊されていくことになるのである。