ミドガル学園男子寮にて、シド・カゲノーはミツゴシの新商品だという『トレーディングカードゲーム』を持ち込んだシータと遊んでいる。
「僕のターン、ドロー! 手札から笑えよベジ太を発動! 舞台のベジ太を岩盤に叩きつけて究極完全体ゼルマックスを呼び出す! グォシンカァ!」
「なんの! バリバリ!」
「な……概念系天使の実だと!? じゃあこのたらこ唇は使えない!」
「そしてこの烏龍豪茶で私のコンボは完成する!」
「しまったアヌビスコンボか!」
もはや……数点のライフ……助からぬ!
「仕方ない! ここでボロ雑巾を発動だー!」
「そんな! 2枚も!? ヤ無茶しやがって!」
「バトル!」
「アイルトンシーンボリー!」
衝突し、ダメージをライフで受けて屈み込んだのはシータであった。
「くっ……55対45で私の負けです」
「フッ……血の贄無しの進化なら僕がやばかった」
ゲームに敗北したシータは賭けルールにより罰ゲームを受けることになった。
季節は夏真っ只中であり、特待生寮と違って設備が整っていない男子寮はかなり暑い。
魔力防御で我慢できる程度でも、涼みたいという思いはシドの頭の片隅に存在した。
雰囲気を出すためにシドはシャドウの姿になった。
「陰のゲームの敗者には……罰ゲームを受けてもらう!」
シャドウの姿を仕事モードと認識しているため、罰ゲームの体で任務を与えるつもりなのだと考えたシータは跪いた。
「はっ、なんなりと!」
「我に雫を捧げよ」
次回の陰の実力者ごっこには水芸要素を加えてね。たったそれだけのことをシドは無駄に意味深な言い回しでシータに伝えた。
「雫を!?」
この時シータの頭に思い浮かんだ雫とはリンドブルムの任務で詳細な情報を手に入れた『ディアボロスの雫』である。
ディアボロスの雫は1滴につき1年間、飲んだ者の時を止める不老の秘薬だ。ディアボロス教団の愚か者たちが悪魔憑きを集める理由も雫の生産に必要であるためと推測されている。つまりは雫こそがこの世界を歪めて悪魔憑きが迫害を受けるようにした元凶なのだ。
そのようなものをシャドウ様が求める理由は何かとシータは困惑したが、すぐにその真意を見抜いた。
シャドウ様は、アルファ様と永遠に添い遂げる道を選んでくださったのだ!
以前、シータはアルファがシドに「300年生きられない? エルフの寿命には足りないの」と不安を吐露している現場に遭遇した。
寿命300年のエルフに対して人間は100年しか生きられない。
このままではアルファがシドと結婚しても、今のまま変わらないアルファが段々と老いぼれて衰えていくシドを看取って曇る。
しかし使わなければ1年で効果を止められるディアボロスの雫で適切に老化を調節すれば、シドはアルファと同じ時間を歩めるのだ。
「シャドウ様はアルファ様のために雫を手に入れることにしたのですね」
シータは嬉し泣きをしながら言った。
いきなり泣き出したシータを見てシドは困惑したが、アルファも暑さに参ってるのかなと解釈して「あっ、うん」と軽く流した。
シドはシータがアルファ関連で唐突な奇行に走る姿を見慣れているため、シータからアルファの名前が出た時は深く考えずに流した方が良いと学習済みだ。
「必ずやシャドウ様に雫を捧げます。そのためにもシャドウガーデン全体で方針を共有したいと思うのですが、よろしいでしょうか?」
「ならん」
「なっ!? なぜですか!?」
「ひとりで十分だ」
シャドウガーデンの人員はシドの知らないところで大幅に増加していた。今では100人を超えていたはずだ。それだけの人員総出で水芸なんてされたら陰の実力者ごっこがプールや水族館のイベントになりかねない。
シドは陰の実力者ごっこをしたいのであって水遊びの実力者になりたいわけではないのだ。
「なんと……分かりました。シャドウ様の誠実な御心に感謝と敬意を持って、私は口を噤むことにいたします」
エルフだけでなく獣人も人間よりずっと長く生きる。シャドウの老化を止めることは七陰全員の悲願だ。だからアルファのためというきっかけを伏せてシャドウが雫を求めている事実だけを伝えれば全員で一致団結して雫の確保に動けたはずだ。
にも関わらず、ひとり……すなわちアルファだけに想いを共有するようにと言ったのだ。
七陰全員から恋愛感情を向けられていることに気付かないシャドウではない。
つまりシャドウの指示は男の夢と言われているハーレムを一考もせずに生涯アルファというひとりの女性だけを愛する意思表明に他ならない。
「アルファ様には雫を手に入れてからお伝えすることにしましょう。今はディアボロス教団を滅ぼす道半ば、いつ雫が手に入るか分からない状況でやきもきさせるわけにはいきませんから」
「何を言っている? 今が最高の時期だ。急げ」
言ってから、シドは自分の無茶ぶりを反省した。
いくらこれから数日の間が今年最も暑い期間と予想されていても、新しい芸を身につけるのに一朝一夕とはいかないだろう。
「なんと……さすがはシャドウ様。アルファ様の言った通り、シャドウ様に見通せないものは存在しないのですね」
ガーデンには全く情報がなかったが、全知全能のシャドウが言うからにはラウンズ連中が雫を摂取する時期は近日中で、奪うなら今ということなのだろう。
「ではこのシータ、これより最も近くに潜伏しているフェンリルを襲撃いたします」
シドは話の繋がりが理解できなかった。
なぜ水芸の話から急に北欧神話?
しかもフェンリルは水と無関係なんだけど……北欧神話で水に関連する登場人物って誰だっけ?
「待て、フェンリルではない」
シータはシャドウの真意を推察した。
ミドガル王国に根を張るディアボロス教団フェンリル派、その元締めであるラウンズのフェンリル。
これまでシャドウガーデンはミドガル王国における活動を主体とし、ディアボロス教団の中でもフェンリルの手勢を最も多く狩っている。
丁寧にフェンリル派を弱体化させたことには何か意味があったということなのだろうか?
……駄目だ、分からない。
七陰ですら推し量れない陰の盟主の意図を読もうだなんて無謀にも程がある。
シャドウ様の考えは分からないけど、分からないなりにちゃんと指示を貰ってその通りに動こう。
「では、誰を狙いましょうか?」
「ロキ……は違う。ヨルムンガンド……ヘル……いや、そうじゃない」
シャドウの口から出たのはどれも現在判明しているラウンズの名だ。
「そうだ! エーギル! エーギルで間違いない!」
エーギルとは北欧神話において海の神として登場した存在である。
「おお……シャドウ様は、私たちの知らないラウンズまで把握しておられるのですね」
シャドウガーデンではエーギルという名のラウンズが存在するという情報は掴めていない。
しかしシャドウがガーデンの知らないことを知っているのはよくあることなので、シャドウが言うからにはラウンズのエーギルは実在するのだろう。
「ラウンズ?」
北欧神話の次はコード◯アスか?
ベータはあれもパクってたのか……知ってるやつ片っ端から話したせいで何を話して何を話さなかったか覚えてないんだよなぁ。
それにしても世界を支配するディアボロス教団にシャドウガーデンが反逆する設定ってあの作品と似てるよね。
だからといって僕がシャドウガーデンから追放される展開は勘弁な!
「ふっ、知っているとも。我はかの魔王のように奇跡を起こしこそすれどもペテン師にあらず。そのことを他の者にもしかと言い聞かせてくれ」
「ふふっ、御冗談は苦手なのですね。シャドウ様をペテン師などと考える愚か者は存在しませんよ」
シータはシャドウガーデンの仲間と何度も唱和した格言を思い返した。
「世界中の罪を引き受けよう。だが何も変わらぬさ。それでも我らは我らの為すべきことを為す……シャドウ様はこれほどまでに崇高な信念を持つ御方なのですから」
「ほわぁ!?」
シャドウは素っ頓狂な声を出した。
確かに言ったし陰の実力者らしい完璧な決め台詞だと思ってたけど、これ絶対レクイエムルート入ってるよね!?
僕は他人のために死ぬつもりなんて毛頭ない!
仮に転生先があの世界だったら全力で不老不死の魔人を目指してたはずだ!
「違うな、間違っているぞ!」
「なぁっ!? し、失礼しました! どこか間違っていたのでしょうか!?」
「我の未来にレクイエムは不要だ! 早急に修正せよ!」
シータはシャドウの怒りの理由を理解した。
既にシャドウは標的を示し、雫を奪えと命令を発した。
今この時にもラウンズが雫を摂取してしまうかもしれない。
シャドウの未来から鎮魂歌……老い衰えていくシャドウを見たアルファの嘆きを失くすためにも、無駄話をしている暇があったら早急に出立せよ。
シャドウはそう叱責したのだ。
「かしこまりました! 『魔球』のシータ、エーギル討伐に出陣いたします!」
シータは瞬時に姿を消した。シャドウの目なら問題なく追える速度だが、強風を巻き起こすには十分だった。
シータが窓から飛び出す姿を見届けて、残されたシャドウは散らばったカードの片付けを始めた。
◯
「雫置いてけ! なあ! エーギルだ! エーギルだろう!? なあエーギルだろお前!」
エーギルがどこにいるのかシャドウに聞き忘れたシータは、時間がないことに焦って手当たり次第にディアボロス教団員をエーギルと認定して殺す壊れたアーティファクトと化した。
ミドガル王国はフェンリル派が主流なので、わざわざその他の複数の国を巡った。
オリアナ王国、都市国家群、無法都市、ベガルタ帝国まで広く駆け回り、ディアボロス教団を鏖殺した。
この行動によりアルファが不動の1位だったディアボロス教団拠点殲滅数ランキングが変動したほどだった。
その結果……当然、エーギルは見つからなかった。