ボーデ 宮城
4人で城内を歩いていく。
まるで俺達しかいないかのようだ。
なぜにこんなにも不用心なのか。
「公爵様とあんなに親しげにされているとは、さすがはご主人様です」
「すごい、です」
ロクサーヌとミリアがそう持ち上げてくれるのだが……正直、言いたいことは色々ある。
あれは公爵がいい加減なんだ、とか。
せっかちだから他人を介するのが面倒くさいんだろう、とか。
だが、上司が悪口を公然と言ってしまうと、部下はその人物を軽んじるようになるものだ。
それで失礼なことをしてしまって、致命的なことが起きてはならない。
せっかちで軽薄でイケメンでも、公爵は公爵なのだから。
「まあ、気さくな方だからな」
諸々をググッと堪えて、そんな無難な一言で済ませた。
「とはいえ、留守中に私室に人を招くなど普通はないことです」
「――そうだよな?」
セリーの言葉に、思わず食いついてしまった。
そうだよ、おかしいんだよ。
セリーは俺の勢いに「は、はあ?」と首を傾げながら、
「ですから、よほど信頼されているのだと……」
と尻すぼみに言って、また首を傾げた。
……それについては、ちょっと異論がある。
いや、信頼もされてはいると思うが。
公爵は堅苦しいのが嫌いだ。
自分でも言っているし、態度を見ても謙遜とかではないだろう。
俺も堅苦しいのは苦手だ。
そして俺の礼儀作法がなってないことくらい、公爵ならすぐにわかるはずだ。
よって、そういう形式が求められない場所として、私室に招いているのだろう。
つまり公爵的には、「余の私室なら気楽に過ごせるであろう?」って認識なわけだ。
……もうね、アボカド、バナナかと*1。
公爵様の私室でリラックスできるわけないだろうが。
そこら辺の飲み屋にでも席を用意してくれよ。
……もう真夜中だったわ。
悲しいことに一切迷うことなく公爵の私室の前まで到達すると、さすがに門番が立っていた。
「どうぞお入りください」
開けるタイミングも完璧だ。
ほとんど歩調を緩めることなく、部屋に入った。
部屋の中央のテーブルに、ちょっとした摘める酒肴と酒が用意されていて、壁際にはさっきの侍女2人が立ってお辞儀していた。
門番は彼女達の見張りも兼ねていたのだろうか。
……だとすれば、効率優先すぎるだろう。
セルマー伯領出身のこの2人も、公爵夫人と同様に知り合いを兇賊のハインツに殺されているそうだ。
こちらに対して含むところがないとは言わないが、一応感謝はされているらしい。
……と、夕食の時に夫人から言われた。
侍女達は馴れ合う雰囲気は一切見せずに、
「お酒でよろしいですか? お茶になさいますか?」
「……では酒で」
「私たちはお茶でお願いします」
俺とロクサーヌがそう答えると、侍女達は手早く用意を済ませてくれた。
席も拵えられているので、そこに座る。
4人掛けのソファーの1つに俺が座り、対面のソファーにロクサーヌ達だ。
それではいただきますというところだが……どうしても侍女たちの目が気になってしまうな。
「……貴女達はこの部屋に軟禁されているのだろうか?」
「いえ、もう凶行は始まってしまいましたから、そのようなことはございません」
「ここで皆様のお世話をしているのは、奥様の指示あればこそです」
多分、公爵の指示を改めて夫人が指示したとか、そんな感じだろうな。
無表情ではあるが、奥様の言うことだから従っているのだ、という反骨精神が剥き出しになっている。
「では申し訳ないが、酒は落ち着いて飲みたいので、席を外してもらえると助かる」
侍女2人が頭を下げた。
そのまま下げ続けながら「以前、人伝に聞いたことがあるのですが……」と話しだした。
……顔が見えないから、どっちが喋ったのだかわからん。
「このお部屋には、奥様の御夫君の秘蔵のお酒が隠されているとか」
そんなこと言われても、まさか公爵の書斎机とかを勝手に漁るわけには――「向かって左側の棚でございます」――いや、だから漁るわけにはだな――「下段の右側でございます」――ちびっとだけ戸が開いてるな。
……気になっちゃうじゃないか。
そろ~っと開けてみると、立派なガラス瓶が見えた。
青い瓶だ、こういう日本酒あったな。
陶器じゃなくてガラスだから、それだけで高級品だろうとわかる。
色ガラスだから、ペルマスクのガラスには劣るのだろうが。
酒瓶を手にして「これのことか?」と侍女の方を振り向くと――「ひっ!」――ミリアが小さく悲鳴を漏らした。
俺もビビった。
侍女たちが一瞬、口角を吊り上げてこっちを見ていたのだ。
エルフだから当然フランス人形みたいに美しいし……完全にホラーだ。
「……あの侍女達、すごい悪い顔してたな」
2人が退室した後、思わずそんなことを言ってしまった。
「意趣返し……でしょうかね」
セリーは平気な顔をしている。
実況者向きではないな、ミリアと違って。
まあ、この程度のことで彼女たちを罰することはできないだろう。
両家を結ぶ架け橋とか、公爵家と伯爵家の栄光とか、散々言った後でもあるし。
なにしろあの侍女達は、結局何もしていないのだ……させてもらえなかったとも言うが。
だからこその意趣返しか。
きっと詰問されたらこういうのだ、「閣下の大事なお客様なので、部屋で一番良いお酒をお出しするべきかと」とかな。
上に政策あれば、下に対策ありだ。
まあ、面従腹背で獅子身中の虫になられることに比べたら、可愛いもんだろう。
盗賊落ちシステムとかあるし、そういう抵抗の仕方が一般的ではないだけかもしれないが。
とりあえず、テーブルの上に酒瓶を置いた。
「……お呑みになるのですか?」
「まさか、人のものを勝手に飲むなんて、そんなことするわけがない」
ロクサーヌは俺のことをなんだと思っているのだ。
公爵は驚くかもしれないが、俺は侍女に言われて見つけてしまっただけだ。
盗んでもいない。
ただここに置いといて、侍女達がこのようなことを申しておりました、と報告するだけだ。
知ってしまった以上は、報告したほうがいい。
いや、するべきだ。
隠し場所が露見しているなら、場所を変えた方が良いからな。
きっと彼女たちも、セキュリティを見直すよう上申するために、このようなことをしたのだろう。
帰ってきた公爵は、秘蔵の酒を差し置いて別の酒を出したことを思い悩むかもしれない。
しかしそれは公爵の心の中の問題であって、俺が関知するところではないのだ。
「わるいかお、です」
失礼な、どこでそんな言葉を覚えてきたんだ。
……。
…………。
………………。
「ご主人様もお気づきでしたか?」
「明るい所から暗い所に移動したものだから、ほとんど何も見えなくてな。
そんな中、ミリアの目だけが輝いていたな」
「騎士の人が背中で隠してくれましたが、もし見つかっていたらどうなったかと……」
「いや、案外怖がって回れ右したかもしれんぞ」
「そんな、こと、ないです」
そんな雑談をしていると、ノックの音が転がってきた。
……あ、俺が応えないといけないのか。
「あー……どうぞ」
「はっ、失礼致します」
公爵ではなくて、騎士団員だった。
それもそうか、公爵だったらノックもせず入ってきそうだ。
「そろそろ酒杯が乾いた頃かと思いまして」
騎士に給仕をしてもらうとは……思わず居住まいを正してしまう。
で、それは良いんだが、騎士の後ろにはパジャマ姿の女の子がいた。
なんというか、ふりふりもこもこしたワンピースだ。
「お気遣いありがたく。
ところで……その……後ろのお嬢様は?」
「閣下から、こちらにお連れするように、と」
何の説明にもなってない説明をされた。
何も知らないだけかもしれないが。
そして一礼すると、騎士団員は去っていった。
今度はハニートラップ要員でも捕まえたから、ひとまとめにして管理しようとでも言うのだろうか。
〈鑑定〉してみると…………あのー……お名前のミドルネーム? 家名? がですね……最近見た覚えが……その……。
知らん。
鑑定画面のことは記憶から削除だ。
Shift+Deleteだ。
「……とりあえず、座ると良いのでは」
「…………失礼します」
寝間着の女の子がちょこんっとソファに座った。
俺と同じソファの、一番遠い位置だ。
……酒の味がさっぱりわからん。
酒を呑む時はさ、誰にも邪魔されず、自由で……なんというか救われてなきゃあダメなんだ。
独りで、静かで、豊かで……。
いや、みんながいたから別に独りではなかったけれども。
そう広くもない部屋に5人もいるのに、誰も口を開かない孤独な時間を過ごしてしばらく、
「待たせたな、すまぬ、ミチオ殿」
入ってきた公爵は、部屋を見渡して首を傾げ、テーブルの上の青い酒瓶を見て一瞬フリーズした。
「……カシアの侍女を寄越していたはずだが」
「あー、その、気疲れするので、席を外してもらいました。
酒瓶の方は、どういうわけだか侍女の方が教えてくれました」
「…………で、あるか」
一緒にやってきたゴスラーとカシアが、顔を見合わせて苦笑いした。
カシアの方は、困っている色が大分濃いが。
俺の向かい側に座るロクサーヌ達が席を立とうとして――公爵が手でそれを制した。
次は俺の隣に座ろうとでも思ったのか視線を巡らせるが、このソファの入口側はパジャマの女の子が蓋をしている。
俺は酒を呑むのに忙しいから退くつもりはない。
折角の公爵様の差し入れなんだし、集中して味を確かめないと失礼にあたるからな。
公爵が書斎机の椅子に座った。
そうそう、公爵様なんだからデーンと構えてないとね。
「まあ、それは良い。
無事にセルマー伯を捕らえることができた*2。
伯の騎士団も、城内にいた者は全員降伏しておる」
それはなにより。
寝間着の女の子は手を握り締めているから、異論がありそうだが。
「双方の損害は、極めて軽微だ。
これもミチオ殿のおかげだ」
公爵はどこからかグラスを2つ取り出して青い瓶の中身を注ぐと、片方をこっちに寄越した。
いやぁ、そんなつもりはなかったんですけどねぇ。
まあ、いただけるんなら断るほど無粋じゃないですよ。
……林檎の濃密な香りがする……鼻が幸せになるな。
「……立派なのは瓶だけで、中身は安い蒸留酒なのだが。
口に合ったようでなによりだ」
「まあ、高い酒は飲み慣れていませんから」
やはり、この世界の高い酒は雑味がない系の酒なのだろう。
俺にとっては結構なことだ、価値観逆転モノだ。
もしかすると公爵は、安酒を好むのを知られるのを避けて、秘蔵していたのかもしれない。
「……もういいでしょう、殺しなさい」
女の子が言った。
家族愛とかの価値観は逆転していないので、当然の反応だと思う。
カシアが「ルティナ」と名前を呼んで肩に手をかけるが、それも跳ね除けた。
「できればこれ以上の血は流したくないのだ」
公爵は損害は極めて軽微だと言っていた。
皆無とは言っていなかった。
そして俺の心の棚の耐久性には深刻な損害がある。
なぜ俺達はここにいるのか。
「ここまでしておいて戯言を……!」
「貴女には継承権の放棄をお願いしたい」
「わたくしも伯爵の娘です、それはできません。
父が廃除されたとしても、わたくしが跡を引き継ぐのは当然のことです」
公爵とルティナが言い争いを続ける。
そして、なんと言われてもあくまで自分が伯爵位を継ぐと宣言するルティナを、公爵は全エルフ最高代表者会議の名前を出して叩き潰した。
全エ代の名前はルティナにも重いらしく、彼女は「なッ! 全エルフ最高代表者会議まで……」と言葉に詰まった。
「ここまで迷宮を放置しておけば、出てくるのは当然のことだ。
ことはセルマー伯が爵位を失えばそれで済むという問題ではない、全てのエルフに対する背信行為だ。
セルマー伯の娘を後継に据えるわけにいかないのは無論だろう」
公爵は淡々と言った後、グラスを持ち上げて「それに、貴女ではまだ若すぎる」と、言ってからクイッと傾けた。
薬湯でも飲んでいるような顔をしている。
「ですから、殺せば良いでしょうと申し上げました」
おうちにかえりたい。
さっきから嫌な予感が止まらないんだ。
……この華やかな香りが良くない、そこそこキツめの蒸留酒なのに、杯が止まらないんだ。
「やはりこうなったか、仕方がない。
貴女には奴隷になっていただく」
「わたくしは奴隷にはなりません。
わたくしは犯罪などをしたことはありません。
わたくしの同意なく奴隷にすることはできないはずです」
背筋を張るルティナを無視して、公爵が俺を見た。
こっち見んな。
「ミチオ殿は継嫡家名というのをご存知か?」
なんとなく聞いたことは……と思っていると、じっとしていたセリーが「貴族とその継承権を持っている親族につく名前です」と助言してくれた。
「逆に言えば、継嫡家名を失えば貴族でなくなり、継承権もなくなります。
そして奴隷になれば、継嫡家名が外れます」
その説明に、公爵が「さすがはミチオ殿のパーティーメンバーだ」と大きく頷いた。
さすセリは公爵公認だ。
「正規の手続きを執れば継嫡家名の順位に関係なく襲爵可能だが、今は非常時だ。
セルマー伯を廃しても、直系の実子が第一に優先される」
自然に継承する場合はそれで良いが、非常時――つまりセルマー伯を殺害した場合は、自動的に爵位が移動する。
盗賊落ちのように、恐らくはそういうシステムなのだろう。
長子が親を殺したらどうなるんだろうとか、気になることはあるが。
ロクサーヌが奴隷になった経緯を考えると、MPK*3とかすれば盗賊落ちもしないと思う。
「ゴスラー、アレを」
「はっ、ただちに」
ゴスラー……今日は随分と口数が少ないではないか。
正直なところ、バラダム家の一件で俺が魔法使いのパーティーメンバーを欲しがってると知った時、ゴスラーがこの絵図を描いたんじゃないかと疑っている。
つまり……セルマー伯の娘を奴隷に落として、褒美を兼ねて俺に押し付けようと。
貴族の娘であるルティナは、当然魔法使いになる条件を満たしているはずだからな。
まあ、絵図を描いたは大袈裟にしても、先日の話は間違いなく公爵に告げ口しているだろう。
そしてそれが、公爵の判断に影響を与えた可能性は否定できない。
要するに共犯だ。
……だが、これまで何度も公爵の無茶振りから助けてくれた功績を、余は忘れておらん。
ゴスラー、これが最後のチャンスだ。
――コトッ
ゴスラーが盆に載った酒瓶を俺の前に置いた。
いや、酒瓶にしては小さい、ドープ薬にどこか似ているこれは――
エリクシール
「そのエリクシールを、ミチオ殿に譲りたいと思っている」
「――えっ、エリクシールは譲れないと聞きましたが?」
前にゴスラーが言っていた。
帝国諸侯と
……ゴスラー、どうなってるの?
「ちょっとした順序の調整で、それが可能になるのだ。
これはセルマー伯爵家に下賜されたエリクシールなのであるが……」
公爵によると、諸侯には皇帝からエリクシールが下賜されるとのことだ。
これは当主や跡継ぎが不測の事態が生じ、継承に支障を来すことを防ぐ保険のようなものらしい。
そして、今セルマー伯を排除すれば、最も優位な継承権を持つルティナがセルマー伯となる。
当然、このエリクシールもルティナのものだ。
だが、継承権第一位のルティナが継承権を喪失してから、セルマー伯を排除する。
すると、一時的にセルマー伯爵家は当主不在の状態となる。
なぜなら継承順位の変更も正規の手続きが必要で、第一位が空席なら移譲はされないからだ*4。
そして当主の座と同じように、このエリクシールも無主の状態となる。
それは公爵のものでもないから、ルール違反にはならない。
正確には公爵から譲り受けるのではなく、俺が落ちてるものを拾うような形になるわけだが。
……なんかどっかで聞いたような話だな。
「自爆玉を随分と強引な手段で手に入れたようだの。
ゴスラーから報告を聞いて、気を揉んだぞ」
笑いながら言うんじゃあない。
……青い瓶から手酌でもう一杯追加する、安酒なら遠慮するこたぁねぇや。
注ぎ終わると、公爵に瓶を奪われた。
「ま、その話を聞いてな、余も知恵を働かせたというわけよ」
自分も手酌で注ぎながら、パチッとウィンクを決めてきた。
……そういえば、あの自爆玉はサボーが『もしもの時のために自爆玉を渡しておいた』と言っていたな。
ということは、あれはサボーが貸していたもので、お嬢様死亡後はサボーに権利が戻り、俺がサボーに決闘で勝って2人まとめて死んだから無主の状態になったのかもしれない。
つまり自爆玉を請求したのは無理筋でもなんでもなく、普通に権利があったのではなかろうか。
……あの連中、勿体振りやがって。
今更だし、実際どうだったのかは知らないが。
「そのためにも、貴女の継承権を放棄してもらいたい」
「わたくしがそのようなことをする
「――ある、責任は大いにあるのだ。
ミチオ殿の家人には、伯がのさばらせた兇賊のハインツの被害に遭った者がいるからだ」
ルティナの視線が泳いだ。
「改めて紹介しよう、こちらの御仁はミチオ・カガ殿だ。
兇賊のハインツ並びに狂犬のシモンを討ち果たし、決意の指輪を奪還した。
その功績はセルマー伯爵家とハルツ公爵家にとり、そしてエルフ全体にとっても恩人と呼ぶに相応しい」
今日の公爵は主語が大きい。
「あなたが……」
ルティナが複雑そうな顔で俺を見た。
父親から何か聞かされていたのだろうか。
「そして、セルマー伯が寄越したバラダム家によって不当な決闘を挑まれた被害者でもある。
無論この通り、わけもなく返り討ちにしたようだが」
「バラダム家?」
「そこまでは知らされておらぬか、狼人族の有力氏族よ」
「狼人族の方でしたら、一時期城に出入りしていましたが……」
「実態は
公爵が吐き捨てた。
貴族は名誉とか武名とかを惜しみそうなものだが、自ら迷宮討伐に奔走する公爵のような貴族にとっては、個人の武勇に拘泥するのはただの馬鹿にしか見えないのかもしれない。
それも、リソースを消費する馬鹿だ。
そしてどうやら、公爵はルティナに贖罪意識を植え付けて言うことを聞かせようとしているようだ。
……えげつねぇ。
「奴隷になれば、父伯に孝を尽くしたと取れるし、自ら責任を取って貴族の責務を
弟御や妹御達の事を考えれば、貴女の為すべき事はわかるはずだ」
お次は弟妹を人質にとってのゴリ押しだ。
公爵は押し込み強盗の誘拐犯で、俺はその走狗か。
ルティナは黙り込んで俯いて……やがて小さく頷いた。
「承知いたしました……仰せに従います」
それを確認した公爵は、「うむ」と頷いて大きく息を吐いた。
……心の棚が、かつてなく軋む。
そして公爵がまたこっちを向いてくる。
……あ、杯が空になってるじゃないですか、お注ぎしますよ。
だから会話に戻って、どうぞ。
「ミチオ殿、ルティナのことをどう思うか?」
「………………奥様によく似ておいでかと」
ここでお綺麗ですね、とか言ってはいけない。
欲しがってると思われてしまう。
これから奴隷に落とす娘さんを指して、奥さんに似てますねと言うのも大分どうかと思うが。
……やっぱりナッツ類は蒸留酒の最も親しいご友人だな、妙な香り付けがしてある気がするが、合わせると悪くない。
「であろうとも、カシアに似て、美人だ」
ゴリ押し公爵め。
……このピクルスは酸っぱすぎるな、さっきのシードルで舌を中和――いかんな酸味で舌が馬鹿になって、気の抜けたサイダーみたいだ。
「これだけの美人だ、多少疵はあっても構わないと申し出てくる男はいくらでもいよう」
「そうでしょうねぇ」
「それでは困るのだ」
困るらしい。
困るのは公爵で、俺ではないわけだが。
エリクシールをルティナに譲られてから、「これが欲しければ……」とか言われてたら困ってたけどな。
……待て、このちょいと癖強なチーズと合わせるとだ――うん、こりゃイケる。
「彼女が罪を償う姿勢を認められれば、彼女の弟妹も貴族として、あるいは次々代のセルマー伯爵として浮上する目も出てこよう。
そうなった時、彼女の子供が対抗馬として出てくるようでは困るのだ」
つまり俺なら彼女を孕ませられないから安全だと。
益体無しであると。
種無しであると。
末代であると。
……
「……セルマー伯は、元々あまり伯爵家当主に向いていませんでした。
荒事を避け、迷宮に入ることにも二の足を踏むような優しい人です」
ドライフルーツの去勢手術をしていると、カシアが静かに語りだした。
「末弟なので本来なら爵位を継ぐことなく、自由に暮らせたでしょう。
しかし、長兄であるわたくしの父と次弟が長く争ったため、やむなくお鉢が回ってきたのです。
弟妹が争ったり、まして自分の子供がそれを争うなど、セルマー伯はもちろん、ルティナも望まないはずです」
なら大丈夫じゃないかとも思うが、当主の座への拘りを捨てることは難しいかもしれない。
自分の権利を剥奪されれば、取り戻そうとする。
それが当然だ。
とはいえ、
「別にエルフであっても、その辺りのことをしっかり弁えて、彼女を養育できる人が引き取れば良いではないですか」
「そんな者がいるか?」
「私の目の前に」
公爵が眉根を寄せると、
「……伯爵を打倒した上に、その娘を奴隷に落として余に持てと?」
「――お言葉ですがね、私が持つならば良いと?」
ちょっとカチンときて、心の棚が軋む音が口から漏れてしまった。
睨み合う。
だが、すぐに公爵は視線を外すと、ロクサーヌ達をゆっくりと見渡して目を細めた。
「ミチオ殿は家人にも慕われているようだ。
ミチオ殿の下ならば、彼女が不当に扱われることはあるまい。
種族は関係ない、ミチオ殿だからこそ任せたいのだ」
公爵が頭を下げてきた。
ここでこれができるのが、このイケメンの怖いところだ。
偉い人のお願いは、実質脅迫なんよ。
……そうだ偉い人だ。
公爵より偉い人に待ったをかけてもらえば良いじゃないか。
というか、引き取った後で文句をつけられそうで怖い。
「全エルフ最高代表者会議のお歴々はどう思うのでしょう?
人間族がエルフのご令嬢を奴隷に持つのを、良い顔はしないのでは?」
「確かにそういう者もおろうが、余が黙らせる。
余も会議のメンバーであるからな」
伯爵がそうなんだから、それも当然か。
……あと誰か、誰かいたはずだ、公爵が鼻白むほどの……えーと、確か、
「か……か……カツサンド様? は、どう思われるでしょう?」
……公爵達が顔を見合わせて困惑している。
うん、俺も言っててこれは違うなとは思ったよ。
だが何日も前に一度だけ、それも俺に対して言ってるわけでもない人名なんて思い出せるわけがない。
というか、基本的に鑑定画面の文字で名前を覚えてるものだから……。
やがてカシアから、
「カッサンドラお
と、遠慮がちに尋ねられた。
黙って頷く。
しまったな、ら抜き警察に怒られてしまう。
「ミチオ殿はカッサンドラ様をご存知でしたか?」
ゴスラーが目を丸くしている。
いや、アンタから聞いた名前なんだが。
「以前、その……」
とセリーに視線を向ける。
今は持っていないが、セリーのためのハルバードを受け取った時に出てきた名前だ。
ゴスラーも思い出したらしく、「ああ」と手を叩いて、
「カッサンドラ様というのは、エルフである我ら一族にとって長老ともいうべきお方です。
なかなか我らごときでは、抵抗もできぬのです」
ほらほら、そういう人がいるんじゃないか。
「カッサンドラお婆様は、厳しくも優しいお方です。
ルティナのことをしっかり教育してくれるでしょうし、セルマー伯爵家の騒乱を引き起こすようなことを許す方ではありません」
それは素晴らしいではないか。
だというのに、カシアは難しい顔をしている。
「カッサンドラも100をとうに超えておろう。
確か余がカシアを迎えた折にも、約100歳とか
公爵も眉根を寄せながら遠い目をした。
いずれにしても、まだ15歳のルティナを任せるには二の足を踏む相手であるらしい。
この世界のエルフは、別に長命種ではないのだ。
「ミチオ様、わたくしからもお願い致します。
ミチオ様はわたくしと似た娘など興味もないでしょうが、ルティナはわたくしと違って若いですし、今でこそこうしていますが心根の優しい娘です」
な、なんでそんなこと思われてるんだ!?
こっちは今も鼻を酒の匂いで誤魔化して、お辞儀するあなたの胸の谷間とか脇の膨らみとかを見ないようにと、全身全霊を傾けているというのに*5。
「わ、わかりました、彼女を引き取りましょう」
言った、言ってしまった。
ルティナの顔は俯いているから見えない。
ロクサーヌ達の顔は……窺いたくもない。
誤魔化すように咳払いして「ただしですね」と付け加える。
「うむ、なんでも申してくれ」
「寝間着姿を連れ出すのも気が引けるので、ちゃんとした服を着せてやってください」
このままだと事案臭がパナい。
夜の城からお姫様を連れ出しても許されるおじさんはルパン三世くらいでしょ。
ジャージとかスウェットとかがいい、それなら夜のドンキによくいるし。
「うむ、それくらいは持ち出しても構うまい」
「それと……」
身を乗り出して声を潜めると、察した公爵も同じように身を寄せてくれた。
「父親と最期の語らいをする時間くらいはあっても良いのでは」
俺は父親と関係は良くなかったが、それでも死に目に会えて良かったと思っている。
彼女は関係は良いようだし、会うに越したことはないだろう。
……いやどうだろう、だからこそ最期なんか知りたくもないだろうか。
難しい顔をする公爵に、「まあ、本人と皆さんの意向が優先ですが」と言って姿勢を戻す。
そうだ、弟妹もいるのだったな。
まあ、そこらへんは親族で話し合ってくれ。
やがて、難しい顔のままの公爵が立ち上がってルティナの横に立った。
「……ミチオ殿が、最期に父伯と会ってはどうかと言っているが、どうする?」
「――会います、会わせて下さい」
クーラタルの街
六区 郊外
着替えて戻ってきたルティナの目は、泣き腫らして真っ赤になっていた。
「よろしくお願いします、ご主人様」
そうお辞儀する彼女の手には、ミサンガが巻かれていた。
それは? と一応確認すると、
「これは父の身代わりのミサンガです。
身に付けることをお許しいただけますでしょうか?」
と言われた。
もちろん断ることなどできようはずもない。
身代わりのミサンガを1個得した。
それだけでいい。
そんな彼女を連れて移動した先は、クーラタルの郊外だ。
あっちはもう空が白み始めていたのに、こっちはその気配すらない。
ボーデの夜は、1日の4分の1もないのではなかろうか。
「疲れているとは思うが、家に戻る前に少し俺達だけで話し合いたい。
ミリア、ここは以前水路工事をした場所の近くなんだが、わかるか?」
「川、です。
わかり、ます」
2つの光点が2回上下した。
「まだ暗いのにすまんが、先に家に帰ってハンナ達に安心するようにと伝えてくれるか」
「平気、です。
すぐ、帰り、ます」
そこまで急がなくていいのだが、みるみるうちにミリアの反応が遠ざかっていった。
明かりもないのに、すごいものだ。
「まず改めて、ミチオ・カガだ。
ルティナを強くすることと、衣食住は間違いなく保障する」
ルティナがいると思しき方向にそう言うと、
「ご主人様のおかげで私も強くなれました。
シモンを倒せたのも、ご主人様の指導の賜物です」
「私も鍛冶師になれずに悩んでいましたが、ご主人様のおかげでなることができました」
と、2人が援護射撃してくれた。
「はい、ルティナと申します。
どうかよろしくお願いします」
あんな会話があった後だから、ロクサーヌ達も気遣いを感じる声音だった。
きっと上手くやってくれることだろう。
「で、これから家に帰るわけだが、家にはハンナとカタリナ、ベスタという者がいる。
ベスタは竜人族の竜騎士だが……まあ、それは後でちゃんと紹介しよう。
問題はハンナとカタリナの方だ」
この2人こそ、兇賊のハインツと狂犬のシモンの被害者だ。
うちに来たばかりの頃は酷いものだったが、今は片目と片足が使えなくなっているものの、十分元気にやっていると言えるだろう。
「何はともあれ、エリクシールも手に入ったのだ。
あまり構えずに、ただのルティナとして接してほしい」
なにしろ、ハンナは絶対自分を責めるだろう。
自分の娘と同い年の娘を、苦界に突き落とすことに間接的に関与したのだ。
公爵のあの様子では、ハンナが何もしなかったところで結果は変わらなかったと思うが……それが慰めになるとは、到底思えん。
「あの……お怪我をされている方はお二方もいらっしゃるのですか?
エリクシールは1つしかありませんが」
「それはまあ、なんとかするので気にするな」
「はあ」
そういやそうだ。
〈パーティライゼイション〉があるから気にしてなかったが、公爵達はルーク辺りから聞かなかったのだろうか?
……いや、俺が言わなかったのが原因なのだけども。
そもそも注文できるかできないかという段階で、個数入力欄を記入しないまま配送まで話が飛んでしまったからな。
これも性急な公爵が悪いのだ。
「他に望みのものとかがあれば、聞く用意はある。
言うだけ言ってみるといい」
ルティナはしばらく黙り込んだ後で、「父はどうすれば良かったのでしょうか?」と呟くように言った。
そんなこと言われてもとは思うが……言うだけ言ってみろと言ってしまったしな。
「父も爵位を継いだ頃には頑張っていました。
ですがなかなか結果が出ず、いつの頃からか騎士団の統率はおざなりになりました。
さらには大きな盗賊団が暴れまわって、有能な配下を何人も失ったとか……」
そして仕事が上手くいかず、やがて酒に逃げるようになってしまったらしい。
転落、滑落、負のスパイラル。
そんな言葉が思い浮かぶ。
「公爵が褒めていた……口ぶりは微妙だが、あれは褒めていたのだと思う。
バラダム家に声を掛けたのは、伯爵にしては思い切ったな、と。
……相手が悪かった、とも」
少しでも慰めになるだろうかと思ったが、ルティナはほろ苦い声で、
「……父は恐らく、あまり同族のことを信じていなかったのだと思います。
異種族の方が信用できる……そこまではっきりと口にしていたわけではありませんけれど……」
同族より異民族を重用するのって、中華王朝とかソ連とかでよく聞いた統治方法だったような……身内で争った結果か。
俺はてっきり、公爵がエルフの中の外れ値なんだと思っていたんだが。
毎年の自然災害で外部からの人材に頼らざるを得ない公爵と、継承争いで同様に外部の助力が必要な伯爵、そう考えるとよく似ているかもしれない。
「異種族を上手く使おうとする公爵と伯爵か……。
仲が悪かったのは、同属嫌悪でもあったのかもしれないな」
仮にそうだとすると、伯爵から見て公爵は『自分より遥かに恵まれた条件で自分がやりたい事をしている同族』に映ったのではないだろうか。
とてつもなく邪魔だったに違いない……感情的にも、なにより実利的にも。
栄えある公爵領と傾きかけた伯爵領、他所から仕事を探す時、後者を選ぶ者は少ないだろう。
実際には、それをチャンスだと思って伯爵の呼び掛けに応える人間族の商人がいた。
……そして
伯爵がハンナの夫を責めるようなことを言ったというのは、単純な不快感などではなく、今後外部からの援助は望めなくなるであろう絶望からだったのかもしれない。
それで感情が制御できなくなったか……あるいは、せめて身内の結束を固めようと足掻いたのか。
いずれにしても、民間からの投資が当てにならないなら、他の諸侯に助けを求めるしかないだろう。
しかし、公爵に頼ることだけは絶対にしたくなかったんじゃないかと思う。
だが公爵を差し置いて、余所の諸侯が伯爵を助けられただろうか?
ごく近所にいる、姻戚関係もある格上の公爵。
そこをすっ飛ばして余所に援助を求めることができるかというと、難しいんじゃないだろうかと思う。
求められた方だって、「あそこを助けたら公爵様の不興を買うかも?」と、そんな風に思ったかもしれない。
だとしたら……救いがなさすぎる。
「父は……どうすれば……」
ルティナがもう一度繰り返した。
それは質問ではなくて、独り言だったのかもしれない。
だが、
「逃げれば良かったんだ」
気づけばそう答えていた。
継承順位とかは、法的にかシステム的にか知らないが決められているようだが。
だが「無理です、できません」と言う者をそのままにしない仕組みくらいはあるだろう。
「逃げる、ですか、そんなこと……」
「……すまない、無理なことを言った」
実際、無理なことなのだろう。
ただの独身サラリーマンの俺だって、仕事から逃げられずに身体を壊した。
『できません』とは言えなかった。
『できませんでした』しか言えなかった。
『できません』が言えるのは、それを言った時に周囲から助けて貰えると信じられる者だけではないだろうか。
この国の貴族がその責務から逃げて、どうなるかも知らない。
逃げられるのかも知らない。
無責任な、外野の戯言だ。
「逃げてくれれば……お母様とわたくし達を連れて、逃げてくれれば……」
ルティナが嗚咽を漏らし始めた。
暗くて良かった。
顔を見なくてすむ。
結果的にはカシアが炭置き小屋の存在を明かし、伯爵はそれで捕まったものと思われます。(原作で具体的な記載なし)
本作ではセルマー伯が盛大にやらかしてるので、公爵は最初からカシアの協力を求めており、より綿密な計画を立てて実行しているものとします。
オンラインゲームにおける、モンスターを利用して間接的に行うプレイヤーキルのこと。
あとがき代わりに、正月休みの間にキャラ紹介やジョブ紹介などを投稿予定です。
次章は来年投稿できればと思いますが、ちょっと忙しくなる気配があるのでなんとも……。
それでは皆さん、良いお年を。