「秀吉兄さん、修理終わったよ」
オレは工具箱を整理しながら、家主に声をかける。すると、隣の部屋から「ほんとー?」と少し気の抜けた返事が帰ってくると同時に扉が開いた。
「いやー、助かったよ鍵太郎くん!こんなに早く直してくれるなんて流石だね」
パーッと花を飛んだと錯覚するほど朗らかに笑う秀吉兄さん。昼間対局があったからか、無精ひげがないその顔はいつにも増して童顔に見える。
今日、オレは兄さんに頼まれてエアコンの修理をしに彼の部屋に訪れていた。
「エアコン弄るのに本当は必要な資格オレまだとってねーのあるから、いつか正規の業者に頼むなら前任については適当に誤魔化しといてよ」
空調関係に必要な資格って地味に多いんだよなあ。
そんなことを考えながら片付けをしているうちに、秀吉兄さんがテーブルの上にお菓子を用意してくれていた。菓子籠の中を覗くとそこには大量の黒糖が詰められていた。
「わあ、懐かしー!これ羽田のお屋敷にいつも置いてたやつじゃん!秀吉兄さん最近帰ったの?」
「うん、お義母さんがいっぱい持たせてくれてね。お義母さんもお義父さんも鍵太郎君に会いたがってたよ!君もたまには顔を見せに行ってあげてね」
「まあ、そのうち」
オレは曖昧な言葉を返す。いやあ、奥さんの方が良いんだが羽田のおじさん……祖母の兄にあたるあの人はオレの顔を見るたびに顔に皺を寄せ重苦しい雰囲気を醸し出すのだ。正直、秀吉兄さんのいないあの屋敷の空気は居心地が悪い。
不意に、「そういえば!」と秀吉兄さんはテーブルの端に積まれた紙束をあさりだした。
「鍵太郎君って船上パーティーに興味ない?」
「船上パーティー??」
「うん、鈴木財閥が60周年記念パーティーを開くみたい。羽田家にも招待状が来たんだけど、お義父さんはもう社交界に出る気はないと頑固で……。だけど僕もちょうどその日は仕事があってさあ……」
代わりにオレが行けってこと?
手渡された招待状を、オレは取り合えず読んでみた。
「日時は4月19日で場所は横浜港出発の
鈴木財閥といえばCMなどでもよく見かける超有名な大金持ちだ。エンタメ事業には特に力を入れているらしく、派手なイベントがあれば大体鈴木財閥が主催だというのが東都民の総意である。
そういえば……次の獲物は鈴木財閥の保有物じゃなかったか?
前に黒羽と寺井さんが話し合っていた気がする。だが、場所は普通の博物館だったような……。
「……まだその日空いてるか分からないけど、取り合えずその招待状貰っとくよ。行けそうだったらオレの方から羽田のおばさんに連絡しとく!」
———もしかしたら、次の獲物と関係があるものかもしれない
そんな思惑のもと、オレは招待状を懐にしまった。
学校の昼休み。
腫れぼったい目をこすりながらオレは黒羽に耳打ちをする。
「なあ、次のキッドの獲物ってどこの所有だ?」
「ん?漆黒の星のことか?米花博物館で展示される予定だが、出品しているのは鈴木財閥って大金持ちだったはずだぜ」
「……そうか、やっぱり鈴木財閥か」
オレの記憶は正しかったらしい。
黒羽は学ランのポケットからクシャクシャになったチラシを取り出し、机の上に広げた。
「今月末から行われる宝石展覧会の目玉が世界最大の黒真珠、
「わあ!それお父さんが昨日テレビ見ながら話してた展覧会だ!」
黒羽の言葉が、不意に少女の黄色い声にかき消される。
顔を上げると、黒羽の肩からひょっこりと中森さんが顔を覗かしていた。
「快斗と子庵くんも興味あるの?じゃあ皆で一緒に行こうよ!」
彼女の満面の笑みに黒羽の頬が赤く染まった。それを隠すように黒羽は中森さんから顔を背ける。
「ま、まあな。青子がどうしてもってんなら行ってやってもいいけどよ……」
「なによ!その偉そうな言い方!!」
どう見ても照れ隠しの黒羽の言葉を、中森さんは正面から受け取ったようでムッと口を歪ませた。
そこからはいつもの夫婦喧嘩の始まりだ。
すっかり口を挟むタイミングを失ったオレは用件は後ででいいか、と早々に彼らの口論を子守歌に昼寝を決め込むことにした。
日が暮れ始めた頃の放課後の教室。
オレが寝ている間にどうやらクラスメイトは帰ったようで、教室は静まり返っている。
あくびを嚙み殺しながら廊下に出ると、黒羽が壁にもたれながらこちらを窺っていた。
「やっと起きたかよ。昼間の展示会の件、来週の土曜日に行くことになったぜ」
「オレも行くの?」
「ああ、オメーには真珠の模造品を作って欲しくてな。その下見だと思ってくれ」
「あーね、了解!
あと、昼間言いそびれたことなんだけどさ……」
オレはこの前、秀吉兄さんさんから預かった船上パーティーの招待状を黒羽に見せた。
「真珠の保有者である鈴木財閥が来月の4月15日、このパーティーを催すらしいんだ」
「へえ、鈴木財閥がねえ……ってオメー、コレ鈴木財閥と事業関係を持っている会社や家の人間が集まるパーティーじゃねえか!!?”カラクリ屋”の方で仕事を受けたことがあんのか?」
「いや、”カラクリ屋”の方では鈴木家と関係は持ってない……あそこは維新後に新興した家柄だからな。オレ宛てというより親戚の羽田家に宛てられたもので、代役としてパーティーに行ってくれないかと頼まれてね」
一応その関係者であるオレが言うのも何だが、羽田家はマジの名門だ。働き手の若者が秀吉兄さんぐらいしかいないにも関わらず、その兄さんが収入不安定な棋士を目指し、その上で仕送りをしたり屋敷では使用人を複数人雇えるほどの財力を蓄えている。隣町同士に屋敷を構えているのだ。鈴木財閥と何らかの親交があってもまあ当然だろう。
「……何でオメーはその家柄で貧乏人やってんだ?借金なんていくらでも肩代わりしてくれそうだが……」
黒羽はオレのぶかぶかな学ランの裾をジト目で見てくる。
「もう十分生活の面倒は見て貰ってる。そうじゃなきゃ今頃オレは路上生活だよ……必要以上に迷惑はかけたくないんだ。向こうの家も色々大変みたいだし」
親戚っても、祖母の代の繋がりという直系でもない関係だ。それでここまで面倒を見てくれているのでありがたい。それに、
「個人的に金の繋がりは嫌なんだ。家族だからこそ、なおさら」
らしくもなく、オレの声は少し震えた。
幼い頃から見てきたのだ。金の切れ目が縁の切れ目、とジジイの門弟が生活苦しさに去っていく姿を。そして、父親とオレの関係は借金の取り立て通知を通してのみだった。
顔もよく知らない父親のことはもうどうでも良いが、秀吉兄さんとはそんな関係にはなりたくない。
オレが陰鬱とした思い出にふけているのを察してか、黒羽は「そうか」と一言で済まし深堀はしてこなかった。
「しかしこのパーティーが開かれる日時、ちょうど米花博物館での展示会が終わった後ってところが匂うな……。子庵、この招待一応受けておいてくれ」
「はいよ」
もうちょっとこのパーティーについて詳しく聞いておくか……、と考えつつオレは羽田のおばさんへのメールを打ち始めた。
約束の土曜日、オレたちは江古田駅に集合し電車で米花博物館がある米花町に向かった。天気はあいにくの雨で、電車内はジメジメしていて居心地が悪い。黒羽と中森さんが会話するのを横目に、オレは電車の外の街並みをぼんやりと眺める。
米花町は秀吉兄さんの住むマンションや阿笠博士の家があるため、しょっちゅう訪れている場所であるが公共施設が集まった米花駅前付近には来たことがなかった。
というか、用が無いならあまりこの町をうろつかないようにしている。米花町は区画整理された綺麗な町なのだが、どうも物騒なニュースが多いのだ。殺人、強盗、放火……住みやすそうな町なのにどうしてなのだろうか?
「それにしても、快斗と子庵くんっていつの間に仲良くなってたの?今まで2人が喋ってるところ見たことなかったから、青子ちょっとびっくりした!」
「あー…、コイツにバイト先を紹介してから色々話すようになってな」
2人の話題はいつの間にかオレと黒羽の関係についてになっていた。黒羽の答えもまあ、嘘ではない。
「そっか。快斗って休みの日色んな所にバイトしに行ってるみたいだし詳しそうだもんね!」
青子も一回短期バイトしてみようかなー、と中森さんは納得したように頷いた。
そう話しているうちに米花駅に着いた。駅内には宝石展覧会の広告があちらこちらにあり、今回の展覧会が相当力の入れられたものであることが窺える。
そして、博物館に着けばそこは結構な人で溢れかえっていた。
ただでさえ湿気で空気がこもっているのに……とオレは思わず顔を歪める。
黒羽の思いも同様だったようで、「お目当てのモノだけ拝見してとっとと帰ろうぜ」と中森さんを急かしていた。
そのお目当てのモノ、
人混みの中、隙間をくぐりぬけ何とかショーケースを見ることができた。広告のキャッチコピーに書かれていた「鈴木財閥の守り神」と称されるにふさわしく、その黒真珠は上品な輝きをしていた。
隣で顔を覗かしていた黒羽がボソッと言葉を漏らす。
「……あれはニセモノだな」
えっ、そうなの?
思わずもう一度真珠をよく見たが、オレの目ではニセモノである要素を見つけることができなかった。
「何でニセモノだって分かったんだ?オレには本物の真珠に見えたが……」
展示室を出て、中森さんがお手洗いに行っている間にオレは黒羽に尋ねる。
黒羽は「簡単なことさ」とニヤッと口角を上げる。
「確かにアレは本物の立派な真珠だが
あっ、とオレは去年質屋に出した祖母の真珠のネックレスを思い出した。
「漆黒の星は鈴木財閥現当主の祖父が60年前購入したものらしいが……それならばとっくに光沢は失われているはずだ」
確かにそうだ。祖母のネックレスの真珠もくすんだ光沢しかなく、質屋に安値をつけられてしまっていた。
「じゃあ、参ったな。博物館に忍び込んでも本物は盗めねえってわけか」
オレの言葉に黒羽は「そうなんだよなー!」と頭を掻いた。
しかし、ふとオレの顔を見て目を細めた。
「船上パーティー……。そうか、それなら完璧だ!」
と、急にメモ用紙に文字を書きなぐり始めた。そして筆を止め、そのメモ用紙をオレに突き付けてきた。
「次の予告状はそれで行くぜ!」
「おっ、おう」
その時ちょうど中森さんが帰ってきたため、オレは急いでメモ用紙をポケットに隠す。
予定より博物館を早く見回ってしまったため、中森さんの要望により2人は銀座のカフェに行くことにしたようだ。
「子庵くんもカフェに興味ある?」
そんな中森さんの誘いの言葉にオレは首を振る。
「いや、オレは人混みで疲れちゃったからもう家に帰るよ」
記憶が新しいうちに模造品作成に取り掛かりたい、というのが本音だ。それに……
「お二人のデートをこれ以上邪魔するのも悪いしね」
おい!っと黒羽の焦ったような声を無視して、オレは一人博物館を後にした。
帰りの電車。オレは端の席でこっそりメモ用紙を開ける。
『April fool
月が二人を分かつ時
漆黒の星の名の下に
波にいざなわれて
我は参上する』
「……”いざなわれて”って黒羽は難しい言葉を使うなあ」