アルファは気を失ったシータを医務室に運んだ。
移動中にシータと同じ任務に参加した構成員に遭遇し、心配して着いてきた少女たちから話を聞いた。どうやらシータは8番として戦っていた時に敵から強烈な攻撃を受けたらしい。ときに頭の外傷は受傷直後は何ともないのに時間が経ってから命を脅かすという。原因を究明する猶予はないと判断して、アルファがシャドウを目指して練習している魔力による治療を施した。
穏やかな表情になったシータを医療担当者に託して執務室に戻ったアルファは、椅子に座るなり天を仰いでシータの不遇な現状を嘆く。
シータの戦闘力は七陰に匹敵する。それは最古参ゆえに誰よりも長く七陰の指導を受けたから、ではない。むしろ他者に戦い方を教える術を知らなかった七陰はシータを振り回すばかりで、シータで学んだ失敗を糧に現在の指導体制を完成させた。だからシータの強さは本人の努力によるものであり、しかしアルファはその努力に報いることができていない。
そこに新たな来訪者が現れる。
「アルファ様、ベータです」
「入って」
扉を開けて姿を見せたのは銀髪のエルフ少女。七陰の第二席であるベータだ。
「どうしたの?」
アルファには今この時にベータが訪ねてくる理由の心当たりが無い。七陰の7人は家族同然だ。用がなければ会わないというほど冷めた関係ではない。しかし生真面目なベータが業務時間中に用もなく訪ねてくることもありえない。
「シータが負傷したと聞きました」
「耳が早いわね。それで?」
「どうしてもシータの正体を周知することはできませんか?」
「その話は何度もしたはずよ」
ベータの言いたいことはアルファだって理解している。
最強のナンバーズであるシータに与えられる任務は過酷なものばかりだ。他のナンバーズでも危ういほどの危険性が予想されるが、裏取りが不十分であるため常に忙しい七陰を動員しづらい状況において、アルファはシータを死地へと送り出してきた。
シータであれば、どんな危険な状況であっても乗り越えられる。無敵の外殻に身を隠して凶悪な凶器を撒き散らすシータは七陰第四席『暴君』のデルタに匹敵する暴力装置だ。
しかし8番は違う。彼女ははっきり言って魔剣士としての才能が不足している。剣で戦う8番は強めの一兵卒でしかない。
8番を単独で送り出せば済む話だが、ナンバーズではない一般構成員は生存性を高めるために3人で行動することがシャドウガーデンの原則だ。皮肉にもそれが裏目となり、シータは窮地に陥っても同行者を逃がしてからでなければ本気を出せず、その隙を突かれていつも負傷している。
「8番がシータであると明かせば今のように傷付くことは無くなるでしょうね。でもそれはシャドウガーデンに分裂をもたらす。ベータ、あなたなら分かるでしょう?」
「ガーデンをディアボロス教団にするわけにはいかない。そういうことですね」
ディアボロス教団はナイツ・オブ・ラウンズと呼ばれる12人の強力な魔剣士が支配している。このラウンズの地位が不変のものではなく、能力や功績によって下剋上が可能であるせいで、ディアボロス教団内では派閥争いによる足の引っ張り合いが起きている。
対するシャドウガーデンではナンバーズの地位までなら実力で得られるが七陰以上は固定だ。それはシャドウや七陰が自らの権勢を保つためという俗な理由ではない。年功序列で個人の努力を蔑ろにはしたくないが、権力を奪い合って組織を荒らしたくもないという考えに由来するものだ。
ナンバーズ以下でこの制度に異を唱える者はいない。シャドウと七陰が地位に見合った能力を証明し続けているからだ。だから異を唱える者は七陰、その中でも密かに行われた模擬戦でシータに一度は敗北した、アルファとデルタを除く5人だけだ。
「七陰と、それ以下。この境界線は不変のものでなければならない。そのことを明確に示すためにも、シータには一兵士として埋没していてもらわなければならない」
「分かっています。シータに七陰の地位を与えたいわけではありません。8番がシータであることを公開するだけでいいんです」
七陰は既にシータをナンバーズとして扱っている。シータと8番を等号で繋げたところでシャドウガーデンの組織形態に影響はないはずなのだ。唯一の変化は、8番が最初からシータとして行動できるようになること。それがベータにとって何より求めるものだ。
ベータの涙ながらの訴えにアルファは目を伏せる。
「それを許すには、シータは強くなり過ぎた」
シータへの仕打ちが冷酷であるとアルファは自覚している。それでもアルファはベータの陳情を切り捨てなければならない。
「私たち七陰の次にシャドウガーデンの一員となったシータが、七陰と同等かそれ以上の実力を一度でも明らかにすれば、今の境界線に納得できる者は少ないでしょう。これは予想じゃない。確信よ」
「……わかりました。これ以上は言いません」
ベータは『堅実』にして賢明な少女だ。アルファの意思を変える説得材料を用意できないと判断すれば食い下がらなかった。
「でも、せめてシータが目覚めたら、アルファ様がたくさん褒めてあげてくださいね。あの子はアルファ様のことを一番慕っていますから」
かつてアルファ、ベータ、ゼータの3人は、とある盗賊に滅ぼされた村でシータを見つけた。その時に悪魔憑きだったシータを治療したのがアルファだった。シータにとってのアルファが七陰にとってのシャドウだとすれば、七陰がシャドウに短い一言で褒められただけでも幸福を感じるように、シータは少しでも報われるかもしれない。
「それが……いつも褒めようとはしているの。でも、いつもちょうどその瞬間に倒れてしまって、機会を伺っている間にシータは次の任務に出てしまうから」
アルファの悩みを聞いたベータは顎に手を当てて悩む素振りを見せる。やがてベータは表の顔である作家らしい解決法を思い付いた。
「手紙を書くのはどうでしょう?」
◯
懐かしい夢を見た。私の女神様に巡り合って、生まれ変わった日の夢だ。
アルファ様に悪魔憑きを解呪してもらった時のように、温かな羊水に包まれる自分の姿を錯覚しながら、私は目を覚ました。
目を覚ますと同時に、私は心の中で発狂する。
うきゃあああまたやっちゃったああぁあああ!
私はアルファ様に任務の報告に行くと毎回、なぜか次の瞬間には医務室で寝ているのだ。いつもアルファ様の部屋に入った後の記憶がないので実際のところは分からないが、おそらく私はまともに報告すらできない無能だとアルファ様に思われている。
後から報告を求められないのは、私のせいでアルファ様に他の同行者から話を聴取するという余計な仕事を増やしてしまったか、あるいは呆れて私が担当した任務の経過などどうでもいいと見限ったのか、どちらにせよアルファ様にしばらく合わせる顔がない。
名誉を返上し汚名を挽回、違う逆だ。汚名を挽回し名誉を挽回? あれ? とにかく失態の埋め合わせをしつつほとぼり冷ましの意味も兼ねて、私は目覚めてすぐに次の任務をアルファ様以外の七陰から貰いに向かうのだ。
しかし今回は部屋を飛び出す直前に気になることがあって足を止めた。鼻を突く薬品の臭いが満ちた医務室に麻薬のように私を心地良くする香りが混じっている。鼻をひくつかせて匂いを辿ると机の上に置かれた手紙を見つけた。
この芳醇で幸せになれる匂いは……まさか、アルファ様直々の指令書!?
シャドウガーデンの任務は口頭伝達が多い。文書を使う場合は暗号で書く規則だから解読間違えが怖い。紙とインクだって有料なのに機密を含むものは読んですぐ焼却するため勿体ない。忙しい七陰が任務のたびに指令書を書くのは時間の無駄だ。そういった理由から部下を呼び出して伝えるのが最も効率的で無駄が無い方法なのだ。
だが何事も例外はあるものだ。アルファ様が他の七陰の方々にも共有したくない超秘密の任務、すなわち秘密のシークレット任務(意味の重複は分かってる。それほどまでに秘密なのだ。私と、アルファ様だけの秘密! 2人だけの! 秘密ぅ! ふぉおおおおお!)をシータとしての私に与える場合、アルファ様の立場で一般構成員に過ぎない8番を単独で呼び出すのは注目を浴びかねないため、こうして指令書をくださるのだ。
アルファ様の筆跡は美しく、いい匂いもする。宝物として保管したい欲望を振り切って燃やす時には身を裂かれる思いをするが、煙を吸えばアルファ様が生み出した文字と1つになれてトべるから、天国と地獄を同時に味わえる。
さあて、アルファ様のでキメるぞー、と私はうきうきわくわくムラムラしながら手紙を開封した。
そこで私の意識は再び暗転した。
◯
シャドウガーデンで起きた毒殺未遂事件がアルファの耳に入ったのは、アルファがシータへの気持ちを綴った手紙を医務室に届けてから日が変わらない内のことだった。
被害者はシータ。発見時、彼女は全身の穴という穴から体液を溢れさせ、白目を剥いて舌を力なく垂らした無惨な表情で痙攣していた。
調査を担当したシャドウガーデンの研究開発担当、七陰の第七席イータによるとシータの身辺から毒物は検出されなかったという。直前にシータが参加した任務の際に遅効性の毒薬をディアボロス教団から気付かない内に受けていたのではないか、あるいは毒ではなく病原体の可能性も否定できないとされ、同様の任務に就いた者たちも緊急検査する事態となって大騒ぎだった。
騒ぎを鎮静化するためにアルファはイータにシータの生存を絶対条件とした解剖を泣く泣く許可した。
シータの状態は神経の暴走に由来するもので、アルファですら治療し切れないほどの損傷を覚醒者の攻撃で受けていたのだとイータが結論を出したのが先程のこと。シータはちょっと中身を見られたがどうにか生還した。
人払いした執務室でアルファは人知れず泣いた。アルファの判断でシータに茨の道を歩かせているのに、傷付いたらその治療すらまともにしてやれない。そんな有様で手紙なんかで報いることができると一時でも思っていた自分が恥ずかしくて仕方がなかったのだ。
そして数日後、目覚めたシータも泣き喚いた。指令書ではないから残しても問題なかったアルファの手紙が体液でぐちゃぐちゃになったために処分され、しかも内容が衝撃的過ぎて記憶から完全に吹き飛んでいたのだ。
シータは再びアルファからの手紙を貰える日を夢見てそれからも頑張ったが、アルファがシータに手紙を送ることは未来永劫なかった。