初日の遅刻が身体に刻まれているのか初日以降始まる時間より早く起きてしまう。別に問題は無いが、仕事やら役割やらで寝る時間はいつも遅い。そのせいで蓄積が溜まり爆発しない事を願うばかりだ。
教室の掃除でもしようかと部屋を出て教室へと向かう。まだ外は明るく無い、薄明から明るくなっていく最中だ。教室に近づくにつれて、どこかから物音が聞こえた。辺りを見渡しても音がする場所なんて無いと思っていたら、一つだけ音が遠い道を見つけた。
「……誰か居るのかな」
好奇心というか、なんと言うか。普段聞く様な足音やペンの当たる音では無かった為、私はそっちの道へ向かい少し教室からは遠回りだが、音のした方へ行く事にした。
誰も居ないこの別館は使わないには勿体無い程大きく、足音もよく響く。やがて中庭に出ると、プールへ続く階段を登って行った。
短い階段を登りきり、網状のフェンスを開けると―――そこにはあの時二人きりで話した、いつもと変わらないプールの景色が目に映った。
彼女と話したこの場所は、今では遠い記憶の様に感じる。彼女は今、何処で何をしているのだろうか。そう考えながらも私は目の前に居る彼女に向かって別の言葉を口走る。
「――――アズサ?」
「……ん?この声は……先生か」
普段着ている上着をプール端のベンチに掛け、落ち着いた表情で私の方を向く。アズサはサプレッサー付きのピストルを片手に持ち、銃弾を補填する為か膝をついた。
プールの奥には木で出来た壁の様なものが立て掛けてあり、所々色が濃くなっている点が見える。
私はベンチに腰を下ろし、アズサが早朝から何をやっているのかを聞いた。
「こんな朝早くに、何をしてたの?」
「射撃練習だ。最近はまともに訓練や練習が出来なかったからな、いつもより早く目が覚めたから久しぶりにやっておこうと思って」
「……頑張ってるね」
「これも、いつからか習慣になってしまった。誰かと比べてこういった事は頑張っていると言えるのか?」
「言えるんじゃないかな。少なくとも私はそう思う」
「そうか……先生が言うのなら、きっとこれは『頑張っている』んだろう」
装填し終えたアズサは満タンになっているプールの水面に銃口を向けると、躊躇う事無く引き金を引いた。サプレッサーで抑えられているとは言え、外全体に銃声が轟く。
銃弾が当たった瞬間に水は大きく飛び上がり、繋がっている水は切り離され小さな水滴となる。その刹那、アズサはどこに生まれるかも分からない水滴を見分け、空中に浮いている間にそのピストルで撃ち抜いた。それを一回、二回、三回―――――
撃ち終わった後、私は先にある木で作られた壁を見ると、そこには先程まで無かったはずの新たな濃い点が現れていた。
「……本当に凄いね」
「凄い?これは、凄い事なのか?」
「うん……少なくとも、そこまで銃の扱いが上手い人は中々見た事が無いね」
「なら、日々続いた努力の結晶という事にしておこう」
再び膝をつき銃を補充し始めた。している最中、アズサは私にある質問を投げ掛ける。
「――――先生、少し質問なんだが」
「どうしたの?」
「……もし、全てが嫌になって、投げ出したくなる。そんな無意味で……虚しい人生をこれから迎えるとした時、先生はどういった選択をする?」
「選択……か」
「これから起こる事は、誰も予想する事が出来ない。その時が来る瞬間は、誰にも分からない。それは明日かもしれない、数時間後、数分後に起こる事かも知れない」
「私は、私である自我が生まれた時から『全ては虚しいもの』だと教わってきた。それが間違っている事とは思っていない。今だってそう自身に刻んでいる」
「だが、そんな事があっても―――一つの出来事で、変わるかも知れない」
「変わる……そうだね。きっと変われる――――それが例え間違っていたとしても」
装填を終えたアズサは再びプールへ銃口を向けるが、私がそんな事を言った瞬間に引き金に置かれた指が動く事を辞めた。ピストルを下ろしたアズサは、もう一度私に質問を投げ掛けた。
「―――もし、私が……誰にも言いたくない様な秘密を抱えていたとして、それを偶然見つけた時、先生はどうする?」
「………そうだね。もしもそんな事があったら………私は、言いたくなる時まで待つ。かな」
「それが、一年でも二年でも……例え全てが虚しくなる時でも?」
「別にそれが待たない理由にはならないしね。誰だって抱えている秘密や闇はある、それを無理矢理にでも覗いてしまえばそれこそ大人としてというか、人としてダメかなって思うんだ。私は」
「あ、後ほら、アズサの言う通り――――何かがきっかけで、それが変わるかも知れないでしょ?」
「………そうだな」
アズサはピストルを仕舞い、私の方を向いた。薄明はやがて消え、煌びやかに太陽が降り注ぐ。羽がパタパタと動き、髪は自然に身を任せている。
彼女は結局、補習授業が始まる直前まで訓練を独りで行っていた。そんな彼女は最後、私に向かってある言葉を残す。
「それは良く理解している。私も、同じ経験をしたからな」
その言ってアズサはプールを出て行ってしまう。慌てて追いかけると、アズサはプールと中庭に続く道に生えた一輪の花を何かを思い出す様にじっと見つめていた。
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効率的にやろうだなんて考えていない。そんな事をしている暇が無いからだ。
毎日新しい範囲をやってはその日の内に覚え切らなければいけないという一見普通の学生と変わらないと思うが、毎日新しいといっても一日の内に三、四個、多い日は五個の公式やらルールやらを覚えて間に合うかの状況であり、身体が追い付かないのだって仕方の無い事だ。
ほぼ限界ギリギリまで詰め込んでいるせいでごく稀に頭の中から抜ける事もある。
第六補習授業部模試、結果―――――
ハナコ―百点(合格)
アズサ―九十三点(合格)
コハル―八十九点(不合格)
ヒフミ―八十九点(不合格)
ハナコを抜きにしてアズサの時点で点数はギリギリ合格点。合格点の基準を下げようと願ってもその本人達が現在行方不明な為願い頼む事すら出来ない。
だがそんな状況でもこの四人が諦める事はせず、合格していようがしていなかろうが毎日の半分以上を勉強に費やしている。そういうのを加味してもこの状況下で合格を出せるこの四人は本当に尊敬出来る子達だ。
これまでの努力の全てをぶつけ、消えない様に彼女達は今でも奮闘している最中だ。
―――――最後の特別学力試験まで、後二日。
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その日は至って変わらない日々だった。いつも通り起きて、準備をして、教室に向かい、補習授業を始める。
昨日の内に範囲が全て把握し終わり、後は苦手な所を少しずつ埋めていく様にやっていくと決めた。ヒフミの苦手な所はコハルが、アズサの苦手な所はヒフミが、コハルの苦手な所はハナコがというようにお互いをお互いでカバーしていき、最終日が終わるにつれて、最後の気合と言わんばかりに劇的な成長を遂げた。
そうして最後特別学力試験まで、あと一日となる最後の日。月が青く地上を照らし、夜風は涼しく暑さを感じさせない。そんな夜。
彼女達は一つの部屋に集まり、本当の最後にしようと意気込みながら覚悟の目を開いた。
「……ついに明日、ですね」
「はい……」
「…………」
「ま、まさかまた急に、色々と変わったりしないよね?」
「そんな事したら流石に直談判かな」
「せ、先生?目が笑ってて怖いです……」
生徒が毎日必死に頑張っているものを第三者が破壊するだなんて、到底許される行為では無い。もしそんな事があれば最悪力を使ってでもナギサを見つけなければいけなくなる。
「今の所は、特に無い……ですね」
「そうですね。試験範囲は以前の通りですし、合格ラインも変わらず九十点以上。場所はトリニティ第十九分校の第三十二教室。ここからは離れていますが、以前と比べれば短すぎる程です」
「時間も午前九時からで、変わった様子はありませんね。ただ、一つ気になる点と言えば……昨日から、本館が不自然な程に静かなんです。まるで人が居なくなってしまったかのように」
「念の為、今晩も私の方で掲示板を見ておきますが、何が起こるかは分かりません」
「は、ハナコちゃんは寝ないんですか……?」
ヒフミがそう聞くと、ハナコは笑みを浮かべながらもこう返した。
「ふふっ、私は大丈夫ですよ。それに、私にはこのくらいしか出来る事がありませんし……」
「そ、そんな事はありません!」
ヒフミは立ち上がりハナコに向かってそう答えた。まるで自分に言われたかの様に声を張るヒフミに、少し気持ちが落ちてしまったハナコもそこで一瞬止まる。
「ハナコちゃんが凄く丁寧に教えてくれたお陰で、私やアズサちゃん、コハルちゃんもすっごく成績が上がって……!」
「……そ、それは。皆さんが頑張ったからで……」
「頑張った……だなんて言葉で片付けられないんです!きっとハナコちゃんが居なかったら、こんなにも頑張ろうだなんて思えなかったんです……言わせてください。ハナコちゃんのお陰だって」
「ヒフミ……ちゃん」
「ハナコも、不安なんでしょ?」
不安、その言葉を聞いてハナコはもう一瞬固まった。ハナコは皆んなは自分より頑張っているの様な言葉を口にするが、毎日諦める事無く三人に教え続けていた事、助け合いの中心であり、自分を削っても三人の背中を押しているのは、もし合格出来なかったら。という不安が足枷となりハナコの身を重くしていた。
初めて会った時から、ハナコの本音を聞いた事が無い。それはいつか来る別れを誰よりも惜しく思わない為、悲しみの目を向かれたくなかったから。自らを重くしてでも、ヒフミ達に合格して欲しかったんだ。
「皆んなは、ハナコが思っているより何倍も、何十倍も凄い事をしてくれる。それが果たしてハナコにとっての良い方向かは分からないけど―――だからと言って、そこで諦める訳にはいかないでしょ?」
「………ふふっ、そうですね。今諦めてしまえば、全てが台無しですから」
「………っ!ほ、ほら!皆んなでまだ勉強しよっ!変な事が起きても良いように!百点!百点取れば良いんでしょ!それなら誰も文句言えないでしょ!」
「こ、コハルちゃん……落ち着いて……気持ちは分かりますが、今日はもうゆっくり休んだ方が……」
「そうですよ。コハルちゃんが頑張っているのは皆んなが知っています。大丈夫ですよ。今日はもう休んで明日に備えましょう」
「休むのも戦略の内だ。だから私はもう寝る」
「えっ?って早!?もう寝てる!?」
気持ち優先のコハルを珍しくしっかり止めるハナコにいつも通り止めるヒフミ。自由奔放なアズサを見ていると、こんな景色もあと一日、あと数時間で良くも悪くも運命が決まる。そう考えると不思議と不安な気持ちは消えていくが、寂しい気持ちが募っていく。
「それじゃあ、明日………頑張って。皆んな」
「はい、必ず合格しましょう」
「必ず合格する」
「はい、ね。コハルちゃん?」
「も、もちろん百点取るわよ!」
そうして、時計の針が零を指した時、部屋の電気は一斉に消えてゆく。一時間、二時間と経ちみなが寝静まった頃――――
一人は目を覚まし、誰にも音を立てずバレず、ゆっくりとその部屋を出ていった。その後ろを追いかける様にもう一人目を覚ます。その人は出ていった人を追いかけようとはしなかった。だが、誰よりも心配そうな目で彼女を見ていた事には変わり無かった。
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荒廃した廃墟に一人、少女は立ち入った。
彼女が割れている窓から入ると、瓦礫の奥に一人少女をじっと見ている人が居た。彼女は少女が立ち入って早々口を開く。
「アズサ、日程が変わった」
「………?」
「明日の午前中だ、約束の場所で命令を待て」
彼女がそう言うと、アズサは普段とは違い焦った様子で言葉を返す。
「ま、待ってサオリ、明日は……」
「何か問題でもあるのか?」
「ま、まだ準備が出来ていない。計画よりも日程を早めるには、余りにリスクが大きすぎる」
息を吐く度に冷たい圧がアズサの身体をどんどん重くしていく。同時に敵意が無いと分かっていても冷や汗が落ちていく程の憎悪と悪意に、アズサは言葉を詰まらせるばかりだった。
「いや、明日決行だ。これは確定事項。しっかりと準備をしておけ」
「……そう、か。そうなんだな」
「ああ、明日になれば全てが終わる。私のアリウスにも、このトリニティにも不可逆の大きな変化が訪れる。トリニティのティーパーティーホスト―――桐藤ナギサのヘイローを破壊する」
「その為に、お前が居る事を忘れるな」
「…………ああ」
「お前の実力は信頼している。上手くやれ、百合園セイアの時の様に」
「……分かった」
そうして、アズサはサオリと名乗られた彼女に背を向けてその場を去っていく。消える直前に、サオリにもう一度止められた。
「それと、もう一つ報告だ」
「………なんだ?」
「エデン締結の瞬間に起こす火種である巡航ミサイルだが、マダムの意見で火力への調整が入った。また連絡する。決行時はその場に移動する様にしろ」
「……分かった」
アズサが再び背を向けると闇に溶けていくように姿がうっすらと消えていく。そうして声だけがアズサの耳元で言葉を残していった。
「忘れていないだろうな『Vanitas vanitatum』」
「―――――全ては虚しいもの。どんな努力も、成功も、失敗も……全て結果的に、無意味なだけ」
「一度だって、忘れた事は無い」
やがて、黒い闇は互いを包み込む様に景色を真っ黒へと変えていってしまった。それは彼女達にとって良い事なのか――――はたまた――――――
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目が覚めると、まだ夜だった。だが私の見える世界はまるで夢の様で―――
「起きたかい?」
「ん……?誰……?」
「こちらで会うのは、初めてかな」
辺りを見渡すと、私は知らない内に椅子に座っていた。そして、この場所はナギサが普段居るベランダであり、長い机の先には、見た事の無い少女が私を見つめていた。
「君は……?」
「知らない事も無理は無い。だが、覚える必要も無い。今の所はね」
少女は黄色く長い髪をなびかせ、長い耳を象徴としていた。机の上には何も置かれておらず、綺麗な星空が見えるばかりだった。
「さあ、少し話そう………この先の、運命の話を」
――――――――――第六十五話、邂逅
定期的に来る投稿出来ない瞬間が生まれます。まあと言っても一週間程度なんですけどね、出来る限り頑張ります