第48話 オリアナ内戦短編集
その1 ドエストラテジー
オリアナ王国は現在内戦状態にある。
優勢なのはディアボロス教団の支援を受けてドエム・ケツハットが纏めている通称ドエム派。
対するは彗星のごとく現れた力ある指導者ドエス・ムチウッチが反ドエム勢力を纏め上げて創設した通称ドエス派だ。
自ら前線に立って鞭と御旗を振るい、ドエム派に占領された地を解放し、虐げられる民草を救って進軍する姿を讃えて『オリアナの乙女』と呼ばれるようになったドエス・ムチウッチの仮面に隠された正体……それは例のごとく変装した私である。
いやね、ドエム派が優勢過ぎてちょっとテコ入れの必要があるってなった時になんかゼータ様に推薦されたのよ。そういうの得意でしょって。
分隊をいくつか率いる前線指揮官ぐらいならともかく、組織運営なんて得意と思われるほどにはやってないと思うんだけどなぁ……まあ、任された以上は真剣にやるけど。
今もちょうどひと戦終えたところで、士気を上げるべく捕縛した敵指揮官を背中が見える向きで磔にして民衆の前で公開処刑中だ。背中を向けさせているのは泣き顔を見ると同情しちゃう人がいたりするからだ。
「こいつはですね、オリアナ王家じゃなくてドエムとかいう簒奪者にお尻振ってぇ、占領した自国の地で民衆を虐げた背信者ですよ!」
私はこれから処刑する男の罪状を読み上げる。
うわひっどいなぁ……自分は何も悪いことしてないって顔してるくせに結構ハードなことやってやがる。
芸術と称して拉致した一般人に小便を飲ませたり糞を食わせたりして、被害者は最終的に窒息死するか病死したんだと。
うぇぇばっちぃ……やったことそのままやり返してやろうと思ってたけど、さすがにこれは無理だわ。素直に普段通り鞭打ち拷問で済まそう。
「さぁどうです皆さん、この背信者を、ドエスの……鞭打ちで! 死なせずに苦しませてみせますからね! 何発で死なせてやりますか!? まずは30から!」
「50!」
「50! 背信者ですよ? 50は少なくないですかぁ? さぁどうだ!」
「70!」
「70! もう少し欲しいなぁ〜。こいつは、こう見えても身体はしっかりして、バッチリの筋肉質な魔剣士ですよ! さぁもうひと声どうだ!」
「80!」
「渋いなぁ〜。背信者のドエム派! なかなか、許せないでしょ! さあどうする!」
「90!」
「もうひと声! 歯切れのいいところで!」
「100!」
「はい100! 百叩きに決まりだ!」
その後、私は処刑対象の汚い尻を鞭で百回叩いた。終わる頃には肉が抉れて骨が露出していた。見てるこっちが痛くなるのでさっさと消し炭にするべく蝋燭で磔台に点火した。
鞭を百回も振るのは結構疲れたし手首が痛くなったけど、こいつに大切な人を弄ばれて殺された民衆は涙を流して喜んでくれてたので良しとしよう。
ちなみに火刑もキャンプファイヤーみたいに盛り上がったよ。
◯
その2 チルドレンネーム被害者の会
「まさか『激水』と『流水』に続いて『洪水』と『溢水』までもが殺られるとは! だがこの『汚水』はぴぎゅ!?」
現在私はドエス派による進軍に先んじて単身で敵地に攻め込み脅威度の高い敵を排除する作業中だ。
このオリアナ王国ではやたらと教団のネームドチルドレンに遭遇するんだよね。
まっ、質は他の国で遭遇した奴らより低いからバランスはとれてるんだけどね。たぶん昇格ライン緩めてるんじゃないかな。
ところで沢山のネームドと遭遇しているうちに疑問に思ったんだけど、こいつらの異名って誰がどんな基準で決めてるんだ?
「ああ『汚水』、『汚水』、どうしてあなたは『汚水』なの?」
返事がない。ただの屍のようだ。
さすがに戦闘中のネームド相手に問答してる暇はなかったし、こうなったら自力で答えを見つけるしかないな。
というわけで、まずはオリアナで遭遇したネームド連中のことを思い出してみよう。
30人くらい殺ったはずなんだけど全部は覚えてないな……『戦火』、『業火』、『烈火』、『鎮火』、『噴火』、『引火』、『湿地』、『荒地』、『大地』、『墓地』、『領地』、『農地』、『天空』、『蒼空』、『領空』、『虚空』、『架空』、『お空』……いや『お空』って。
なるほどだいたい分かった。
オリアナにいるネームド連中は異名に同じ文字が入った奴らが群れてたので、戦闘スタイルとか容姿とかは関係なく適当に似た言葉を探して名付けたのだろう。
いやそれにしても『お空』のソウラ君は字面が間抜けで笑える。こいつ仲間から嫌われてたんじゃないか?
こいつより面白い異名の奴っていたかな……。
なんだか楽しくなってきたから、他の国で遭遇した奴やガーデンの仲間が仕留めた奴、まだ遭遇してないけど存在だけ把握してる奴も含めてランキングを作成しよう。
というわけでまずはまともなやつから!
敵だけど異名がかっこよかったランキング!
第3位はミドガル学園占領事件の時に出現した『叛逆遊戯』のレックス!
シャドウ様があっさり細切れにして殺したらしいから、叛逆遊戯がどんな遊びなのかはいまいち分からなかったぞ!
第2位はベガルタ七武剣でありながら実はラウンズ第十席だった『闘剣嵐武』のセルゲイ・ゴーマン!
シャドウ様があっさりアトミックで消し飛ばしたけど、イータ様の評価だと2年前のガンマ様を両断できるレベルだったから名前負けしてなかったぞ!
そして第1位は……『流星』のカレン・フォン・ ヘルツォーク!
教団を見限ってアルファ様に忠誠を誓った慧眼の持ち主!
身内贔屓なのもあるけど、流星と書いてナガセと読むのは素直にかっこいいと思うぞ!
「『エルフの英雄』オリヴィエさん、ここまではどうでしたか?」
「うむ、センスのある異名だったな。教団の連中にはもったいないほどだ」
「ですね! 『ひとり遊び』のレックスとか『高慢ちき』なゴーマンとかの方がぴったりですよね! ということで続きまして、教団のゴミクズに相応しい、笑える異名ランキング!」
第3位は『お空』のソウラ!
中年のおっさんだったけど子どもの時に名付けたのかな?
第2位はラウンズ十一席に長年居座っていた『強欲』なハゲ!
死亡は確認できてないけどたぶんシャドウ様のアトミックで蒸発済み!
異名単品だと面白くないのに、持ち主がハゲで腹の出たじじいだから、リンドブルムの聖域内で高らかに名乗り出した時は吹き出しちゃったぞ!
そして第1位は……異名の持ち主は不明だけどフェンリル派のネームドらしい『暗黒微笑』君だ!
「ぷはー! 暗黒微笑! あ・ん・こ・く・微笑!」
『暗黒微笑』君はゼータ様の調査報告書で見つけた時からのお気に入りだ。なんかわかんないんだけど妙にツボに入ったんだよね。
「命名者はかっこいいと思ってつけてそうなのが滑稽だな」
「ねー! もうね、ほんっとどんな面してるのか気になってるの!」
これでハゲみたいにキメ顔で『暗黒微笑』を名乗ってくれてるともっと面白いんだけど。あー現物と遭遇したいなー。
「2位のハゲは惜しかったなー。肝心の異名がシンプル過ぎるんだよね。『強欲』だけじゃなくて『強欲で貪欲』なハゲとかもうちょっと盛れば良かったのに」
「普段は善良な司教を装っておきながら、裏では『強欲』なハゲだったのだろう? 『強欲で謙虚』なハゲの方が笑えないか?」
「さいっこう! オリヴィエ天才!」
その後もドエス派の陣地に戻るまで私とオリヴィエでハゲの異名を盛って遊び、最終的にハゲは『強欲で謙虚で貪欲で無欲で金満で大欲な太古』のハゲとなった。
……なんかくどいな。シンプルに『ハゲ』の方がいっか。
◯
その3 シャドウ先生のハートキャッチ講座
「つまり……僕が正義だ」
シドは両手に持ったチンピラ兵士の心臓をぐしゃりと握り潰した。
すると真横からガタッと音が鳴ったので視線を向けると、そこには目を見開いたシータが立っていた。
お互いに無言で見つめ合うこと数秒間、先に口を開いたのはシータだった。
「す……すごい技ですね! 敵の傷口から全然血が出てません! さすがはシド様!」
「よ、よかったらシータもやってみるー?」
「えー! いいんですかー! ぜひ習わせてください!」
そんな白々しい会話の末にシドはシータにスリで鍛えた技術を応用したハートキャッチの技を教えることになった。
「まず盗みやすくするために自分の肉体を操作するんだ」
シータに見せるように手を伸ばして、ビキビキ音をさせながら指を鋭く硬質化させた。
「こうですか?」
筋肉をしまう技術を習得しているだけあってシータの飲み込みは早い。見様見真似だけでいい感じに指が変形し……さらに力んだせいか右腕全体の皮膚を突き破って沢山の黒い触手がにゅっと生えてきた。
「うわっ、何ですかこれ!?」
「知らな……いや待てよ。心臓……触手……ひじき……」
シドは前世の記憶を掘り起こして、とある忍者が使ったとされる禁じられた技に思い至った。
「地怨虞か!」
正っ解っ!
他人の心臓を奪うための変形を脳から指示されたシータの肉体が他人の心臓を抜き取るのに最も適した能力を発現したのだ!
「じおんぐ? って何ですか?」
「不屈の巨人かな。足がなくても身体がなくなっても戦い続ける」
「え……私これからそんなことになるんですか?」
「それくらい強い生命力が手に入るってこと」
いくら日を追うごとに人間離れしてきてるシータでも頭だけで飛び回ったりはできないはずだ……できないよね?
「よし次は実践だ! ……でもこの辺の心臓は全部僕が盗っちゃったからなぁ」
「それならこの近くの遺跡に行けばまだ残ってるかもしれません」
そこでは偵察任務に来ていたはずのウィクトーリアが暴走して教団と交戦を開始したのだ。
イプシロンから偵察部隊を救出するよう言われたシータは、現場に近付いてウィクトーリアの魔力感知範囲に入った瞬間、流れ弾に見せかけた遠距離攻撃で追い払われた。
そんな仕打ちを受けた身としてはウィクトーリアが意地を張って教団に殺されても構わなかった。しかし現場には巻き添えになった664番、665番もいたので見捨てるわけにもいかず、仕方なく不可視のオリヴィエだけ現場に残し、シータ本人は遺跡周辺からの敵の増援を始末して回っていたのだ。
「ものは試しだ。行ってみよう」
「はい!」
そして遺跡に案内されたシドは負傷したウィクトーリアを見つけて遠隔で魔力治療を施した。
復活したウィクトーリアには敵わないと見て、彼女をいたぶっていた教団員の男……『疾風』のクアドイは瞬時に逃げ出した。
「無駄だ……そこはあの御方の間合いだ」
ドヤ顔で見逃してやったウィクトーリアの代わりにクアドイを始末したのは、彼女の想定に反してシャドウではなく8番であった。
「シャドウ様かと思った? 残念! 8番ちゃんでした!」
8番がクアドイの身体を黒い触手で貫いて心臓を引き抜いた。
その光景を見ていたウィクトーリアは大口を開けて呆けた。
そんな彼女を、8番はここぞとばかりに煽った。
「『あの御方』かぁ……意外だよ559番。お前に先輩に対する敬意というものが存在したなんてね」
「なんだと! 殺す!」
「よし来やがれ!」
まだ拍動するクアドイの心臓を8番の身体から分離した触手が包み込み、歪な人型の怪物……『風人・悦璃雌』を作り出そうとした。
……が、悦璃雌は身体が完成する前にウィクトーリアの剣で細切れにされてしまった。
「お前ふざけんなよ!? 変身中は攻撃禁止だろうが!」
「知るか。死ね」
その後2人の戦いは始まる前にシャドウが口を挟んだことで中断され、火種は燻ったまま残された。
◯
その4 夜に陰を探すようなもの
ミツゴシデラックスホテルの露天風呂にて、いつシャドウと遭遇してもいいようにウィクトーリアが身体を清めていると、不愉快な全裸の変態が現れた。
「ちっ……露出魔が」
「お前もだろ!? ここ風呂だぞ!」
他の一般構成員であればウィクトーリアを怖がって回れ右するのだが、全裸の8番は物怖じせずにずけずけと湯船に踏み込んだ。
「いい機会だから伝えとくけどさぁ……」
喧嘩を売られた8番は、先日ウィクトーリアが仲間である664番、665番を危機に陥らせた件についてお説教染みた話をする。
ちなみにその時に裏切った666番については触れてこない。ガーデンを裏切ることはアルファを裏切ることも同然なので8番も彼女を擁護するつもりはないようだ。
これで忠誠を捧げる相手がシャドウ様ならいい仲間として見られるのに……とウィクトーリアは密かに惜しんだ。
「私たちはたった700人にも満たない数で世界に挑む同胞だ。ひとりでも欠けたら大損害となる。だからお前のような闘い方は支持できない」
拳を握った8番がザッとお湯に波を起こして身構える。
「私はそうは思わない。シャドウガーデンというのはシャドウ様の存在で成り立っている組織だ」
ウィクトーリアはスーッと静かに波を立てることなく身構える。
「与えられた命令を与えられた身命をなげうってでも全うすれば、後はシャドウ様が終わらせてくださる。私たちの働きがシャドウ様のお手間を少しだけ省くことはあっても、シャドウ様の勝利に不可欠だったことはなかった」
ウィクトーリアは不甲斐なさのあまり歯噛みする。
「ガーデンの誰が死のうとシャドウ様にとっては損害のうちに入らない。シャドウ様とガーデンはそれ以上の関係にはなれていない……どこか間違っているか?」
戦力としてはガーデンの総力を結集してもシャドウひとりに遠く及ばない。
資金調達のように戦闘以外の分野で貢献しようにも、先日の偽札事件でシャドウと自分たちの差を思い知らされたばかりだ。
あえて例外を見つけるとすれば、数日見ないだけで人類離れした異常な技能を習得してくる8番だけは替えが効かないと言えるかもしれない。
そんなことを考えてしまった自分に腹が立って、ウィクトーリアはズオオオオオと魔力を漲らせた。
こいつこんな場所でガチバトルする気かよと焦った8番は、先手必勝でダッとウィクトーリアに拳を打ち込んだ。
「間違ってるとは言わないけど、そんな風に諦めてしまうとそれこそお荷物に成り果ててしまう。仲間との“和”を保ち、“絆”を育み、私たちは数の力でシャドウ様の背中に追い縋るしかないんだ」
8番の拳を手の甲でバチッと弾く。
「“和”? “絆”? なんだその旧態依然とした弱卒的な思考回路は?」
弱兵でも敵の魔力切れを狙って数を投じれば勝利を得られるという考え方はシャドウの存在により過去のものとなった。数万の軍勢で群がってもアトミックで全て消し飛ぶだけなのだから。
「私はガーデンの者の命の使い道はシャドウ様のお手間を省くためにひとりでも多くの敵を殺す捨て石だと割り切っている」
ウィクトーリアが8番に向けてジャッと魔力を放つ。ちなみに露天風呂を破壊しない程度に加減しているので直撃しても筋肉注射ぐらいの痛みを感じるだけだ。
「少なくともこのやり方で私はシャドウ様に咎められなかった」
ひと目で全てを見抜くシャドウであれば、負傷したウィクトーリア、664番、665番を見た瞬間にどんな経緯でそうなったのか把握したに違いない。その上でウィクトーリアは何も言われず、それどころかウィクトーリアに同調して666番の裏切りを絶対に許さないと言ってくれた。
8番がウィクトーリアの連撃をバババッと弾く。
「血に染まったお前の道はアルファ様の理想に反している」
「そんなものは夜に陰を探すようなものだ」
「?????」
ウィクトーリアが詩人のような言い回しで揶揄すると8番は理解できずに首を傾げた。
ちょっと恥ずかしくなったのを顔に出さないよう必死に隠しながら解説してやる。
「シャドウ様という漆黒の夜空の下では陰なんて塗り潰されて見えはしない。だから……そんなものは知ったことか、ということだ」
「んん? んー……あっ! お前アルファ様をバカにしやがったな!」
「バカはお前だ。とにかく“七陰ありき”という考え方には与しない。まず“シャドウ様ありき”だ」
アルファを軽んじられたと思った8番がヒートアップし、ウィクトーリアも本格的に力を入れ始める。
2人は激しい殴り合いになり、ビュンビュンビュンッビュンッと風切り音が露天風呂に響き始める。
「皆それぞれ個人の生き方があって、そのエゴの押し付け合いが今の世界を作った! だからシャドウ様を中心に変えなければならない! ギアをひとつ上げていくぞっ!」
ウィクトーリアはギアをひとつ上げた。具体的には直撃しても死なないが重傷は負う程度に魔力を使い始めた。
ボボッ! ボッ! ギュンギュンッ! ボッ! ギュルッ!
ウィクトーリアの打撃が空気の壁を破裂させる凄まじい音が轟く。
8番は嵐のような連撃をどうにか耐え凌ぐが、このままでは押し負けると判断して搦手を使う。
ここは風呂で、8番は全裸だ。スライムもないし毒薬もない。重力操作はウィクトーリアの動きを止める程の強さだと床が抜けかねないので使えない。
それでも8番には情報という名の武器があった。
「……可哀想なウィクトーリア」
「何だと!?」
「かつてテンプラーを率いて殺してきた悪魔憑きの子たちとの付き合い方が判らないから、シャドウ様を言い訳にしてるんだな君は」
8番は七陰と共にずっと戦い抜いてきた。だからウィクトーリアとの因縁も、どんな経緯で彼女がシャドウガーデンの仲間になったのかも、最初から最後まで全てを把握しているのだ。
ウィクトーリアは即座に言い返そうとしたが、不思議と動揺して言葉が出なかった。
自分はシャドウガーデンの少女たちに歩み寄らないのではなく、歩み寄れないだけなのか?
そんな疑問がウィクトーリアの動きを鈍らせ、次第に8番が優勢になる。
「そして恨み辛みが怖いから、聖女として持っていたはずの優しい心を殺してしまう!」
8番の強烈な一撃がウィクトーリアに命中した。
「臆病者の考えだ! 私の後輩たちは敵を見誤りはしない!」
ウィクトーリアは殴られた頰を押さえながら俯く。
「それは甘ったれた考えです。自分でもわかっています……だけど!」
大きく腕を振りかぶってウィクトーリアは8番に突撃する。
8番も正面から大振りで迎え撃った。
「やり直すには余りにも殺しすぎた!」
お互いの攻撃が交差する。
8番の拳はウィクトーリアの頰を掠めただけで虚空を打ち、ウィクトーリアの拳は8番の顔面ど真ん中に命中した。
「あっ……」
気絶した8番は鼻血を吹き出しながら湯船に倒れて沈んだ。
ウィクトーリアが見つめる前で赤く染まった湯船にぽこぽこといくつかの泡が浮かび、やがて泡は出なくなった。
◯
目を覚ますと私は露天風呂の脱衣所に置かれた休憩用の長椅子の上に寝かされていた。
びしょ濡れだったはずの身体はなぜか丁寧に拭かれ、浴衣を着せられている。
最初はオリヴィエがやってくれたのかと思ったが、彼女は今ドエスの方に憑いてるので違う。
周囲を見渡しても誰もいない。唯一見つかったのは長椅子のさっきまで自分の頭があった辺りに置かれたガラス瓶だ。
どうやら中身は珈琲牛乳らしい。
「まったくもう……私はフルーツ牛乳派なんだけどなぁ」
私は瓶の蓋を開けて、ぐいっと一気に飲み干した。
誰もつっこんでいませんでしたけど『強欲』のハゲの名前はハゲじゃないです。
ネルソン(蒸発済)さんです。
8番はしっかり名乗りを聞いたはずですが、ストレス脱毛の印象が強くて忘れたようです。