シャドウガーデン第1のモブ   作:ことのはだいり

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第66話 みんな集まれ! シャドウガーデン雪まつり!

「いい加減にしなさい!」

 

 アルファは激怒した。

 必ず、些細な理由で喧嘩をしては周囲に甚大な被害を振り撒く獰猛な犬猫を調教しなければならぬと決意した。

 

「でもバカ犬が!」

 

「だってメス猫が!」

 

「言い訳するんじゃありません! 何度言ったら分かるの!? 喧嘩するにしても周りと8番を巻き込むなっていつも言ってるでしょ!」

 

 偶然近くを通っただけなのに運悪くデルタとゼータの喧嘩に巻き込まれてしまった8番はミンチより酷い有様となって医務室に運び込まれた。

 そのことを耳にしたアルファはすぐに喧嘩両成敗で犬猫を叩きのめした。

 ここまではいつもの流れだが、今回のアルファのお説教はこれまでで最も厳しかった。

 それは大切な8番を傷物にされたから……ではない。そこは良くも悪くもいつも通りだ。

 愛する人にチョコレートを贈って愛を伝えるバレンタインまであと数日となったこの日、アルファはシドに最高のチョコレートを贈るために先月の時点から頼んで一番いい材料を8番に確保してもらっていた。

 デルタとゼータの喧嘩に巻き込まれた8番はちょうどその厳選素材をアルファに届けるところだった。

 つまり8番がミンチになったということは、大切なシドのためのチョコレートの材料も一緒にミンチとなったのである。

 

「決めたわ。2人とも今後は揉めたら喧嘩以外のやり方で決着をつけなさい。破ったらあなたたちを七陰から一般構成員に降格させて、代わりに8番とウィクトーリアを七陰に昇格させるわ。異論はないわよね?」

 

 もはや慈悲を捨てたアルファは獣人2人組に最終宣告を突き付けた。

 

「バカ犬はともかく、どうして私まで!」

 

「メス猫はいいけど、なんでデルタが!」

 

「……あ?」

 

 デルタもゼータも異論ありまくりだが、アルファに睨まれて黙り込んだ。

 それを了承と受け取ったアルファは話を進めた。

 

「外はちょうど雪が積もっているから2人で雪遊びでもして頭を冷やしてきなさい。そうね、昔シャドウに教えてもらった雪合戦なんてどうかしら?」

 

「望むところなのです!」

 

 アルファの提案にデルタは乗り気だが、ゼータは明らかに嫌そうな顔になった。

 

「待ってよアルファ様。ワンちゃんが握った雪玉とか凶器と変わらないって」

 

「メス猫びびってるのです? じゃあデルタの不戦しょーなのです!」

 

「私がバカ犬の投げた玉なんかに当たるわけないね。それで流れ弾が8番に当たって、ワンちゃんはめでたく降格だ」

 

「なんだと!」

 

「黙ってデルタ」

 

「ひゃん!? がうぅ……」

 

 耳をぺたんと伏せて両手で口元を押さえるデルタを横目にアルファはデルタとゼータで雪合戦する場面を想像した。

 

『死ねえええええメス猫おおおおお!』

 

『当たらなければどうということはないね』

 

『ゔっ……私は止まらねえからよぉ……止まるんじゃねぇぞ……ガクッ』

 

 8番が流れ弾を吸い込む展開しか見えなかった。

 

「ゼータ、あなたの言う通りね。もっと平和な競技にしましょう」

 

「雪像作りなんてどう? とても平和で文化的だ。勝敗は一般構成員のみんなに投票で決めてもらえばいい」

 

「メス猫ずるい! 自分の得意なやつにしようとしてる!」

 

「……そうね、デルタには無理よね」

 

 上手とか下手とか以前の問題で、デルタなら力を入れ過ぎて雪像を粉々に砕く。間違いなくそうなる。そして苛立って暴れ始めて巻き込まれた8番が死ぬ。

 

「なのです!」

 

 デルタはアルファの言葉に胸を張って頷いた。

 

「無理って言われてなんでそんなに自慢げなのさ」

 

「ふふーん、メス猫は知らないのです? できないことをできるって言う方が悪いことなのです!」

 

「ワンちゃんがまともなこと言ってる!?」

 

 ゼータは驚いて口元に右手を当てた。

 

「デルタ、あなたどこでそんなこと習ったの?」

 

 少なくともアルファはデルタに教えていない。なぜならデルタに何か覚えさせようとしても時間の無駄だから。

 

「8番が新しく来た奴らにいつも言ってるのです!」

 

 確かに8番はいつも新兵に対して無理して死ぬくらいなら逃げ帰って私を頼れと教え込んでいる。

 ガーデンにおいて新兵教育を担う軍令部の長はデルタということになっているため、8番が新兵たちを指導する場にデルタが居合わせてもおかしくはない。忘れっぽいデルタであっても毎回のように聞いていればさすがに覚えるということなのだろう。

 なお実際はその方針が七陰のお墨付きであることを示す目的で8番が自家製コーベ・ギュージャーキーと引き換えに新兵の前でデルタに同じことを言わせ続けた結果であって、デルタが自発的に記憶したわけではない。パブロ・フーのデルタということだ。

 

「すごいな8番……ワンちゃんに何かを覚えさせられるなんて」

 

「メス猫お前デルタのことバカにしたです?」

 

「8番のことを褒めただけよ。そうだわ、勝負の内容もあの子に決めてもらいましょう。他でもない被害者なのだもの」

 

 それから3人が医務室に押しかけると8番は既に再生していた。

 

「アルファ様! 御足労いただき申し訳ございません! こちらご注文いただいた最高品質の素材になります!」

 

 跪いた8番が恭しくアルファに献上したのは、ガッチガチの圧縮スライムに包まれていたチョコレートの材料だった。8番は咄嗟の判断で自分の身を犠牲にしてでもアルファへの献上品を死守したのだ。

 

「8番……お願いだからもっと自分を大切にして。でもとっても嬉しいわ。ありがとう」

 

「ゔっ」

 

 アルファに抱き締められた8番は尊死した。

 8番を長く見てきた七陰ともなるとさすがに彼女の生態にも慣れてしまったので取り乱す者はひとりもいない。

 数分後に魂を引き継いだ別個体の8番が転移してきて、何事もなく話は再開された。

 

「そういうわけだから、あなたに勝負の内容を決めてほしいの」

 

「雪合戦がいいのです!」

 

「雪像作りがいいよね? 安全だし」

 

 アルファたちから事情を聞いた8番は少し考え込んでから提案した。

 

「でしたら両方同時にやりましょう」

 

          ◯

 

 8番が提案した競技は団体戦で、デルタとゼータはそれぞれ自力で仲間を勧誘することになった。もしも人数に偏りが生じたとしても少ない方に合わせたりせずそのまま開戦となる。勝負は既に始まっているということだ。

 勝敗はどちらがより多くの七陰を味方にできるかで決まると考えたゼータが最初に声をかけたのはイータであった。

 イータは性格に目を瞑りさえすれば優秀だ。しかも欲しいものは分かりきっているので交渉も容易いと踏んでの行動だった。

 

「いくら払えばいい?」

 

 そんなゼータの見通しは甘かった。

 

「……今、研究費、足りてる」

 

「じゃあお望みの素材を調達するよ」

 

「……それも……今は、いい」

 

 イータは少し前に8番が飼っている怪物の空間転移能力を再現したアーティファクトの開発に成功した。非常に魔力効率の悪い試作品だが、物品も人員も瞬時に遠方へと輸送できるそのアーティファクトはアルファに高く評価され、めでたく研究費を大幅に増額されたのである。

 研究費は足りている。

 お金があれば大抵の素材は買い揃えられる。

 そんな状況でイータが最も求めているものとは何か。

 

「……相互協力……私は勝負に、協力する……ゼータも実験に、協力して」

 

 それは実験台となる人柱である。

 

「……他のことでどうにかならない?」

 

「無理」

 

「せめて負けた方がイータの実験台になるようアルファ様に交渉するからさ。ワンちゃんで好きなだけ実験してよ」

 

「駄目……アルファ様、絶対、許可しない……報酬、踏み倒すつもり、なら……私は、デルタに、つく」

 

「……それは困るな」

 

 最終的にゼータが折れたことでイータはゼータの味方となった。

 次にゼータはイータを伴ってイプシロンに声をかけた。

 

「今回の勝負で勝つにはイプシロンの力が必要なんだ! ガーデンで一番の芸術家と言ったら他でもないイプシロンだからね!」

 

「それと……私の世話、できるの……イプシロンだけ」

 

「仕方ないわね! そんなに言うならゼータのチームに入ってあげるわ!」

 

 そんな感じでおだてればイプシロンはあっさりゼータの味方となった。

 しかし順調だったのはここまでだった。

 

「イプシロンはゼータ側についたんですね? でしたら私はデルタにつきます」

 

 何かとイプシロンと張り合っているベータはゼータのチームにイプシロンが参加しているというだけの理由でデルタのチームを選んだ。

 

「……審判役のアルファ様は不参加で、ゼータのチームには既に七陰が3人いるのね? それなら私はデルタのチームに入るわ」

 

 真面目なガンマはこのままでは不公平で、何よりかわいそうだからとデルタのチームに加わった。

 こうして積極的に他の七陰を勧誘したゼータは2人の七陰を仲間に加えて、特に勧誘活動をしなかったデルタも2人の七陰を仲間に加えた。

 ゼータは釈然としないものを感じたが、現実なんてこんなものだ。気持ちを切り替えて次はナンバーズを標的とした。

 ナンバーズは中断できない重要任務に就いている者が多く、勝負に参加できるのは17人中わずか7人……イオタ、ミュー、ニュー、パイ、シグマ、カイ、オメガだけだ。シータとラムダは勝負の場に立ち会うが審判役のアルファの補佐となるので不参加である。

 兎獣人のイオタはガーデンの古参でガンマの親友だ。ゼータとはあまり接点がないのでガンマが参加したデルタ側についた。

 ダークエルフのミューは元よりゼータの派閥だ。当然のようにゼータ側についた。

 まだまだガーデン内では希少な人間のニューは基本的にガンマの部下だ。よってガンマが参加したデルタ側についた。

 犬系獣人のパイはよりにもよってデルタの直属の部下だ。デルタ以上のバカなので勧誘に成功する可能性はあったが、バカ過ぎて味方にしたら足を引っ張りかねないため見送った。彼女もデルタ側だ。

 ワコクから来た寡黙なダークエルフのシグマは自発的にデルタ側についた。これは諜報員ゆえに彼女の秘密を知っているゼータにとっては意外なことではなかった。周りには巧妙に隠しているようだが、シグマは作家としてのベータ……ナツメ・カフカが大好きで、どれくらい好きかというと8番がアルファに向ける好意に近いほどだ。だからシグマがベータと同じ陣営を選ぶことは分かりきっていた。

 最後にいつも2人で活動するエルフのカイとダークエルフのオメガについては、普段はミツゴシでガンマの部下として働いているが本来はイプシロンの部下ということもあり、どうにかゼータ側で参加してもらえた。

 よって勝負に参加するナンバーズのうち、3人がゼータ組、4人がデルタ組だ。数だけを見ればゼータが負けていることになる。

 しかしゼータにはウィクトーリアという心強い部下がいる。一般構成員でありながら実力はナンバーズと同等かそれ以上なので、ナンバーズ級という括りで見れば戦力は拮抗したことになる。

 

「あとは一般構成員をどれだけ引き入れられるかだけど……厳しいね」

 

 一般構成員に関しては角が立たないように直属の上司に味方するだろう。

 

「……研究部……ずっと、私だけ……なぜ……」

 

「遊撃部も少数精鋭で動きやすくしてるから配属人数は多くないのよね」

 

「……諜報部は言わずもがな。素質がない子にやらせるのは危険だからね」

 

 一方でデルタ組にはガーデンの大多数の人員が関与しているミツゴシ商会の会長、ガンマがいる。

 さらには作家としての圧倒的な人気を誇るベータと分かりやすい強さのためか七陰の中でも一般構成員からの人気が最も高いデルタの2枚看板も侮れない。

 特定の部門に配属されていない人員の大半はそちらに引き寄せられてしまうだろう。

 そんなゼータの悪い予測は的中していた。

 

「ふふーんなのです! デルタの群れの方がメス猫の群れよりおっきいのです!」

 

 今回の勝負のためにオリアナに配置した人員など忙しい者以外は全員アレクサンドリアに召集されている。集まった人数は総数約700人のうち400人ほどで、そしてその内訳はゼータ組100人と少しに対してデルタ組が300人以上だ。これが実戦ならゼータは迷わず撤退を選ぶだろう。

 

「降参するなら今のうちなのです! デルタにお腹見せて服従したら許してやる!」

 

「ワンちゃんじゃないんだからそんな恥ずかしいことするわけないでしょ」

 

「なんだとメス猫ぉ!」

 

「あらゼータ、そんなこと言っていいんですか? 絶対に勝てない戦争を回避できる最後の機会ですよ?」

 

「ふん! 数が多いからっていい気になるんじゃないわよ! 贅肉でぶくぶく膨らませても動きづらくなるだけなんだから! あんたのお腹周りと同じでね!」

 

「私太ってないもん!」

 

「舌戦だとそちらの方が強いわね……イータ、私たちもやっておく? 私もあなたには言いたいことがあるのだけれど」

 

「……いい……どうせ、無駄遣いするな、でしょ?」

 

「……分かっているならそうしてくれないかしら」

 

「はーい、七陰の皆様が散らした火花でいい感じに場が温まりましたね。それではそろそろ説明を始めます」

 

 参加者たちが開戦前の血気盛んな挨拶を終えたところで審判席から8番が競技内容の説明を始めた。

 今回の競技における勝利条件は指定された雪像を先に完成させることだ。

 形や大きさは事前に指定されていて、デルタ組は巨大な犬、ゼータ組は巨大な猫を作ることになっている。

 ただ雪像を作るだけの単純作業では人数が多いデルタ組が順当に勝つだけだが、もちろんこの競技はそんなに単純ではない。

 不可侵の境界線で分けられたお互いの陣地にはそれぞれ別の特殊な薬剤(安定のイータ製)を染み込ませた雪が降り積もっている。2種類の薬剤が混ざると熱が発生するようになっていて、この熱は火傷するほどではないが、お風呂の温度くらいはあるので雪像を溶かすには十分だ。

 

「……つまりどういうことなのです?」

 

「デルタはゼータたちが雪で作る猫の像に雪玉を投げて壊すことだけ考えてください」

 

「ぶっ壊す! それなら得意なのです!」

 

「3人の七陰にそれぞれ100人ずつ振り分けて3つの班を作りましょう。デルタの班が攻撃、私の班が建造、ベータの班は防御。それでいいわよね?」

 

 デルタチームは人員に余裕があるため専業で役割分担する方針らしい。

 

「この人数差で正面衝突したら普通に押し負けるわ。ゼータ、策はあるわよね?」

 

「もちろん。まず雪像作りはイータにひとりでやってもらう」

 

「えっ。それはいくらなんでも手が足りないんじゃ……」

 

 イプシロンが心配するとイータは首を横に振った。

 

「……手なら……いくらでも、増やせば、いい」

 

 イータはスライムを操って大量の手を作り出した。相手の雪像への攻撃に使うことは禁止されているが、防御や建築への利用は認められているのだ。

 

「ミツゴシの店舗をひとりで建造してるイータなら雪像なんて簡単だよね?」

 

「……余裕」

 

「あとは私とイプシロンが倍の敵に対処するだけでいい」

 

「簡単に言ってくれるけど……下手したらデルタを抑えるだけで私とゼータの2人がかりになるわ。仮にウィクトーリアがベータと拮抗できたとしても、残りのみんなじゃ数の差を覆せないわよ」

 

 イプシロンの懸念は理路整然としていて一見正しく聞こえる。

 しかしイプシロンが知らなくてもゼータは知っているのだ。

 強大に見えるデルタの存在こそが……敵の最大の弱点であると。

 

          ◯

 

「うがあああああ!」

 

 デルタが全力で投げた雪玉は音の壁を超え、そしてデルタチームの雪像に届くことなく途中で崩壊した。

 

「……がう?」

 

 デルタは首を傾げて雪玉をもう一発投げたが、それも一投目と同じく崩壊してしまった。

 

「ははっ! 思った通りだ! 安全へのご配慮様様だね」

 

 今回の競技で使われている薬剤は熱を発するものだけではない。

 安全対策として塗布した物体の魔力伝導率を極限まで下げる薬も雪に混ぜ込まれている。

 そのためどんなに硬く握ったとしても普通の氷以上の強度にはならず、デルタに限らず魔剣士が全力で投げようものなら空気の壁にぶつかって簡単に崩れてしまうのだ。

 

「デルタ! もっと力を抜いて投げてください!」

 

「このくらいなのです?」

 

 先程よりは遅くなったものの、やはり雪玉は崩壊して霧散した。

 

「……作戦変更! デルタはあちらから飛んでくる雪玉を叩き落としてください!」

 

 攻撃の要となるはずだったデルタが使い物にならず、突然の作戦変更でデルタ組は混乱状態に陥った。

 その隙をついてイータが作る雪像はあっという間に巨大化し、もはや完成は目前だ。

 

「嘘でしょ……3倍の戦力差があったのに、こんな一方的に」

 

「無様ねベータ! 胸も戦力も大きければいいってわけじゃないのよ! 形が崩れてしまえばただの醜く垂れ下がった贅肉でしかないんだから!」

 

「だから胸のことは関係ないでしょう!? それに私の胸は垂れてないもん!」

 

 攻撃の要となるはずだったデルタが使い物にならない想定外の状況で、それでもベータは必死に抵抗してみせたが、イプシロンとゼータ、七陰2人の猛威はとても抑えられない。さらには不利に気付いたガンマが前線に出てきて盛大に足を引っ張り出したものだから余計に戦況が悪化した。

 

「完成まで、あと……30秒」

 

 デルタ組に諦めの雰囲気が漂い始める。もはや多くの人員が手を止めてイータが作る雪像の完成を見守っている有様だった。

 

「まだだ! まだ終わらんよ!」

 

 そこに待ったをかけたのは七陰ではなく、まさかのナンバーズ……シグマだった。

 

「な……何よあれ!?」

 

「いつの間にあんなものを!?」

 

 シグマはまるで軽業師のような身のこなしで雪玉の上に立ち、器用な足さばきで雪玉を転がして大きく育て上げていた。ゼータ組に気付かせることなくこれほどのものを作ってしまうのだから、さすがは隠密行動を専門とするニンジャである。

 

「デルタ様! これをお使いください! 勝利の栄光を、君に!」

 

 シグマはデルタではなくベータの方を見て敬礼していた。

 

「任せるのです! 潰れろメス猫おおおおお!」

 

「ちょっ、シグマがまだ乗って……」

 

 シグマは離脱する間もなく雪玉ごとゼータの陣地へと飛んでいった。

 

「悲しいけどこれ、合戦なのよね……」

 

 自分が下手に動いたら雪玉の軌道が逸れてしまうかもしれない。そう考えたシグマは目を閉じて雪玉と運命を共にする覚悟を決めた。

 巨大な雪玉は少し崩れながらもシグマと一緒に完成直前の猫の雪像まで到達した。

 

「ベータ様! ばんざああああああああああい!」

 

「ん……? 何か、影が……?」

 

 雪玉はシグマもろともイータと雪像に着弾した。

 

「グワーーーーーーーーーーッ!」

 

「シグマぁぁぁぁぁあああああ!」

 

「イータぁぁぁぁぁあああああ!」

 

 ベータとイプシロンが阿吽の呼吸でそれぞれ仲間の名前を叫んだ。

 雪煙と湯気が消えた後、そこにいたのは倒れ伏したイータと、雪で真っ白になった直立不動のシグマだった。

 

「シグマ様、相手陣地への侵入は禁止ですので早く出てください。あと10秒以内に出ないとデルタ様組全体に罰則を与えることになります」

 

 普段は寡黙で目立たないシグマの派手で思い切った行動に誰もが目を見開く中、審判席の8番が冷静に警告を発した。

 

「越境禁止は百も承知……しかし! それがしの行動に一片の悔いなし!」

 

 シグマがここぞとばかりに右手を天高く掲げて言いたいことを言い切った瞬間、着弾時の衝撃のせいか彼女が懐に入れていた煙玉がドコーンと音を立てて暴発した。

 煙に含まれるイータ特製の睡眠薬成分を吸い込んだシグマは瞬時に昏倒した。

 

          ◯

 

 みんなは事故に巻き込まれたシグマ様のことを不憫に思っているんだろうけど、私だけは心の中で「シグマ様よかったね」と思っていた。

 なぜならこの状況……我が身を犠牲にベータ様の役に立って、ナツメ作品に登場したかっこいい遺言を残して退場するという状況は、シグマ様が昔からやってみたいと語っていた夢の実現に他ならないからだ。

 寡黙でおとなしい人物と思われているシグマ様だが、実はめちゃくちゃ愉快な人である。

 私がそれを知ったのはかなり前、イータ様の人体実験に2人まとめて巻き込まれた時だった。

 

「待ってくださいイータ様! 実験台は2人もいらないはずです! 私が犠牲になるので何卒シグマ様は解放してあげてください!」

 

「……8番殿!」

 

 ナンバーズであっても相手は後輩だったので、私は先輩としてイータ様の魔の手からシグマ様を解放するべく努力したが、その時は結局2人まとめて新薬を投与されてしまった。

 

「駄目……今から、投与するのは、素直になれる薬……8番は、もともと素直……だから、対照が必要」

 

 要するに新作の自白剤を試したくても七陰を相手に隠し事なんてしない私では薬が効いているのか分かりづらいので、逆に隠し事の多そうなシグマ様が被検体に選ばれたのであった。

 それなら別に私はいらないのではとも思ったが、そのことに気付いた時には既に手遅れだった。

 

「じゃあ……8番に質問……好きな人は?」

 

「アルファ様です!」

 

「……うん……やっぱり、効いているか、分からない」

 

 そしてイータ様が同じ質問をシグマ様に繰り返したその瞬間、全てが暴かれた。

 

「好きな人は?」

 

「そ、それがしは……それがしは……!」

 

 シグマ様は必死に抵抗していたけれども……お薬には勝てなかったよ。

 

「ベータ様が好きだーーーーー!」

 

 そこからシグマ様はベータ様への思いを薬の効果が切れるまで語り続けた。

 

「ああ゙ぁ゙ぁ゙ぁぁーーーーっ! ナツメ先生がいけないんですよぉぉぉぉぉ! それがしは普通だったのに……この世界にこんなに楽しいものがあるなんて知ってしまったから……もうナツメ先生のことしか考えられなくなっちゃいましたよおおおおお! イ゙ェアアアアア! いいんですか? こんなにはまっちゃってもいいんですか! ハァイ! 駄目なわけありませんねぇ! だってナツメ先生の作品はもはや食事超えて酸素ですから! ないと死んじゃうやつですから! さー大きく息をすーはーすーはー……ん゙ぎもぢぃ゙ぃ゙ぃ゙ぃ゙ぃ゙! なにっ? なんなのこれ!? ねーっ! ニンジャとして対毒物の訓練を積んだそれがしがこんなになっちゃうなんて、さてはナツメ先生の作品は麻薬なんですね! もう毎日キメてデュフフコポォ、オウフドプフォ、フォカヌポウ。ん゙お゙ぉ゙ぉ゙ぉ゙ん゙っ……げほっ、ごぼぉっ……興奮し過ぎて言語能力失っちゃったじゃないですかーーーーー! 駄目ですよもう! いくらナツメ先生でも悪事は見過ごせません! え? 何も悪いことなんてしてない? いいえ、あなたはとんでもないものを盗みました。そう、それがしの心です……なんて! そんなの逆に大歓迎ですからーーーーー! あ゙あ゙あ゙いいよぉ゙ぉ゙ぉ゙、やっぱこの場面最高過ぎる……何食べて育ったらこんな天才的な掛け合い思いつくんですか? それとも生まれつきの神様仏様ベータ様なんですか? 拝まねば! な〜む〜」

 

 実際にはこの十倍くらいの長さだったが、細かく思い出すのは大変なので以下省略。

 その後、薬が切れて解放されたシグマ様は羞恥のあまり今にもセプクをしそうな有様だったので、私はシグマ様が早まらないように慎重に言葉を選んで慰めた。

 

「大丈夫ですよシグマ様。私もナツメ先生の小説は大好きですから。よろしければ私の部屋で語り合いませんか?」

 

「……うん」

 

 そんな経緯で交流のきっかけを掴んだ私は七陰の皆様と私しか知らないような昔のベータ様の情報を使ってシグマ様との距離を急激に詰めることに成功した。

 シグマ様としても全てを曝け出した後なので私に対して寡黙なふりを続ける意味がなく、それ以降は普通に話してくれるようになった。

 そして今では……。

 

「ぁぁーーーっナツメ先生ぇぇぇぇぇ! シャドウ様戦記の新刊最高過ぎぃぃぃぃぃ! シャドウ様の真意が判明してみんなで泣きながら笑うの尊い……でもなんでそれがしはこんな大事な場面に居合わせなかったのぉぉぉぉぉ!」

 

「んほぉぉぉおおアルファ様ぁぁぁぁぁ! 普段は凛々しいアルファ様が横向き三角座りで落ち込むなんてぇぇぇぇぇ! 陰の叡智の『ギャップ萌え』で私も燃え尽きちゃいますぅぅぅぅぅ! 私も直接拝見したかったよぉぉぉぉぉ!」

 

 こんなふうに時々2人で転げ回っている。




この雪遊びの話は1話で終わる予定のものが長くなって2分割してます。
次は日曜日に投稿します。
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