市民球場。
アウラの長い生の時間でも初めて訪れる場所であった。数時間数千円で借りることのできる公共の場所である。春夏などには高校の野球部などが利用するため、しっかりとした設備が整えられている。
「……」
白地に縦じまの野球のユニフォームに身を包んだアウラはだるそうな顔をしていた。なぜ自分はここにいるのだろうと思っている。
ことの発端は数日前に突然やってきたソリテールの誘いだった。貴重な休みの日に野球などというものに誘われたのだ。そもそも坂から自転車で突き落とされたことによってアウラはソリテールを心底警戒していた。だから家の中に入れず玄関口で対応したのだ。
「自転車に乗れるようになってよかった。とてもうれしい」
笑顔で話すソリテールを不気味に思うアウラ。簡単にお礼を言ってドアを閉めようとしたときに気が付いた。笑顔のままソリテールは片足を玄関に突っ込んで閉めれないようにしている。
「……そんなに警戒しなくていいわ。今日はいい話を持ってきたの。私は地域の草野球チームに協力しているのだけど……選手が足りなく出てほしいのよ」
「草……やきゅう? 何よそれ」
なんだそれはと思いながらそれとなくドアを閉めるためにソリテールの足をどけようとするが、一切動かない。
「ああ、野球をしたことがないの? 楽しいよ」
「い、いえ遠慮しておくわ」
休日は死んだように寝たい。アウラは必死に自分の安息の時間を守護している。ソリテールは微笑んだままいう。
「チームが勝ったら打ち上げで焼き肉に行くの。どう?」
「やきにく……?」
――気が付いたらアウラは草野球の球場にいた。
ここ数日の記憶が消し飛んでいた。コンビニの焼き肉弁当ではない焼き肉を食べたいと心から願ったらここにいた。
「それじゃあみんな集まって」
ソリテールはいつものワンピースと上着に頭に黒の野球キャップ。本人は参加しないようだった。代わりにリーニエやシュタルクが参加している。地域の高校生を参加させていることにソリテールの手腕が光る。ベンチには特に出場はしないが手伝ってくれるフェルンがいた。学校の制服と頭に野球帽をつけている。
ソリテールは微笑みながらオーダーを読み上げる。
「それじゃあ、アウラはライトね」
「右ね……」
ライトを右と表現するアウラ。彼女はここ数日何となく野球のルールを教えてもらった。木の棒でボールをひっぱたいて遠くに飛ばす間に走り回ってグラウンドを一周すれば点が取れるゲームだ。魔族である彼女にはなんでそんなことをするのか微塵も分からないが、唯一焼き肉の価値は分かった。
「よし」
リーニエもぱんとグローブを叩く。いつもゆったりした私服を着ているからか野球のユニフォームが体のラインに張り付いている。だから細く見えた。何となくリーニエを見ていたシュタルクはベンチから出てきたフェルンにぽかぽかと背中を叩かれている。
「何!? なんで!? ごめんなさい!」
泣きながら謝るシュタルクだが、彼は四番でショートである。このチームのかなめであった。
そうこうしているうちに敵のチームもやってきた。そしてその中心にいる人物を見てアウラは驚愕した。
長身で紫がかった美しい髪。白い肌をした美形の男性はアウラのよく知る人物でもある。七崩賢という魔族の中の幹部、そして魔王に次ぐ強力な存在である「黄金卿のマハト」であった。彼を見てアウラはごくりと息をのむ。最強の魔族がそこにいた。そしてポッカリスエットを飲んでいる。
野球のユニフォームを着たマハトはソリテールの傍にやってきた、その間にマハトのチームメイトたちもアウラたちとは反対のベンチに入っていく。
「こんにちは。今日はありがとうございます。どうぞお手柔らかに」
「こんにちは。いい試合にしましょう」
マハトとソリテールは笑顔で挨拶をする。
アウラはその光景が奇妙なうえ複雑な気持ちで見ていた。アウラの元居た世界のマハトは人間の国に取り入っているとは聞いていたが、冷酷さを感じさせないマハトの柔和な表情は不思議だった。「黄金卿」は全盛のアウラすらも殺しうる存在である。
「所詮は人間ね」
あくまでそっくりな人間ということに彼女は気が付いてふうと息を吐いた。魔族は仲間意識自体は希薄である。だから無用な感傷などはない。ただ冷たい合理性のみがあり、ただ飯をどうにかしてありつくことにだけ注力すればいい。
そこにソリテールがやってきた、口角を上げて彼女は言う。
「そうそう、今日負けたら打ち上げはりんごジュースだから」
「りんごジュース……?」
アウラの頭の中に天秤がイメージされた。一方に焼き肉、一方にリンゴジュース。かたーんと焼き肉側にイメージが傾く。
その様子をソリテールが観察している。彼女はポケットからメモ帳を取り出すと何かをかいている。アウラは何を書いているのかは怖いので聞かないことにした。この女に深入りしたらやばい気がした。
☆
試合は7回まで。相手のチームにも若い子はいた。
ピッチャーマウンドに上がったのはサイドテールの女の子だった。三白眼のグリーンの髪の彼女はアウラのいた世界にいるユーベルという少女にそっくりであった。
「……」
どことなく微笑んでいるような表情のユーベルは下手投げだった。アンダースローといえば格好はつくが、その球威は山なりのボールである。
「……」
受けるキャッチャーはメガネをかけた金髪の少年だった。彼もアウラの世界でそっくりな「ラント」という少年がいるが、そもそもユーベルにしろラントにしろアウラには面識がない。余談ではあるがピッチャーとキャッチャーの組み合わせをバッテリーといい夫婦とも表現される。
ユーベルはラントを見ながら少し微笑んでいるようにみえるが、それがうれしいのかもともとそんな表情なのかはわからない。
そんな形でアウラたちのチームの攻撃で試合は開始された。一番はリーニエである。
「よし」
リーニエは金属のバットをもってバッターボックスに入る。彼女も焼き肉を意識しているのか目の奥に闘志が宿しているが、表情自体はいつも通りだった。
「……いくよ、メガネ君」
キャッチャーの構えたところにユーベルは投げ込む。山なりではあるがきれいなラインをなぞるようにミットに収まった。
「ストらーいく!」
審判は髭で顔の半分が覆われた老人だった。デンケンという名前だがどういう字をかくのかはアウラにはわからない。ともかくワンストライクである。メガネ君といわれたラントがちらりとリーニエを見てミットを構えてサインを送る。
ユーベルが投げ、リーニエがバットを振る。芯で捉えたが音がしてアウラに向かってボールが飛んでいく。
「ひやあぁあ?」
アウラは回避した。ベンチでぼけーとしていた彼女をピンポイントで襲撃してきた。わざとじゃないだろうが、リーニエのことはよく見ておかないといつか始末されるとアウラは思った。打球はベンチの中に突っ込んで誰にも当たらなかったが、アウラの慌てふためきようをソリテールがにこにこ見ている。
「わるいわるい」
全然悪いと思ってなさそうにみえるリーニエ。だがこの後彼女は結局三振だった。ワンアウトである。
「くそー」
そういいながらベンチに戻ってくる。次のバッターはアウラである。彼女はヘルメットをかぶる。前の日にソリテールがトンカチで彼女の角部分が通るように壊したひび割れのある欠陥品である。しかし戦闘経験豊富なアウラからすれば女の子のユーベルが投げる山なりボールなど脅威には感じられない。
金属バットをもって彼女は打席に入った。
ラントが何らかのサインをだして、ユーベルがうなずく。彼女は腰を低くしてアンダースローで投球する。山なりのボールはアウラの胸元に向かって進んでくる。絶好球と感じてアウラはバットを振った。
初めての経験であった。
アウラのような魔族は野球素人である。しかもこの世界に来て彼女の体は弱くなっている。おそらく魔力が供給されないからだろうが、ともかく彼女はバットを振った遠心力に体が引っ張られた。
「わ」
「……あぶない」
アウラはその場で一回転する。足をもつれさせて倒れた。その彼女をかばうためにラントが彼女を抱きしめるようにかばう。彼の胸元にアウラは頭をのせている。そんな格好である。
(思ったよりも足に力が必要なようね)
冷静にアウラは分析する。魔族は感情が希薄である。男性に抱き着いてしまったことへの気恥ずかしさなどは特にない。だからラントに形式通りに「ありがとう」と礼を言ってもう一度バッターボックスに入る。
じー
っとユーベルはアウラを見ている。
「な、なに?」
笑顔を張り付けたままの顔でユーベルはアウラをじーーーっと見ていた。アウラは困惑したがなんで彼女がそんなにみてくるのかわからない。そもそもその表情は変わらないから感情も読めない。ふいと視線を外したユーベルはピッチャーマウンドの土をげしげしと足で蹴った。
それからもう一度アウラに向き直った。不敵に微笑み、舌で唇を嘗める。
次回。第五話
アウラ、野球をしろ 後編
なぜか相手チームのピッチャーに狙われることになったアウラだったが、試合は順調に進んでいった。勝てば焼き肉、負ければりんごジュースの死闘の最中にマハトがホームランを放つ……!
追い詰められた最終回にアウラは打席に立った。今彼女の運命を決する勝負が始まろうとしていた。
果たしてアウラは生き残ることができるのか。