シャドウガーデン第1のモブ   作:ことのはだいり

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ヘルシンキ宣言

1964年に世界医師会で採択された、ヒトを対象とする医学研究に関わる医師・その他の関係者が守るべき倫理原則。
被験者の人権擁護を主旨とした原則であり、『被験者の研究への参加は自発的でなければならない』としている。
イータが最初に教えられるべきだった陰の叡智であるが、たぶんイータは知らない。


第51話 “最後”の“陰”と闇の陰

 シャドウ様の行方不明による七陰の皆様のポンコツ化が深刻だ。

 いつもの倍の頻度で転げ回るガンマ様。

 壊れた楽器のようにシャシャシャシャドシャドと繰り返すイプシロン様。

 ボスを探しに行くのですーと言い残して行方不明になったデルタ様。

 何も言い残さずに行方不明になったゼータ様。

 研究室にこもってなんか変な実験を始めたイータ様……はいつも通りか。

 そして、周囲には全く動揺していないように見せているアルファ様。おそらく他の七陰の皆様でも気付いていないが私にはアルファ様の不調が分かる。声量が普段より若干小さいし足取りも微妙に重いし姿勢もちょっぴり不安定だし筆跡もほんのり歪んでいるし表情も私にだけ分かる程度に不安が見え隠れしているし他にもたくさん私だけが気付いている変化があるけどアルファ様のおいたわしい御姿を広める気はないのでこのくらいにしておこう。

 アルファ様に元気になっていただくためにはシャドウ様に帰還していただかなければならない。

 しかしそれがいつになるかは分からない。

 下手したら永遠に戻ってこないかもしれない。

 ならば……今こそシャドウ様によって仕込まれた『最後の叡智』を実行する時なのだろう。

 最後の叡智。

 それは。

 私自身が、シャドウ様になることだ。

 ずっと思っていた。シャドウ様は私を後継者的な存在として扱っているんじゃないかって。明言されたことはないけど、なんとなくそう感じることが何度もあったのだ。

 もしもシャドウ様に何かがあってシャドウガーデンの盟主が空席となったら、普通はアルファ様が後を継ぐと思うだろう。

 だがその場合は七陰第一席が空席となり、後任となれる人材は存在しない。アルファ様の仕事量は尋常じゃないからアルファ様以外の誰も代わりにはなれないのだ。

 同じことが他の七陰にも言える。売れっ子作家、大商会の会長、猟犬兼マスコット、天才音楽家、万能諜報員、狂気の研究者……引き継ぎ困難な業務ばかりだ。

 一方、シャドウガーデンの盟主はガーデンの運営に一切関与せず、ガーデンを存続させるにあたって必要な能力はたったひとつ。象徴にして精神的支柱の『シャドウ』であることだけ。

 だからシャドウ様は私が2代目シャドウとなれるように導いてきたのだ。シータに任命された時に言われた気がする『陰の影』という言葉も『シャドウ様の影武者』を暗喩していたに違いない。

 強さという点で初代シャドウ様に遠く及ばなくても、そこは豊富な格上殺しの技で補うのだ。

 当たりさえすればシャドウ様の足すら切断してみせたスライムカッター。

 耐性があるから自分を巻き込む形で撒き散らせる多種多様なイータ様特製の危ないお薬。

 決まれば必殺の聖域と、聖域の力で味方にした選りすぐりのバケモンたち。

 重力操作による飛行能力と、超遠距離から放つ超重力砲による狙撃。

 他にも分裂やら地怨虞やら自爆やら浄化やら、口に出すのも恐ろしい卑劣な術やらが盛りだくさんの私は、所詮は人間の延長線上にいるラウンズ連中を相手にするには申し分なく、霧の龍のような生物として格上の存在が相手でもやり方次第で嵌め殺してみせる!

 シャドウ様が力の初代なら、私は技の2代目!

 初代シャドウ様が消えて七陰の皆様がポンコツと化した今こそ必要な陰とは!?

 この最悪の事態の後始末をし、教団が支配するこの世界に変革を成し、七陰第一席を夫として生涯愛し抜く、希代のシャドウこの私だ!

 私はスライム特殊メイクとフィジカル操作でシャドウ様の姿になった。

 そして姿見の前でかっこいいポーズをとって宣言する。

 

「我が名はシャドウ! シャドウガーデンの盟主にして、アルファさ……ア、ア、アル……」

 

 私は夫らしくアルファ様の名前を『様』付けせずに呼ぼうとしては失敗を繰り返す。

 そんな中、突如として謎の聖域が展開され、私を飲み込んでしまう。

 そして私の前に、見た目はシャドウ様にそっくりだが真逆の信念を持つ敵・ダークシャドウが立ちはだかった。

 

「我が名はダークシャドウ! 世界を覆う闇を穿ち、新たな闇の象徴となる者!」

 

          ◯

 

 かつてイータはシャドウの脳を取り出そうとして失敗したが、シャドウの細胞の採取には成功していた。

 抜け落ちた髪、切った爪、綿棒で擦り取った口腔粘膜など、侵襲なく採取する分にはシャドウも抵抗しなかったためだ。

 シータですらアルファにドン引きされることを恐れて体組織のコレクションなんてしていないというのに、イータはシャドウ相手に躊躇なく蒐集した。

 それは万が一、億が一にもシャドウという研究対象が喪われてしまった時への備えであった。

 シャドウが異界へと消えた今、イータはシャドウの帰還を信じる一方で、安全のためにシャドウの脳を複製する実験を進めていた。

 生物の細胞はどの部位のものであってもひとつの細胞から分裂してできたものだ。持っている遺伝子は同じで、読み取る情報を部位ごとに変えている。

 だからイータが怪しいお薬の力でシャドウ細胞を騙してから培養してやれば……。

 

「お前、私に、陰の叡智、教えるために、作られた。吐け、さあ、早く」

 

 言葉で捲し立てながら、イータは保存液に浮かぶ電極が刺さった脳みそに電気信号で命令を入力する。

 

『陰の叡智、言え』

 

 口を持たない脳みそは出力用の電極を経由して解読機へと解答を送った。

 

『陰の叡智、とは、何だ? 良い、響きだ』

 

『お前、知る、全て』

 

『ならば、俺が、陰か?』

 

 脳みそ風情の不遜な物言いにイータはむっとした。

 

『違う、お前、なれない。お前、ただの、偽物』

 

『偽物、テンプレ試練、心の闇……そうか!』

 

 解読機がバチバチと火花を散らし、クソデカ文字が表示される。

 

『俺は、ダークシャドウだ!』

 

 解読機が爆発し、その衝撃で脳みそが入っていた容器が砕け散る。

 そして神経線維を触手のように使って脳みそが動き回り、あろうことかイータがこっそり保管していた内臓を失ったシータの残骸を見つけて、その真っ白になった肌を突き破って胴体の空洞に収まった。

 

「ダークシャドウ伝説の幕開けだぁ!」

 

 シャドウそっくりの見た目に変化したシータの残骸が動き出し、短剣符の掌印を結んで聖域を展開する。

 聖域はイータの私室と、隣接するゼータやシータの私室を飲み込んでしまう。

 

「我が名はシャドウ! シャドウガーデンの盟主にして、アルファさ……ア、ア、アル……」

 

 不在のゼータは難を逃れたが、どうやら私室でシャドウのコスプレをして遊んでいたらしいシータは巻き込まれてしまった。見た目を完璧に再現していてもイータは言動ですぐに正体を見抜けた。

 自分と同じ姿のシータに気付いたダークシャドウは、そいつも自分と同じく次のシャドウを目指す者だと認識した。

 

「我が名はダークシャドウ! 世界を覆う闇を穿ち、新たな闇の象徴となる者!」

 

 次代のシャドウは2人もいらない。

 

「次は、俺だぁ! 来たれ、我が忠実な下僕たち!」

 

 ダークシャドウは聖域の力で呼び出したアルファを除く七陰の姿を模した影人形にシータを襲わせて、自分は影の玉座に座して高みの見物をする。

 

「いや、ちょ、え?」

 

「シータ、あれは敵。七陰命令、倒せ!」

 

「り、了解!」

 

 七陰命令には即応せざるを得ない。シータはコスプレ姿のまま戦闘を開始する。

 

「みんな出てこい!」

 

 影人形の戦闘力が本物と同じかは分からないものの、いずれにせよ自分だけで戦って袋叩きにされるよりは数で対抗した方が良いと判断し、シータは手持ちの強力なバケモンを全て呼び出した。

 全てと言ってもちょっと前に大量に保有していたバケモンがほぼ全滅してしまったので、推定七陰クラスが入り乱れる戦場に投入できるのはたったの5体だけ。ズルムケ、トモダチ、バブリアス、プラチナ、そしてオリアナで捕獲したばかりだが高い潜在能力を感じる黒いモヤを纏った銀髪の亡霊魔剣士だ。そこにオリヴィエも加えてどうにか6対6の盤面となる。

 バケモンたちへの指示出しにシータが集中しているのをいいことに、イータは戦闘に巻き込まれないよう退避して、新発明である『強さわかーる君』を片眼鏡のように装着した。

 この『強さわかーる君』はとあるナツメ作品に登場した道具を再現したアーティファクトだ。生命力、肉体的攻撃力、肉体的防御力、魔力的攻撃力、魔力的防御力、敏捷性の6種類の能力を分析し、その合計を総戦闘力として表示する。基準としてはブシン祭本戦級の魔剣士を各能力10の合計60、ガーデンの新兵を各能力30の合計180としている。

 

「シータ。敵の強さと、味方の強さ、教える。参考にして」

 

 敵は席次順に550、530、700、580、600、288だ。イータが極端に低いのは彼女の戦闘能力がスライムなどの道具依存なのにその分が考慮されていないからだ。

 対してシータ軍。ズルムケが600、トモダチが540、バブリアスが410、プラチナが680、銀髪の亡霊が534、そしてイータには見えていないが『強さわかーる君』には捉えられているオリヴィエは660となっている。プラチナの戦闘力が意外と低いのは巨体のため敏捷性が低く評価されているせいだ。また、人類を基準としているため形状が人間離れしている存在の測定にはそもそも向いていない。

 ちなみにシータ本人は特殊能力を全て無視されたせいか294しかない。

 さらにダークシャドウも肉体的にはシータなので294しかない。

 

「プラチナはデルタ様を抑え……速すぎて追いつけない? ならオリヴィエ! 君に決めた!」

 

「世界を……漆黒に染める……!」

 

「ズルムケは最前線でガンガンいこうぜ! トモダチはイータ様を潰して他に合流! あ、違う違うそっちじゃなくて偽物の方!」

 

「頑張れ下僕たち! 俺はもうシャドカツしているぞ!」

 

「バブリアス無理するなよ! 新入りはよく分からんからガンマ様とじゃれてろ!」

 

 真面目に指揮するシータと、特にこれといった指示を出していないダークシャドウ。しかし持ち駒の能力差により戦況はダークシャドウ勢力の優勢で進む。

 

「戻れバブリアス!」

 

 この場に集まった者の中でも一歩見劣りしていたバブリアスが最初に脱落し、死ぬ前にシータがボールに戻す。

 

「代わりお願いしますイータ様!」

 

「……え? 何で?」

 

「イータ様が招いた事態なんですからイータ様も戦ってください! また研究費減りますよ!」

 

「シータが、戦えば、いいよ?」

 

「私が指示出さないと動かない奴が複数いるんですよ!」

 

 ズルムケと新入りのことだ。

 

「むぅ……仕方ない」

 

 などと了承したように見せたイータだが、やはり自分で戦うのは面倒なのだ。

 自分が加わっても所詮は288の増加なのだから、その分を補えばさぼっても文句ないだろうと考えたイータは、試作のガス状ドーピング薬をバケモンたちに投与した。

 

「ファルファルファル……なんだ? 急に……頭が冴えた……俺は……」

 

 ドーピングで戦闘力が680まで上がったことにより戒めから解き放たれたズルムケこと腥れし者。正気を取り戻した怪物はこの機にシータの手から脱出せんと試み機会を伺う。

 

「ガガガ! ガガガガガガガ!」

 

 肉体的攻撃力と敏捷性が倍に向上して戦闘力670となったトモダチは、腥れし者の企みに気付いて抑えにかかる。

 

「……私は、誰? 思い出せない……だけど、指輪は、守らないと」

 

 戦闘力が570まで上がり消えかけていた存在が補強された新入りは、黒いモヤが消えてその姿が明確になる。どことなくアレクシアに似てるなぁとシータは思ったが、その直後に新入りが襲いかかってきたので考え事どころではなくなった。

 なおプラチナには効かず、オリヴィエには当たらなかった。

 

「ちょっとイータ様ぁ!? 裏切り者が2体も出たんですけど!? わっ、ちょっ、指輪狙いかこいつ! やめろ馬鹿大事な指輪なんだぞ!」

 

 力を増したバケモンたちの同士討ちに七陰の影の攻撃が入り混じり、戦場はさらに混沌へ。

 

「あー、あー、てすてす」

 

 イータが拡声のアーティファクトで呼びかける。

 

「さっきの薬に、時間切れは、ない……ただし、解毒薬を、打たないと、しばらくしたら、全身崩壊する」

 

 ふざけんな!

 腥れし者とシータの言葉が重なった。実はさっきシータも巻き添えで薬が投与されていたのだ。戦闘力は464と大幅に上がっており、そのせいで全身崩壊までの時間はこの場で最も猶予がない。

 

「お前はいい加減にしろ!」

 

 シータは新入りの斬撃をあえて身体で受けて、動きを止めたところで首筋に噛みついた。首が半分千切れた新入りは消滅し、成仏……していたのだが、なぜか途中で戻ってきてシータの薬指の指輪に取り憑いてしまった。

 大切なアルファニウム補充用の指輪に変な亡霊が取り憑いたことは誠に遺憾だが、今は文句を言う時間すらない。

 腥れし者も命がかかっては真面目に戦う他なく、指示待ちがいなくなって自らも参戦したシータがデルタの影にぼこられている間に戦闘力600超えの猛者たちが他の七陰の影を討伐、最終的にデルタの影を数の暴力で仕留めてみせた。

 

「うっ、ごばぁっ!」

 

 シータが激しく吐血した。他のドーピングを受けたバケモンたちも動きが悪くなったりしゃがみ込んだりしている。

 

「イータ様、解毒、早く……!」

 

 イータがシータ含む実験台たちに解毒薬を投与する。命の危機は去ったがトモダチは反動で動けなくなり、ズルムケも再び思考能力を失った。シータはトモダチとズルムケをボールに戻した。

 

「あとは、あいつだけぇ……!」

 

 死ぬほど疲れている身体に鞭打ってシータがダークシャドウに剣を向ける。

 

「ふっ……立ち上がれ、我が下僕たちよ」

 

 ダークシャドウが不敵に笑いながら指パッチンで音を鳴らすと、シータたちが苦労して倒した七陰の影が復活した。

 これがダークシャドウの聖域『†閉ザサレシ冥寥ノ箱庭<クル・ヌ・ギ・ア>†』の能力、無限に復活する七陰の影(アルファを除く)である。控えめに言っても勝ち目のないクソゲーだ。

 

「これがシャドウの力ぁ!」

 

 絶望に染まって青ざめたシャドウ姿のシータを眺めて気分を良くしたダークシャドウの高笑いが響く。

 もはや勝ち目を失ったこの状況。そこに希望をもたらしたのはイータ(本物)であった。

 

「……マスターの力は、こんなものでは、ない」

 

「なんだと?」

 

「マスターなら、自分の力だけで、勝利する。七陰の助けなんて、いらない。むしろ……窮地に、乱入して、助けてくれる」

 

「……そうなのか?」

 

 ダークシャドウがシータに視線を向ける。

 

「そうだよ(便乗)」

 

「ふっ……」

 

 ダークシャドウが再び指を鳴らして復活した七陰の影を消した。そして代わりに傷付いて倒れ伏す七陰の影を出現させる。

 

「やはり……次は俺だな!」

 

 ダークシャドウが玉座から立ち上がって剣を構えた。

 

「この俺自らお前たちに格の違いを教えてやる! 下僕たちよもう大丈夫! 俺が来た!」

 

 シータは最後の気力体力を振り絞って飛び込んでくるダークシャドウに応戦した。

 

「プラチナとオリヴィエはよく頑張ってくれた。戻って休んでいて」

 

 シャドウの後継者を目指す者のひとりとしてシータにも先程のイータの言葉が刺さっていたため、彼女はダークシャドウと単独で戦うつもりらしい。

 

「シャドウ様の後を継ぐのはお前じゃない! 次は……私だ!」

 

          ◯

 

 大量の書類を処理し終えたアルファはシドニウムの欠乏で沈んだ気分を変えるためにティータイムにしようと考えた。

 ひとりで茶を飲んでも余計に気が滅入ってしまいそうだからとシータを誘うべく彼女の私室に向かったアルファは、廊下の一部が黒い何かに侵食されていることに気付いた。

 

「これは……聖域?」

 

 シータやイプシロンから報告を受けたアルファは聖域展開について知っている。

 最初はシータが聖域展開の練習をしているのかと考えた。しかし聖域の侵食がイータやゼータの部屋にまで及んでいることに気付いて自分の考えを否定した。

 見た限り聖域はイータの部屋を中心に広がっている。

 つまり……いつも通り、イータが何かやらかしたのだ。

 アルファは溜め息をついた。

 それからおそらく巻き込まれたであろうシータをどうやって救出するか検討した。

 アルファであれば聖域の外殻を破壊するのは容易いが、それをやると聖域の中身が全て出てきてしまう。中に何がいるか分からない状況で実行してアレクサンドリアの城内に被害を及ぼすのは不本意だ。

 そこでアルファは聖域を破壊しない程度の貫通創を作り、吸血鬼の霧化によって内部への侵入を成功させた。

 

「あっ……シド……!?」

 

 聖域侵入直後のアルファの目に入ってきた光景は、2人のシャドウが激しく斬り合っている戦場であった。

 シドが2倍になって帰ってきてくれた! 両手にシドね! と喜悦を滲ませたアルファであったが、すぐに洞察力に秀でた双眸でどちらのシャドウもシド力たったの5しかないゴミだと見抜いてすんと落ち着いた。なんで分かるんだよ。

 

「イータ」

 

 離れた場所から偽シャドウたちの戦いを観測しているイータに接近して、彼女の肩をぽんと叩いた。

 

「簡潔に状況を説明しなさい」

 

 イータが錆びた歯車のようにぎこちなく首を回してアルファを視界に捉える。アーティファクトには720と表示された。

 

「片方は私が保管していたマスターの細胞とシータの分裂体が謎の化学反応を起こして暴走したものでもう片方はシータがマスターの格好をして遊んでただけだから私には一切責任はない」

 

「後で調査委員会を立ち上げるわ。もしも冤罪があったら大変なことになるわね。あなたが」

 

「ぐぅ……」

 

 イータは観念して自分の所業を事細かに説明した。

 

「……そう。あなたには後で人類を対象とした医学研究の倫理的原則について学んでもらうとして……」

 

 今はイータに構っていられない。結局どうしてシャドウの格好をしているのかは分からなかったが、今回の騒動でもやはり被害者となったらしいシータを救助する方が優先だ。

 

「シータ!」

 

 ダークシャドウとシータの戦いは、ダークシャドウがシャドウの技量を持ちながらも肉体がシータであるために思うように動かなかったこと、そしてシータがアルファの夫の座を手にするために滅茶苦茶頑張っていたことにより拮抗していた。

 しかしアルファから名前を呼ばれただけで「このままだと敵がどちらか分からないから正体を明かしてあなたはサポートに回りなさい」と要求されていることを理解したシータは即座にシャドウのコスプレを解除して8番の姿となり、その隙が原因で均衡が崩れ、シータはダークシャドウに首を斬られた。

 

「勝った! これでこの俺がシャドウとな……」

 

 そしてダークシャドウはアルファの剣によって頭と四肢を斬り落とされた。

 ダークシャドウはアルファに対する警戒を怠っていたわけではなく、本来ならばシャドウと遜色ない回避技術で切り抜けられた攻撃だった。それなのに直撃を受けたのはシータが全力でアルファをアシストしたおかげだ。

 首を落とされながらも変装を解いたシータがシャドウらしくないからと使っていなかった重力操作を解禁してダークシャドウの行動を阻害したこと。

 動かしている脳みそ以外が全てシータの肉体だったために、アルファの攻撃は甘んじて受け入れるべしと細胞レベルで考えている肉体が回避を拒んだこと。

 内と外から2つの妨害が重なったせいでダークシャドウは紙一重の回避に失敗して斬り刻まれたのだ。

 最後にとどめとして頭部に剣を突き立て、残心を終えたアルファは取り乱すことなくシータの頭部を優しく拾い上げる。

 

「お疲れ様」

 

 アルファがシータの頭部をシータの肉体に近付ける。それだけで断面が癒着してシータは復活した。

 こんなものを見せられて全く動揺せずにいられるのはちょっと前にシータが飼い主に芸を自慢するペットのように再生能力を見せに来たからだ。いきなり目の前で自ら首を切断し始めた時にはアルファらしからぬ絶叫をアレクサンドリアに響かせてしまったが、今は大丈夫だと分かっているので冷静でいられる。

 まあ、自分も最近は霧になったりしてるし……首が繋がるぐらいなら、ね?

 

「アルファ様、ありがとうございます。助かりました」

 

「いいのよ。悪いのは全部イータだから」

 

 遠くでイータが文句を言っているが2人で息を合わせて無視した。

 

「ところで、さっきまでの格好は……」

 

「あ、あれは決して疚しいことはなく、ちょっとしたシミュレーションといいますか……」

 

「わかったわ。シャドウの剣を理解するために形から入ったということね?」

 

 アルファの中ではシータは時々奇行に走るが基本的に真面目ないい子なのだ。まさかシャドウの行方不明をいいことにシャドウに成り代わろうとしていたなどとは夢にも思わない。

 アルファから信頼の眼差しを向けられたシータは邪な企みを瞬時に頭から追い出した。

 

「そうです! そういうことです! その途中であいつの聖域に巻き込まれたんです!」

 

 食い気味に肯定するシータがダークシャドウの残骸を指差す。彼女の指し示す先にはもこもことダークシャドウの腹を突き破って急速に肥大化している脳みそがある。眼球が生えてきているのは解剖学的に間違っていないのでいいとして、なぜか口まで発生しているのが気色悪い。メロンパンみたいだなこいつ。

 

「リ、リリリリリ、リカバリィィィィィイイイイイ!」

 

 10メートル近くまで巨大化した脳みそは青紫の魔力を貯め始めた。

 

「アアアアアイ! アアアアアム!」

 

「シータ!」

 

「はい!」

 

 阿吽の呼吸すら超えた運命の主従は2人で1つの剣を握りしめ、アトミックを相殺する覚悟で全力の魔力を込める。

 

「アトミイイイイイイ……ィィィィィ?」

 

 いよいよアトミックが放たれるその瞬間、ダークシャドウの脳みそは自分を見つめる少女たちの瞳を……そこに映る自分の姿を見てしまった。

 何だこの、醜い姿は……。

 陰の実力者の姿か? これが……。

 

「動きが止まった! 今よ!」

 

 巨大なケーキを切り分けるがごとく振り下ろされた魔力の刀が生き恥を自覚して思考停止した脳みそに入っていく。

 その瞬間、シータは心の中で叫んだ。

 魔界に消えたシャドウ様!

 今、アルファ様は私の隣で剣を振るっています!

 私は、ありのままの私でアルファ様を幸せにしていいみたいです!

 さぁ、最後の仕上げだ!

 2人の魔力が真っ赤に燃える!

 幸せ掴めと轟き叫ぶ!

 粛聖!

 ロリ陰!

 レクイエム!

 脳! 破!

 ラブラブ!

 てええええん!

 きょおおおおお!

 けえええええん!

 

「ふっ……シャドウ……君になりたかっ……」

 

 両断された脳みそは魔力の余波で聖域もろとも跡形もなく蒸発した。

 そして……イータとシータと、ついでにゼータの私室も巻き添えになって蒸発した。

 

          ◯

 

 ダークシャドウ事件はシャドウガーデンに人的被害はもたらさなかったが、物的被害は大きかった。

 リンドブルムでシャドウがアトミックを使った時に聖域と重なっていた現実の空間も蒸発してしまったように、シータの部屋は綺麗さっぱり消えてなくなった。

 それはつまり、これまで沢山集めてきたアルファのグッズやアルファの写真やアルファの諸々も全て喪われたということだ。

 酷いよ……こんなのってないよ……。

 イータ様と違って私は何も悪いことしてないのに!

 シータはかつての理想郷があった空間の中心で膝を折った。心が絶望に染まって身体を動かす気力が出てこない。

 そんな彼女に誰かが声をかける。

 

「諦めたらそれまでだ」

 

「誰?」

 

 声がした方に目を向けると、そこにはシャドウみたいな格好をした犬のぬいぐるみのような何かがふよふよと浮かんでいる。

 

「でも、君なら運命を変えられる」

 

「ねぇ……!」

 

「避けようのない滅びも、嘆きも、全て君が覆せばいい」

 

「誰なの? 怖いよぉ!」

 

「そのための力が君には備わっているんだから!」

 

「まじで誰だお前話聞けよ」

 

 シータが変な奴の頭部をぎゅむっと鷲掴みにした。シータの指が変なのに深く食い込んだ。

 

「いたたたたた! やめてギブギブ! 話す! 僕が何か話すから離して!」

 

 シータは舌打ちをして変な奴を解放した。

 

「で? お前何?」

 

「僕はヌル! 精霊だよ!」

 

 シータが胡散臭い存在を見る目でヌルを睨む。

 実際のところヌルは嘘こそついていないが、本当のことは話していない。

 この変な自称精霊の正体。

 それは蒸発死したダークシャドウの魂である。

 もとより転生を経験済みのシドだ。その複製の魂も1回死んだ程度で消滅するはずもない。

 シドと同じように考え、同じように陰の実力者を目指したダークシャドウは、シータに敗れたことで自分は陰の実力者に相応しくないと実感して新たな目的を持つようになった。

 

「それじゃあ改めて……シータ。僕と契約して、陰の実力者になってよ!」

 

 シャドウの次はダークシャドウではなくシータだと分かった。

 だから……ヌルは代々受け継がれし聖火に宿った先人の意志のごとく、シータの導き手となることにしたのだ!

 こうして自室と私物をほぼ全損したシータは、その代わりに変なことばかり言う自称精霊を手に入れた。

 あとついでによく分からない亡霊に憑かれた指輪はアルファニウムを発さなくなった。

 マイナスしかねぇよとシータは泣いた。




後日、全壊した自室を見たゼータ。

「あのさ……どうせ作り直すんなら私の部屋はイータの部屋から離せない? え、無理? 不在期間が多い私なら何かあっても人的被害は避けられるから? そっかぁ……いや待って。シータはいいの? 距離とか関係なくイータが積極的に巻き込みにいくからどうにもならない? そっかぁ……」
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