お腹が減った時ほどこの世の残酷さを味わうことはない。
アウラは日雇いのバイトがないときは基本的に部屋でじっとしていた。住民からもらった古いジャージを着て、何をするでもなく部屋でぼぉっとしている。たまに過去の幻影が襲ってくる気がして涙を流しそうになるが、自分を苦しめているトラウマが何なのか記憶はよみがえっていない。
ジャージの胸元には「田中」と書かれている。もちろんアウラには関係ない。
普段はエネルギー節約をしている彼女だが、今日は用事があった。近くの公民館で子供たちの餅つき体験をするということで手伝いをすることになっている。『餅』というのがなんなのかわからないが、食料であることは間違いない。
そもそも餅つきとは具体的に何をするのかアウラは考えたがわからない。
☆
「ふぎぎぎ」
アウラはくそ重たい木製の臼を運ばされていた。
公民館の中庭にはブルーシートが敷かれていてそのうえで餅をつくという。そこまで持っていくことが彼女の仕事だった。めちゃくちゃ重たかった。
「あの手伝いましょうか?」
そう声をかけてくれたのは腕まくりした白いシャツに学生服のズボンをはいた少年だった。赤い髪を短く切った彼のことをアウラは知らない。ただ彼女のいた世界の住人にシュタルクという少年がいた。彼にそっくりだった。にっくきフリーレンの仲間なのだがアウラは面識がない。それがよかったのかもしれない。
「はあはあ。むしろ持っていってほしいじゃない」
「ええ!? 俺こんなの一人じゃ持てないよ!」
泣き言を言っているが押し付ける絶好の機会だった。アウラはシュタルクの前に臼を置いて逃げようとしたとき、リーニエが入ってきた。
リーニエは手に杵を持っていた。いつもの無表情でアウラを見ている。
「ひっ」
杵が何をするものなのかよく知らないアウラからすれば家賃の取り立てに武器を持ってきたようにすら見える。殺されるとすら思ったが、リーニエは首を傾げた。
「なんだよ」
「え、な、なんでもないわ」
今日のリーニエは女子高生の姿だった。シャツの上に赤いリボンとチェック柄のスカート。彼女は一人で泣きながら臼をもっていこうとしているシュタルクを見た。彼女はアウラに杵を持たせて手伝う。
「そっちもて」
「あ、ありがとー。俺一人でどうしようかと思ってたんだ」
リーニエとシュタルクはうんしょうんしょと臼を運んでいく。アウラは取り合えず杵で殴られなかったことに安堵した。そもそもそんなことがあるわけないのだが、杵と臼で何をするのかもよくわかっていない。ただとりあえず彼女も外に出ようと振り向いた。
「……むー」
そこには別の女の子がいた。紫の髪をした女子高生。整った顔立ちの彼女はなぜかほっぺたを膨らませている。アウラはいきなり怒っている子の少女の出現に驚いたが、それよりもお腹が減ったのでどうでもよかった。彼女もフリーレンの仲間のフェルンにそっくりだった。
通常魔族がこのような空腹を覚えることなどはないはずだ。しかしこの世界に来てから人間並みにおなかが減る。普段は日雇いの手渡し賃金を片手にコンビニやジャンクフードを食べることが多い。自炊をしないのかと言われるが家に調理器具がない。あるのは異常にスペックの低いPCだけだった。
☆
狂気としか言いようがない。
「よいしょ!」
シュタルクが杵をもって餅をついてる。どすんと振り下ろされたそれが杵の中の白いねばねばした何かを押しつぶしている。周りには見物の大人も子供も楽しそうにしている。
「……」
そして呼吸を合わせてリーニエが餅をこねる。腕まくりをした彼女は手を水に濡らして素早くこねた。シュタルクがつき、リーニエが付く、アウラは座っていた。
「手がつぶされちゃうじゃない……」
もちつきを見ながらアウラは思っていた。杵がドスンとなってリーニエが餅をこねる。一歩間違えれば大惨事だと存在して初めて見る餅つきを見て思った。もっとゆっくりやればいいのに「はい!」「はい!」みたいに素早く攻撃と防御……いや杵を振り下ろしてこねることを繰り返している。
周りの人間たちは息がぴったりとほめているが、さっきのアウラの見たほっぺたを膨らませた女子高生はじっとシュタルクを見ている。いつの間にかエプロンと三角頭巾をつけている。
しばらくしてシュタルクがいい汗をかいたとばかりに額をぬぐった。
ほかほかの出来上がった餅をリーニエが持ち上げて杵に叩きつける。彼女はずっと無表情である。その間にシュタルクのもとにフェルンが歩いて行った。
「何!? なんで怒っているの!? 怖いんだけど!??」
「怒ってなんかいません」
どういう関係かは分からないがシュタルクの背中をフェルンがぽかぽかしている。アウラはそれを見ながら何をやっているのかと思いつつ、ぐううとなったお腹をさすった。餅というものがどういうものかわからないが、おいしいおいしくない以前にカロリーが欲しかった。
☆
「おいしいじゃない」
きなこをたっぷりにかけたほかほかのお餅を食べるアウラ。小さな容器に小さなプラスチックフォークを使って食べる。きなこの甘さとつきたてのお餅が絡みあって涙が出てきた。アウラはあっという間にひとつ食べてしまう。いつの間にか笑顔になって唇を嘗めていることに気が付いていない。いや、自分を客観視すれば流石に情緒の起伏がない魔族としても情けなさを感じるだろう。
みればリーニエがお餅を配っている。パックに入れて子供たちの容器に分けている。アウラは頭の上にハートマークを浮かべる。もはや言葉すら頭に浮かばず食料に魅了されていた。彼女はリーニエに声をかけて餅を催促する。
リーニエは振り返り。じっとアウラを見てからプラスチックのパックをすぅと閉じる。
「なんでよ!?」
アウラは抗議した。少し涙がでる。
「お前。食べすぎだろー」
「一個しか食べてないわよ!」
「仕事さぼった」
「う」
ちっとアウラは舌打ちをした。確かにシュタルクに押し付けたが、しかし一応女性の容姿の自分に臼を運ばせているこの地域住民の頭がおかしい。
「とりあえずはたらけ。餅つきを手伝え」
「……わかった」
シュタルクの動きを見ていたがとりあえず杵を振り下ろせばいいのだろう。そう思っていた。
もちろんアウラはこねる方だった。
「なんで!?」
臼の前に座った瞬間にアウラは言った。手をあの振り下ろす杵の間に差し出すなどもはや魔術的儀式にも相当する。アウラが恐る恐る顔を上げる。
リーニエが無表情のまま杵を持っている。彼女は何も言っていないがアウラの目にはその背後に「ゴゴゴゴ」と謎の擬音が見えた。
妙な威圧感がこのリーニエのそっくりさんにはあった。そもそも本名をアウラは知らない。ずっとリーニエと心の中で言っているが、あくまで別人である。その別人は杵を振り上げた。上段に大きく振りかぶる。餅つきの構えというよりは剣道の上段のような構えだった。
杵の影がアウラにかかる。
(殺される)
アウラは身の危険を感じた。臼の中ではほかほかのもち米が湯気を立てている。
どすんとリーニエが餅をつく。アウラは水を張ったボウルに手を入れているままだ。ぺったんぺったんリーニエが餅をつきながら「はやく」と言われたので仕方なく餅をこねる。こね方はさっき見ていたのでわかる、高い魔族の知能をもってすれば見ればやり方は分かった。現代社会において身分証がない彼女の知能はこのくらいにしか役に立たない。
だんだんとぺったんがどすん!! に変わっていく。
「ひっ」
と小さな悲鳴を上げながらアウラは餅をこねる。リーニエは容赦をしていないようにしか見えない。少しの間そうやって命のやりとり(アウラだけ) を行ったことによりもち米はきれいなお餅になった。アウラは生き残った自分のきれいな手を見てすごいうれしかった。
出来上がったお餅はどこかに運ばれていく。お汁粉にするといわれていたがアウラは「お汁粉」が何なのかわからない。その間に臼の前から離れなかったのが彼女の不幸だった。
「先生もやってみたらどうですか?」
見物をしていたフェルンがそういっているのが聞こえた。
「いいの……? うん。やってみようかな」
アウラは地域住民の中から顔を出したその人物を見て目を見開いた。
少女と見間違うような白い肌の小柄な女性だった。ツインテールにした銀髪が艶やかな彼女が近づいてくる。
「ふ、フリーレン!?」
「……?」
その女性はアウラが会いたくない人物にそっくりだった。
「なんで名前を知っているの? えっとタナカさん?」
こちらの世界でも彼女はフリーレンというらしい。しかし別人だとアウラにはわかった。自分のことをジャージに書いている「田中」などと呼んでいるからだ。
――……ありえない……。この私が。
「ひい」
なんかフラッシュバックした。しかしその正体は分からない。フリーレンは全然意味が分からないので首をかしげている。しかし無表情にすら見えるその顔。忌々しいエルフそっくりだった。だが彼女の耳は少し長いがエルフほどではない。
彼女はスイスからやってきた外国人教員だった。フェルンが「先生」といったのはそういうことである。しかしアウラにとってはどうでもいい。
「……なんでもないわ」
さっさと終わらせてしまおう。アウラはそう思った。フリーレンそっくりの彼女ともこの餅つき以外にかかわるわけではない。フリーレンは杵を受け取る。それが杖を持っているように見えてアウラはゾルトラークを反射的に警戒したが、すぐに落ち着いた。そんなわけがないのである。
新しいもち米が臼にある。フリーレンは杵を持ち上げてよろける。そのまま振り下ろした時、アウラにあたりそうになった。魔族的反射神経でアウラはよけた。ずさーとブルーシートに転がるアウラ。
「ご、ごめん」
謝ってきたがフリーレンそっくりさんは自分を仕留めに来た。アウラはぽたぽたと汗を流した。餅つきの間に殺されるかもしれない。
☆
結論から言うとそういうことはなかった。
黒くて甘い汁に餅がはいった「お汁粉」をアウラは堪能していた。幸せそうに餅を食べている。隣ではリーニエも同じように食べているが目の中に星があるかのようにキラキラしている。おいしいのだろうかとアウラは思った。
タッパーに入れて持ち帰って良いとのことでアウラはさらに喜んだが、数日後餅の表面に現れたカビとの戦い方を彼女は知らない。
次回、第三話
アウラ、ママチャリに乗れ
歩くという移動手段にきつさを覚えていたアウラはリーニエがクロスバイクに乗っているのを見て自転車というものに興味を持つ。行きつけのリサイクルショップにやってきた彼女だったが微妙に高いので今までにないくらいに悩んでママチャリを購入する。
しかし、自転車になど乗ったことのないアウラは転げまくる。近くの公園で練習しているとリーニエから補助輪を勧められそうになるが、そこに現れたのは優し気な顔の少女……ソリテールのそっくりさんだった。
果たしてアウラは生き残れるのか