精神崩壊して廃人となった8番を修正してやるべく、風呂に入れてからカウンセリングをするという方針でアルファによって連れ出された後。
屋外に残る七陰のうち、最も鋭い感覚を有するデルタがそれに気付いた。
「なんか降ってくるのです! たぶん知ってる奴の匂い!」
デルタにつられて他の皆も空を見上げると、遠くに豆粒のような小さな何かが見えて、それがどんどん大きくなっている。
「あれは……ヒト!?」
遠目には人相こそ分からないが、おそらく小さな女の子。
このまま放っておけば潰れたトマトになってしまう。相手がディアボロス教団ならば放っておくが、一般人の子供がそうなるのを放っておくほど人の心を捨ててはいないので、動ける七陰は協力してスライムのクッションを作り上げ、それを持って落ちてくる女の子を追いかける。イータはまだ倒れているし、ガンマは途中で転んで離脱したので、ベータ、デルタ、イプシロン、ゼータで四方を囲んでいる。
「ここよ! ここで止まって! せーの!」
緻密な調節となれば右に出る者のいないイプシロンの指揮により、寸分の狂いもなく女の子の着弾地点に構え、魔力を流してスライムを一気に膨らませることで落下の衝撃を完全に包んで殺し、ゴム球のようにポンと女の子が跳ね返った。一瞬だけ自分の偽乳に似てると思ってしまったイプシロンのせいでスライムに与えた弾力が強くなり過ぎたのだ。
「しまった!」
「デルタ救助!」
「任せるのです!」
デルタが地を蹴って女の子に飛びつき、抱き止めてから無事に着地した。
七陰の皆はほっとして息を吐いた。
「まったく……次から次に。今度はなんなんだろうね?」
異常事態の連続にうんざりしてきたゼータが、眠り姫の顔を拝んでやろうと覗き込み、絶句した。
「メス猫? どうしたのです?」
「まだ気付けないのかい? ワンちゃんの鼻も鈍ったね」
「なんだとメス猫!」
「その子の顔をよく見てみなよ。みんなも」
残る七陰もデルタの周りに集まって、謎の女の子の顔を確認した。
「この顔は!?」
「いやでも、さっきアルファ様が連れてったはずじゃ……」
「くんくん……んん? 匂い違う? 臭くないのです」
「ワンちゃん……かわいそうだからもう触れないであげなよ」
「このマフラー……見覚えがあるわ。じゃあ、この子はまさか!?」
栄養失調のため13歳にしては小さな体躯。ガンマのやらかしで生え際から切り落とされて以来、目が隠れるくらいの長さを保つようになった前髪。アルファから貰って毎日身に着けていたマフラー。
「8番!?」
七陰たちの驚きの声が重なって響いた。
目についたありとあらゆる特徴が、落ちてきた女の子が2年前の8番であることを示していた。
「8番……って言った……?」
そして目覚めた悪魔が、シャドウに次いで世界で二番目に興味深い研究材料が新たに降ってきたことに反応した。
◯
いきなり床が抜けたかと思えば、雲より高い場所にいた8番(昔)。
自由落下の最中に気を失って、次に目が覚めると知ってるようで知らない人たちが周りを囲っている。
「えっ……七陰の皆様……ですか? いつお帰りに……なんか大きくなってませんか? シャドウ様のお祝いで何かありましたか?」
灰になったはずのマフラーをしていることから予想はついていたが、七陰はやはり昔の8番だと確信した。
「えっと……8番、でいいのよね?」
「はい? 私は8番ですけど……ベータ様ですよね?」
「私は誰か分かるかしら?」
「ガンマ様……でしょうか」
「デルタはデルタなのです」
「もちろん私のことは分かるわよね?」
8番(昔)はイプシロンの胸を凝視して首を傾げながら、「イプ……いや……でも、うーん……根拠もなにもないけど、でも、きっと、たぶん、おそらく、イプシロン様?」と自信なさげに小声で言った。
「ちょっと!? ベータやガンマのときはそんなに悩んでなかったでしょ!?」
「ひっ!? ごめんなさい!」
8番(昔)が布団を被って隠れる。ここは医務室、起きるまでベッドに寝かせていたのだ。
「怖がらせちゃ駄目だよイプシロン。ああ、分かってると思うけど私はゼータ、こっちがイータ。イータには近づいちゃ駄目だよ」
「何もしないのに……ちょっと髪の毛……くれさえすれば」
布団を僅かに持ち上げて、カタツムリみたいに顔を出した8番(昔)が不思議そうに言う。
「髪の毛くらいなら差し上げますけど」
「ありがとう早くしてバリカンいる?」
「自分で抜くのでいりません」
肩を掴むベータとイプシロンを引きずって8番(昔)に迫り、抜きたてほやほやの髪の毛を受け取ったイータは無言で研究室へと駆け出した。口に出ないだけで心の中では「ウッヒョー! 興味深い!」とか叫んでるに違いない。
同僚を供物にする奴と同僚を実験台にする奴、そこに口調以外の違いはありゃしねぇだろうが!
違うのだ! 供物はきっと未遂だけど、実験台は既遂なのだ! へけっ!
イータを遺棄罪と死体損壊罪で訴えます!
理由はもちろんお分かりですね!?
イータが8番をあんな裏技でバラし、人間性を破壊したからです!
さて、危険物は遠ざけるに越したことはないのでイータは放っておくとして、困ったのはこれから近いうちに8番(昔)に危機が迫ることがほぼ確定していることだ。
二年前にマフラーを巻くようになって以降で、8番の近くに七陰が誰もいなかったのは、七陰総出でシャドウにプレゼントを届けに行った時だけだった。
つまり8番(昔)は焼死体(死んでない)になる直前の時間軸から来たと思われる。そして、きっとこれから何か事件に巻き込まれて、あの凄惨な姿になってしまったのだ。
七陰は身を屈めてひそひそ話をした。
「過去に戻って未来を変える作品を書いたことあるけど、私たちがこれから何か起きるまで付きっ切りで守ってあげれば過去の8番は無事だったことになると思う?」
「無理だと思うわ。学術都市の論文で読んだことがあるの。要約すると運命は時間を超えた存在が改変することも前提に含めて作られて、最初から改変が起きた結果だけが唯一の正史として存在するという話よ」
「んん? ガンマ何言ってるです?」
「そうだとしても、8番が殺されそうになるのを何もしないで眺めてなんていられないわ」
「イプシロンの言う通りだ。せめて犯人を見つけて仕留めるくらいはしないと、私たちの気が済まない」
七陰の方針は決まった。8番(昔)が焼かれるのはなるべく防ぐ。それが無理でも最低限下手人を殺す。
拳を合わせて団結する七陰を見つめながら、8番(昔)は「七陰の皆様はやっぱりすごいなー。シャドウ様に会っただけで大きくなっちゃうんだもん。私も早く大きくなってアルファ様のお役に立てるようになりたいなー」と考えていた。
そんな急に体格が変わる奴、未来のお前だけだぞ。
◯
七陰は8番(昔)に迫る脅威に目を光らせていたが、子供は目を離すとすぐどこかに行ってしまうものだ。
「あれ!? 昔の8番がいない!?」
「あそこにマフラーだけ落ちてるのです」
「まさか気付けないうちに過去に戻ったとか?」
自分たちの気配および魔力探知能力を8番(昔)が掻い潜れると微塵も思っていない七陰は、かなり本気でマフラーだけ残して過去に戻ったものと思い込んだ。
マフラーが灰になったという話は当時の8番が言っただけで、状況的にそうなったことに疑問を持たなかったが、こうして未来に落としていたとしても話に筋は通るのだ。
一方、まだ立ち絵すらないモブだった8番(昔)は、その存在感のなさで七陰を振り切って迷子になった。
現在8番(昔)はマフラーをなくしたことに気付いて、半泣きになってアルファを探している。
「ぐすっ……アルファ様ぁ……どこぉ……」
拠点内ではときに他の一般構成員とすれ違うが、モブの存在感のなさで気に留められないし、たまに見つかってもスライムスーツ姿なので知らない同僚と思われるため呼び止める者はいなかった。600人以上もいると同僚全ての顔を把握する者はひと握りなのだ。
迷子の8番(昔)はやがてそこがアルファニウム探知範囲内に入ったことでアルファの私室を見つけると、全力疾走して扉の前に向かい、息を整えてから笑顔になってそっと扉を開けた。扉を音を立てて勢いよく開けたり蹴破ったりしなかったのは、よくできました。ただし廊下を走ったので減点だ。
そして、そこで8番(昔)は見てしまった。
こちらに背を向けるその存在は、アルファと向かい合って何かを話している。
そのアルファから見えない背中は沸騰した湯のようにぼこぼこと膨れたり萎んだりしていて、今にも何か汚れた化け物が生えてきそうだ。アルファの顔を見て話す興奮で爆発しないように背中から排熱してるだけなんだけどな。
「どうかまた、私にアルファ様が作ったマフラーを巻いてください」
「そんなことでいいの? 今なら昔と違って資金に余裕があるから、もっといいものを買えるわよ?」
「宝物だったんです。片時も忘れたことがありません。もう一度、取り戻したいんです」
「そう。わかったわ。すぐ作るから待っててね」
アルファ様のマフラーを……私だけの宝物を……あんな化け物が巻いてもらう?
私は失くしたのに、あの化け物だけが手に入れる?
……やだ。
……そんなの絶対やだ。
……許せない。許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない。
8番(昔)はそれが未来の自分自身であると知らずに嫉妬に狂った。
嫉妬は8番(昔)に邪な思考を植え付けた。
贈り物だろ、おくれよ。
アルファ様からの贈り物だろ、私におくれよ。
どうした? 奪ってやれよ。
それが欲しいんだろう。
アルファ様の“マフラー”だろう?
8番(昔)はこれからこの世に生まれてくるマフラーの声を聞いた。
化け物から救ってくれて……ありがとう。
確かにマフラーは微笑んでそう言った。
マフラー……マフラァァァァァァァァ!