黒に染めていた髪を脱色する。黒い墨のように落ちた染色液が流れ落ちる。流れ落ちた後に見えてくるのは総白髪の髪。普通であれば白から黒に染めるものだが、これはその逆再生のようだ。若々しさを感じさせるはっきりとした黒色から老婆を思わせるような白色へ。それでもぱっと見では若いと思われるのはハリのある肌に若さゆえの瑞々しさとでも言うべきもののためだろう。それでも五歳程度は上に見えることを考えると髪色というのは年齢を推測するのに思っているよりも重要な要素らしい。
色が全て落ち、真っ白になった後は櫛で肩の高さよりも低い長髪を梳く。ある程度まとまらないうちにはドライヤーをかけることもかなわない。ボサボサに絡まった髪を解いたらドライヤーをつけた。炎とは違う温かい風を浴び、濡れた髪はみるみる乾いていく。これだけ髪が長いと乾かすのも一苦労なのだが、どうにも切るつもりにはならないらしい。
どこかご機嫌な様子で髪を一房に束ね、ポニーテールと呼ばれる髪型にした。これだけ長いと当人にとっては結局この髪型が一番楽なようだ。よし、と満足げに呟いた後見えもしないのに鏡の前に立って自分の姿を確認した。もし目が見えていれば自分一人でやったというのに落とし残しのない綺麗な白髪が鏡の中に見えていただろう。
そんな意味のない動作に飽きたのか次に移る。白と黒を基調とした大人な雰囲気を感じさせる衣服から煤けたように地味な色合いの着物へと着替えた。貧相な印象を受ける色だがそつなく着こなし違和感は全くない。
そうして現れたのは変身の魔法が解ける前の白黒の大人な女性ではなく儚く消えてしまいそうなほどに色味の薄い子どもだった。もしこの過程を見ていないものが別人物として紹介されたとしても疑いを持たないほどに二つの姿は異なっていた。劇的ビフォーアフターとはまさにこのことだろう。
「これで完璧ですね。」
「ただいま戻りました。」
夜、日が沈み空が黒く染まったのちに絳禰は伏黒家についた。時刻は七時半ごろ。早い家であればすでに夕食は食べ終わっている時間帯だろう。だが甚爾の帰宅時間が遅く、子供たちは食事前に風呂に入ることにしているため夕食は比較的遅い時間だ。まあ甚爾が家にいる時は早くなるのだが。
まだ食事は始まっていなかったため絳禰は急ぐことなく荷物を下ろし台所へと手伝いに向かった。匂いから今日の料理は鯵の開きだとわかった。匂いが分かっても味はわからないのだからその能力は若干宝の持ち腐れとなっているが、匂いを楽しむことはできる。
絳禰が食事に喜びを感じるには匂いと食感しかない。どれだけ料理人が美しく盛り付けたとしてもそれを見れないのだから料理人から見ればとんだ客だろう。絳禰にはその努力を含めて楽しもうとする気持ちあるのだが、仕方のないことだろう。だから高級料亭などには行こうとしない。
だからこそこういった誰かと食べる家庭料理というのは絳禰にとっては楽しいものだ。残ったものを楽しみながら会話に興じるのだ。
今日の観光はこんなことがあったのだと話そうと考えながら食器を運ぶ。手伝いにきた津美紀と恵を自然に椅子に座らせて自分はテキパキと仕事をこなす。もうほとんど配膳し終わった後にやってきた己の師を蹴り飛ばして有無を言わさずお盆を持たせた。クイ、と後ろを指差してさっさと行けと指示をした。
仕方ねえなと台所に向かった甚爾がお礼を言われているのを聞いて満足げに頷いた。これでやることは終わったらしい。自分はいわゆるお誕生日席と呼ばれる場所に座って二人を待った。
少しして二人が残りの料理を持ってやってきた。
「あなたが手伝ってくれるなんて珍しいこともあったものね。」
「後は俺がやるから客は座ってろ、と言われましたね。」
「たまにはな。」
甚爾が絳禰に蹴りを入れられて不承不承といった様子で向かうのを見ていた子ども二人は白けた目で甚爾の方を見ていた。だが絳禰が気を回したのだからここは黙っていてやろうということで考えが一致したらしい。だがこれを機に毎日手伝うように脅しをかけるのもありかもしれないと考えた。
そんなこんなで夕食は始まった。自然と会話が始まり話題はまず子どもたち二人の学校での出来事になった。毎日似たような話はしているのだが、親からしてみれば子どもの様子を知れるのだから飽きるはずもなかった。今日のあの授業が難しかっただのクラスメイトの誰かが給食を残しただのといかにもなエピソードが続く。
と、二人の話が一段落したところで次の話題に移る。当然その矛先は客人である絳禰に向かう。子供たちから期待の視線を向けられていることをひしひしと感じ取った絳禰はまず語り出しを考えた。一番面白そうで興味を引くものは何だろうかと考えてお誂え向けの話が一つあった。
「では、私がナンパされたところから始めましょうか。」
とりあえず興味を引くことには成功したといえるだろう。その言葉を聞いた者の反応はそれぞれ別であったが。甚爾は嘘だろと信じられないものを見たような反応をし、瑠璃は大丈夫だったのかと心配をしている。恵は絳禰見た目からの納得をしながらナンパが何か分かっていない津美紀に何とかぼかして説明していた。なぜ弟の方が詳しいのかは触れない方がいいのだろう。
「そうして女子高生の一団にナンパされた私は彼女たちに連れられて東京観光を始めたのです。」
事実を歪曲していた。ナンパじみたことをしたのは一人だけだったというのに他の五人も同類にされてしまった。あまり強く反対していなかったのだからあながち間違いとも言えないのだろうが彼女たちが聞けば即座に抗議することだろう。
どこどこの神社に行っただとか、何をしただとかを楽しそうに話すものだから子どもたちは羨ましくなったらしい。自分たちが学校に行っている間に遊んでいることが許せなくもあったようだ。本来なら絳禰も中学校に通っているはずの年なのだからその気持ちは大きい。
「羨ましいならサボって遊びに行けばいいんですよ。怒られることは確実ですけどね。」
そんな悪い誘惑があったが、二人はそれを振り払った。もし振り払わなければ今この場で雷が落ちていただろう。とんだトラップを仕掛けてきたものだ。なにより本人にそのつもりがなかったのが一番タチが悪かった。
全て話し終わり、楽しい一日だったと締めくくった。そしてついでのように口から言葉を零した。
「明日でお別れですか。」
沈黙が場を包んだ。別れを実感して寂しさを感じているのだろう。食卓から一人減り少しだけテーブルが広くなって静かになるだけだがそれだけと言うことはできないような出来事だった。分かっていたとしても別れは辛いことだ。
「聞いてないんだけど。」
違ったらしい。
恵が絳禰に詰め寄った。明日に帰るという重要なことを告げなかった者に制裁を加えるつもりらしい。まだ一緒にいれるだろうと思っていたところにこの発言なのだから怒らないはずがない。それを知っていたならそれこそ今日は学校をサボっていただろう。
そんなことを知ったのならば悠長に食事などしていられない。二人は黙々と口に料理を運び始めた。早く食べきろうと見るに耐えない食べ方をしないのは教育の賜物だろう。
「今日は遅くまで付き合ってもらうよ!」
津美紀が食器を片付けごちそうさまを言った後、甚爾と瑠璃の二人と話していた絳禰の手を掴んだ。将棋でもチェスでも囲碁でも何でも付き合ってもらうつもりらしい。それを見た甚爾は手をぷらぷらと振りさっさと行けと指示した。多少先程の意趣返しの意があったが、明日が休日とはいえ日を跨ぐほどは起きないことは分かっていたために安心して送り出した。
「明日は朝から一日中遊ぶからね!」
二人は眠りにつく前にそう言った。