ミツゴシ商会。それは七陰の第三席『最弱』のガンマ様が支配する商会である。シャドウ様の陰の叡智を活用した画期的な商品を世に送り出すことで急成長を果たし、今ではミドガル王国の経済圏で最も大きな勢力を誇っている。
そんなミツゴシ商会の従業員は全員がシャドウガーデンとの兼業である。かくいう私も人員が足りなかった時期は店の売り子など幅広くこなしてきた。近頃はシャドウガーデンの人員に余裕ができたため私のように戦闘特化で表の仕事に不向きな者は血生臭い仕事に専念していたのだが、それでも繁忙期など手が足りない時は駆り出される。
そう、今がその手が足りない時である。
魔力の撹乱やら吸収やら、魔力の使用を阻害される事態については、魔力を細く強固に練れば抵抗できる。
理性の封印やら本能の増幅やら、精神干渉系の攻撃については、普段意識しない部分である脳に意図して魔力防御を施せば防げる。
いずれにせよ早急に特殊な訓練が必要というわけで、人員の大部分がアレクサンドリアに引き上げている現在、ミツゴシ商会など表の仕事に回す人員が著しく不足した。もちろん商会の運営に必要な必要最低限の数は訓練を後回しにしているが、それでもデルタ様の手も借りたいという状況だ。ちなみに本当にデルタ様の手を借りるとむしろ仕事が増える模様。
だから求められる技能をどちらも習得済みの私はアルファ様に命じられてガンマ様の下に派遣されたのだが、ちょっと困ったことになった。
「あなたにはしばらくミツゴシ商会会長を代わってもらうわ」
無理です勘弁してください荷が重いです、と言いかけた自分の口を殴り飛ばして黙らせる。七陰の命令を断るとか何様のつもりだてめぇ。そもそもナンバーズの私が責任負わないで誰が負うんだ。
逃げるなァァ! 責任から逃げるなァァ!
「ちょっと!?」
「ふみませ」歯が折れたので飲み込み、治癒の魔力で新しく生やす。「んっ、すみません。身の丈に合わない大抜擢に幻覚でも見てるのかと思いまして」
「幻覚ではないわ。8番には私が例の訓練から戻るまで会長業務を代行してもらいます」
ガンマ様は忙しく、かつ前線に出る機会が少ないこともあり、訓練を後回しにされていたらしい。しかし一般構成員ができることを七陰がいつまでもできないままでは示しがつかない。そのことをアルファ様に相談した結果が現状だ。
「なるほど、それでアルファ様は私を派遣したのですね。しかしナンバーズの皆様を差し置いて私でよろしいのですか?」
ミツゴシ商会本店には現在、ニュー様、カイ様、オメガ様が出向中だ。
「彼女たちを動かすと、結局は重要な部署に穴が空いてしまうのよ」
それに会長の業務はガンマ様の経営センスがあってこそ成り立つものであり、ナンバーズといえども簡単に代われるものではない。
じゃあ私はどうなのかという話だが、ガンマ様はイータ様のアーティファクトでリモートワークなる特殊な働き方をするようで、私がするのは会長が人前に出ないといけない部分のみ、つまりお飾りの会長だから大丈夫というわけだ。
「なるほど、でしたら私は適任ですね。無駄に古参ですからいきなり会長代理を名乗っても反発は少ないでしょうし」
「なるべく早く戻れるようにするからお願いね。秘書にニューを付けるから詳細は彼女から聞いて」
◯
「シタラ様、次はこちらに署名を」
傍らに立つ大人びた少女が私に書類を差し出す。彼女はニュー様。おっぱいではない。ナンバーズのひとりで、シャドウガーデン加入時点でナンバーズに内定していたすごい方だ。
私、8番ことシータことミツゴシ商会会長代理シタラは、秘書ニュー様が用意してくださる書類に名前を書くアーティファクトと化している。
シタラ、シタラ、シタラ、シータ、シータ、シータ。
「間違えてますよ」
「あっ、ごめんなさい」
修正線を引いて書き直そうとしたが、その前にニューが暖炉の火に投げ込んでしまう。
「新しく作らせますので以後お気をつけください」
「ごめんなさい、お手数おかけします」
作り直し担当の人、ごめん。シタラは急遽考えた偽名だから、つい普段の報告書の気分でやってしまった。
……というか、ニュー様に私がシータだってばれたか?
「あのぉ、今のはシタラとシータ様の名前が似てたのでぇ、つい頭の中でこんがらがったと言いますかぁ」
「そうですか。それよりこの場においてシタラ様は私の上司ですので、パイのような変なへりくだり方はしなくて結構です。どうぞ普通に話してください」
パイ様とはナンバーズのひとりである。おっぱいではない。私はあんまり接点がない。というか獣人でデルタ様以上に鼻がいいので身バレを警戒して近づかないようにしている。
なんか私、おっぱいに頭やられてないか? イプシロン様との修行のせいか?
「そうで……そうか。了解」
名目上は会長代理なので過剰にへりくだるのは良くない。しかし8番の身でナンバーズ相手にタメ口きくのはたとえ相手の許可が出ていても怖い。一応私もナンバーズだけど、シータの姿だと筆談ならぬスライム談だから、面と向かってナンバーズと対等に話したことはないのだ。
自分の微妙な立場に雁字搦めとなった私は、口数を少なくして逃げることにした。きっと私は付き合いづらい嫌な上司だ。やはり私にこういう仕事は向いてないということだろう。
◯
九割書類、一割重要顧客の接客といった感じで代わり映えのない業務が続くこと三日。早くもガンマ様は訓練を終えたとのことで、翌日には私は晴れてお役御免となる。ガンマ様は攻撃を敵に当てられない謎の呪いにかかっているだけで魔力の扱いが下手なわけではないため、まあ妥当な早さだ。
ニュー様と事務的な話しかできなくてかなり気まずい空気の中で仕事をさせてしまったことは心残りだが、平和に終われば良しとしよう。
さあ、今日も無事に乗り切るぞー、と気合を入れて出勤する。まあ、どうせ書類仕事だからそこまで気負う必要はないけどね。
そう思っていたのだが、この日は特殊な案件が生じてしまった。
「あの、シタラ様。絵画を寄贈したいという貴族の方が来ておられます」
「寄贈? 部下に煽てられた勘違い貴族が自作の下手な絵を恵んでやるとでも?」
「いえ、かの有名な画家、ゲール・テーナの作品です」
元村娘の私には芸術のことなんてさっぱりだが、ニュー様が有名と言うならすごいものなのだろう。彼女は元ミドガル王国の大物貴族家の御令嬢だ。
「高い?」
「凄まじく」
「賄賂?」
「いえ、それにしては様子がおかしく」
ニュー様によると、その貴族は開店前に店の前を掃除していた従業員を捕まえて、寄贈すると言って布に包まれた物体を押し付け、逃げ出したらしい。もちろん従業員は訓練されたシャドウガーデンの兵なので、肥え太った貴族の足に追いつくことは赤子の手をひねるよりも容易かった。とりあえず今は事務室に連行して話を聞いているが、貴族は寄贈するの一点張り。貴族は目を血走らせて震えるばかりで従業員の子たちを怖がらせている。
「押し付けられた物品に危険性は?」
「イータ様のアーティファクトで確認しましたが、毒物等の物理的な危険性も、魔力的な危険性も発見されませんでした。また絵画自体も贋作ではなく、確かにゲール・テーナの作品です」
「貴族の身元は?」
「私が確認しました。間違いなくミドガル王国の貴族です。しかもこの国の貴族にしては珍しく善良と言える部類の人です」
辛辣な物言いには悪魔憑きを発症して実家を追い出されたニュー様の私怨が混じっているが、実際ミドガル王国の貴族は腐敗が著しく善良な貴族は希少だ。
さて、その善良な貴族の目論見が今のところさっぱり分からない。
というわけなので聞き出しに行こう。
「お待たせいたしました、私、現在不在のルーナ会長よりミツゴシ商会会長代理に任命されました、シタラと申します」
私の丁寧な挨拶を貴族は無視した。俯いてひたすら独り言を呟く姿は確かに不気味だ。
「君、よく頑張ってくれた。後は私たちに任せて業務に戻りなさい」
不気味な貴族を見張り続けてくれた従業員の子を部屋から出し、事務室の中が貴族と私とニュー様だけになったことを確認してから、懐に仕込んだアーティファクトを起動する。
これはイータ様が例の獣人暴走アーティファクトから得た知見で作製した尋問用アーティファクト『秘密ぺらぺら君』だ。効果範囲にいる者は思っていることを全て口に出してしまうようになる。無差別なので使用者は精神防御の取得が必須である。
「では率直にお聞きしますが、あなたの目的は?」
「の、ののの、呪われた絵を手放したいだけなんだ」
ディアボロスの呪いに苦しめられた身としては、呪いと言われて笑い飛ばすことはできない。
私は貴族の男から絵画の呪いについて詳しく聴取した。
◯
貴族の男が行商人から購入したという、悪魔憑きを発症して身体の半分ほどが腐った肉塊に変異した少女を描いたこの絵画は、毎日夜になると所有者を絵画の中の世界に引き込むのだという。
最初に被害に遭ったのは貴族の男が雇っている警備員。絵画が飾られた廊下付近を警備していた男は、気付くと薄暗い謎の空間にいて、そこで醜悪な怪物に襲われた。怪物は倒しても無限に湧き、必死に逃げ続けているといつの間にか元いた廊下に戻っていて、失禁した状態で朝を迎えた。
警備員の男はまず同僚にその話を伝えて笑われ、泣いて頼んでその絵画が飾られた廊下付近の警備担当を代わってもらった。そして交代した警備員も同様の被害に遭った。
被害者はまた別の同僚に交代を頼み、ついには多くの警備員が同じことを体験した。
廊下が尿の染みで目も当てられない惨状と化した頃、ここに来てようやく警備員たちが貴族の男に陳情してきた。さすがに作り話と疑うわけにもいかず、しかしにわかには信じ難かったため、無謀にも貴族の男はわざと自室に絵画を飾って夜を過ごしてみた。結果、本当に絵画の中に引きずり込まれた挙げ句、不気味な彫刻やら悍ましい絵画やらに追いかけ回され、気付くと元いた自室で便失禁した状態で朝を迎えていた。
「なるほど確かに呪われているようだ。しかし所詮は絵画なのだから、燃やせばよいでしょう」
「試したさ! だが駄目だった!」
粗相の処理に先んじて貴族の男は絵画を暖炉に投げ込んだが、薪が燃え尽きても絵画は無傷だった。
「それで他人に押し付けることにしたのはいいとして、ミツゴシを選んだ理由は?」
「る、ルーナ会長が特級の美術品を集めていると聞いたからだ。呪われていてもゲール・テーナの作品、無料で手に入るなら断りはしないだろう」
ニューが小声で補足してくれる。
「事実です。陰の間をより良くするために色々と試しておられますので」
陰の間とはミツゴシ本店におけるシャドウ様の部屋として作られた、いわば王宮における玉座の間のような豪華な部屋だ。国家予算並みの資金が陰の間建造のために使われているがアルファ様も公認しているので問題ない。
「ははは、そういうことなら正直に伝えてくだされば良かったのに。あまりに挙動不審だから何を押し付けられたのかと焦りましたよ」
「すまない、一刻も早く手放したくて、それで」
「いえいえ、謝る必要はありませんとも。とはいえ従業員が怖い思いをしたのも事実。呪われた絵画の処理も込みで、貸し2つということで解放しましょう。もう行っていいですよ」
「引き取ってくれるのか!?」
「特別ですよ。今後ともミツゴシをご贔屓に」
私はニュー様に貴族の男を出口へ案内するよう指示する。ニュー様は小声で確認してくる。
「よろしいのですか?」
「理由は部外者を排除してから話す」
◯
シータの正体が8番であると知る者の中には、実は七陰の他、特定の役割があって入れ替わりを想定されていないナンバーズも含まれる。最近、口を閉ざす苦しみに耐えきれなくなったアルファが懺悔するように伝えたためだ。
つまり数少ない人間の悪魔憑きであるためにシャドウガーデンの訓練を受ける前からナンバーズに内定していたニューはミツゴシ商会会長代理に任命されたシタラこそが最強のナンバーズ『魔球』のシータであると把握しているのだ。
8番は戦場において幾人もの新兵の命を守る肉の壁となり、拠点において殺人の罪悪感に苦しむ多くの少女の心をケアしてきた。1名の例外を除いてシャドウガーデンの仲間は皆、その正体を知らずとも8番のことを慕っている。
同様にニューもかつて世話になった8番を尊敬しているし、ナンバーズとしてのシータにも七陰と同等の敬意を払うに足るほどの確固たる実績の積み重ねがあることを把握している。
そのシータが受け入れるのであればニューに異論はないのだが、はっきり言ってリスクにリターンが見合っていないと思っている。貴族に恩を売るのは悪くない。しかし得体の知れない呪われた品を抱える危険性の方が圧倒的に大きいはずだ。
貴族の男を追い出した後、ニューはシータに自分の疑問を明かした。
次の瞬間、凄まじい圧力をニューは感じた。一切の表情が抜け落ちたシータから凄まじいプレッシャーが放たれたのだ。
「本当に、そう思うか?」