御伽の魔女の召使い 作:──
草十郎に連れ帰られた有珠は、これまで見たことないほど明確にその感情を露わにした。
涙を流したのだ。
ただ、黒戸のいない屋敷を見て。
ただ、これよりは誰も手入れすることはないであろう彼女の部屋を見て、たった一滴の涙を流した。
だがその涙も青子から電話がかかる頃には拭い去って、彼女は彼女としてやるべきことを全うした。
そして、静希の人狼を殺した一撃と、青子の第五魔法の甲斐もあって彼女たちの苦難は去った。
しかし、姉貴を追い返してある程度すっきりとした笑みを浮かべる青子と反対に、有珠は浮かばない顔をしている。
「……失ってわかる大切さ、こんなところで実感したくなかったわ」
そう言いながら、少し暗い表情で久遠寺邸の門を開け、青子たちと共に屋敷までの道を登る有珠。
彼女が目を見開いたのは、山道を登り切った直後だった。
久遠寺邸に入るドアの前、ドアに背を預けるようにして片足片手の人形が、彼女が失ったと思っていた従者が座り込んでいた。
「……黒戸?」
「──」
呼びかけども返事はない。
「……最後の力でここまで来たのね。有珠、中に入れてあげましょう?」
ひどい顔よ、と付け足しつつ、青子が促してようやく有珠は硬直状態を脱した。
有珠は黒戸を優しく抱き上げると、草十郎がドアを開ける。
「……静希くん」
「なんだ?」
「彼女は、最後になんて言っていたの?」
「有珠を森林公園から連れ帰った後、姿を消していたから最後は俺にもわからない」
「……でも、最後に会ったのはあなたよ」
「俺は最後に……」
草十郎は言い淀んだ。
その最後の言葉まで、全てにおいて久遠寺黒戸という人物は主人のために全てを使い果たした。
それを話してしまったら、その最期に有珠は何を思うのだろうか、しかし草十郎はこのような場面で平然と嘘をつけるような男ではなかった。
「俺は最後に、彼女に有珠のことを頼まれた」
「………………そう。教えてくれて、ありがとう」
有珠は目を伏せると屋敷へと入り、黒戸を居間のソファに座らせると、自らはその隣に座る。
青子と草十郎の二人は気を利かせたのか、それとも何か用事があったのか、居間には黒戸と有珠の二人きりだった。
黒戸の表情は、穏やかないつも通りの仄かな笑みのまま。
有珠は静かに考える。
彼女があそこまで戦えるとは主人である自分すら知らなかった。
彼女の両手両足が義肢だとも、知らなかった。
それは、彼女にとって明かし難い秘密であったのか、それとも自身が信頼されていなかったのか?
有珠は考える。
彼女は最期、何を思ったのか。
草十郎に有珠の事を頼むと言ったその時、自らの命を惜しまなかったのか?
考えても答えの出ない問いを考え続ける。
破壊されているのは義肢のみであるように見える黒戸はしかし、その肩を上下させていない。
その傷は彼女の奥深くまでを破壊したらしい。
有珠は知っている。
彼女がティーポットに触れた後、熱そうに手をさすっていたことを。
つまり、その義肢にはどのような術であれ擬似的な神経が通っていたのだ。
ならばその腕が、足が粉々になるその瞬間の痛みとはどのようなものだったのか。
折れた腕と足を庇いながら有珠を守り抜いた、その苦痛はどれほどのものだっただろうか。
答えを知るただ一人は、沈黙している。
有珠は考えた、考え続けて、気がつけば眠っていた。
目を覚ました有珠は、寝惚けた思考で、自らの頭に乗せられた温もりを感じ取って視線を上げる。
「おはようございます。有珠さま」
「…………え?」
なんと、自らはなんと罪深い夢を見ているのだろうか、と有珠は思う。
最愛の従者をもう一度、だなんて罪深いにも程がある。
それは、彼女の最期を否定する行為のはずだと考える。
その時、
「あ、有珠起きた?ちょっとなんとか言ってくれない?そいつ、目を覚ましたと思ったらその死に体で紅茶を淹れるって言って聞かないのよ」
「……え?」
片腕でしっかりと紅茶を淹れるのはかなりの難行だろう。
しかし、問題はそこではない。
こちらに呆れたような視線を投げる青子と後ろで困り顔の草十郎。
青子はともかく、草十郎は彼女にとって夢に出るほどよく知った人物ではない。
「本当に?ほんとうに、あなたなの?」
「はい。貴女の従者、久遠寺黒戸。ただいま戻りました」
事の顛末は、最終決戦の後にまで遡る。
青子は最終決戦直後、橙子に呪いを刻む際、橙子から黒戸という絡繰のなんたるかを聞いたらしい。
なんでも、無限の魔力を生成し、無限に再生する殺し屋人形。
魔力さえあれば、どんな小さなカケラからでも自己修復が可能だとか。
それを聞いていたことを思い出した青子はまず一番に
〝コイツ、なんで止まってんの?〟
という疑問を抱いた。
草十郎に暇つぶしのような気持ちでそれを話すと、草十郎は
〝なら、魔力?を作る場所がそもそも壊れたんじゃないか?それを流せば動くのでは?〟
と返答した。
長く同居してきた親友のこれまでにない落ち込み方に少し同情していた青子はそれを聞いて
〝どうせなら全員生還がいいしね〟
と、はっきり言って動かないだろうと思いつつ魔力を少量流した。
すると、何かしらの駆動音が流れた後、黒戸は瞬きをして辺りを見渡して一言
「有珠さまが眠っておられる、紅茶の準備をしなければ」
と。
そう言って立ちあがろうとした彼女を、青子は慌てて止めた。
ヒビが入っている左足と右腕だけで紅茶を淹れられるはずがあるか、まずは直せとそう言った。
すると彼女は
「……修復には三日ほどかかります。それでは間に合いません」
と言って立ちあがろうとした。
途端に彼女の関節から響く異音。
これは流石に、と共に止めに入った草十郎と青子の二人にとって助け舟となったのは意外にも有珠だった。
黒戸の肩に頭を預けて眠っていた有珠が、黒戸の太ももへと倒れ込んだのだ。
黒戸は自らの足と入れ替えるために近場のクッションを手に取ろうとしたが、それをすかさず青子が取り上げた。
この壊れかけの従者をそこから動かすわけにはいかない。
すると、今度は彼女は自身の太ももあたりを弄り出した。
何をしているのかと問うと
〝右足の分離を〟
草十郎と青子、二人揃って凍り付く。
それをされたら流石に止められない。
這って紅茶を淹れにいく怪人物をどのようにして止めればいいか思いつかない。
とにかく止めなければ、とその時に有珠が目を覚まして現在に至るのだ。
「……話はわかったわ。とりあえず黒戸、あの夜の
「私の戦い方にございます」
「あんなもの、見たことも聞いたこともなかったのだけど?」
「抽象的にですが、伝えてはいたと思います。見たことがない、についてはまぁ、戦えと命ぜられたことがございませんでしたので」
「……」
今度は有珠が凍り付いた。
確かに、彼女と初めに会ったその時に、黒戸の役割は手助けと周辺警護であると伝えられていた。
つまり、戦う能力があることは提示されていたが、それに気が付かずにそれに関係する指示や相談を一切しなかったのは有珠本人だった。
そして、ついに黒戸が待っていられなくなって命令なしで戦ったのがあの夜であったのだ。
「……忘れていたわ」
「賊の狩りすら命ぜられませんでしたので、シンプルに信頼されていないのでは?と、常在戦場ならぬ常在解雇危機の心得で生きておりました」
「常在解雇危機……」
解雇危機というキーワードに草十郎が反応し、辛かったろう、と同情するように何度も深く頷く。
そんな光景に薄笑いを浮かべる青子。
そんな光景を前に、有珠が下した判断は……
「あなたはこれ以上破損しないように、修復が終わるまではここから動いちゃダメよ。そして、私はここで寝るわ。おやすみ」
帰ってきた従者の太ももをもう一度枕にして、眠ることだった。