女神の試練で大規模な作戦を成功させた今、近く開催されるブシン祭に介入する計画もないため、シャドウガーデンは一時の休息期に入っている。
かくいう私も最近は時間を持て余している。
判明しているディアボロス教団の拠点は少し前に私が全て潰してしまった。
学園は校舎の再建中。
訓練はもはやラムダ様に指導していただく段階にないので自主訓練ばかり。しかも気づいたらなぜかスライム圧縮速度が急激に向上していたので修行内容も思いつかない。
農地など裏方で働いてる子たちの手伝いは私レベルの古参が行くと畏まらせてしまうため控えている。
やることが……やることがない……!
こういう時は可能であれば目上の方に指導していただくのが良いだろう。
私は七陰で手の空いている方がいないか探しに行くことにした。
イータ様はどうせ研究してるだけなので除外した。行っても実験台にされるだけだ。
ゼータ様は諜報任務中でアレクサンドリアに戻っていない。
イプシロン様を訪ねると、彼女は自室でゆっくりしているところだった。
「イプシロン様、おはようございます」
「あらシータ、おはよう」
振り向いたイプシロン様の双丘が揺れた。
今日も相変わらず盛っておられる。
イプシロン様は私の視線に気付いたようで、誇らしげに胸を張られた。
「ねえ聞いてくれる?」
「なんでしょう」
「リンドブルムで主様と会った時、ここに主様の熱い視線を感じたの」
なんとなくシャドウ様ほどの観察眼をお持ちの方なら普通にスライムのこと見抜いてそうだなと思ったが、私は口に出さなかった。
「おめでとうございます。シャドウ様はイプシロン様のお胸に釘付けだったのですね」
「釘付けだったのよ。それに比べて、あなたは……」
イプシロン様が私の僅かに盛ったスライムに目を向けた。
「まだまだ精進が足りないわね」
私の偽乳はイプシロン様に比べたら再現度に天と地ほどの差がある。
ただスライムを沢山盛れば巨乳になれるわけではない。
身体の表面から離れるほど制御が難しくなるスライムの形を維持し続け、動きに合わせて自然な揺れを作り、画素単位で色調に微細な変化を付け、固すぎず柔らかすぎずの最適な質感を再現しなければならない。
その為に必要なのは緻密の異名を取るほどの魔力制御能力であり、それについて私はイプシロン様の膝程度までしか到達していないのだ。
ところでふと思ったのだが、この偽乳は実用性については大丈夫なのだろうか?
疑問と共に存在しない記憶が私の脳に浮かんできた。まるでどこかで見たことがあるかのような鮮明な光景だ。
巨大なベッドの上、集まったシャドウ様と七陰の皆様、待ちに待ったイプシロン様の初体験、興奮状態のシャドウ様が手に力を込める、もぎ取られるスライム、凍る空間……自害したイプシロン様。
「うわぁ!? 駄目ですイプシロン様早まらないで!」
私は力いっぱいイプシロン様の偽乳に掴みかかった。
「ちょっ、いきなり何!?」
「ふんっ!」
私はスライムを握り潰した。飛び散ったスライムが部屋を汚す。
「ウギャァァァァァァアアアアアアア!?」
「イプシロン様! こうなるんです! シャドウ様との行為の激しさが最高潮に達した瞬間! スライムで盛ったおっぱいはこうなってしまうんです!」
最初は動揺していたイプシロン様も、次第に事態の深刻さに理解が追いついたようで顔を真っ青にした。
「確かに……これは由々しき事態ね」
「イプシロン様がシャドウ様と、その、いつかそういうことをするのだとしたら、何かしらの対処が必要になるかと」
イプシロン様は再形成した偽乳を取り外して、おっぱいという単語を繰り返し呟きながら捏ねくり回した。
「ぬああああああ!」
そしてしばらくすると急に叫んで、偽乳を私の顔面に投げ付けた。私は爆散したスライムでべちゃべちゃになった。
「あっ、ご、ごめんなさい。わざとじゃないの」
よかった。イプシロン様は私が嫌いだからと狙って投げたわけじゃないらしい。
「大丈夫です。それよりイプシロン様、私思ったのですが……」
私は覚悟を決めて告げる。
「大きいおっぱいが好かれる。小さいおっぱいが嫌われる。そんなの私たちの勝手な決めつけ。本当に愛する御方には、生まれ持った身体で好かれるように頑張るべき……なのではないでしょうか」
イプシロン様が電撃を受けたかのように硬直した。
現に私はアルファ様のおっぱいにしゃぶりつきたいと常々思ってきたが、その思いは昔のアルファ様の小さなおっぱいでも現在の大きなおっぱいでも変わっていない。
「それでも……私にはこれしかないのよ」
唇を噛み締めて手をギリギリと握り込んだイプシロン様が叫ぶ。
「本当に愛されたいと思っているのなら! 小さなおっぱいじゃなくて! 大きなおっぱいを作る覚悟が必要になるときもあるのよ!」
「ンオォオェオ!」
「うわ何こいつ!?」
イプシロン様の叫びにこもった魔力に反応して、バケモンボールが誤作動を起こしてしまった。
飛び出したのは鮫みたいな魔獣ティラノシャークだ。
「あー、話に聞いてた魔獣や亡霊を使役する技ね」
七陰にはちゃんと聖域展開やトモダチのことを報告している。皆様からそうはならないでしょうと言われたけど、実際なってるのでどうにか納得していただけた。
「バブリアスといいます。現在教団のチルドレン1stを20匹仕留めている優秀な子です」
名前の由来は泡を使った攻撃が得意だからだ。決してアルファ様にバブみを感じているからではない。所詮は獣、私と違ってそこまでの知性はないのだ。
「ンオォオェオ!」
私はバブリアスを撫でてバケモンボールに戻した。
「話を戻しますけど、おっぱいとの向き合い方に正解はないのでしょう。ただ、事実としてシャドウ様との行為中に魔力制御に意識を向けていられるかという問題は解決する必要があるかと」
嫌ですよ私、イプシロン様が偽乳バレなんていう馬鹿みたいな理由で死んじゃうなんて。
「……ちょっと考えてみるわ。気づかせてくれてありがとう」
イプシロン様にはひとりで考える時間が必要だろう。私は邪魔にならないよう部屋を出た。
◯
デルタ様はリンドブルムで野生に還ったままアレクサンドリアに戻っていないみたいなので、私は次にガンマ様の部屋を訪ねた。
「ちょうど良かったわ。ブシン祭の開催期間限定で会場近くに『まぐろなるど』の露店を開こうと思うの。シータに任せたいのだけど、ブシン祭には出場しないのよね?」
「はい、学園側から選抜大会で選ばれた代表以外の生徒は出場を禁ずるとお達しがありましたので」
ゼータ様によると私が出るとアイリス王女が優勝できないのでそのような通達を出したとかなんとか。まあ別に女神の試練と違って出場しても得るものがないので構わない。
しばらくして露店についての打ち合わせを終えた私はガンマ様の部屋を出た。
ベータ様はミドガル王都に滞在中で不在だ。
アルファ様はお忙しいので邪魔するわけにはいかない。
まだ今日は半日近く残っているので、お昼ご飯を食べて歯磨きをした私はイプシロン様の様子を確認するために再訪問することにした。
いきなり突入するのは怖いため、イプシロン様の部屋の扉に耳をつけて状況を探る。
「……私はパイでできている」
……なんか変なこと言ってる。
「宿敵は天然で、私は人工。幾度の成長を超えて0敗」
イプシロン様はベータ様の成長に合わせて僅かに上回るようにスライムを盛ってきたらしい。そりゃあ敗北はないだろう。戦う前から負けてる感じはあるけど。
「ただ一度のパイ走もなく、ただ一度の勝利もなし。弾き手はここに独り、胸の丘でスライムを盛る」
安心してくださいイプシロン様、私も盛ってるから独りじゃないですよ!
「ならば、我が生涯に天然は不要ず……この身体は、無限のパイで出来ていた」
その瞬間、私の立っている場所を含めて世界が切り取られた。
これは……まさか聖域展開!?
私も展開して相殺を……駄目だ間に合わない!
「『無限のパイ製〈アンリミテッド・ブレストワークス〉』!」
私はイプシロン様の聖域に取り込まれてしまった。
聖域は展開した者の心象風景が具現化される。私の聖域がアルファ様で満たされているように、イプシロン様の聖域はスライムで満たされている。
雨のように天から降り注ぐスライムは集まって塊となり、おっぱいを形成し、無限に巨大化する。
おそろしい……でもそれ以上に悲しい景色。
日常がおっぱいコンプレックスだったはず……今こうしてベータ様と仲良しでいられるのが奇跡的なほど……。
それでそのイプシロン様御本人はいずこへ?
私は聖域内を探索して、自らが作り出したおっぱいスライムの津波に呑まれてもがくイプシロン様を発見した。
「イプシロン様!? 今お助けします!」
私は圧縮スライムソードを抜こうとして、いつの間にか消失していたことに今気が付いた。というか剣どころか服などのスライム製の物が全て失われている。
まさかこの聖域の効果は、敵味方問わず全てのスライムの制御を奪うこと!?
なんて不憫な……スライム武装を使わないディアボロス教団との戦いでは全く役に立たないじゃないか。
それなのに味方に対して特効過ぎる。この聖域を展開されると中距離から見えない魔力斬撃を飛ばしてくるイプシロン様を相手に丸腰で戦う羽目になる。たぶん私のスライム要塞も無条件に剥がされるだろう。下手するとアルファ様でも窮地に陥るかもしれない。
仕方ない、魔力と筋力でどうにかしよう。
私はスライムおっぱいを殴り飛ばして飛散させながらイプシロン様に迫る。
「イプシロン様! 手を!」
イプシロン様が伸ばした手を掴み、おっぱいから救出した。
「はぁ……はぁ……ありがとう……窒息するかと思った……」
「ご無事で何よりです」
「いったい何が起きたというの?」
「おそらくですが……」
私は迫るスライムを弾き返してイプシロン様を守りつつ、聖域展開について説明した。
「そういうことなので、早く聖域を終わらせてください。おっぱいがどんどん増えているのでいずれ押し返せなくなります」
「いや、そんなこと言われても……やり方を教えて」
「それは……こうして……ああして……なんかこう……いい感じに……」
私は聖域展開の扱い方を伝えようとしたが伝わらなかった。
「教えるの下手!」
「すみません……」
「もういいわ、無理矢理破壊して脱出しましょう」
イプシロン様が魔力斬撃を雨霰のように放った。樹海を更地に変える絶技だが、聖域は壊れなかった。
聖域は相手を閉じ込めるという性質上、内側からの攻撃に強いのだ。
「イプシロン様、こうなったら私がズルムケの能力で外に出て聖域を破壊します」
私の手持ちバケモンの一体、野生の遺跡の主ことズルムケは空間と空間を自由に繋げる能力を持っている。かつて私と対峙した時は瞬時に逃げる必要があると判断できなかったために聖域の力に破れたが、こいつは本来ならば簡単に聖域からの脱出が可能だ。
「あの怖い見た目のやつね。というか出られるなら私も連れてってくれればいいじゃない」
「聖域の展開者を無理矢理外に出すと残されて完全に制御を失った聖域に何が起きるか予測がつきません。やめておいた方がいいと思います」
「そう……わかったわ。やってちょうだい」
許可を貰った私はズルムケを出して聖域の外へのワープホールを作らせて脱出した。
イプシロン様の聖域は彼女の部屋に重なる形で顕現していたらしい。私が巻き込まれたのは扉に接触していたせいだ。
私は外から聖域展開してお互いの聖域を削り合わせた。何度も展開した私の聖域はイプシロン様のものよりも練度が高い。イプシロン様の聖域はあっさり崩壊して、私はイプシロン様を聖域に取り込む前に展開を中断した。後には元通りになった部屋とイプシロン様が残された。
「ふぅ……どうにかなったみたいね」
「イプシロン様、お身体にお変わりはありませんか?」
「ええ、おかげさまでなんとも……あっ」
イプシロン様のスライムスーツが崩壊した。スライムおっぱいは床に落ちて潰れたトマトになり、スライム厚底ブーツが消えてイプシロン様が転倒し、スライムコルセットから解放された腰回りが膨らんだ。他にも色々と変化が見られた。ボンキュッボンだったイプシロン様はキュッボンキュッになった。
「パァァァァァァイ!?」
「お呼びですかぁ?」
通りすがりのパイ様が扉から顔を出した。
「呼んでません大丈夫です見ちゃ駄目!」
私はパイ様の前に立ちふさがった。隠されて余計に興味を持ったらしいパイ様は今にも私を押し退けて侵入してきそうだ。
「待って! 待ってくださいパイ様! イプシロン様早く!」
「だ、駄目なの! 魔力が使えない!」
「イプシロンさまぁ~だいじょーぶですかぁ?」
これは色々と落ち着いてから検証して分かったことだが、聖域を自分で終了させずに破壊されるとしばらく魔力が使えなくなるらしい。
そのせいでスライムメイクアップができなくなったイプシロン様は、結局パイ様に盛りをバレた。
しかしよくよく話を聞いてみると、デルタ様以上に鋭い嗅覚を誇るパイ様はスライムの匂いでイプシロン様の偽乳に気付いていたらしい。イプシロン様はパイ様をしっかり餌付けして、誰にも言わないことを誓わせて彼女を解放した。
……大丈夫かなぁ。こんなこと言いたくないけどパイ様は信じられないくらいおバカだから、普通に約束忘れそう。いや、逆に偽乳を見たことすら忘れるからいいのか?
心配になった私は、翌日になって他のナンバーズの皆様がイプシロン様の偽乳を知っているのかそれとなく探りを入れた。
その結果……パイ様が言いふらすまでもなく、だいたいみんな知っていた。