君がそんな子だって知ってたらナツメイト関連の回にねじ込んだのに……。
諸用のためアレクサンドリアに戻っていた私は廊下で偶然運良く遭遇したアルファ様から世間話でもしましょうと誘われてお部屋にほいほい付いて行った。
今日のアルファ様はいつになく上機嫌だ。
聞くところによるとさっきまでシド様とミツゴシの高級バーで逢引なさっていたそうだ。
「……それでね、やっとシドが私の贈ったスーツを着てくれたのよ」
「おお! ついに! おめでとうございます!」
アルファ様がミツゴシで新開発したウィスキーをベースに作る『カクテルの女王』マンハッタンを一気飲みした。シド様との逢引の時もこれを飲んだらしく、アルファ様は味とともに記憶に浸っているのだ。
「おかわり」
私は空になったアルファ様のグラスにマンハッタンを注いだ。
「なかなか使ってくれないから私の選んだスーツじゃ彼の好みに合わなかったのではないかと心配していたのだけれど……使う機会がなかっただけだったのね」
「表向き貧乏男爵家のシド様があれほどのものを普段使いしては目立ってしまいますからね」
「そうね、私としたことが失念していたわ。おかわり」
私は空になったアルファ様のグラスにマンハッタンを注いだ。
「でもやっぱりシドには黒蚕から採取した最高品質のシルクがぴったりだったわ。ふふ、あの素敵な姿を写真に残せなかったのは惜しかったわね」
「そう言ってくださると私も浮かばれます」
黒蚕は強力な毒を持つ虫だ。そのためイータ様の人体実験を頻繁に受けたことで自然と毒に強い耐性をつけた私が捕獲から製糸まで担当させてもらった。
「そうね、あなたのおかげだわ。このお酒もあなたが作った作物のおかげでこーんなに美味しくなったのよね。おかわり」
私は空になったアルファ様のグラスにマンハッタンを注いだ。
……アルファ様ちょっと飲み過ぎでは?
楽しそうなのは何よりなのだが、お酒の過剰摂取はお体に触りたい。違う、お体に障る。
私はアルファ様の意識をお酒から逸らすために話題を大きく転換した。
「そうだ! アルファ様に相談したいことがあるんです!」
「もしかしてあなたもシドのことが気になってしまったの? 駄目よ、シドは私の。誰が相手でも彼だけは譲れないわ」
今日のアルファ様はお酒のせいで本音がぽろぽろこぼれてる。
……分かっていたことだけど恋愛相手として全く意識されていないのが悲しい。
「そうではないのでご安心ください。相談というのはミドガル学園に関することです」
「……もしかして、エライザ・ダクアイカンの裁判の話?」
「御存知でしたか。さすがはアルファ様です」
爆弾首輪事件の時に生徒を4人殺害し、さらにはカナデに対しても殺人未遂をやらかしたエライザは、ミドガル王国第二王女アレクシアや大貴族ホープ公爵家のクリスティーナが検察側に有利な証言をしたにもかかわらず無罪となる見通しだ。
普通に考えたらありえないこの判決はディアボロス教団と関係を持つ悪徳貴族どもの干渉によるものらしい。
この件で厄介なのは死んだ4人の中にミツゴシファンクラブのメンバーが含まれていたことだ。
法の裁きを受けるならばそれでいいと沈黙していたファンクラブの連中は不当な無罪判決を聞いて悪徳貴族どもの暗殺を画策し始めた。
成功する見込みがあれば放置するのだが、弱っちい学生が大半を占めるファンクラブではまず勝てない。
群れた悪徳貴族どもは『十三の夜剣』などといういい年した大人のくせに無駄にかっこつけた名前の秘密結社を結成していて、これが結構な資金力と戦力を有しているのだ。
ガーデンが動けば容易く滅ぼせる相手でも私抜きのミツゴシファンクラブでは太刀打ちできない。暗殺に失敗すれば団体名のせいでミツゴシ商会にも飛び火するだろう。
そういうわけなので、面倒なことになる前に私の手で『十三の夜剣』を潰すことにした。こうして私がアレクサンドリアに足を運んだのもアルファ様に実行の許可をいただくためだったのだ。
「さっきシドから聞いただけよ。悪いことをした人が正当な裁きを受けないなんてちょっと気に入らない、ですって」
「武力のみならず高潔な精神まで持ち合わせているなんて、さすがはシド様ですね」
この話を聞いて「悪いことしても無罪になるなんてちょっと羨ましいなぁ」などと宣った自称精霊とは大違いだ。
「ガーデンの方針としてはミドガル王国の腐敗への対処はもう少し先になるはずだったのだけれども、あの様子だとシドは早々に動くつもりね」
「そうだとすると非常にありがたいです」
シド様がやってくれるなら私がやるより確実だ。
それなら私はファンクラブの馬鹿どもの抑えに専念させてもらおう。
「ないとは思うけれども、もしもこの件でシドが人手を必要とするようならミツゴシ本店の人員を率いて向かってくれる?」
「了解しました」
「おかわり」
私は空になったアルファ様のグラスにマンハッタンを注いだ。
しまった、話がすぐに纏まってしまったせいでアルファ様の興味がまたお酒に戻ってしまった。
何か別の話題……別の話題……。
「あーっと、えーっと……アルファ様はシド様と他にどんなお話をしたんですか?」
「他? そうね……裁判の話と、お酒の話と、スーツの話と……ああ、新しい古代文字の暗号についても話をしたわね」
「そういえば最近更新しましたね」
機密保持のために大切なことでも、頻繁に暗号が変わると私みたいにそれほど暗記力がない者は大変なのだ。今回も慣れるまで当分苦労して、慣れた頃にまた更新となるだろう。
「ええ。それで新しい解読表を渡したら彼はひと目見ただけで全てを理解してしまったの。本当にシドは凄いわ。武力も知力も魔力も魅力も世界一よ。それに比べて私はてんで駄目ね。完璧超人なんて呼ばれていても私にはオリアナの事件の分厚い報告書を3秒で読むなんてできないもの」
あの古代文字で書かれた鈍器を3秒で!?
シド様すげぇ……人間業じゃねぇ……。
「シドは脳の処理を高速化させているのよ。教えて欲しいと頼んでも私にはまだ早いって……私はいつになったら彼の隣に並び立てるのかしら」
グラスを傾けてマンハッタンを揺らすアルファ様の憂いを帯びた顔に私は見惚れた。
やはりアルファ様のお顔はどんな表情の時も美しい。
でもやっぱり笑顔が一番だと思うから、アルファ様の悩みは私が取り除こう。
「私挑戦してみます。脳の処理の高速化!」
「……無理しないでね」
アルファ様は微笑み、そしてマンハッタンを飲み干した。
「おかわり」
その後アルファ様はウィスキーのボトルが空になるまでマンハッタンを飲み続けたが、最後には魔力で体調を整えて何事もなく執務に戻られた。
さすがですアルファ様!
◯
アルファ様であれば暗号文自体は普通の文字で書かれた文と同じ速度で読めるはずだ。
そのため私が練習のために用意したのは暗号で書かれた報告書ではなく概ね同じ内容のシャドウ様戦記オリアナ内戦編だ。
これを3秒で読んでみせるぞと意気込んで読み始めて3秒後、私が読めたのはたったの1行だった。
……どうしよう、思った以上に厳しい。
「ヌル、何かいい案ない?」
オリヴィエは分裂体と一緒に学園に残っているがヌルは私に憑いてきている。
「んー……そもそもこれを3秒って無理でしょ」
「でもシド様はできるって」
「冗談のつもりで適当なこと言っただけだと思うけどなぁ」
「シド様がアルファ様に嘘を言うわけないでしょ」
「あ、はい」
ヌルを頼った私が馬鹿だった。
素直に自分で考えることにした私は、ちょっと思いついたことがあるので早速試してみた。
「おっ! 5行読めた!」
「見た感じ何も変わってなかったのに、どうやったの?」
「リカバリーの応用で体内に脳を増やしてみた」
分裂能力は基本的に等分しかできず、臓器だけ出芽させるような器用な真似はできないが、そこにリカバリーを併用したら成功した。今回はとりあえず5倍にしてみた。
「それなら心臓も増やした方がいいと思うよ。確か脳は大量の血流が必要だったはず」
心臓が送り出す血液のうち15%ほどが脳に向かう。心臓1個で5個の心臓に同量の血流を送るのは負荷が大きいので、確かに心臓も増やした方が良さそうだ。とりあえず予備も含めて心臓を7個に増やした。
「でもこれじゃ全体を3秒以内は無理だよね」
「先は長いね。でも大切なのは積み重ねだよ。思い付いたこと全部試してみよう」
ヌルの言葉であっても内容は間違っていないので私は素直に従った。
まず、文字を読むために何よりも重要な目を左右3対に増やした。
ページをめくるために必要な腕も増やして私は4本腕になった。
増やし過ぎるとそちらの制御に脳機能が奪われるので肉体改造はこれが限界だ。
だから次は外部の力を頼った。
「……襲撃!?」
「あ、私です」
具体的には不本意ながら隣の部屋のイータ様に声をかけた。
「ベータが……魔界から持ち帰った道具……複製した。極めて高度な計算機……人の脳と連結する実験……したかった」
本当に不本意だが、これも全てアルファ様のためだ。
イータ様は私からスライムを含めた全ての装備を取り上げて、全裸の身体を解剖台にこの上なく念入りに拘束して、増やした脳に容赦なく電極を突き刺した。
「あばばばばばばばばばば」
電極なのだから当然電気が流れてくる。それほど痛くはなくても電気のせいで身体が勝手にびくんびくん動いて変な声が出てしまう。イータ様はこれを見越して私を拘束したのだろう。決して逃亡防止目的ではないはずだ。だって今回は私から志願したのだから逃げるはずがないじゃないか。
「うん……接続、成功。理論上……シータの方で、機械……操作できる。……どう?」
「あっ、はい。やってみます」
あっ、凄い!
電極を刺された脳の処理能力が滅茶苦茶上がってる!
10桁同士の掛け算でも1秒で答えが出せる!
これなら暗号で書かれた分厚い報告書でも3秒で読めるかも!
「このターンXPすごいよぉ! さすが花剣のVISTAのお兄さん!」
「……ん?」
……ん?
なんか言語の出力が変だったぞ?
私は何か変ですとイータ様に伝えようとした。
「私は変態です」
「……あ、うん」
納得しないで!?
明らかにおかしなこと言ってるんだから違和感を捨てないでくださいイータ様!
私は実験を中断してくださいと言おうとした。
「止まるんじゃねえぞ……」
「……? じゃあ……次の実験、やる」
まずいまずいまずい!
ヌル! 見てないで助けて!
「聖♡ヌルヌル女学園お嬢様は恥辱倶楽部ハレンチミラクルライフツー!」
「ワンもあるの?」
知らねえよ!
変なこと聞いてないで早く助けて!
「あくしろよ」
ヌルが私の手をぎゅっと握った。
握手しろよ、じゃねえよ!
「大丈夫。君がどうなろうとも、僕が傍にいるよ。飽きるまでは」
「魔界の計算機は……風邪……ひくらしい。人にも感染するか……検証。最悪死んでも……シータなら、いいよね? 生き返るし」
ちょ、ちょ、ちょっと待って!
待ってくださいお願いします!
待って!
「まそっぷ!」
私の制止もむなしく、イータ様は計算機に風邪の原因となる何かを投与した。
◯
「イイイイイイヤッハァァァァァ」
イータが計算機に投与した『コンピューターウイルス』は電極によって繋がっているシータの脳にも悪影響をもたらした。
意思に反してシータの脳内で自動生成された『アルファからのNTRビデオレター』の威力は彼女の脳を完膚なきまでに破壊した。
「……うん……大丈夫……予想の範疇」
逃亡防止用の拘束具を引きちぎって逃げ出す発狂シータを横目に観察しながらイータは警報装置を作動させた。
『イーシー警報発令! イーシー警報発令! これより城内の一部区画が隔離されます! 危険なので七陰の許可なく近付かないでください!』
この警報装置は蒸発したイータの部屋を修復するついでにアルファの命令で設置された。一般構成員にはイータの研究で環境汚染が起きた時の警報と説明してあるが、一部の幹部だけが知るイーシーという名称に隠された本当の意味は『イータの人体実験でシータが暴走した』である。
これまでにシータは二度もイータの手で暴走させられている。陰の叡智『二度あることは三度ある』を念頭に置いて三度目を警戒したアルファはイータの部屋とその周りを修復する際にいい機会だからとイータ自身の手で責任を持って対策を仕込ませたのだ。
「ハァ?」
隔壁に足止めされたシータが暴れ回る。
隔壁はゼータの私室からシータの私室に至るまでを封鎖している。ちなみにこの仕掛けの隔離範囲を持ち前の情報収集力で知ったゼータはそれ以来一度も自室を使っていないという。
「プルルルル」
シータが本気で隔壁を破るために魔力を練り始めた。
対魔力処理が施された分厚い隔壁でもシータほどの実力者が魔力を込めた打撃を繰り返せば10秒もしないうちに突破される。
それでもそれだけ足止めできれば罠の起動が間に合ってくれる。
七陰にも通じる魔力撹乱電波、少しでも吸ったら全身から体液を垂れ流して脱水で死ぬ催涙ガス、スパイ作品でありがちな動くレーザーが迫ってくるやつ等々、悪意と殺意マシマシの罠がシータを襲う。
「ハァ?」
暴走状態のシータを隔離区画外に出したら研究費9割減額と言いつけられているイータは有事の際に確実にシータを仕留められるように手を尽くした。
具体的には半年ほど前に手も足も出なかった魔王ニーズヘッグを仮想敵として設計した数々の極悪兵器を対シータ用の罠に転用したのだ。
ちなみに隔離区画内にいるイータもしっかり巻き込まれるわけだが、彼女は主戦場となっている廊下に出ることなく部屋に留まり、さらにシータのスライム要塞を再現した『絶対安全カプセル』の中に避難しているので絶対安全だ。
「ウララララララララララ」
シータは4本の腕を乱雑に振り回しながらのたうち回っている。一見しておっきな赤ちゃんが駄々をこねているようだが、シータはこれでしっかり攻撃を捌いて罠を破壊している。ゴリ押しでもデルタ級の筋力を有するシータがやると強い。
「……そこ」
「プルッ」
強いのは確かだが隙が多いのも確かだ。
イータによって手動で遠隔操作されたレーザーがシータの頭部を輪切りにした。
「ウラララライィィイィハァア」
しかし瞬きの間に元通りになってブンブンぶん殴りを再開した。
どうやら脳が5つもあるせいで同時に全てを破壊しない限り無限にリカバリーできてしまうようだ。
シータのちいさくてかわいそうな脳なんて何個増やしても無駄だと思っていたのに意外なところで役に立っている。
「……むぅ。困った」
カプセルの中で映像越しにシータを観測しているイータは険しい表情で唸った。
今のシータを倒すためには跡形もなく消し飛ばせるような面制圧兵器が必要だ。しかし隔離区域の外に被害を及ぼしてしまうとアルファに凄く怒られるため、物理的な損壊をもたらす兵器はレーザーカッターや毒矢など攻撃範囲が狭いものに限定されている。
「お困りのようだね、イータ」
まあ最悪シータが解き放たれても純金がいっぱいあるからそれを売って……と諦めかけていたイータに犬のような変なのが声をかけた。
「誰? どうやって侵入した?」
「僕はヌル! 精霊さ!」
本来ならばイータの目では観測できないが、この時ヌルはあえて姿を見せていた。
「精霊……亡霊の亜種? 霊体……透過……失念してた」
「ちなみにシータの殻は空間転移系でも無視できるらしいよ。昔やられたんだって」
「……ほうほう」
「ところでイータ、君はシータと直接戦うつもりはないの?」
「絶対やだ。割に合わない」
シータはスライム要塞なしでも常人と比べて遥かに頑丈で、殺傷力の高い圧縮スライム技や出力の高い重力操作、さらには聖域展開という対処手段を知らなければどうにもならない技を持ち、そこに再生能力まで持ち合わせている。
イータだって時には生命の尊さを思い出すのだ。
「でもさ、考えてごらんよ。これまでは死人が出なかったから研究費減額で済まされただけで、もしも今のシータが誰か殺しちゃったりしたら、最悪一生研究禁止にされるかもよ?」
「……そうなったら……出て行く、だけ」
「イータの危険性を知るアルファが素直に見送ってくれるかなぁ……暴走したシータの殺害許可を出せる人だよ?」
なおアルファは立場に加えてシータ本人からの強い要望があったから許可しただけで、本心では「こんな残酷なことを命じる私を許さないで……」と滅茶苦茶曇っていたのだが、それを知る者は誰もいない。
「……でも……勝ち目が薄いのは……事実」
「勝ち目がない、とは言わないんだね」
「……私も一応……七陰、だから」
七陰という役職の性質上あり得ないはずだが、もしも万が一シータが七陰に昇格するようなことがあるとしたら入れ替わりで降格させられるのは確実にイータだ。
そうなっては権限や給金を減らされかねないので、いざという時に実力を示せるようにイータも対シータ戦を想定した切り札のひとつくらい用意している。
とはいえ、まだ実戦で試したことのないものだ。
もしも通じなければイータは文字通り叩き潰されるだろう。
「ここは勇気を出してやってみようよ!」
「……研究者に勇気……いらない」
「違うね、間違っているよ。研究者だって危険な実験をやる時には勇気が必要だ」
「……うぅ〜」
その後もヌルはあの手この手でイータを丸め込もうとする。
なぜ彼がこんなにもシータを殺したがっているのか。
それは今のシータの姿がとてもラスボスだからである。
ヌルはこれで王道派なので、ラスボスはしっかり主人公勢力の手で倒されるべきだと考えている。中途半端に和解したり主人公たちを返り討ちにしたりする展開は邪道なのだ。
そういうわけなのでたとえシータであっても、むしろ死んでも復活できるシータだからこそ、ラスボスになったのなら容赦なく楽しく討伐させてもらう。
欲を言うとヌルが知る中で最も主人公適性の高いアルファの手でやらせたかったのだが、残念ながらこの場にはイータしかいないので妥協する。
「さぁ行こう! 最終決戦だ!」
ついに言い負かされたイータは渋々『絶対安全カプセル』から出た。ちょうどシータが罠を全て破壊したところなので外に出ても自分の罠で自滅する心配はない。
「ヤハーーーッ」
距離が近過ぎて感知されたのだろう。シータは尻を向けて股の間から顔を出した変な姿勢でイータを待ち構えていた。こんな状態でも最低限の危機管理はできるようで、背後からの追撃を防ぐため隔離区域を脱出する前にイータを始末していくつもりなのだ。
「ヤァァァァァハァァァァァ」
「……ほんとは嫌……だけど……ぶっつけ本番」
腕をぶんぶんして突撃してくるシータと接触する寸前、イータは両手とも2本ずつ指を立ててぶいぶいを作り、両腕を前に伸ばして肘を曲げ、右手を天に、左手を地に向けた。
その構えを見たヌルは『キラ◯クイーン』と呟いた。ふと思い付いたらしい。
「聖域展開……『解体寝所』」
◯
暴走したシータは脳が壊れているため聖域展開ができない状態だった。
そのおかげでイータの聖域は妨害されることなく発動してシータを瞬殺した。
イータの聖域に取り込まれた標的は即座に筋弛緩状態となって身動きがとれなくなる。
そして意識を残したまま解剖台に乗せられて、イータの思い通りに解剖、もしくは改造されてしまうのだ。
「……実験終了」
聖域が消えて現実世界に戻ってきたのはイータとヌルだけだ。シータの姿はどこにもない。
代わりにイータの足元には巨大なスライムポリタンクがいくつも置かれていて、その中はどす黒い液体で満たされている。
はい、もうお分かりですよね。
これ、さっきまでシータだったものです。
イータも実験的な意義がない状況で仲間にこんな仕打ちをしたくはなかったのだが、ここまでやってようやくシータの再生を止めることができたのだ。
「……これ……どうしよう」
実験に使った生物の残骸は感染性廃棄物として特別な処理をしなければならない。シータの場合はしまっていたフィジカルの分もあるから大量の廃棄物が出てしまった。これを処理するとなると労力も費用も馬鹿にならない。
「シータに返せばいいと思うよ。僕が届けようか?」
「……じゃあ……お願い」
ヌルは密かに練習を重ねて習得しておいたズルムケの転移能力を使ってミドガル学園のシータの部屋に繋がるワープゲートを開いた。
そしてイータと協力してスライムポリタンクを投げ込んでいく。
「ん? ズルムケの転移? どうしたの私、何これ急ぎの配達物? あっ、ちょっ、蓋はずれて……あっ! ダメ! ダメ! あー! 変なのこぼれちゃう! べちゃべちゃしてんだけど! 汚い! 何これ汚い!」
シータが死ぬと魂は最も近くにいる分裂体に流入する。
アレクサンドリア城で死んだ場合はミドガル学園よりもナツメイトの方が近いため、魂はシターラ店長の方に向かったのだ。
そのせいでワープゲートの向こう側にいるシータは現状を何も把握していないようだ。
「よし、これで最後!」
最後のゴミを投棄したヌルはシータの文句を無視してワープゲートを閉じた。
「お片付け……完了。じゃあ……次の実験。……聖域展開」
イータは役目を終えたヌルに不意打ちをしかけた。シャドウが相手でも躊躇なく実験材料にしようとする彼女がヌルのような興味深い謎の存在を見逃すはずがないのだ。
「そうきたか! 聖域展開!」
ラスボスを倒したと思ったら味方の中から真のラスボスが正体を明かす展開か。
あるいはラスボスが死に際に放った邪念によって味方が新たなラスボスに変えられてしまう展開か。
いずれにせよ陰の実力者を導く者として当然のように想定済みだったヌルは不意打ちに動揺することなく全力で流れに乗った。
「……まさか……使えるとは」
「ふっ……聖域使いとしての実力は僕の方が上だったみたいだね。さあイータ! 僕が君をシータの邪悪な意思から解放してあげるよ!」
聖域の押し合いで負けたイータは一時的に魔力が使えなくなり、ヌルの聖域の効果を無防備に受けた。
その後、思考汚染によって邪心を封じられたイータは七陰の名に恥じない善良で高潔で素行の良い立派な研究者に変貌してガーデンの仲間たちから大変気味悪がられたものの、特に困らないどころか好都合ということで放置された。
思考汚染から自然回復するまでの短い期間でガーデンの強化に大きく貢献したイータの研究費は大幅に増額されたという。
アルファはイータがガーデンのためになる研究に専念してくれてハッピー!
イータも働けば働いただけ研究費が増えてハッピー!
イータがメインとなる話は今回で最後……これまでに多くの大惨事を起こしてきましたが、最後は誰ひとり不幸にならない完全無欠のハッピーエンドでした!
……えっ、シータ?
彼女はアルファがハッピーなら自分に何があってもハッピーになれるので大丈夫です。